「ダメだ」
そう強い声で言ったのはアレンだ。旅の同行を要求したマリアは驚いて、言葉を返すこともできずに固まっていた。額を抑えるカインは、逡巡してから慎重にアレンに声をかける。何せ、カインもまだ知り合って間もない、はっきり言ってよくわからない男なのだ。正直気は重い。この先もこのよくわからない男と旅を続けなければならない身としては、あまり嫌われるような立ち回りをしたくない、というのがカインの本心だった。
「アレン、断るよりも先にまずは詳しく話を聞こうよ。マリア、旅に同行したいって言ったね。わかってると思うけど、僕らの旅は死と隣り合わせの危険な旅だ。女性、ましてや……生き残ったムーンブルクの王女様が、どうしてそんな旅に行こうと思うんだい」
優しく問うたカインの言葉に、マリアはハッとして息を吐く。アレンに気圧されて、息を止めていたらしい。
「……ムーンブルクの、生き残りだからです。私と同じ思いをする人を、これ以上増やしたくないのです。何より……」
「復讐か」
アレンの言葉に、マリアは一呼吸置いてから頷いた。
「確かに私は非力です。ですが、呪文の才があるようで、幼き頃より鍛錬を積んで参りました。正直、実戦に使うにはまだ練度の浅い呪文ばかりですが……それでも! お二人の足手まといにはならないと誓います! どうか私も共に連れて行ってください!」
「ダメだ」
やはりアレンは一蹴する。マリアはアレンを睨みつけたが、意にも介さずアレンは言葉を重ねる。
「戦闘ができるのは大いに結構。だが、この旅は戦うだけの旅じゃない。俺達と君とでは、力も体力もまるで違うだろう。君にこの旅は過酷すぎる」
「過酷だろうが何だろうがついて行きます!! 絶対に歩みを止めたりしません!」
「絶対はない。身体の作りが違うんだ、必ずどこかで差が付く。それは仕方のない事だし、君がついてきてはいけない理由でもある」
アレンは態度を変えないまま、マリアの意見を跳ね除ける。カインはおろおろとしながらも必死に思考を巡らせていたが、結局口を開いたのはマリアの方だった。
「わかりました、ついて行きません。ついて行かなければいいのでしょう」
「へ?」
「ならば、私は単独で旅に出ます。止めないでくださいね。亡国の姫が死んだって、困る人はいませんもの」
そう言って、マリアはアレンに背を向けた。カインが慌てて声をかけるよりも先に動いたのはアレンだ、マリアの肩を掴み、やはり無表情で口を開く。
「そこまで言わせて悪かった、君の覚悟を試したかったんだ」
「は?」
「え?」
「歓迎しよう、マリア。君のように、呪文が得意な人がいてくれた方が正直とても助かる。力の差なら俺たちが合わせるから気にするな」
「ええ?」
アレンの突然の豹変に、マリアは目を白黒させて言葉を返せない。対してカインは呆れたように大きく息を吐いて、マリアの背中をポンと叩く。彼女には、同情するしかない。
「僕も出会ってまだ日が浅いから、アレンのことよくわかってないけどさ。とにかく表情筋が死んでるんだよアイツ。だからああいう突飛な事しちゃうんだと思う」
「そ、そうなの?」
「そうなんだよ〜この先コイツと付き合っていかなきゃと思ったら気が重くてさ〜君が入ってくれるとほんっとうに助かるよ! ありがとう!」
「聞こえてるぞ」
アレンの言葉を気にもとめず、カインはマリアの手を取ってクルクルと回る。アレンはともかく、カインがいるなら無事に旅は進めそうだ、と内心ホッとするマリアを他所に、アレンは既に宿屋の方へと歩き出していた。
※
「そういえば自己紹介、ろくにしてなかったよね。僕はカイン・ラムダ・サマル。サマルトリアの第一王子で、剣はぼちぼち呪文はほどほど、ってとこです。古い文献とか漁るのが好きで、古代呪文の研究とかもちょっぴりやってみたりしてます。よろしくね」
宿屋の一室で、カインはそう頭を下げる。ついでマリアが声を張った。
「マリア・ラムダ・ムーンと申します。ムーンブルクの第一王女で、力はありませんが、呪文の扱いには長けている自信があります。二人とも、私を仲間に入れて下さって、ありがとうございます」
二人の視線が集まって、アレンも名乗る。相変わらずの無愛想で。
「アレン・ラムダ・ローレ。ローレシアの第一王子で、呪文の類は一切わからない。無愛想なのは感情を表に出さないように生きてきたからだ」
「感情を表に出さないなんて……辛くはないんですか? それとももしかして、武の道を極めるためとか?」
「そんな理由だったらよかったな」
アレンはそれだけ言って、マリアの質問には答えなかった。あまり詮索してほしくないのだろう、とマリアは納得した。
「ねぇマリア、堅苦しいのは抜きにしようよ、これから一緒に旅するんだからさ」
「そうね、それじゃあ早速敬語はやめるとして……明日からはどうするの?」
「とりあえず、一旦ローレシアに帰るつもりだ。君の生存を報告しなければ。それに、ラダトームに支援要請を出したとも聞いている。結果がどうあれ聴きに戻るべきだろう」
「ローレシアに……」
マリアは少し目を伏せて、カインはそれにめざとく気付き、柔らかい声で問う。
「行きたくないのかい」
「行きたくないわけじゃないけれど……なんていうか、こんな形で行くことになるとは思わなくて」
マリアは目を伏せたまま、窓の外を見た。夕焼けが、ムーンペタの街を赤く染め上げている。遠方は、既に暗く染まり始めていた。
「……国を捨てる覚悟はして生きてきたのに、捨てる国が先になくなってしまうなんて」
できるだけ思い出さないようにしていた。けれどどうしても、ふとした瞬間に頭に浮かぶ。目の前で焼かれる父の姿、燃え上がる王城。そして。
両の手が今、人の形をしていることは、マリアにとって奇跡に等しいことだ。
「マリア」
低い声が近くで聞こえて、マリアは顔を上げた。すぐそこまでアレンが迫っていたことに気が付かず、小さく声を上げて驚いてしまったけれど、アレンはそれを気にした様子もなく、マリアの目元を優しく拭う。固い手だ、とマリアは思った。同じ年だと聞いているのに、自分の小さな手とはまるで違う。
「……ムーンブルクを復興したいか?」
「へ?」
予想だにしなかった質問に、マリアは素っ頓狂な声を上げた。
「君が望むなら、俺は応えよう」
「……ありがとう。でもいいの。国が戻ったって、住んでた人たちは戻ってこない。流石にお城をあのままにするわけにはいかないけれどね。復興までは、今の所は考えてないわ」
「……そうか」
「ちょっとちょっとちょっと!」
少ししんみりした空気を壊すように、カインは話に割り込んだ。空気を読まなかったのではなく、彼なりの気遣いであることは出会ったばかりの二人にも汲み取れる。
「何さ二人だけでそんな話してさあ! しかも涙拭っていい感じになっちゃって! 僕も混ぜてよ〜!」
「……ん? お前、まさか知らないのか?」
アレンの言葉にカインは首を傾げた。知らないって何を? 質問の答えに返したのは、マリアの方だった。
「私とアレンは婚約してるのよ、幼い時から」
「……えぇッ!?」
素っ頓狂な声が部屋に響き渡る。カインは口をはくはくと開閉させて、二人の姿を交互に見た。
いや、僕、聞いてない、なんにも。もしかしてサマルトリアって信用されてなかった? 僕に話してくれなかっただけ?
「聞かされてなかったのか……」
「まあ、同盟国とは言え他所の国の話だものね。私だって、婚約してるのにアレンと顔を合わせてないわけだし」
「幼い頃は会ってたそうだな。覚えてるか? 俺は全く」
「私も」
自分を差し置いて会話を続ける二人をよそに、カインは頭を抱えた。二人が婚約していたことよりも、自分だけが知らないことの方がかなりショックだった。
「とりあえず、今日はもう寝よう。明日道具屋でキメラのつばさを買って、そのままローレシアに戻ればいい」
「そうね、もう寝ましょうか。今日は本当にありがとう、おやすみなさい」
「え? あ、うーん……うん、おやすみ……」
マリアは部屋を去り、自分に割り当てられた部屋のベッドに横になる。ムーンブルクで使っていたものよりもずっと硬かったけれど、長らく外で寝ていた彼女にとってはそれよりも柔らかいもので、マリアは人知れず涙を溢していた。
※
「マリア王女よ、よく無事であった! ムーンブルクのことは誠に残念だが、復興するにも、先ずはこの世を正さねばならん。ハーゴン教団を討ち取るまで、其方にはこのローレシアで休養して頂こう」
アレンとは、まるで似ていないとマリアは思った。顔も髪色も、ちっともアレンに似ていない。先ほど見かけた王妃の肖像が、随分とアレンには似ていなかったので、父親似なのかと思っていたが、どうも違うらしい。
「お心遣い、痛み入ります。ですが、私もロトの勇者の血を引くもの。ただ黙ってハーゴンの凶行を見過ごすわけには行きません。アレン王子の旅に同行いたします」
「なんと! しかし……」
「父上、私からも、同行の許可を願います。この先の旅において、マリア王女ほどの呪文の才があるものは間違いなく心強い存在となる」
「アレン。マリア王女が、お前の許嫁であることを忘れてはおらんな? お前に呪文の才能がない故に結んだ縁談なのだぞ。もしもマリア王女を死なせてみろ、その時こそ、ロトの血が滅ぶ時だと思え」
「勿論、理解しています。マリア王女は、必ず守り通します」
ローレシア王はマリアの同行に許可を出した。内心喜ぶカインとは反対に、アレンは心の内で毒づいていたが、カインがそれを知る由もない。
「父上。話は変わるのですが、ラダトームに支援要請を送ったと伝令から聞いております。彼の国から援助は頂けるのでしょうか?」
「む、それなんだが……ラダトームから返事が返ってこんのだ」
ローレシア王はそう言って黒い髭を撫でる。
「返事が返ってこない?」
「うむ。ラダトームは海の向こうだ、もしもムーンブルクのように襲撃を受けていたとして……ここまで情報を届けるのが難しいのやも知れん。既に使いのものは出しておるが、もしも襲撃されていた場合は、お主たちが戦うことになるであろう」
「でしたら、我々が直々にラダトームへ向かいます。支援を受けられるのだとしても、直接赴いた方が早いでしょう。船を一隻貸していただけるとありがたいのですが」
ローレシア王はまた髭を撫でた。困った時に撫でているのだろう、とカインは推測する。
「それなんだがな……使いに出したのが最後の一隻だったのだ。破損や魔物の襲撃でダメになってしまった船が多くてな」
「……わかりました。では定期船で向かいます。状況の把握ができたら、また報告致します」
アレンが下がったのに合わせて、マリアとカインも共に下がる。階段を降りたところでアレンは大きくため息をついて、二人に振り返った。ああ、親子の仲が良くないんだな。カインはそう思い、マリアの方を見れば、ばちりと視線が合う。考えることは同じのようだ。
「ルプガナまで行こう。少々遠いが、アレフガルドまでの定期船が出ているはずだ」
「それが……今はルプガナへの陸路が途絶えてるの」
「」
カインは情けない声を上げる。
「ルプガナ地方は海峡に隔てられているのだけど、唯一の橋が壊れてるのよ。ドラゴンの角って呼ばれている塔にかかっていて、ムーンブルクで直す話はしていたけれど、残念ながら……」
「じゃあラダトームの使いの人が帰ってくるまで足止めってワケ? 弱ったなぁ」
「……いや、空を飛べば良いかもしれない」
「空ァ?」
突拍子もないことを言って、アレンは徐に歩き出す。二人もついていった先には図書室があり、アレンは迷うことなくその中から一冊の本を手に取った。魔力の篭った道具のことが記された、真偽の怪しい本だ。珍しいものではない。ムーンブルクにもサマルトリアにもあるものだったが、二人が読んでいたものよりも随分と読み込まれているように見える。
「ムーンペタで、風のマントの話を耳にした。それをつければ、自由に空を飛ぶことができるのだという。ほら、これだ」
「うーん、僕もこの本読んだことあるけど、これ書いてある内容大体間違ってるよ?」
「聖水なんか、飲むと魔力が回復するなんて頓珍漢なこと書かれてるし」
「……そうなのか」
アレンの表情こそ変わらないが、まとう雰囲気がどこか萎んだように見えた。彼にとっては、この本を読むことで呪文が使えない自分の心を紛らわせていたのかもしれない。カインはそう考え、両手を大きく振りながら慌てて弁明した。
「大体って言っただろ? もしかしたら、風のマントの記述は合ってるのかも!」
「別に気を使わなくていい。魔法の類いは、君達の見解の方が正しいだろう」
「でも、ムーンペタで話を聞いたのでしょう? 話す人がいるってことは、何かしらの力があるってことよ。試してみるのは悪くないと思うわ」
「そうそう、当たって砕けろと言うじゃないか! 探してみようよ!」
「砕けたらまずいんじゃないかしら……」
二人の会話に頷いて、アレンは本を元の場所に戻した。
※
「本当にあった〜!!」
カインは風のマントを掲げ、その場をぐるぐると回る。確かに魔力を感じる、とマリアは思ったものの、空を飛べるほどのものではないというのが率直な感想だった。
「で、空は飛べそうか」
「うん、無理! 魔力は篭ってるけどこの程度じゃ空飛ぶのは難しいなあ」
「多分だけど、使い方の問題じゃないかしら? 身につけて高いところから飛び降りれば、滑空するぐらいはできると思うの」
「なるほど。じゃあ試してみるか。貸せ」
風のマントを奪おうとするアレンの手を、カインはくるりと避けた。
「ダメだよ!! 君が試して失敗してお陀仏したらどうすんのさ! 僕ら二人だけで君の亡骸を回収してムーンペタまで帰れるとでも!?」
「む、確かに」
「そんなわけで僕ちょっと試してみる。もし死んだら死体は拾っといて〜」
呑気に物騒なことを言って、カインはマントを身につけ、二人の静止も聞かず飛び降りた。途端にマントが広がって、カインの体は遠く遠くへと飛んでいく。なにやら興奮した様子で叫んでいたものの、その声はすぐ二人には聞こえなくなった。
「すごい……本当に飛べるのね」
「だが3人同時に飛び降りるとなると、ああも長くは飛んでられなさそうだ」
「多分大丈夫よ。ドラゴンの角はここよりも高いから、3人でも海峡を渡るぐらいはできるはずよ」
「なるほどな。……しかし、どこまで飛ぶんだあいつ。回収しにいくか……」
呆れたようなアレンの物言いにマリアはクスリと笑って、揃って塔を後にした。
二人きりで歩く間、恐ろしいほどに会話はなかった。魔物が出ればもちろん互いに声は掛け合うけれど、それだけだった。思えば二人きりになるのは初めてのことで、なんとなく気まずさがある。それは婚約者であるからなのか、アレンの仏頂面がそうさせているのか。
カインは着地地点から動かず待っていたようで、自分達の姿を捉えると嬉しそうに駆け寄ってくる。
「いや〜このマントすごいね! 空を飛べるって言説はあながち間違いでもなさそうだよ!」
「でも、よく考えたらどうやって飛び降りるの……? それ、一枚しかないじゃない」
「俺が二人を抱えて飛べばいい。ひとまずムーンペタに帰ろう、ルプガナに向かうのは明日からだ」
アレンはキメラの翼を放り投げた。風のマントの魔力は、どうやらキメラの翼に負けてしまうらしく、着地するまでの間にそのマントが広がるようなことはなかった。
宿を取り、各自で部屋に入った後で、カインはコソコソと声を顰めてアレンに声をかける。なにやらソワソワしていたな、とアレンは頭の片隅で思いながら、カインの言葉に耳を傾けた。
「で、君たちさ。なんか話した?」
「は? 別に」
「なんでよ! 折角取り計らってやったのに!」
カインは呆れたように言ってベッドに飛び込んだ。ぼふん、と音がして、体が白いシーツに沈み込む。
「君たち婚約者なんだろう? もうちょっと互いのこと知るべきだよ! 結婚してもそんな顔のままでいるつもりかい」
「旅は長いんだ。互いのことはゆっくり知っていけばいい」
アレンはそう言って、剣の手入れを始めてしまった。こうなったらもうまともに応えてくれないことは、カインは短い間で充分に理解していたので、風呂は朝入ることにして早々に眠りにつくことにした。