くちづけ 額にふれる優しいくちづけは毎晩の習慣で、ふわりと微笑む母の「おやすみ」は悪夢を遠ざけるまじないだった。まだ両親が存命だったころの優しい記憶。一度に失おうとも鶴蝶は確かに愛されて育った子供で、注がれたものは魂の核心に染みついている。というのに、証明しようのない愛情はひどく曖昧だ。鶴蝶の心の在り方によっては呪いにもなる。
愛と呪いは紙一重などと、先人達はよくぞ言ったものだ。
鶴蝶の中に残された愛情の欠片とて腐敗するのも時間の問題であった。
「おやすみ、鶴蝶」
事故の後遺症として刻まれた醜い傷跡。そこにふれる唇がなければ腐り落ちていた。その唇だけが、鶴蝶を繋ぎ止めていた。
児童養護施設で出会った少年の名を黒川イザナという。彼は下僕という役割を鶴蝶に与えただけでなく、夜中、両親を想い寝付けないでいる鶴蝶の額に唇を寄せた。
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