それは遠い昔にあったような、そうでもないような、ぼくの中のセピア色の記憶──
「ねぇ、みてみて要!どう?お母さん似合う?」
そう声を弾ませながらぼくに問いかけたお母さんがその場でくるんと一回転した。その動きに合わせてレースのあしらわれた長くふわりと膨らんだスカートが花のように広がる。幼いぼくはその光景を見て思ったことをそのまま口にした。
「お母さん、おひめさまみたい、きれい」
「お姫様!?ふふ、ありがとう要〜!」
「わっ」
ぎゅっと笑顔のお母さんがぼくを引き寄せて抱きしめる。お母さんの腕の中はあたたかくて、だからだろう、胸がぽかぽかとする。ぼくもお母さんを抱きしめ返す、お母さんからは優しい香りがした。
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「最悪、せっかく服も靴もバッグも、全部新しいの用意したのに雨なんて…」
テレビの天気予報を見ながらお母さんはそうイライラしたように呟いた。テレビに映っているマークはたまに雲のマークもあるけどほとんどが傘のマーク。カレンダーの花丸が付けられた数字と同じ数字には傘のマークが付いていた。
「あーどうしよ…泥とかついても嫌だし…」
「……」
あの花丸の日はお母さんがずっと楽しみにしていた日、そしてその花丸が付いた日はぼくが家でいつも一人になる日。
(お母さん、あめがふったらおでかけ、やめてくれる?)
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幼稚園バッグから中で少しよれてしまった白いかたまりをお母さんに差し出す。
「お母さん、これ」
「これ…てるてる坊主?」
先生に聞いて、あの花丸の日が晴れるようにとお願いをしながら作ってきた。きっとお母さんは雨が降ったら悲しむと思って。
お母さんはぼくが作った白いお坊さんを受け取ると柔らかく笑ってぼくの頭を撫でてくれる。
「ありがとう要〜!要は優しいね、あのカーテンのところに飾っておこうかなぁ」
あぁ、やっぱりぼくはお母さんにはずっと笑っていてほしいなぁと思った。
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お化粧をしてあの服を着たお母さんはやっぱりお姫様のようだった。
「ふふ、すっごい晴れ!雨の予報だったなんてウソみたい、要のてるてる坊主のおかげかも〜ありがとう要〜!!」
ぼくの頬に唇を落とすお母さん、今日はちょっと大人の香りだ。
「お母さん、うれしい?」
そう聞くとお母さんは目を細めてうっとりとした顔で「とっても!」と言ってくれた。お母さんが喜んでくれてぼくも嬉しい。
だから、この後の一人の時間もきっと平気だ。お昼寝をしていれば、すぐのはず。
「じゃあお母さん行ってくるから、いい子に待っててね」
「うん、いってらっしゃい」
「いってきまーす!」
そう青空を背にしてお母さんは出掛けて行った。
* * * * * *
時間まで部屋で飲むためのコーヒーをキッチンで淹れていると共有ルームでテレビを見てくつろいでいた漣から声をかけられた。
「この野外フェスCrazy:B出るんだな」
流れていたのは今度ユニットで出演する予定のフェスのCMだった。使っている映像は去年のものなのだろう、晴天の空の下で盛り上がる人々が映し出され今年の出演者の一覧にはCrazy:Bの名も出ている。
「大雨が降らなければ、ですけどね」
「天気怪しいのか?」
「今のところ高確率で雨の予報です。弱い雨なら問題はないでしょうが…」
「あ、本当だ。しかも結構土砂降りの予報」
そう、漣の言うようにどの予報を見てもフェスの日の天候は怪しいという結果が出てくる。おまけに風も強いようで中止になる可能性が高くSNSではファンの不安の声が多く見受けられていた。Crazy:Bとしても新規のファンを獲得できるチャンスでもあるので中止は出来れば避けたいが…正直もう無理だと察しはついている。
「晴れるといいな。あ、てかあれやればいいじゃねぇか」
漣がこちらを見て思い出したように声を上げるが何のことを言っているのか分からない。HiMERUから反応がないからか漣はもどかしそうな声を上げ言葉を続ける。
「ほら昔言ってたじゃねぇか、『ぼくのてるてる坊主の力は絶大なのです』ってドヤ顔してさぁ」
昔、ぼく、
「……」
「ったく、昔話するとすぐこれだ。黒歴史にしたいのか本当に忘れたのか知らねぇけどそんなふうになかったこと、みたいにされると結構傷つくっすよ〜。まぁいいや、ほら前もあっただろ?あんたがまだ非特待生だった頃…」
なかったことになどさせない、と言うように漣が強引に話を始める。無視をしてそのまま部屋に行こう、かとも思ったが俺はコーヒーカップを共有ルームのテーブルに置きソファに身を預け漣の話に耳を傾けることにした。
* * * * * *
湿度が高くじめじめとした雨の降る日、あの日タコ部屋にいたのは珍しくオレと『HiMERU』─十条の二人だけだった。二人で部屋の掃除とか洗濯物とかを請け負っていた日で、洗濯物の生乾きの匂いとかさっきまでここにいた野郎どもの汗の匂いだとかで十条がイライラしていたのを覚えている。だから十条が急に叫んだ時もまた癇癪を起こしたのだと思った。
「あぁああ…!!さっきからうるさいのですよ!!!」
「うわ!?なんだよ突然?!急に大声出してびっくりするだろ」
うるさいのはおまえの方だろう、とオレが言うよりはやく十条がピシャリとオレを非難するように言い放つ。
「だから、ため息をそう何度もつかれては気が散るしうるさいと言っているのです!!」
眉を跳ね上げ人差し指でオレを指差す十条。犯人はおまえだ、とでも言っているようなポーズだ。
「…ため息、ついてたかオレ?」
そう言うオレはまるで犯行を認めない往生際の悪い犯人のようだ。
「自覚していなかったのですか?きみがそのタオルを十枚たたむまでに五回はついていましたよ」
結構な頻度だ。全く自覚はなかったがこの部屋にはオレたち以外に誰もいないのだしオレと十条は隣に座って作業をしているのだから聞き間違え、という線もないだろう。それにため息をつくような心当たりもあるのでとりあえず謝っておく。
「悪い、ごめん」
十条はふん、と鼻を鳴らすとそっぽを向いた。子供が拗ねたみたいな怒り方だ。
(隣で頻繁にずっとため息つかれてたらまぁ十条ならキレるか…いや十条じゃなくてもキレるか)
そこで怒るのではなくどうしたのかと問いかける人間はこのタコ部屋ではあの先輩しかいないだろう。別にオレは理由を聞いてほしいわけではないし(ため息は無意識だったし)理由を聞かないことは悪いことではない。ここではため息をつきたくなることなんて日常茶飯事で、他人のそんな話にかまけている余裕はないのだ。むしろ積極的に他人の面倒を見ようとするあの先輩の方が言い方はアレだが異常なのだ。だから、
「それで、何かあったのですか?ため息をつくような何かが」
十条がそんなふうに言うのは意外だった。
「…ははっ、あんたって割とそういうところあるよな」
「はぁ?ぼくを不快にさせた理由を聞いているのです。くだらない理由だったら許しませんよ」
「はいはい、許される理由だといいんすけどねぇ〜」
照れ隠しなのか本気でそう言っているのか、オレには分からないがどちらだとしても自分を気にされる、ということ自体がこの非特待生の環境に身を置いていると嬉しいことだった。
野外で行われるチャリティライブにオレたち非特待生の中から何人か参加できると聞いたときようやくチャンスが巡ってきたと思った。チャリティだけあって支払われる報酬はゼロ。おまけに炎天下の日差しの下でのライブ、だから特待生の奴らはこの仕事を断ったのだろう。唯一参加しそうな風早先輩も別の仕事と被っているらしく仕方なくオレたち非特待生にお鉢が回ってきた、というわけだ。あまり知名度(そもそも非特待生はほとんどがデビューしていない)を気にしていないのはチャリティだからだろうか。何にしてもオレにとっては願ってもないチャンスだった。その野外ライブへの参加権をゲットしここ数日雑用の合間を縫って練習を重ねていた。しかしライブ当日の予報は大雨、正式決定ではないがおそらく中止になるであろうことが今朝伝えられた。
「なるほど、それで辛気臭くため息をついていたわけですか」
「悪かったなぁ辛気臭くして」
「まったくです。…でもステージに立ちたいという気持ちはよく分かります」
今日の十条にはさっきから驚かされてばかりだ。てっきり『そんな理由でぼくを不快にさせていたのですか?』とか『ふーん、運が悪かったですね』とかそんな言葉が返ってくると思っていたから。こんな風に真剣な顔つきで、軽い慰めの言葉としてではなく本当にオレのステージに立ちたかった気持ちに共感をしてくれたことが意外だった。そういえば彼は他の非特待生と違いデビューして舞台に立ったこともあるのだった。だからだろう、十条のステージへの渇望や本気の気持ちは強く、もう舞台に立つことを諦めここで腐っていくだけの奴らとは違っていた。そういうところがオレがこいつを嫌いになれない理由の一つでもある。
「…ありがとな」
「は?なんですか急に」
「別に、言いたくなっただけだよ」
「意味が分からないのです」
お礼を言われた顔にはとても見えない十条の怪訝な顔を見ていると笑いそうになってしまう。
(分かりやすいやつ、笑うともっと機嫌損ねそうだし笑えねえけど)
話を聞いてもらえてスッキリした気がする。ちゃちゃっと雑用を終わらせて十条もよければ二人でレッスンでもしようかと思っていると隣から「ふむ」という意味ありげな呟きが聞こえてきた。
「さざなみにはこの前世話になりましたしいいでしょう。ぼくがそのライブ、晴れにしてあげましょう」
「は?」
何言ってんだこいつ、とそう思うのはこれで何回目だろうか。
「だから、この前ぼくの荷物を半分持ってくれたでしょう。…まぁ別にあの程度手伝いは不要でしたけど」
確かにちょっと前どう考えても一人で運び切れない量の荷物を押し付けられていたから手伝った。変なところで律儀な男だ。
(ってそうじゃねぇ、気になるのはそこじゃなくて、今こいつなんて言った?)
「晴れにしてって…はぁ?」
「ため息の次は『は?』ですか?うるさいですよ」
「いやだって…普通に考えてできるわけないだろ?晴れにするなんて」
どこぞのSF映画じゃあるまいし。
「いいから、この洗濯物をたたみ終えたら準備しますよ」
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「って、ただのてるてる坊主じゃねぇかよ」
いったいどんな儀式が始まるのかと思ったが十条が作り出したのはただのてるてる坊主だった。材料も特別なものなんて一つもない、その辺にあったもので十分くらいで作り出されたそれは少し歪な顔をしていて目が合うとその何とも言えない顔に思わず口角が上がる。
「ふっ…まぁ十条、じゃなくてHiMERUの気持ちは嬉しかったよ。ありがとな」
「あ、その反応は信じていませんね?!」
そりゃまぁてるてる坊主だし。
「はいはい、信じるって」
これで本当に晴れになる、とは思えないがオレがステージに立てるように願ってくれた十条の気持ちが嬉しい。
「せっかくだしオレも作ってみるかな。その特別なてるてる坊主は作り方とかあるのか?」
「絶対に晴れにしろ、晴れにさせなさいと強く念じて作ることです」
なんか馬鹿っぽい作り方だな、とは言葉に出さないでおいた。
「…ま、それならオレでも作れそうだな」
* * * * * *
「で、そのあと巽先輩も来て一緒に作ったっけ、あれが予報をひっくり返して本当に晴れたからびっくりっすよ。まぁ結局あのチャリティライブは主催の黒い噂が出て中止になっちまったけど」
「……」
「あのあとHiMERU理不尽にキレてきたっけ、せっかくぼくが晴れにさせたんだからライブしなさいとか無茶苦茶言って」
「……」
「あっ、今からオレてるてる坊主作ってやるよ。HiMERUも暇なら作ろうぜ」
「…あいにくですが漣の昔話に付き合っていたら出かける時間になったのです」
カップのコーヒーを飲み干しその場を跡にする。漣は少し残念そうな顔をしながらも俺を見送った。
また、俺の知らないあの子が増えた。思い出話として要のことを聞くのは多少リスクがつきまとう。だが要のことを知るチャンスでもあった。少しでもあの子のことを知りたい、そんな思いから共有ルームを出ることができなかった。
「あ、お兄さん」
馴染みの看護師、要の担当をしているスタッフから声をかけられる。
「要くん、今ちょうど眠ってしまったんですけど机の上の物お兄ちゃんに、って呟きながら作っていたのでもらってあげてください」
「分かりました」
教えてくれたことに礼を言い別れる。今日も要は眠っているらしい。偶然なのか、そうでないのか、俺が見舞うときは起きていることも多くなったはずの要はほとんど眠りについている。俺の知るあの子は眠りについた姿か泣き喚いた姿ばかり。その姿以外の要は他人から聞いたものでできている。病院では医師や看護師から、昔のあの子は今はもうほとんど記録から消されたあの頃の『HiMERU』から。あとは今日みたいに不意に思い出話として。弟のことなのに俺だけが何も知らない。俺はそうやってでしかあの子のことを知れない。世界で一番大切な、愛おしい人のことなのに。他人がいなければ、そしてその他人の手によって俺の中のあの子ができあがっていく。
きっと要のことを一番よく分かっていないのも、知らないのも、今も昔も話すことができなかった俺なのだろう。俺以外の人間の方が大事なあの子のことをよく知っている。
(…本当に俺はいつかあの子と向き合える日がくるのだろうか)
今日も静かなその病室に足を踏み入れる、勿論ノックに返事はなかった。要はベッドの上で静かに眠っている。穏やかな寝息、口元にかかっていた髪をすくって耳元にかけてやる。
(そういえば机の上に俺に渡すものがあると言っていたな)
サイドテーブルの上には『HiMERU』のアクリルスタンドやグッズ、卓上カレンダーなどが並べられていた。それらと肩を並べるには異質すぎるそれを見て思わず息が漏れる。
「っ、要…」
卓上カレンダーにはあのフェスの日に花丸がつけれられていた。
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「お、メルメルおっかえり〜!見ろよコレ」
寮に戻ると天城がニヤニヤと笑いながら絡んできた。コレ、と指差した先にはカーテンレールに吊るされた個性的なてるてる坊主が並んでいる。
「何ですか、これは…」
「ジュンジュンが作ってたらから話聞いてな。俺とニキとこはくちゃん、あと巽ちゃんも懐かしいって作ってたぜ。どうせならおまえも作れよ…ってなんだ持ってんじゃねェか」
バッグから持ってきていたそれを取り出しくくりつける。
「しかも二個もかよ」
「…『俺』が作ったのは一つだけですよ」
フェスの日は雲一つない青空が広がっていた。