午後3時の白昼夢「少し、休憩してお茶にでもしましょうか。」
ー午後3時の執務室。
柔らかな西陽が差し込む一部屋で、内閣総理大臣と内閣総理大臣秘書官である私は午後の任務をひとまず終える。
次の予定まで少し時間が空くので一旦休憩を挟む事になった。
執務室には小休憩できるような広々とゆったりしたソファと、ソファよりひとまわり小さめの丸テーブルが置かれている。
私はテーブルに1枚のお皿と2人分のティーカップを並べる。片手に持ったティーポットをカップに傾け、慣れた所作で紅茶を注いでいく。白い湯気がゆらゆらと立ち込める中、紅茶の良い香りが私たちの心をほっとひと息つかせてくれるようだった。
「乙統女様、午後の任務お疲れ様でした。今日の紅茶はチョコレート菓子に合うようなものがいいとの事でしたので、アッサムにしてみました。如何でしょうか。」
サラサラの長い髪を揺らしながら彼女はこちらを振り返る。
「ありがとう。アッサム…確かに強いコクがありミルクティーに向いている茶葉ですから、チョコレート菓子にも合いやすくていい選択ですね。流石です。」
「それは良かったです。」
普段は紅茶を用意する前に予め具体的なお菓子の名称が伝えられるので、今回のような言い回しをされるパターンは珍しい。
紅茶の用意を終えた私はソファに腰を下ろしながら乙統女様に尋ねた。
「ところで今日はどのようなお菓子を用意されたんですか?」
今回はチョコレート菓子とだけしか伝えられていない分、なにか相当目に余るような物が用意されているのだろうかと胸に期待が膨らむ。
「ええ……。今日は気分を変えて、いつもと少し違う物にしようと思いまして…」
そう言いながら彼女は何やら赤い箱を手に持ちながら、私が座っているソファの対面に丁寧に腰かける。
「これを。」
テーブルの上に置かれたそれは恭しい高級なお菓子……
ではなく私達がよく目にする慣れ親しんだデザインのお菓子のパッケージだった。
「これは……ポッキー……ですね?」
「ええ。高級で珍しいお菓子を期待して、拍子抜けしてしまったかしら?」
「い…いえ!でも、乙統女様がこのようなお菓子を選ぶのは珍しいですね?」
彼女はクスッと笑いながら優雅な手つきでポッキーを箱から取り出し、テーブルの上にあるお皿に綺麗な螺旋を描くように乗せていく。
「私はこのお菓子、気に入っているんです。手軽で食べやすく、コーティングされたチョコレートも甘すぎず……。
昔は食べる機会が多かったのですが、今ではすっかり食べなくなりました。でも、何だか久しぶりに食べたくなったんですよ。」
「へえ…そうだったんですね。
まさか乙統女様もポッキーがお好きだったとは。」
確かに高級なお菓子ではなかったことに拍子抜けしていないと言えば嘘になるが、凡人の私達が慣れ親しんで食べているものをこの方も好んで食べる時があるんだと思うと、親近感が湧いて嬉しくなった。
「さあ、いただきましょうか」
「そうですね。では、いただきます。」
それにしても、内閣総理大臣とこうして対面で向き合いながら紅茶とともにポッキーを食べるという構図もなかなか斬新で、逆に緊張してしまう。
……何か話題を振らなければ。今日のお菓子がポッキーならばそれに関係することを話すのが無難でハードルが低いだろうか。
ポッキーと言えば……
「ポッキーと言えば、ポッキーゲームですよね。」
いつもと変わらない執務室で。
いつもと変わらない話し声。
にも関わらず、その発言は何故かいつも以上に部屋にこだました気がした。
その瞬間、2人きりでポッキーを食している状況で、しかも上司に振る話題としてこれは少々……いや、かなり話題を広げるのに適していない事に気が付く。
額にちらりと冷や汗が流れる。
「ふふ……そうですね。」
……特に何事も無かったかのように受け流される。
ほっとしたのも束の間、この先の話題を広げにくくなってしまい、むしろ今の発言で場の雰囲気に気まずさが生じてしまった。
ポッキーゲームというのは両者がポッキーの端と端を口で咥え、折れないように食べ進めていくという一見シンプルに見えて実は難易度が高いゲームだ。密着した距離でなければポッキーをお互いに咥えて食べ進めていくことですら難しい。
そのような事を今目の前にいる上司と…いやいやまさか失礼すぎる…………。
くだらない事を考えるのはやめだと一旦思考を振り切り、チラリと彼女の方を見やる。
しかし、毎日保湿ケアされているであろう柔らかそうな艶のある唇に、チョコレートでコーティングされた細長いものが運ばれていくさまをついつい視線で追ってしまう私がいた。
そして、想像してしまった。
もしも彼女の口に咥えられている、その一端を私が咥えてしまったら?
もしもそのまま折れずに食べ進めることが出来てしまったら?
その暁には、彼女の柔らかそうな唇に……
ー本当に馬鹿だ。つい目の前にいる上司に対して不躾な妄想をしてしまったことを猛烈に内省した。
と同時に己の体温が少し上昇していることにも気が付き、我ながら感傷に浸りすぎだなと呆れてしまう。
……顔に出ていないといいのだが。
「🌸さん。少し、こちらにいらして?」
突如ひらひらと手招きをしながら呼ばれる。
少々驚きながらも席を外し、乙統女様が座るソファの目の前に立つ。
「どうかされましたか。」
途端、その小柄な手で己の腕を掴まれると、ぐいと彼女の方に体を引き寄せられる。
想像もし得ない事態に理解が追いつかず、つい目の前にいる人物の膝に跨り手をついてしまうような体勢になり、心臓の鼓動が高鳴ってしまう。
彼女はもう片方の手でポッキーが並べられているお皿に手を伸ばし、一本だけその細長いものをつかみ取ればゆっくりと私の目の前に持っていく。
「したいのでしょう?」
まるで誘惑する様な、艶を含む声色で。
「まっまさか……!乙統女様、違いま…」
「それならば先ほどは何を考えていたんですか?」
ぴしゃりと図星を付かれてしまっては何も言い返せる言葉が無かった。
この方には、所詮私が考えることなど全てお見通しなのだ。
強ばる手、耳たぶまで火照る顔、わなわなと震える唇、そして更に高鳴る鼓動ー
これらの様子が一致してしまえば、したいのかしたくないのか、その答えが前者だという事は一目瞭然だった。
その様子を眺めると、察したのかふっと細い目付きで優しく微笑む。
「それでは……あなたが想像していた通りにやってご覧なさい……?」
そう挑発するように言うと同時に、彼女は手に持っていたそれをそっと口に含み、少し上の方に顔を傾けこちらを見つめる。
まるで夜の帳のように暗く、だけれど魅惑的で呑み込まれてしまいそうな青鈍色の瞳が今、自分にのみ向けられているー
視線に惹き込まれるように、私は少々震えながらも彼女の肩に己の両手を添え、恐る恐る下半身を膝の上に下ろす。
そして自分に向けられている細長いものの一端にそっと口を含む。
想像以上に近い距離、加わった己の体重と共に密着している下半身からじんわりと伝わってくる乙統女様の体温。
これだけでも雰囲気に酔いしれてしまっているのに、それでも細められた青鈍色の視線はただ自分だけを見つめていて、余計に恥ずかしさで心臓が木端微塵になってしまいそうだ。
しかし、ここで視線を逸らしてしまったら二度と許されない様な気がして、逸らすことも出来ずにそのままゆっくりと食べ進めていく。
サク、サク、とひと口ひと口味わうように、けれども彼女と自分で一直線に繋がられているそれを折らないよう慎重に。
慎重になればなるほどこの時間はとても長く感じた。
ぽーっとする頭で、お互いの顔が少しずつ近付いていく中ふと考える。
本当に、このまま折れること無く食べ進めていったら?
その時は、今目の前にいる相手とー
はっとして、それを考えている状況の目前にいる事に気付いた私は、一度食べ進める口が止まってしまう。
私が求めているものはもう目の前にあって、それに触れてしまえるというのか。
浅くなる呼吸と、羞恥に満ちて涙ぐんだ視線を目の前にいる相手に送りながらも、恐れ多くて動くことができなかった。
すると彼女は私を包み込むように背中にそっと腕をまわし、体全体を抱き寄せる。
その動きに誘導されるがまま、ついに、ふに…と優しく触れるように唇が重なった。
その唇は、チョコレートの甘さとほろ苦さが混ぜ合わさった味がした。
「乙統女様……その……これは……えっと……」
嬉しいような恥ずかしいような、だけれど私みたいな者が乙統女様とこのような事をしてしまった、といった感情がぐちゃぐちゃになって上手く言葉に出来ない。
どうすればいいか分からなくなった私は思わず両手で顔を覆ってしまう。
ふと微笑みながら彼女はまるで幼子をなだめるかのように私の頭を優しく撫でてくれる。
「よく出来ましたね。🌸さんはとってもいい子です…。」
ふわりと包み込むような優しい声色。
「そう恥ずかしがらずに、どうか可愛らしい顔を私によく見せて…?」
そう囁くと彼女は私の顔を覆っている両手をそっと掴み、引き離す。そしてきゅっと私の手を握り、またしてもじっと顔を見つめられてしまう。
「恥ずかしいです……乙統女様…。」
相も変わらず体が火照っているし、耳の端まで顔一面も熱い。
私は今一体どのような顔をしてしまっているのだろう。
「いい子にはご褒美を与えなきゃ、ね…。」
「……え?」
そっと私の頬に手を添えられ、彼女の顔の方にくいと引き寄せられたかと思うと、今度は二人の間に何も介するものがない状態で再び柔らかなそれは重ねられた。
ーその刹那、ほろほろと心の中の糸が解れていくような感覚を覚えた。
「…!乙統女様っ……私のような者と…いいん…ですか…」
「ふふ……もっとあなたを味合わせて…?」
そう誘惑的に言われてしまえば、惹き寄せられるかのように気付けば何度も何度も唇を重ね合わせていた。
まるで、お互いの唇の味とその感触の心地よさを確かめ合っていくように。
私たちはチョコレートのように溶けてしまいそうな甘い微睡みの中に包みこまれていく。
ーそんな柔らかな午後3時の白昼夢だった。