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    zarame912

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    zarame912

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    横浜失楽園3・展示小説

    幼い頃におやすみのキスをしてくれたイザナと同期することになった鶴蝶は、イザナと恋人になりたい願望を抱いていて──?

    くちづけ 額にふれる優しいくちづけは毎晩の習慣で、ふわりと微笑む母の「おやすみ」は悪夢を遠ざけるまじないだった。まだ両親が存命だったころの優しい記憶。一度に失おうとも鶴蝶は確かに愛されて育った子供で、注がれたものは魂の核心に染みついている。というのに、証明しようのない愛情はひどく曖昧だ。鶴蝶の心の在り方によっては呪いにもなる。
     愛と呪いは紙一重などと、先人達はよくぞ言ったものだ。
     鶴蝶の中に残された愛情の欠片とて腐敗するのも時間の問題であった。
    「おやすみ、鶴蝶」
     事故の後遺症として刻まれた醜い傷跡。そこにふれる唇がなければ腐り落ちていた。その唇だけが、鶴蝶を繋ぎ止めていた。
     児童養護施設で出会った少年の名を黒川イザナという。彼は下僕という役割を鶴蝶に与えただけでなく、夜中、両親を想い寝付けないでいる鶴蝶の額に唇を寄せた。
    「なにして」
    「知らねぇのかよ。良く眠れるようにっつうおまじないだよ」
    「じゃあ、俺もイザナにする」
    「ガキにしか効かねぇんだ」
     謎の持論を振りかざして、イザナは眠れぬ夜におまじないをかけてくれるようになった。
     それから約十年。
     まもなく成人を迎えようとしている鶴蝶と、兄の店で働くイザナは、家賃節約の名目で同じ部屋で暮らしている。
     幼い頃、二人は主人と下僕と呼ぶには兄弟で、天竺の頃は大将と右腕だった。そして今、二人の関係はひとことでは言い現せない変化を遂げた。と、鶴蝶は考えているが、イザナの認識は同居人か、弟か、下僕か。風のように気紛れなイザナの思考を読みきれたことなど一度もない。
     同じ部屋で生活するだけなら二人はただの同居人だったかもしれない。けれども、二人は同じベッドで寝起きしている。
     どうしてこうなった。
     兄弟にしても、同居人にしても、主人と下僕にしても、近すぎる距離感。それだけで寝室が埋まってしまう大きなダブルベッドを使っているが、寝相の悪いイザナは、その肌を無防備に鶴蝶にくっつけるのだ。
     自覚したのは五年前。昔から大切な存在であったイザナに、いつからか恋をしていた。
     まさに晴天の霹靂。恋の自覚は激しい雷となって鶴蝶を打ちのめした。が、自覚したところで、すぐに態度を変えることはない。落雷による火傷はジリジリと鶴蝶に恋の痛みを与えたけれど、鶴蝶にとって大切なのはイザナがイザナであることだ。それは自分の恋人になってほしいという欲よりも優先すべきことで。
     友人の花垣武道からは「カクちゃんて武士だよね」と呆れられたけれど、武士だろうと忠犬だろうと、側で守れるなら肩書きにはこだわらない。武道は口元をもにょもにょとさせて何かを言いたげだったが、それ以上イザナとの関係に口を出すことはなかった。
     夜中、閉ざしていた瞼を持ち上げて横で眠るイザナを見る。顔と体をこちらに向けて、すやすやと心地良い寝息を立てている。鈍く光る月色の髪が美しい。くるりと上を向く同じ色の睫毛が可愛いらしい。寝相も、睫毛も、小ぶりな鼻と耳も、唇も、イザナだからその全てが可愛い。
     心を埋め尽くす「可愛い」から逃れるために、鶴蝶はベッドを抜け出し居間に避難した。
     網戸のままにしていた窓から吹きこむ風は冷たいけれど、「可愛い」に浮かされた熱を冷ますにはちょうどいい。秋の空気にふれたところから冷めていく。半袖で眠る季節はもう過ぎ去ってしまったようだが、イザナの熱が鶴蝶の内側を熱くさせる。長袖はまだ出せそうにない。
    「眠れねぇの」
     ソファに深く腰かけていた鶴蝶は、声をかけられてようやくイザナが起きたことに気が付いた。
    「イザナ──すまない、起こしたか」
    「べつに」
     ふらりとやってきたイザナはぼすりと音を立てて隣に座ると、その肩に頭を預ける。寝間着越しでも接触した面から熱が生まれていく。
    「俺のことは気にせず寝ててくれ」
    「うっせぇ。なら、眠れなくても俺のそばにいろ」
     横から凝と視線を感じる。見られている。それだけで熱い。水晶玉のような蓮色の眼からは、見るものを虜にしてしまう魔性のようなものが放出されているのだ。
    「まだ、おやすみのキスが必要か?」
     声を上げる前に、イザナはゆっくりと体を起こした。手を鶴蝶の太ももに置いて、腰を捻って鶴蝶の顔を見た。瞼が閉ざされ、顔が近づいてくる。唇は醜い傷跡にふれる。幼い頃のように。
    「大丈夫だ。怖い夢なんか見ねぇよ」
     そう言って微笑むイザナは聖母のごとき美しさだった。
     鶴蝶は咄嗟にその肩をつかんで引き剥がした。思ったよりも強い力で、指が肩に食い込みかけて慌てて手を離す。が、次の瞬間に飛んできたのは、イザナの力強い拳であった。
     居間には不釣り合いな骨と骨がぶつかり合う音。強烈な右ストレート。拳が打った頬が燃えるように熱い。
    「意気地なしが。このちんこは飾りか?」
     男の急所をつかまれて腰を引くも、ソファの背もたれが邪魔で逃げ場はない。
    「イザナ、なにを」
    「ここまで御膳立てしてやったのにテメェはなんだ?」
     眉間にぎゅっと皺が寄るのを久しぶりに見た。
     何年か前までは喧嘩となれば見れた表情だったが、今となっては鳴りを潜めた懐かしい威嚇だ。それとも、同じバイク屋で働く弟との喧嘩では健在なのだろうか。
     天竺の黒川イザナを知る者も、知らぬ者も、本能的な畏怖を抱くすごみであっても、盲目的な恋をしている鶴蝶にとっては「可愛い」に部類されてしまうそれ。ぼうっと、こちらを睨みつけるイザナを眺めていると、それは唇に降ってきた。柔らかい肉の感触。そして鋭い痛みに、うっと声が出る。
     イザナが鶴蝶の唇に噛みついたのだ。
    「バーカ」
     猫のような身軽さでソファを降りたイザナは、捨て台詞を吐いて寝室に戻っていった。
     噛まれた唇が熱い。殴られた頬も、熱い。イザナがふれたところ全部が火照っている。
     鶴蝶は慌ててイザナを追いかける。
     ベッドの上ではイザナが丸くなっていた。布団をすべて自分の方に寄せて体に巻き付けている。まるで蓑虫のように。
    「イザナ──出てきてくれないか」
     布団の上から撫でてみても反応はない。
    「さっきのキスの意味を教えてくれないか。おまえの口から聞きたいんだ」
     傷痕ではなく、唇へのくちづけ。あれは兄から弟へのおまじないではなかった。皮膚と皮膚をあわせるだけのそれでも、たしかな線引きが、鶴蝶にイザナの肩をつかませたのだ。
    「阿呆かよ。キスの意味なんてひとつしかねぇだろ」
     イザナが言葉にするのを嫌うのは今にはじまったことじゃない。口に出すと物事は形を保つ。言霊という考えがある日本人の感覚を、イザナは信じていない。
     言葉に宿る霊力が口に出した内容を現実にしてくれるというならば、イザナは親に捨てられなかったし、裏切られることも、騙されることもなかった。
     施設で過ごし自分は捨てられたのだと自覚してしまったその時から、イザナは人を信じることをやめてしまったというのに、イザナは鶴蝶に言葉をくれた。
     ──オレがオマエに生きる価値をやる。 
     鶴蝶にとっては言霊だった。下僕というには甘すぎて、弟と呼ぶには容赦がなかったけれど、イザナは鶴蝶に女を教えず、薬からは遠ざけた。この歳になれば、守りたかった男に守られていたことにも気付いてしまう。
     ──オレの下僕として生きろ。
     そうすることで生きてこられた。言葉のとおりに、鶴蝶の存在はイザナという王に付随するもので、イザナのものであるからこそ悲しみを誤魔化し、自分が呼吸するのを許すことができた。
     鶴蝶はイザナからの言葉が欲しい。施設の裏庭の両親の墓を蹴飛ばした時のように。
    「イザナが好きだ。おまじないじゃないキスがしたい。だから、顔を見せてくれ」
     言って、布団の上から撫でる。何度も何度も、伝わるように。
     イザナの心の準備ができるまで、辛抱強く撫でていると、もぞりと動いて、目元までをあらわにすると、額に汗が滲んでいるではないか。厚いのを我慢してこもっていたらしい。鶴蝶の心は柔らかくなって、前髪を梳いて可愛いおでこを出してやる。
    「好きだ、イザナ。俺をおまえの恋人にしてくれないか」
    「──いちいち聞くな」
     おずおずと布団を下げるのが愛らしい。鶴蝶の問いを受け入れるためにそうしたように見える。イザナは無自覚で、指摘すれば隠れてしまうから、しないけれど、言霊を信じないイザナは行動派だ。ならば彼のぶんまで、自分が言葉にしようか。
     右手で頬をなでながら唇をあわせる。弾力を味わうように、合わせては離して、皮膚同士を擦り合わせて、はむ、と唇で挟む。すると上唇を吸われた。じゅっと鳴った音に肩がびくりと跳ねると、イザナは可笑そうに鼻で微笑う。
     ──可愛い。脳内がピンクのお花畑だと揶揄われても良い。とにかくイザナが可愛いらしくて胸が痛む。
    「もっとしても良いか」
    「だから、聞くなよ」
     ちろりと唇を舐める、暗闇でも赤い舌が眼に毒だ。
     ちゅうっと下唇に吸いつく。すると唇が開いて、舌が鶴蝶の唇を舐めた。真似をして舐め返す。舌と舌がぶつかりぬるりとした感覚に顎が震える。焦点が合うぎりぎりまで顔を離し、眼を合わせて、舌、唇の順番でふれあう。大きく口を開けた接吻だった。イザナの舌が鶴蝶の口内を好きに動く。すごい。銭湯で背中を流したりしたことはあるけれど、流石に口の中に歯ブラシを入れたことはなくて、小粒の歯が行儀良く並んでいることしか知らなかったが、舌でなぞってみても綺麗な舌触りだ。すごい。粘膜を舐めている。唾液が混ざりあう。
     ぜんぶ舐めたい。
     上顎のざらざらした部分にふれると、イザナは「あ」と鼻に抜けるような声を出した。それに意識を引っ張られて唇を離すと、イザナの顎には唾液が伝っている。舌でぐちゃぐちゃに混ぜ合わせた唾液だ。覆いかぶさるようにしていたから、舌伝いに鶴蝶の唾液と混ざっているかもしれない。手で拭うのはもったいなくて舐め取る。
    「好きだ、イザナ。好きだよ」
     可愛い鼻先、可愛い瞼、可愛い頬骨。ふれるだけのくちづけを雨のように降らしていく。許された甘い喜びに脳味噌が漬け込まれている。砂糖漬けの出来上がりだ。
    「おまえ、しつこい」
    「苦しかったか」
    「俺の肺活量がねぇってか?」
     暴言を吐く可愛い唇を唇でふさぐ。蓮色の大きな眼の目尻が、とろりと眠たげにとろけている。可愛い。イザナの舌は鶴蝶のよりも小さくて、そこも可愛い。可愛いから可愛がってやりたい。甘く歯を立てた。ぶるりと震えるのが可愛い。甘く吸い上げてみる。「ふぁっ」と漏れた声も可愛い。


    「へえ、それじゃあ、ようやく付き合いはじめたんだ」
    「まあな。いつも相談に乗ってもらって悪かったな」
     前回は渋谷で会ったから今回は横浜のファミレスを指定した。と言ってもチェーン店はだいたい渋谷と横浜の両方に店舗を構えているし、お洒落なカフェに行くような間柄でもない。二十歳を越えたらファミレスから居酒屋になるだろうなと想像しながら、相談料を支払おうと、平均よりも値が張るファミレスで待ち合わせた。
     ステーキランチセットを頼むかと思えば、武道はロイヤルオムライスのランチセットを注文した。
     料理がくる前に話してしまおうと、ドリンクバーを一杯ずつ持って席に戻り早々に本題に入る。
    「良かった良かった。これでもう万次郎にどやされずにすむよ」
    「どうしてマイキーがおまえをどやす?」
    「だって、万次郎はイザナ君からカクちゃんのことを相談──」
     そこまで口走ればもう取り返しはつかない。武道は慌てたように口を閉ざしたが、鶴蝶の耳にはしっかりと届いていた。
    「イザナが、俺のことを、マイキーに相談していた?」
     武道の眼はおろおろと泳いだけれど、鶴蝶が喧嘩屋さながらの面構えで凝視すれば、観念したのか手元のジュースに視線が落ち着く。
    「だからさぁ、俺は早くアプローチしなって言ったんだよ。なのにカクちゃんは武士みたいに覚悟決めてるし。そもそも、イザナ君がどうでもいい奴と一緒に住むはずがないし、同じベッドで寝るなんてありえないだろ。あ、これは万次郎が言ったことね。自分のテリトリーに入れてる時点で気付けよって」
     開き直ったらしい武道は畳みかける。
    「カクちゃんが遠慮してないのはわかるよ。イザナ君のことが大切だから自分なりに大切にしたかったんだよな。でもさ、年頃の男にしてはだいぶ硬派だって自覚はあるよね」
    「──まあ、一応は」
    「イザナ君、結構なんでも万次郎に相談するからさ、進展が遅いと万次郎から俺にまで情報が横流しされるんだ」
    「それは、すまない」
    「あまり焦らしたら駄目だよ。でないと、真一郎君も出てくるから」
     佐野家の長男は弟たちを愛しすぎる傾向にある。それ自体は良いことだが、鶴蝶とのことが兄の耳に入ればどうなるかわからない。交際の挨拶だってまだなのだ。急いで今後のスケジュールを組み立てる必要がある。
     武道はオムライス、鶴蝶はハンバーグのランチを食べながら、イザナが店で色んな相談をすること、万次郎は面白半分だが、兄のメンタルが傷付いていることなどを聞いた。ブラコンを拗らせている兄心としては弟の恋愛相談はつらいのだろう。
    「じゃあ、俺のためにも頑張って」
    「そうだな。イザナを不安にさせないように尽力する」
     横浜から最寄駅までは電車で五駅ほどある。武道からの打ち明け話が耳の中にまだ残っていて、鳩尾の奥がふわふわと軽い。
     電車はあっというまに鶴蝶を送り届けた。
     地下から地上に出ると、鶴蝶の指はスマホをタップしイザナの電話番号を表示させる。
    「もしもし、イザナ。帰ったらキスをしてもいいか」


      令和四年十月二十三日 ざらめ
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