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    イヴァンのお話。

    水光 水面がきらきらと光って見えるのは、振動によって横方向の偏光が目に届くからであって、凪いでいれば鏡面のようにただ像を映すのみ。
     だからしばらく停滞したままの水面に石を投げこんでみたのは、ティルの新しい表情を見てみたいからだった。喜怒哀楽のどれであってもいい。俺に無視を決め込んで黙りこくった表情を動かせるなら、なんでもいい。どんな彼の表情も俺にとっては光輝いて見えるから。
    「歌の作り方、教えてよ」
     いままで、ティルの持っているものを奪う形でしか関心を引く方法を思いつけなかったけれど、ミジに星のことを聞かれたスアが見たこともない笑顔で話しているのを見て、これは有効なんじゃないかと考えた。
     ティルは退屈そうに草むらを叩いていた指を止め、細い毛先が舞い上がるほど勢いよく、俺の方を向いた。
    「まじで⁉」
     ティルは俺の両手を掴んで、飛びかかってきた。咄嗟であっても襲い掛かってきたやつに対処するなんて何百回も経験してきて、それを毎回成功させてきたからこそいま生き延びているというのに。相手がティルというだけで、すべてがままならなくなってしまう。
     ティルの体重を受け止めるまま、俺は草むらに倒れこんだ。ティルはのしかかるようにして俺の顔を覗き込んでくる。
    「もちろんだ!」
     それは、太陽を模した蛍光灯を背にした逆光だったというのに、心臓に刻まれた古傷にしみるような、痛いほどの笑顔だった。
     喧嘩かと勘違いした教員が走ってくるのを視界の端に捉え、俺は慌ててティルの体を引き剝がした。名残惜しかったけれど、誤解されてティルが反省室に送られては元も子もない。
     起き上がると、ティルは珍しく俺の服に着いた草を払ってくれた。ほとんど叩いているような手つきで。それが照れ隠しだったことは、今なら分かる。たとえ俺なんかが相手であっても、音楽のことで頼られるのが嬉しかったんだと。
    「だけどオレは天才だからな。お前が理解できるかどうかわかんねーけど!」
    「うん、おれ頑張るね」
    「ちょっと待ってろ! ギターとってくるから!」
     ティルは駆け出して、だけとつんのめったようにすぐに立ち止まって、俺の髪に触れた。頭を撫でられたのかと思って、指先が掠った場所からとろけていきそうだった。
    「……ティ、ル」
    「草、まだ絡まってた」
     つまんだ葉を風の上に乗せるようにそっと指を開いて、ティルは歯を見せて笑った。軽い気持ちで投げた小石が、こころに高波のような波紋を描いて、光を乱反射させるなんて思ってもいなかった。闇に慣れた目には余るほどの光だ。目が潰れてしまいそう、いや、ティルの顔を焼き付けて視界が閉ざされるのなら、それは本望という生易しい言葉じゃ足りないほどの、一番の願いなんだとこのときはっきりと自覚した。
     それからティルが語ってくれたことは、やはり感覚的ですぐ実践に移せないような説明ばかりだったけれど、何度も顔を上げて俺の表情を確認してくれて、その都度彼の方が眉をひそめて、言葉をふやかして、飲み込みやすいよう言い換えてくれた。
     一通りの説明を終えたティルは、「まずはメロディを作ってみろ」と仁王立ちした。もうティルのことを見上げる機会なんてほとんどないから新鮮だなあと思っていた俺は、ゆるく握った手を顎に当てた。そんなほいほい思いつくヤツなら、そもそもティルに質問しないとは考えないのかな。
     俺が俯いて黙ったままでいると、ティルはすぐそばにしゃがみ込んできた。自然と呼吸を止めてしまう。あまやかな彼の吐息の温度が、頬に伝わってくる感触を錯覚して。
    「声出してみろ」
    「え……」
    「あー、って。歌いやすい高さで」
    「……あー」
     言われるがままに出した声は、少し上擦ってしまった。だけど最近俺と会話していなかったティルはそれで納得したのか、まっさらな紙に不均等な線を五本引いて、それから最初の音を示した。
    「この音から始めてみろ」
    「うん……」
     ティルが書いてくれた音符の隣に、なんとなく音符を並べてみる。ティルの横顔を見つめるけれど、黙って紙面を見つめ、俺が次に描く音符を待っている。
     答えのない問題を俺が解けるわけないのに。どうしたらいいのか分からないけれど、これを埋めたらまたティルがあの笑顔を見せてくれると言い聞かせて、音符を書き連ねていった。
     ほとんど上下することない黒点の羅列は、きっと面白みのないメロディだったと思う。だけどティルは、そんなものでも真剣な目で見つめてくれた。俺を見つめてくれているわけじゃないというのに、怒って仕方なく睨みつけられた目の中にいるときよりよっぽど満たされる。自分の作ったものをまっすぐ見つめてくれるというのは、自分自身が否定されるのと同じくらい怖くて、そして自分が肯定されるのと同じくらい――もしかしたらそれ以上にうれしいことなのだと、ほんのすこしだけ理解できた気がした。
     紙を埋めてペンを離すと、ティルはいつのまにか低く変わってしまった声で、俺の書いた音符をなぞった。改めて音として耳にすると、廃屋の地下で、僅かな火で体温を繋ぎ止めて朝を待った日々のことを思い出す。
     僅かでもティルに察されたくなくて紙を握りつぶしたいのに、さっきティルに掴まれた熱が、飛び出しそうな指先を引き留める。
     もしかしたら、ティルは俺のことを受け止めてくれるんじゃないかって。
     隠さなきゃとか、自分はそれに値しないとか。潰れるまで抱きしめて、からだに馴染ませてきた考えを易々と押しのけてしまう。
     目の奥ががんがんと脈動に合わせて痛みを発している。
     だけどそんな些細な痛みなんて、ティルが見せてくれたきらきらとした目の光に焼き尽くされてしまう。
    「いいじゃねーか、お前らしくて」
     あぁ。ああ。
     思わず声が零れ落ちそうだった。いや零れ落としてしまっていたのかもしれない。
     たすけて、ティル。
     なにをかは言えない、言葉にできないんだけど。
     抱きしめてほしい。
     もう自分で自分を抱きしめて誤魔化して、日々を引き延ばすのには疲れてしまった。
     ティル。
     ティル。
     おねがい。
    「本当? もしかしてティルより才能あったりして」
    「調子乗んな。ありえねーから」
     ティル。
     ありがとう、俺のことを見てくれて。
     もっと見て。
    「じゃあ次はこれに歌詞かいてみろ」
     音楽の話が途絶えても、ずっと。
    「詞に合わなきゃメロディを変えてもいい」
    「うん」
     俺がティルの手を取ろうとしたとき、咎めるようにチャイムが鳴った。もう部屋に戻る時間だ。待って、とは言えない。言ったところで、人間ペット、そのうえガーデンの児童である俺たちには、どうにもできない。
    「じゃあまた明日! できたら見せてくれよ!」
     ティルはなんてことないように笑って手を振った。俺と違って、本当になんでもないんだ。彼にとって、俺との別れは。
     自室に戻り、楽譜を机の上に置くと、そのまま電気を消してベッドに潜り込んだ。ティルに灯してもらったはずの体温はもうどんなにシーツの上を探っても見つからなくて、あの頃と同じ死体とそう変わらない冷たい手足が転がっている。
     歌詞なんて、書けないよ。
     見せてもいいの、俺のなにもかもを。
     そういってティルの胸に泣きつけたらどんなにいいだろう。
     違う。
     違う。
     求めないって、何度も誓っただろう、自分自身に。
     また両方のてのひらが、交差した腕の先で肩にくっついていることに気付いて、俺はベッドから立ち上がった。明日の授業のために丁寧に研いだ鉛筆で、言葉を並べ始める。
     詞は魂で書けばいい!
     ティルが講師を気取って得意げに話していたことを思い出しながら。
     ティルの笑顔の煌めきを無くしてただ凪いだ水面には、自分の姿がくっきりと映っている。瘦せた手足、髪も服もほつれて、沈んだ瞼のかげからそっと世界を伺う瞳。
     笑顔という幻想の安定を見せてやることで隠してきた、悲壮と恐怖で絶えず波打っていた感情も。俺が想うだけで充分だとやり過ごしてきた、ティルに見つめてほしいという願望も、矛盾も。体の内側で押し殺そうとずっと首を絞めてきた過去の俺のしゃがれた叫びが、紙の上に表れてゆく。
     人工の月明かりのなかでも分かるほど手が鉛筆の粉で真っ黒になった頃、ようやく歌詞が完成した。
     ティルには到底見せられない、こころの羅列が。
     朝日が容赦なく隠したかった暗闇を隅まで暴いてしまうように、ティルが俺の心臓を踏みつけてまでこころに手を伸ばしてくれるまでは、俺も過去を語るつもりはない。
     それでも声を吹き込んでCDに焼き付けると、そっと部屋を出て倉庫へ向かった。
     ティルに惚れた場所だ。ぼやけていた好意が、はっきりと恋と愛という輪郭を与えられた場所。
     壁のひびのなかにそっとCDを隠すと、俺はまたベッドに潜った。頭まですっぽりと布団をかぶり、いつか授業で見た胎児のように体を丸めた。眠れそうにはないし、息が苦しいけれど、これ以外の方法では夜をやり過ごせそうになかった。
     CDをゴミ箱に捨てられなかった未熟さに、吐き気に似たなにかが目の奥にこみあげてくる。こんなになってもまだ、誰かに気付いてもらうことを諦めきれない。とりわけティルに気付いてほしいという気持ちが、どんなに締め上げてもまだ、押し殺せない。

     次の日、朝一番にティルは俺のもとへと駆けてきてくれた。
    「歌詞、書けたか⁉」
     大地ごとひっくり返りそうな大きな岩を投げ入れられたように水面が荒々しく波打って、すべてを白状してしまいそうになる。
    「なんだっけ?」
     ティルの表情は風化した煉瓦のように崩れかけ、だけどまだ頬を赤めたまま、俺に話しかけてくれる。
    「歌だよ、昨日教えただろ! できたかって聞いてんだよ!」
    「あぁ、それね。……必死に話す顔が面白くて、聞いてなかったんだ」
     ティル、気付いて。暴いて。受け止めて!
     聞いてほしい言葉は全部倉庫に押し込めてしまったから、見つけてよ。ねえ、ティル。ティル。
    「そうかよ!」
     目の前で、きらめきが完全に瓦解する。もうどんなに積み上げても、繋ぎ合わせても、元には戻らないほど粉々に。
     ティルは木の根元に座ると、仏頂面のまま指を動かし始めた。もう俺の歌のことなんてすっかり忘れたように。俺はまたティルに差し出すレールを間違えた。だけどもう、この道は俺には継ぎ足せない。その先にあるものを、俺から見せてあげることはできないから。
     そのあともティルはときどき、「歌、できたか?」と尋ねてくれた。新しい話題が生まれることを期待してあんな言葉をかけたというのに、俺は嘲笑とともに首を振ることしかできなかった。それは自分を嘲笑ったものだったけれど、ティルに伝わるはずもない。
     やがてティルも、俺に話しかけることはなくなった。

     ステージのセッティングがすべて完了したと、背後でスタッフの声が聞こえた。先日の接待でも、酷い目にあわされている真っ最中のティルを横目に歌うだけで、やはりティルと目が合うことはなかった。
     ミジがいなくなって不安な気持ちはよくわかる。俺もティルの行方が分からなくなったら、手足どころか心臓まで凍えてしまうだろうから。
     だけどもうお互いこれきりになるというのに、ティルは俺のことを一瞥もしてくれない。俺が、お前から与えられたかもしれないすべてを壊してしまったとはいえ。
     これから披露する歌は、ティルから始まる。先にステージに続く通路へと呼び出された背中に投げかけた。
    「歌、できたよ」
     だけどティルは、言われるがまま淀まない足取りでステージへと歩むのみで、やっぱり俺のことを振り返ってくれることはなかった。

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