異世界転生(略)④【これまでのあらすじ】
①異世界転生編
死後、異世界に召喚されたリヴァイ。勇者として魔王を倒すために召喚したらしいが、戦力外宣告。始末されそうになるも、自力で脱出し、森の中でハンジに会う。
彼女は初めから異世界の住人として暮らしているが、明らかに元の世界と同じハンジであり、思い余ってプロポーズした。
②告解編
仕事も貰い、異世界に慣れた頃、ハンジが過去の罪を告白した。それは、彼女の失明の原因でもあった。
一方、憲兵はモブリットたちを追い、指名手配されているハンジに辿り着いてしまう……。
③ハンジ過去編
過去にハンジを陥れて罪人に仕立て上げた王妃サンドラは、捕まったハンジのもとを訪れる。
王国の古い契約によると、彼女の夫である王は、百年に一度の生贄として魔王に献上することになっている。
サンドラはその計画を阻止し、リヴァイに魔王を倒させるために再びハンジを利用しようと目論んでいた。
しかし、王に過去のことも含めすべてがバレてしまう。王は、自らが生贄になると宣言し、契約履行のためにハンジが後継を産むことを望んだ……。
【NEXT----④脱獄編】
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ビーーーーーーッ――
突如、サイレンが鳴り渡る。
「何だ」
「侵入者の合図です!」
辺りが一気に慌ただしくなる。
「待機していてください。様子を見て来ます」
「ああ。ハンジ、サンドラ。こっちへ来い」
王と近衛兵一名、ハンジ、サンドラの四名が部屋に残り、中央に固まる。
窓もないこの部屋への侵入口は、ひとつだ。厳重にその鉄扉を閉めておけば、ひとまず警戒範囲は絞られる。この監獄は、一部の魔術の使用が制限されている。当然、転移や壁抜け、攻撃はできない。侵入者が来るなら、物理的にドアを開けるしかない。
遠くで、地響きがした。
「何が起こっているの……?」
ここは、監獄棟の地下最深部だ。重大な危険犯を隔離するため厳重に作られている。しかし、その厳重さは、退路がないこととも表裏一体だった。
王は決断する。
「移動を――」
ガンッ!!
鉄の扉が内側に向かって激しく薙ぎ倒された。
その開口部に、片足を蹴り上げたまま立つ男と、その背後にもう一人の男が現れる。どちらも憲兵の制服をまとっていた。
「あ? なんでこんなに人がいんだ」
「豪快すぎます! せめて中を確認してから……」
不審者に気づいた近衛兵が素早く動いた。だが、次の瞬間には何が起きたのかもわからぬまま制圧され、呻き声を一つ漏らして倒れ伏した。
王は、サンドラとハンジを背に庇った。ハンジは、彼の肩越しに侵入者を見つめる。
「リヴァイ、モブリット……!」
*
俺はモブリットと共に、ハンジが連れて行かれた王都まで来ていた。
都市部の賑やかさからは離れ、一部だけ切り貼りしたような不気味な静けさをたたえた建物を見上げる。
これが、犯罪者を封じ込める監獄だ。重厚な黒鉄の門がそびえる。無機質で、どこか浮世離れしているように見えた。
門の前で憲兵が見張りをしている。
「内部は、ほとんどの魔術が使用できません」
モブリットがささやき声で告げる。
結界が敷かれているのだ。内部からの脱走と外部からの襲撃、両方を防ぐための重ねがけられた魔術網。監獄を突破するような行為があれば、感知される。
「これを」
モブリットが、憲兵の制服を二着取り出した。きっちり畳まれ、少し泥の匂いがする。
「襲撃してきた憲兵から拝借しました」
大胆なことをする。今頃下着姿を晒して寝こけているであろう憲兵を少し哀れに思った。
「やるしかねえな」
二人は制服に着替え、顔を隠すため制帽を深くかぶる。
門の前に辿り着くと、門番が警戒しつつも軽く頷いた。
「ご苦労」
堂々としていることが重要だ。自然な態度を心がける。
門番の一人が目を細めた。そして、不意に問いかけてきた。
「『今日は何日だ?』」
「……? ああ……二十七日だろ」
「……そうか」
一拍置いてから、門番は通信機で告げる。
「こちら正門。『二名、案内を頼む』」
淡々とした声でそう言い、門を開けた。
門番の態度がどこか妙だ……。
引っかかりを覚えながらも、一本道の通路を五分ほど進む。警戒は怠らない。
不思議と、人の気配がない。それどころか、進めば進むほど、より深い闇へと踏み込んでいるように感じられた。自然と言葉は消え、息を潜め、周囲に目を光らせながら進んでいく。
何かがおかしい……何か……。
その時――どこからか機械仕掛けの音が響きはじめた。ギギィ、と低い金属音が空気を震わせる。
「上!」
モブリットの声に顔を上げると、進路を塞ぐように鉄の扉が降りてきていた。背後の扉もまた、重々しい音を立てて閉まっていく。
「……罠か」
完全に閉じ込められた。
直後、周囲の空気がざわめき、天井の魔法陣が光を放つ。次の瞬間、無数の針が頭上から一斉に降り注いだ。
「くっ……!」
モブリットが咄嗟に身を伏せる。その横で、俺は針の群れを縫うように跳躍した。懐に忍ばせていた短剣を抜き、空中で円を描く。
反射した針が次々と壁を穿ち、床に突き刺さった。そのまま着地と同時に壁を蹴り、天井へ飛び上がる。
躊躇はなかった。思いっきり力を込めて石の天井を切り裂く。ものすごい音と同時に天井が崩壊し、大穴が開いた。仕掛けが出るということは、仕掛けの分だけ脆弱性があるということだ。
天井の穴に顔を出すと、そこには長い通路があった。
「リヴァイさん。おそらく我々のいるここの棟は監獄じゃありません。魔術の仕掛けが可能な罠部屋にに誘い込まれたんです。さっきの門番の質問――あれが合言葉でしょう」
「そういうことか。めんどくせぇ。上手くはいかねぇか」
「でも、その罠の影響で、一瞬だけ封じられたはずの術が使えまして。その隙に、ハンジさんの位置を特定できました」
「……! よくやった」
「ここの通路の先が監獄棟につながっています。ハンジさんはその地下最深部にいます」
モブリットの案内通りに渡り廊下を抜けると、別棟で大勢の兵士が待ち構えていた。
「いたぞ! 捕らえろ!」
一人、二人、三人。剣戟の音が雷鳴のように響いた次の瞬間、リヴァイの姿が一閃する。
誰もその動きを目で追うことはできず、気がつけば警備兵たちは床に崩れ落ちていた。
ビーーーーーーッ――
甲高いサイレンが鳴り響いた。侵入者警報だ。無事に監獄棟へ入れた証拠でもある。
警戒の叫びとともに、次々と兵士たちが姿を現す。
「……かかってこい」
*
容赦なく押し寄せる兵を薙ぎ払いながら、ただ一直線に――最深部を目指す。
やがて牢獄の最奥にたどり着き、ハンジが囚われているという扉を蹴破った。
中には、ハンジのほかにも数人の人影。立ち向かってくる者を、一撃で気絶させて床に沈めた。
上等そうな格好をした男が、「何をしに来た!」と声を荒げる。
「ハンジを迎えに来た。――帰るぞ」
俺の視線は、その男の背後にいる唯一無二の女へのみ注がれていた。割れて落ちていたはずの眼鏡は、新しいものに替わっている。どうやら、怪我はないようだ。
「来るなって、約束したじゃないか……こんな、危険なこと……」
ハンジは俺たちの顔を見た瞬間、安堵の色を浮かべ、泣きそうに声を震わせた。緊張の糸がぷつりと切れたようだった。
「馬鹿言え。俺たちはここまで無傷で辿り着いたんだぞ。この世界に、俺を捕まえられる奴なんざいねぇ」
ハンジと話していたところに、男が割り込んできた。
「ずいぶんと大口を叩くな……異世界転生者、リヴァイ・アッカーマン」
「てめぇは何者だ。――大人しくハンジを引き渡してもらおうか」
眉間に皺を寄せ、鋭い眼光で睨みつける俺と、女性を庇うように凛として立ち向かう身なりのいい男。構図だけ見れば、悪役は俺の方だ。
モブリットが慌てて耳打ちする。
「リヴァイさん……あの方は国王陛下、そして隣の女性は王妃様です……!」
「……は?」
その瞬間、ピンときた。
――こいつらだ。ハンジを陥れ、何年も苦しめてきた元凶。
ギロリと睨みつけると、ハンジの横にいた女は怯えるように顔を伏せる。だが、男は怯まず、真っ直ぐに俺を睨み返してきた。
「君たちはもう逃げられない。特殊部隊が出口を固めているところだ。ここまで警備をかいくぐってきたのは賞賛に値するが……捕まるのは時間の問題だ」
王がそう言って口を挟むと、モブリットが平静に答えた。
「……やけに静かだと思いませんか」
サイレンは今もけたたましく鳴っている。彼が言っているのは、その音のことではない。
――人の声も、足音も、まるで何も聞こえてこないのだ。
「この部屋から一歩出て、通路を見ていただければわかります。看守も、精鋭部隊も、守衛たちも……みんな床に伏しているんです」
モブリットの言葉は事実だった。
王は信じられないという顔をして、俺たちを見回す。
俺たちは、どちらも武器を持っていない。先頭を行く俺が、素手で追手をつかみ、叩き伏せ、投げ飛ばしながら道を切り開いてきたのだ。
「この敷地内は攻撃や防御の魔術が使えねぇらしいからな。もし使えたら、お前らにも多少の分があったかもな……」
誰も言葉を返さない。侵入者を防ぐための機能が、逆に侵入者の助けになってしまったというわけだ。
「……とにかく、帰るぞ。ハンジ」
俺は彼女に手を伸ばす。必ず掴み取ってくれると確信して。
しかし、その答えは――
「できない」
ハンジは、拳を強く握りしめたまま、うつむいた。
「……何だと」
言葉に詰まる。俺は動揺した。
「使命だよ。私は……私の使命を果たす。その時が来たんだ」
過去の記憶がフラッシュバックする。自分が犠牲になる覚悟を決めた、あの時の……。
ハンジの言葉に、王が静かに頷く。
まるで、すべてを理解しているかのように。
「どういうことだ……説明しろ、俺が納得のいく説明を」
「私は、王の後継を産まなければならない。それが、人類のためにもなる」
「なんだ、それは。お前に関係あるのか」
王が口を挟んできた。
「それこそ、君に関係のない話だ。彼女は責任感が強い。与えられた役目を全うしようと勇気を奮い立たせている。それがわからないのなら、邪魔をしないでくれ!」
王が、ハンジの肩を抱き寄せた。
その光景に思わず舌打ちが出そうになる。しかし、呼吸を落ち着け、懸命に言葉を探した。前世の経験は伊達ではない。
「ああ、俺にはわからない……だがハンジ、お前は罪悪感と焦燥感でパニックに陥っている。もっと冷静になれ。お前は頭の切れる奴だ。本当に……それが最善か? 犠牲になる前に、もっとできることがあるんじゃねぇか」
ハンジは、はっと目を見開き、考え込む。
「往生際が悪い。これはもう、決まったことで――」
王の言葉を遮り、ハンジが上擦った声をあげた。
「そうだ! そうだよ、リヴァイ! わからなければ、会いに行けばいいんだ!」
彼女の表情は、一気に明るくなる。
ようやくハンジらしさが戻り、リヴァイは口角を上げた。そうだ。ハンジはそういう奴だ。
「ねぇ、王様。魔王に会いに行こう!」
今度は、王が面食らう番だ。
「忘れたのか!? 転生者でもない我々が魔王の領土に立ち入り、人類側の侵攻とみなされれば終わりなんだぞ!」
「私たちは攻撃をしに行くんじゃない。話し合いをするんだよ。人類が魔王領に立ち入ったら即開戦だなんて、契約のどこにも書いていなかった。二千年前の王族が契約を結べたんだから、交渉の余地はあるはず」
「それは……」
「敵意を持っていなければ、きっと大丈夫だよ」
ハンジは王に笑いかけると、サンドラも口を挟んだ。
「私も、ハンジに賛成する。あなたが死ぬのは嫌だし……やってみる価値はある」
二人の説得に、王も頷かざるを得なかった。
「……わかった。いざとなれば私が生贄となり、魔王を鎮める。それでいいな」
かくして、即席の勇者パーティが結成された。
その目的は魔王を倒すためではなく、話し合いをするためだ。
魔王領に辿り着くまでの道中が過酷であるが、森を知り尽くしたハンジやモブリットの援護がある。王は交渉役、俺はいざというときにハンジとモブリットを逃す役割を与えられた。サンドラは国に残ることとなった。
「しばらく、国を頼んだよ」
王が、サンドラに語りかけている。
正直俺は、ハンジを裏切ったこの女のことが明るみに出ればいいと思っている。しかし、この状況で民衆からの王政への信頼を失墜させるわけにはいかない。王に求心力がなくなれば、魔王側がどう動くかわからない。
「……王妃の座は、ハンジの方が相応しい。私は、友人だったあなたを貶めてまでこの地位を手に入れたのに……後継も産めない」
ハンジを見ると、『えー……また蒸し返すの?』という顔をしていた。ハンジの、こう割り切ってしまうとドライになれるところも潔くて好ましい。
「君のしたことは許されないが、婚姻相手も、ハンジへの処罰も、判断を下したのは私だ。そして、私の父である王や王政、貴族の思惑でこうなった。産めるも産めないも関係ない」
王は冷静に諭した。
「君に、民衆を導く才覚があることは私が一番知っている。君の力が必要だ。ハンジの名誉回復と、魔王との和解を民衆に納得させる方法を考えてくれ。それが我々にできる償いだ」
「…………はい」
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*閑話*
「い、今の……なんだったの?」
突風のように監獄の通路を過ぎ去った男は、次々と兵士を薙ぎ倒していった。
サイレンを聞きつけて駆けつけたマルロとヒッチは、ただ呆然とそれを眺めることしかできなかった。
「……あいつ、止まったよな、俺たちの前で」
突風のような男――リヴァイは、前世で見かけた顔を認識し、直前で方向転換した。このことを、二人は知る由もない。
「ねぇ、みんな死んでないよね?」
「大丈夫だ。かなり加減されてる。とりあえず、上司を探して起こそう」
「えーもうしばらく寝かせとこうよ」
「そういうわけにいかない」
二人は、後始末に取り掛かった。
*閑話休題*
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俺たちは城まで案内され、そこで出発の準備を整えることになった。
戻ってきた。と、そう思った。
勇者の召喚は、城の裏手にある礼拝堂で行われていると聞いた。追放されて数ヶ月。同じ場所に戻ってきた。
王の裁定によって、ハンジの指名手配は取り下げられ、監獄で俺たちが暴れた件も不問となった。看守らを大勢気絶させはしたが、後遺症の残るような大怪我を負わせなかったことが幸いした。そして、勇者召喚の儀式も凍結だ。
諸々の事情は議会に付され、一晩中激しく紛糾した。しかし、王と王妃――サンドラの尽力により、事態は収束した。
そして、とうとう出発の日を迎える。
ハンジは、出発前日にサンドラと少し言葉を交わしていた。
「君の境遇は、学生時代に聞いた話とは随分違うようだ」
昔に聞いていたのは、もっと美しく温かな家族の話だった。パン屋を営む両親のもとで看板娘として手伝っていたこと。かわいらしい弟や妹のこと。それらは全部、彼女の妄想の中で作り上げられた理想の家族像にすぎなかった。
現実は、貧困の末に犯罪に走り、家族を失う悲惨な人生だ。
「……お綺麗な貴族様に、同情されたくないと思ってた」
「そうか。学生時代にも、無神経なことを聞いたかもしれない。すまなかった」
「私こそ……。あの頃は、心底イラついてた。……いつでも自分に正直で、何一つ迷わないあなたに。どうして、生まれた場所が違うだけで、こんなに差がつくんだろうって……」
サンドラは、憑き物が落ちたかのように静かに語った。
「でも、違った。あなたはどんな状況でも高潔なまま、変わらなかった。……それに、貴族は貴族でいろいろあったのよね。ごめんなさい」
これが彼女の、心からの謝罪だとハンジにはわかった。
「いいんだ。そんな融通の効かない私を――好いてくれる人もいたから」
黒髪で小柄で、ちょっと怖い男。その背中を見つめながらサンドラは目を細める。
「そう。好きな人と、お幸せに」
その顔は、心から人の幸せを願う、穏やかな微笑みだった。
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勇者一行は、魔王との邂逅を目指し、禁断の森の奥深くに入っていく。
ハンジは、大人気なくはしゃいでいた。
「あっウサギ!! うっへぇぇこれ何色? 虹色かな、幻の虹ウサギかなぁぁ!」
彼女が気になるものを見つけては駆け出すのを、男三人が全力で捕まえる。ナビゲート役がこんなんじゃ、先が思いやられるというものだ。
「ハンジ、道を逸れるんじゃねぇ」
「ハンジさん! それ虹色じゃないです、魔ウサギです! 近づかないでください!!」
「ハンジ、いいからこっちに来い」
三人の保護者がいっぺんに咎めるのでさえ、ハンジはちょっと嬉しそうだ。照れたような笑顔に胸が熱くなる。
今まで貴族社会に抑圧され、冤罪で逃亡を余儀なくされ、自由とは無縁だった。その反動なのか、彼女はこの旅を心から楽しんでいるようだ。……とはいえ、少しは落ち着いてほしい。興奮しすぎて躁状態になっているのかもしれない。
そう思い、拘束も兼ねて手を繋いでやると、ハンジの顔が一気に真っ赤になり、すっかり黙り込んでおとなしくなった。
王とモブリットの視線が生暖かい。
俺以外の三人は、相当高度な魔術を使える。おかげで、危険な魔物に遭遇しないまま禁断の森の中を順調に進んだ。
途中の沢近くで野営の準備をする。元調査兵の俺にとっては慣れたものだ。
「ハンジ、君は誘導の術を発動しっぱなしなのだからもっと食べなさい」
「うん、ありがとう王様」
ハンジは王からスープを受け取り、そっと口をつける。
「王ではなく、名前で呼んでくれないか。昔のように」
「いいの? ……カール」
……カールなんてよくある名前だ。自分の世界にもいた王のことは気にしないことにする。
二人は旅の中で旧交を温め合っていた。長く会っていない間にどちらも大人になり、穏やかに話せるようになったようだ。時間を埋め合わせるようにして寄り添う空気を、俺とモブリットは邪魔できない。
「それにしても、君は相変わらず騒がしい」
「だって、こんなに楽しいじゃないか! 新しいところに冒険に行くのなんて」
「……もし王宮から出られるなら、世界を見て回りたい、勇者パーティを組んでダンジョンを冒険したい――幼い頃、よくそうおっしゃってましたからね」
モブリットがしみじみ想い馳せるのに、王も頷く。
「そうだったな……」
きっと"使命"を理解する年齢に達してから、そのことは口にしなくなったのだろう。
「昔の話は恥ずかしいからやめて」
「俺は聞きたい」
「リヴァイ!」
焚き火を囲み、ハンジを中心に話が弾んだ。
*
「ハンジは、どうするんだ?」
誰かが聞いた。巨人がいない世界で何をするか、という流れになり、注目が集まる。
「そりゃもう、やりたいことがたっくさんあるよ!」
ハンジは興奮しながら語り始めた。
「まずは、みんなで手分けして世界を一周する! 地図を描くんだよ。なんと言ってもそこからだよね」
「みんなって、私たちも巻き込まれてる?」
「当たり前だろ!」
「しばらくはゆっくりさせろよー」
無邪気な兵士たちに、エルヴィンが静かに笑っている。
「海って、どこまで深いんでしょうね。潜ったら何があるんだろう……」
「水圧に体が耐えられないかもね」
「怖っ」
禁書の話は、壁外だけの秘密だ。
厳しい現実に向き合いながらも、夢と希望を忘れない。彼らの輝く瞳を、静かに見ていた。明日にでも大切な仲間を失うかもしれない、そんな中で、ハンジのような奴は光になる。
「兵長は、何がしたいですか? 巨人がいない世界で」
ペトラが小声で話を振ってきた。
「俺は……」
あの時、なんと答えたんだったか。
焚き火に照らされ、大きく揺らめく兵士たちの影を今も覚えている。
あの場にいた仲間たちは、夢を見届ける前にその命を燃やし尽くした。
今度こそ。
一つくらい、全員が幸せなおめでたい理想の世界があったっていいじゃないか。
いよいよ、明日は魔王領に差し掛かる。
*
魔王領に近づくにつれ、森の色彩はどこか褪せ、空気も暗く沈んでいく。鳥の鳴き声すら聞こえなくなった。
突然、俺以外の三人が足を止め、上を仰ぎ見る。
「……? どうした」
「ここが境界線だ……」
俺には何もわからない。景色に変化があるようにも思えない。問いかけると、ハンジが答える。
「きっと異世界転生者には作用しないんだ。ここには透明な“壁”が、立ちはだかっている」
そう聞いて目を凝らしても、俺には何も見えない。
「なぜ生贄を必要とするのか、今理解できた」
ハンジの眼鏡には魔素の流れが映っている。彼女によれば、境界には『魔素の裂け目』が走っているらしい。モブリットたちにも見えないそれは、完全に開けば壁が消え、魔族と人族の領域を隔てるものはなくなってしまう。
だから百年に一度、裂け目が綻ぶ時、古代から脈々と続く神聖魔法の使い手――王族が命を捧げるのだ。神聖魔法によって裂け目は満たされ、壁は再び強固に保たれる。儀式が果たされる限り、両者の領土は保たれ、武力衝突は回避される。
「飛び越えるために視覚共有するよ。リヴァイが落ちることはないけど、カールとモブリットは絶対に裂け目に落ちないでね」
ハンジは、魔術書を開き呪文を唱えた。
すると、目の前に透明な壁が浮かびあがり、その足元には壁に沿うように大きな裂け目が口を開いた。幅は一メートルほど。飛び越えられない距離ではない。
見えているのは、ハンジの視覚だ。色や影の情報は失われ、まるで暗闇の夢の中を歩いているような感覚に包まれる。彼女はずっと、この世界を見てきたのか。
感慨に浸る間もなく、カウントダウンが始まる。
「見えにくいと思うけど、分かる? あれを越えなきゃならない」
「ああ。問題ない」
「はい!」
「いつでもいい」
三人の返答を聞き、ハンジは頷いた。
「よし。行くよ、せーの!!」
つづく