異世界転生(略)⑤本編完結あらすじ(簡単ver.)
生贄の契約を破棄する交渉のため、魔王領に踏み入った勇者一行。魔王は恐怖の象徴として歴史上で語られてきたが──はたして、話は通じるのか?
⑤ 魔王編
境界線を越えると、そのまま森は続いていた。
慎重に、辺りを警戒しながら歩く。遭遇する生物や植物の種類が魔属性のものになってきた。別の区域に足を踏み入れたんだと実感する。
しばらく進むと、木々の間から、一つの街が見えてきた。
「ここ、本当に魔王領だよね……」
「ああ……」
そこに広がっていたのは、まるで王国に戻ったと錯覚するような懐かしい風景だった。
照りつける太陽の下、赤い煉瓦造りの城壁と、その周囲に広がる下町。遠くには大きな城の上半分が見え隠れしている。まるで王国の街並みをそのまま写したような光景――あの城の中に、魔王がいる。
「……気を抜くな。ここは敵の領土だ」
肌にまとわりつく空気がどこか重苦しい。やがて人の気配が近づき、通りの喧騒が耳に届く。俺たちはフードを深くかぶり、顔を隠した。
中心街に足を踏み入れると、目に飛び込んできたのは通りを行き来する魔族たちだった。彼らのうち何人かの視線は、こちらを値踏みするように一瞬だけ注がれる。しかし、やがてすぐに興味を失い、自分たちの用事へ戻っていった。
聞いていた話とは違う。
魔王にまつわる恐ろしい噂からすれば、境界を越えた瞬間に攻撃を受けてもおかしくなかったし、魔族から見れば人族は敵とみなされるはずだった。
実際に目にしたのは――ゴブリン、ダークエルフ、トロール、獣人……多種多様な魔族が行き交う、活気ある街並みだった。
珍しい光景に、ハンジは落ち着かない様子で辺りを見回している。
「ここまで文明が発展しているとは……」
王は嘆息して言った。
考えてみれば当然だ。魔族も人族と同じだけの歴史を歩んできたのだから。発展していて何ら不思議はない。
しかし、王国では『魔族は知能が低く狡猾で、文明を築くほどの協力はできない』と信じ込まれていた。長年、壁に阻まれたからだ。
ハンジが魔王領に行くと言わなければ、王族たちは何も知らないまま壁に投身し続けていたのだろう。
城を目指して歩いていると、不意に背後から声が飛んできた。
「ねぇ、あなた、あの時の!?」
振り返った俺たちは、言葉を失った。そこに立っていたのは、どう見ても、人族の少女だったのだ。
王国の常識では、魔族は『瘴気』を纏い、人族に害を及ぼす存在とされてきた。だからこそ、人族と魔族が同じ土地で暮らすなど不可能と信じられてきた。魔王領に人族が生きているはずがない――少なくとも、王国出身の者たちはそう教え込まれてきたのだ。
「よかった……無事だったんだ」
少女は胸を撫で下ろすように微笑んだ。その視線は俺にまっすぐ向けられている。
「追放された勇者は、みんな消えてしまうって聞いていたから……」
俺は思わず眉をひそめる。
「あんたは……?」
「私も、あの召喚の儀式の時に一緒にいたんだよ」
少女は小さく息をつき、そして名乗った。
「アリス。覚えてる?」
記憶を掘り起こすと、確かにいた気がする。高いステータスを賞賛されていた少女が。
「あなたたちは、新しく勇者パーティを組んだの? 魔王様を倒しに?」
魔王“様”。確かにそう言った。彼女の言葉には、魔王への敵意が感じられない。
「違う。交渉しにきた」
王が答えると、少女はほっとしたように表情を和らげた。
「そうなんだね。魔王様は悪い王様じゃないよ。私たちだって元々は魔王様を倒しに来た勇者だったのに、今はちゃんと住民として受け入れてくれてるんだから」
モブリットとハンジが密かに彼女に術をかけ、洗脳の気配がないか確かめたが……彼女は本当に自由な意思でそう話しているのだとわかった。
「君はどうしてここに住んでいるんだ? 王国に戻らないのか?」
「戻れないんだよ! 見えない壁があって……。王国側からは魔王国に入れたけど、逆は無理だったの」
異世界転生した勇者は、その境界の壁が認識できない。一度こちら側に来てしまうと、自由に行き来はできないのだと言う。それは魔族達も同様で、やはり、過去の生贄が壁を築いていたおかげで不可侵が守られていたということだ。
「じゃあ、俺たちも戻れねぇのか」
「大丈夫。今まで派遣されてきた勇者さんたちも、みんなこの国で暮らしてるから! そうだ、私が魔王様のところに案内してあげる」
少女は、無邪気に申し出た。
「境界の壁は百年で綻ぶ。おそらくだが――私が生贄にならなければ、遅くとも、あと数週間で前回の神聖魔法が切れるはずだ」
モブリット達も同様の見解を持ち、賛同した。
「そうですね。魔法が切れて壁がなくなれば、自由に行き来できるようになります」
「それまでは、この国で身を寄せた方がよさそうだ」
俺たちは、少女の提案を受け入れることにした。
*
少女――アリスの案内で、ついに城の目前へとたどり着いた。間近で見るその姿は圧倒的で、まさに威容というほかない。
巨大な門の前には屈強な兵士たちが立ち並び、厳重に周囲を固めている。門の向こうは深い堀となっており、その上に吊り橋がかかっていた。橋を渡った先に、城への入口があるのだ。
アリスが、屈強な門番に小さな体で臆することなく話しかけた。俺たちを魔王のもとへ通すようにと。
万が一に備えて身構え、返答を待つ――が、驚くほどあっさりと許可が下りた。肩透かしを食らった気分だ。
「じゃあ、私はここまでだね!」
アリスはくるりと振り返り、屈託のない笑顔を見せる。
「中心街の診療所を手伝ってるんだ。もう戻らないと。バイバイ!」
礼を言う間もなく、彼女は軽やかに走り去っていった。その背中は、この魔王領で自分の居場所を見つけ、生き生きと暮らしていることを雄弁に物語っていた。
「……魔王様ってのは、思ったより話が通じる相手なのかもしれないね」
「なんとかなりそうですね」
ハンジとモブリットは呑気に喜んでいるが、俺にとってはここからが本当の勝負だ。何かあれば、こいつらを庇って脱出しなければならない。たとえそれが狭い城の中であっても。
俺は改めて気を引き締めた。
「入れ」
兵士に囲まれながら吊り橋を渡り、城に入場する。
「ここから先は武器の所持を禁ずる」
入り口で剣や杖、ナイフなどを明け渡すと、豪奢なゲストルームに通される。椅子に腰かけて魔王を待った。
三十分ほどが過ぎただろうか。
重々しい音を立てて扉が開き、一人の男が入ってきた。俺たちは立ち上がり、身を正して迎える。
金髪碧眼。精悍な顔立ちに、逞しい体格。
その姿を見た瞬間、思わず目を見開いた。
「……エルヴィン!」
前の世界で、第十三代調査兵団団長を務めていた、エルヴィン・スミスだ。
彼もまた俺の声に反応し、こちらを見て驚いたように目を瞬いた。
「なんだ、これは嬉しいな」
エルヴィンは瞳孔を開き、口元を隠すようにして笑みを浮かべた。
……あれは興奮している顔だ。知らない者が見れば、大魔王の邪悪な笑みにしか映らないだろう。モブリットがごくりと喉を鳴らす。
それに怯むことなく、王が凛とした声で言葉を放った。
「此度は御招きに感謝する。私は人族領の王。そなたと契約を結び直すため参上した」
「ああ、畏まらなくていい。座ってくれ」
魔王は軽く手振りをして椅子を示し、自らも対面に腰を下ろす。そして、渋る護衛たちを説き伏せて退室させた。
こうして広間に残ったのは、俺たち四人と魔王ただ一人だった。
「やぁ、リヴァイ。元気そうだな」
エルヴィンは前の世界を覚えているようで、懐かしげにハンジやモブリットにも視線を向け、目を細めた。
「どういうことだ?」
「……何? リヴァイ、魔王様と知り合いなの?」
三人が困惑する中、エルヴィンが静かに口を開いた。
「私は――リヴァイと同じ世界から来た、異世界転生者なんだ」
百年前。
エルヴィンは異世界転生によって、この世界に最初の勇者として召喚された。
天と地の戦いを見届け、始祖ユミルが解放された直後のことだ。突然謎の集団の前に実体を再び持ち、困惑した。
彼らの話を聞くと、この世界では魔王と人族の大戦が起こっており、決死の思いで王が贄となって侵攻を食い止めたのだという。その後も街は荒れ果て、人々は飢え、暴動が絶えなかった。
魔王を討たなければ、人類の未来はない。
藁にも縋る思いで召喚されたエルヴィンは、すべてのステータスがレベル99という規格外の存在だった。
「この勇者なら、魔王を倒せる……!」
人々はそう信じ、希望を託した。資源が乏しい当時、送り込める勇者は一人が限界だった。人類の運命は、すべてエルヴィンの双肩に懸かっていたのだ。
エルヴィンとしては、人類の結末を見届けた後、またもや別の人類の希望を背負わされることにうんざりしていた。だが同時に、突然召喚された未知の世界への興味は抑えがたかった。ここで逃げてしまうのは簡単だが、惜しい。そこで、勇者の任を受け入れることにした。
自由に探索を進めながら、やがて魔王領に足を踏み入れたその瞬間――無数の攻撃が一斉に襲いかかってきた。魔族たちが総力で侵攻者を排除しようとしていたのだ。
エルヴィンの身体は、前世の経験から戦いに熟達していた。そして、この世界の誰よりも圧倒的に強かった。すべての攻撃をいなし、はじき、躱しながら一直線に魔王の懐へと飛び込む。
そして、一閃。頸を刎ねられた魔王は霧散し、空に溶けるように消えていった。
かくして、エルヴィンはあっけないほど容易く魔王討伐を成し遂げてしまったのである。
魔王を倒したその瞬間から、魔王の部下であった魔族たちは皆、エルヴィンを新たな主君と認めて平伏した。
詳しく事情を聞くと、前魔王は圧政と搾取が酷かったのだという。しかし、圧倒的な力に支配されてどうにもならなかった。その呪縛を解いた彼は、新たな魔王として歓迎されたのだ。
魔王をやる気はなかったが、元の世界に帰る術も、見えない壁に阻まれた人族領に戻る方法も見つからない。
ならば、とエルヴィンは腹を括った。やるなら徹底的にと、制度の改革に着手する。
差別や暴力を法で禁じ、治安を改善した。これ以降、毎年送り込まれてくる勇者たちはここの住民として受け入れ、労働力も確保。幾年もかけて国は見違えるほど整備され、繁栄を取り戻していった。
気がつけば――百年が過ぎていた。
エルヴィンは、召喚された時はただの人間の若者だったはずだ。しかし、魔王の座に就いたその瞬間から、肉体の時の流れは止まった。
魔王という存在は、王座に宿る莫大な魔素と契約を結ぶことで成り立っている。前魔王は、この契約のおかげで、王国が始まって以来数千年間も変わらず国を治めつづけてきたのだ。
前魔王を倒したエルヴィンは、強制的にこの契約を結ばされることになった。魔素は彼の血肉を浸し、細胞の一つひとつにまで染み渡る。そして、気付かぬうちに老いも病も超越し、寿命すら持たない『魔王族』と化したのだ。
最初は恐怖もあった。百年も生きるなど想像もしなかったし、帰る術も見つからないまま時間だけが積み重なっていく。
だがやがて、彼は悟った。――ならば、この無限の時間を自分の思うままに使えばいい、と。
以来、エルヴィンは好きなことを好きなだけ試すようになった。
数年城に引きこもって本を読み続けたり、農業に手を出してみたり、歴史の研究をしたり、子どもの魔族に授業をしたりした。
人間であったならいくつも人生がなければなし得なかったことを、時間に縛られぬ魔王として追い求めていったのである。
「……というわけで、今は全魔術を網羅してみようと思っていてね。いやぁ、この力は実に便利だな」
そう言って杖を振ると、テーブルの燭台にふっと火が灯る。エルヴィンは少年のように目を輝かせていた。
正直よくわからねぇが、少なくとも今世では外聞に囚われず楽しそうにしているようだ。それなら、それで良しとしよう。
衝撃の真実を知った王は表情を正し、改めて本題を切り出した。
「……では、不戦の契約は今どうなっている? 私はこれを確かめるために来た」
対する魔王――エルヴィンは、わずかに唇の端を上げる。
「ふむ。私は下剋上で魔王になった身だからな。前任の魔王と人族の間で交わされた契約の詳細までは知らん。前契約を破棄し、我々で新たに契約を結ぶのはどうかな」
「ああ、そうさせてもらいたい」
二人の王が真正面から言葉を交わす。重厚な静けさの中で、世界の命運を決する契約が動き出した。
エルヴィンは軽く指を鳴らし、部屋の外で控えていた従者を呼び入れる。これが調い次第、早速民衆に発表するらしい。そのための準備を任せると、再び王と向き合った。
王同士が契約内容を一つひとつ吟味し始める。
その間、俺たち三人は傍らに控え、ただ事の成り行きを見守るしかなかった。目の前で歴史が塗り替わっていくのを肌で感じていた。
ハンジが、じっと俺を見て問いかけてきた。
「リヴァイ、魔王さまと知り合いだったんだ」
隣でモブリットも頷く。
「会えてよかったですね」
「ああ。……エルヴィンだ。名前で呼んでやってくれ」
「仲良しだったんだ」
「……奴は上司であり、同志でもあった」
「へぇ。何を志していたのか、聞いてもいい?」
「……ああ。だが、話せば長くなる。……今度な」
二人の好奇心に満ちた視線が鋭く突き刺さるようで、思わず目を逸らした。
俺は、彼女たちに過去の話をほとんどしていない。
なぜなら、前の世界の記憶には、いつだってハンジの影がついて回るからだ。笑っている顔も、怒っている声も、血に濡れた横顔も、切り離すことができない。どの思い出を口にしても、必ず彼女に行き着いてしまう。
だが、それを“今”のハンジにどう伝えればいいのか、まだ答えは出せなかった。
喉元まで出かかった言葉を飲み込み、俺はただ二人の視線から逃げるように、遠くで契約の話を進める二人の王へと目を向けた。
――君が好きなのは、今の私じゃなくて、前の世界にいた私なの?
そう問われたら、俺はきっと何も言えなくなる。前の世界のハンジが好きなのはその通りだ。だが、それと同時に、目の前の彼女に出会い、はじめて自覚が芽生えた。
恋愛なんて、してこなかった。地下街では年下の仲間を守り、ただ生きることに必死だった。心を見せれば弱みと捉えられ、食われる世界だ。調査兵団に入ってからも戦いの連続で、余裕なんてなかった。
出会ってすぐ彼女に求婚したときのように、勢いだけでは伝えきれないものがある。今度は、彼女が感じるであろう不安ごと、すべてを包み込む言葉が必要だ。俺には、その気持ちを表す言葉がまだ足りない。
「ハンジ。こっちへ」
契約の調整を終えたらしいエルヴィンが、優しい笑みでハンジを手招いた。
ハンジは不安そうに俺を振り返り、『どうしたらいい?』と目で訴えてくる。俺は『行け』と視線で返した。
彼の怪しさに困惑しているようだ。無理もない。敵だと思っていた相手が旧知のように親しげに話しかけてきたら、誰だって戸惑うだろう。
「えっと……エルヴィンは、どうして私の名前を知ってるの?」
「名前を呼んでくれるんだね。嬉しいよ」
彼は質問には答えず、ただ名前で呼ばれたことを喜び、ハンジの瞳をじっと見つめた。
「やはり……目が見えていないんだな。どこかに存在する希少な魔導書には、視力を復活させる術が記されていると聞いたことがある。いつか手にしたら、君の目を治そう」
その言葉を聞いて、俺は突然思い出した。
一番最初にダンジョンへ飛ばされたとき、大ボスを倒して手に入れたアイテムがあったはずだ。
アイテムボックスを探り、目当ての品を取り出す。
「エルヴィン」
俺は、それを彼に投げ渡した。彼は危なげなくそれをキャッチする。
「これは……! まさに俺の探していた『魔導全集』じゃないか。どこで手に入れた?」
「拾った。魔力のない俺には無用の代物だ。忘れていたが……欲しいならやる」
「おお……」
エルヴィンが夢中で書を繰るのを、ハンジは興味津々に覗いている。
「この術が効くかもしれない」
エルヴィンは、とあるページを開いて手を止め、ハンジに向き直った。
「え? どれどれ?」
「私にも見せてください」
モブリットも駆け寄り、三人で顔を寄せ合って一冊の書を覗き込む。ハンジは、術を使って内容を読み取っているようだった。
この光景は昔見たことがある。頭脳派の奴らでよく分からない話をし、俺はじっと判断が下るのを眺めていたものだ。
しばらくして、ハンジが唸った。
「うーん……材料がかなり多いね。全部貴重なものだし……」
「材料なら私が用意する」
渋っているような素振りを見せるハンジに、成り行きを見守っていた王が口を挟んだ。
「君の失明は、私の責任だ。王政としても大きな失態だった。せめてもの償いとして、この術をかけられるように用意させてもらう」
王の真摯な言葉に、ハンジはしばし考え込み、そして肩の力を抜くようにへらりと笑った。
「……いや、やっぱりいい。このままでいいよ」
「なに……!?」
「もちろん、色や人の表情が見られたら嬉しいさ。でもね、この目はもう私の人生の一部なんだ。
目が見えないぶん、匂いとか、みんなの気配とか、他の感覚がすごく鮮明になるんだ。私はそれを、このまま覚えて、感じていたい」
――こいつは、そういう奴だ。失ったものに囚われるのではなく、今あるものを丸ごと抱きしめて自分の力に変えていく。ありのままを受け入れて、それでも前を向く。
……昔から、そういう奴だった。
失った過去に囚われているのは、俺だけなのかもしれない。
「……お前がそう言うなら尊重しよう。だが、もし気が変わったら、いつでも頼ってくれ」
「ありがとう、カール」
そのとき、扉が開き、先ほどの従者が入ってきた。
「調印の準備が整いました。こちらへどうぞ」
一室には、大勢の民衆が詰めかけていた。誰もが息を呑み、この歴史的な瞬間を見届けようとしている。
人族の王と魔王が並んで壇上に立ち、固く握手を交わした。二人とも堂々とした姿で、その一挙手一投足からは揺るぎない風格が漂う。次の瞬間、割れんばかりの拍手が巻き起こり、場内を揺るがした。
魔族の記者たちは、この出来事を刻みつけるように術を使って記録する。ほどなくして、号外として配られることになるだろう。
契約の内容は明快だ。
――古き「不戦の契約」を破棄すること。
――二つの王国は正式に国交を樹立し、境界の壁を取り払って自由に往来できるようにすること。
――互いに侵攻せず、平和の維持に努めること。
こうして、時代を分かつ新たな契約が結ばれた。
ハンジが民衆の盛り上がりを見て呟く。
「王国に戻ってからの方が大変そうだね」
こちらでは、契約がすんなりと受け入れられているように思える。昔から、人族である勇者達との交流があるからだろう。
一方、王国では魔族への偏見や差別、恐怖心がより強い。この状況を変えるのは、王族の手腕にかかっていると言ってもいい。ハンジの言う通り、大変なのはこれからだ。
*
境界の壁が完全に消えるまでは、人族領へ戻ることはできない。俺たちはしばらく、魔王城で待機することになった。
部屋は人数分用意されていたが、俺は迷わず「ハンジと同室がいい」と申し出た。じっくりと話し合う必要性を感じていたからだ。
当然のようにモブリットと王が拒否の声を上げる。だが、その場を収めたのはハンジの一言だった。
「私も……リヴァイと二人きりで、話したいことがあるんだ」
静かな決意を含んだ声に、誰も反論できない。しぶしぶ納得した王とモブリットを横目に、最後にエルヴィンが口を開いた。
意味深に目を細め、わずかに笑みを浮かべて。
「……幸せになれよ」
その言葉に、心臓が熱くなった。
部屋に入ると、俺は深く息を吐き、椅子に腰を下ろした。
ハンジは俺の隣ではなく、少し離れたソファーを選び、まっすぐこちらを見据える。
冷静に話すために、わざと距離を置いたのだろう。その瞳の奥にはわずかな揺らぎがある。
沈黙が重く積もり、心臓の鼓動だけがやけに大きく響いた。
――もう逃げられねぇ。言うしかない。
俺は拳を握りしめ、息を整え、覚悟を込めて口を開いた。
「改めて言わせてくれ。ハンジ――俺はお前が好きだ」
これは、二度目の告白。だが、最初とは違う。
俺の全てを曝け出す覚悟をした告白だ。何を聞かれてもいい。彼女の求めることに答えた上で、返事が欲しかった。
ハンジは俯き、膝の上で手をきゅっと握り締めた。
けれど、その声は震えていない。強く、まっすぐに響いた。
「……私も、リヴァイが好きだ」
一番聞きたかった言葉に、胸の奥から歓喜が溢れ出す。だが同時に、その瞳の奥がまだ言葉を探して揺れているのが分かった。
「……私は、気づいたんだ。リヴァイと、あの魔王様がやってきた世界には――私と同じ魂を持った人がいたんだね」
正確に、見抜かれていた。
俺は思わず息をのむ。そして、やはり俺のことを分かっているのだと嬉しくもあった。
「君は、その人を好きだった。違う?」
避けては通れない問い。だが、この瞬間を待っていた気もした。
そうだ。誤魔化す必要はねぇ。口下手でも、彼女なら俺の言いたいことをわかってくれるはずだ。そう信じている。
「俺もあいつも、生き延びるのに必死で、恋なんて考える余裕はなかった。……色々、思うようになったのは、あいつが死んでからだ」
立ち上がり、俺はソファーに座るハンジの隣に腰を移す。
もう、距離なんて必要なかった。
そっと手を伸ばし、彼女の瞼を親指で優しくなぞる。
「あいつも片目を失っていた。魔術なんてねぇから、傷跡もそのまま残ってた。
……それでも使命のために、最後まで前を向き続けてた。お前と同じだ」
「同じ……?」
その声は震えていた。
俺は深く頷き、言葉を尽くす。
「前の世界を引き摺ってないって言えば嘘になる。だがな……。この世界に生きるお前を見て、改めて惚れ直した」
まっすぐに、彼女を見据える。
俺のすべてを懸けて。
「前の世界も、この世界も。全部ひっくるめて――ハンジ、お前が好きだ。二人で一緒に生きるのは……悪くねぇだろ。結婚してくれ」
俺にしては珍しく長い台詞だった。
言い終えたあと、静寂が訪れる。心臓の音だけが響いていた。
――そして次の瞬間。
ハンジが勢いよく飛びついてきて、俺はソファーに倒れ込んだ。細い腕が、力強く俺を抱きしめる。
「……うん。結婚、しようか」
耳元で囁かれた声は涙に滲みながらも、太陽みたいにあたたかい笑顔が伴っていた。
「ねぇ、教えてよ。君の世界の私のことも。楽しい思い出も。全部……たくさん話してほしい」
せがまれたら、答えないわけにはいかない。俺はただ頷き、彼女の背を抱きしめた。
「……ああ。全部話してやる」
そして、重なり合った想いを確かめるように、柔らかな唇へと静かに口付けた。
二人の未来が、これから始まる。
*
数週間が経つと、予想通り境界の壁は完全に消え失せ、地面を走っていた魔素の裂け目も跡形なく塞がっていた。
俺たちは、ついに王国へ戻ることができたのだ。
その報せは瞬く間に広まり、道すがら人々が集まってくる。
「王様がご帰還だ!」
「勇者パーティが魔王を討ったんだ!」
「おお……すげぇ、本物だ!」
歓声とざわめきが波のように押し寄せ、いつの間にか四方を群衆に取り囲まれていた。子どもが目を輝かせてこちらを指差し、老人が震える手で拝むように頭を垂れる。
城へと続く道は、拍手と喝采で埋め尽くされる。
頭上からは旗が振られ、色とりどりの花びらが舞い落ちる。その一つひとつが、この瞬間を祝うようだった。
「……ここからが本番だな」
割れんばかりの歓声に包まれながらも、王は小さくため息を漏らした。
魔族との共存、そして国交樹立――その現実を、長年魔族に怯え、憎悪を募らせてきた国民たちに告げなければならない。民衆は今、勝利と凱旋を祝っている。だが次に待つのは、容赦のない現実との対面だ。一筋縄でいくはずがない。
「大丈夫だよ。サンドラ王妃も支えてくれる。お城で、帰りを待っているはずだよ」
ハンジの言葉は明るく響く。
しかし、その瞳は群衆の奥を鋭く見据え、曇った。
――そこには、彼女をかつて傷つけた者たちの姿があった。
もう何年も会っていない両親、親族。凱旋を聞きつけて駆けつけたのだろうか。表情は、ハンジにはわからない。だが、眼鏡には彼らの纏う魔素がざわめき、揺れ動くのがはっきりと映っている。
それは懺悔か、憎悪か。彼女の心に再び爪痕を刻みこむ、得体の知れない気配だった。
隣で彼女の動揺に気づいた俺は、無言で肩を小突く。
「ハンジ。前を向け」
俺は心の中で言葉を続けた。
お前はこれまで、どんな絶望の中でも前を向いてきた。理不尽に抗い、正しいと信じた道を進んできた。だからこそ今ここに立っている。
過去に囚われるな。お前は俺と、仲間と、未来を選び取ったんだ。
胸を張って歩け。
堂々と、この国の民衆の前を進んでいけ。
城門が近づいてくる。石畳を踏みしめる足音に合わせ、人々の喜びが波のように押し寄せる。
見上げれば、雲ひとつない青空が広がっていた。まるで新しい時代の訪れを祝福するかのように。
俺たちはその声を背に受けながら、まっすぐに城へと歩みを進めた。
本編、完結。
【余談】
まだだ…足りない……エピローグ書かなきゃ気が済まない……………
どんな場面があったらいいか、もしあれば教えてね!
今考えてるのは、結婚式💒とか…あと、エルヴィン魔王😈が気軽に遊びにくるところとか……。
本編の推敲や加筆修正も含めて、完成したらPixivにのせようかなと思ってます。
毎回スタンプで応援してくれた方も超感謝🥲リハって楽しい♪