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    ブルエゴのネタバレ含まれます。解釈というか、私の妄想と妄言なので、話半分に聞いてください…配信でまだ復習してないから、間違ってるとことか頓珍漢なこと言ってるとこあるかも!ごめんなさい!

    ブルーエゴイストの話ブルーエゴイストってタイトルの意味について、前楽(私にとっては4回目のブルエゴ)でようやく自分的に納得のいく解釈ができたから話したい。
    (最初観た時はブルーエゴイストってグループ名だったん!?しょうもない回収!!!とか失礼なこと思ってすみませんでした……)

    結論から言うと、ブルーエゴイストはたぶん鬼の子と呼ばれる者のことなんだと思う。
    最初は観てた時、鬼の子が母親を狼男に食わせて、自分でステージを台無しにしてバラバラになることになったのに、ずっと被害者面しててなんやねん!!!お前がやったんやろ!!!!って思っちゃって、普通にイラッとしてたんですけど(え!?)、でも鬼の子が自分の"理想"を貫き通そうとしたのは、まさにエゴイストだったのだと。
    ブルーエゴイストって名前を狼男が考えた時、「もっとわがままに、正直に生きてもいいんじゃないかと思って」(記憶あやふやなのでセリフ違うかも。配信見て確認します)って言ってて、鬼の子がしたことはまさにこれだったのだと思う。

    狼男が本当の姿、狼の本性を出して、それを人々に受け入れてもらうとこが見たかった。狼男の本性は美しいものだから……でも、狼男は、最後まで狼になることに抵抗してて、鬼の子が狼男に本性のまま生きてほしかったというのは、鬼の子のエゴでしかない。

    吸血鬼は「人を勝手に醜くするのは俺の美学に反する」って言ってて、本性のままに人を喰らう姿は、作中でも否定的に描かれている。人間目線で見たら、普通に命の危機なので肯定するのって普通に無理だし。
    じゃあなんで、鬼の子は狼男の本性を美しいと肯定したがったのか。それを人々に受け入れてほしかったのか。

    鬼の子は狼男を通して"自分"を救いたかったんだろう。

    同じ人種の仲間にハブられた狼男。
    自分の母親に捨てられた鬼の子。
    また、作中で狼男はギターを弾き鬼の子は笛を吹いている。出会いのシーンでは鬼の子がオイル缶を太鼓にしてるのを狼男は楽しそうに眺め、鬼の子によく構ってやっていた。2人には音楽が好きという共通点があり、これらの要素は、鬼の子と狼男は似た存在であると意図して示しているんだと思う。
    この2人は、出会いのシーンから2人で歌うシーンなど、距離が縮まる様子を丁寧に描いていて、鬼の子本人が、自分と狼男を似ている思い、狼男に肩入れする説得力を増やしている。

    せっかく見つけた母親に捨てられた鬼の子は、狼男が本性を受け入れることで、自分のことも醜くない、美しいものだと信じたかったのかもしれない。


    ブルーエゴイストの主張の分かりづらさって、見た目の美醜(ルッキズム)と、その人の生き物としての特性、本能の話を混同してるからだと思ってて。
    これは私の考えだけど、見た目で差別してはならないは間違いなく正しい。どんな見た目の人でも、生き物としての美しさは変わらない。
    でもそれと人を食べてしまうという本能が人に受け入れられるかは別だよね。自分の命に関わることだから、その本能を受け入れるのは社会的秩序に反する。
    作中の登場人物たちは、美しい人間たちはありのままで生きていってると思ってる節があるけど、人間だって、みな何かを我慢して生きてるし、己の醜さを隠してる。集団の中で生きるということは、大なり小なりそういう面があるし、そうすることで円滑なコミュニケーションと社会生活を営んでいる。
    それが理解できていないから、彼らがあくまでモンスター側であるということなんだろうな。

    物語の結末を希望と絶望と捉えるかは人それぞれって阿部顕嵐は言ってたけど、私にはひどく現実的な着地だったように思う。反社会的特性を持ち、それを抑えられないのならば、集団を避けて生きるしかない。誰かを傷つけたくないのならば。
    物語なら、自分のコンプレックスを克服するか、受け入れてくれる場所が現れるか、はたまた全てを破壊してしまうか。そういう極端な終わり方にもできたと思う。でも、ブルエゴはそうではなく、傷つけたくないから離れる道を選んだ。ブルエゴはずっと、観客に当事者になれ、考えろと伝え続けてきたけど、この結末の仕方も、この物語が現実と地続きであると伝える、ブルエゴのメッセージ性が含まれているように思った。

    さっきは、「人間だって、みな何かを我慢して生きてるし、己の醜さを隠してる。集団の中で生きるということは、大なり小なりそういう面があるし、そうすることで円滑なコミュニケーションと社会生活を営んでいる。
    それが理解できていないから、彼らがあくまでモンスター側であるということなんだろうな。」というふうに書いたけど、最後の方はモンスターたちも薄々そのことに気づき始めてる感じがした。

    蜘蛛影が「傷つけてしまいたくない」って離れる道を選んだのも、集団でいることの、人間の難しさを知ったからだと思う。蜘蛛影はたくさんいるけど皆同じような悩みを持ってて、個々としての自我は薄そう。違う考えを持った自分以外との個人と関わる難しさを知って、理想ばかりではないと知ってしまったように見えて悲しかった。
    狼男は一度自分の本能のまま振る舞い、元いた村を失っている。あの村で彼はいじめられていたけど、それでもあの場所は、彼の人肉食という特性が受け入れられてる場所なのは間違いなかった。
    人間の中で生きたいなら人肉食は御法度だし、理性を失えばまた自分の手で仲間を失う可能性もある。

    どんな場所でもありのままを受け入れられることは難しい。好きに生きることはできないと知ってしまったのは、彼らにとっての絶望かもしれない。

    でも鬼の子は最後まで、「なんで受け入れてもらえないんですか?悪いことはしてないのに」って姿勢のままだったよね。最初はいやいやいやいやお母さん殺してるのも、意図的にステージめちゃくちゃにしたのも悪いことじゃないんですか!?って思ったし理解できなかった。自己中心的な思考、自分の境遇、不幸しか考えられない視野の狭さ……なんだこいつガキすぎるだろ!!!まで考えて、ああ彼は鬼の"子"、まだ子どもなんだ……って気づいた。
    立石俊樹さんが演じてることもあって、鬼の子の本当の年齢がどう想定されているものかはわからない。でも、鬼の子と呼ばれる者という役柄から、精神的な未熟さは意図して描かれているのだろう。

    それに気づくと、彼の「ありのままの全てを受け入れてほしい」というどこか暴力的にも思える考えは、子どもが親に求める愛情に似ていると思った。
    ありのままの全てを受け入れてっていうのは、人間たち(作中のアンチや我々観客)に言ってるようなにも見てるけど、何よりブルーエゴイストのメンバーたちにそうであってほしいと願ってるように見えた。
    でも、仲良くなったばかりの人たちに求めるのは、ちょっと無理あるんじゃない!?家族でもなければ……と思ってたんだけど、鬼の子はきっとみんなに母親のような愛情を求めていたのかも。
    吸血鬼が「俺たち家族のようなものだし!」って言ってたけど、鬼の子がいちばんそうであってほしいと願っていたんだろうな。
    母親に受け入れられなかったけど、ブルーエゴイストのみんなには全て受け入れてほしかった。

    母を殺した罪も、狼の凶悪な本能も、家族なら受け入れられる。鬼の子の理想でエゴ。
    それを貫こうとした結果、最後は1人になってしまった。

    Blueという言葉には、叙述的な用法で憂鬱や悲観という意味がある。日本語でもブルーな気持ちと言ったら、マイナスなイメージを思い浮かべるよね。

    自分の理想を貫こうとして、悲しい結末を終えた鬼の子が、ブルーエゴイストだった。


    彼らはどうすればよかったんだろうって何度も考えるけど、結局理想のまま生きることは誰もできない。ああなるしかなかったような……
    後藤大さんも言ってたけど、少しでも自分と違う人を受け入れて、少しでも優しい世界になりますようにと祈り考え続けることが、ブルーエゴイストを見た我々がすべきことなのかもしれないね。
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