死んだ部屋、生きるモノ 欠けた器を捨てられないのは。机の上に残ったヘアピンを器に仕舞ってしまうのは。嬉しかった土産物の袋をつい取っておいてしまうのは。そんな大切で部屋が埋もれていくのは。文机に向かい、万年筆を執る。今日の日記も変わり映えしない。眠りにつく。
起き上がる。埃が舞う。窓を開ける。本がぱたぱたとはためく。描き手も知らない絵が陽光を反射する。
「おはよう、大般若長光」
「ああ、おはよう」
「今日は畑当番だよ。働いてもらうからね」
「ほどほどにしてくれよ」
さあね、と言い残していなくなった小竜景光の背を見えなくなるまで追った。あちらも寝起きだろうか。セットされていない髪がいつもより輝いて見えた。
描きかけのカンバスでさえどうすることもできない。人は簡単に死ぬ。いつか一面の蓮を描くはずだったのに。
「このヘアピン、俺の?」
「そうだが……返すよ」
「……なんでだろうな」
畑仕事が終わって大般若長光の部屋を訪れた小竜景光は、また物が増えたと思った。その中でも小さなガラスの器に入れられた何本かのヘアピンが目に留まったのは、自分のものだから、というだけではないだろう。
「これは、あなたの部屋にあったほうがいいと思う」
「きっと埋もれて見つからなくなるさ。持っていきな。器が気に入ったならそれもやるから」
「そうじゃないさ」
薄暗い死の香りのする部屋でキラキラと輝くヘアピンと器。本棚のほとんどは死んだ人間が書いている。絵だって皿だって。自分と共に歴史を重ねてきたものを無意識に集めていたのだろうか。ガラスの器だけが主と出かけた時に見かけた量産品だった。なのに。
「これは、あなたがだんだん俺のものになるおまじない」
「俺のものは、あんたのヘアピンだけで充分だよ」
捨てられないのは、いつか取りこぼしてしまいそうな気がするから。とてもとても、大切なものを。
日記が風を受けて開いてゆく。何度も書かれた小竜景光の名前。それが変わり映えしないだなんて。
「あんたとの毎日が、永遠だと思っている。それだけでいいんだ」
「そっか」
小竜景光は髪から一本だけヘアピンを抜き取り、器にそっと入れた。ガラスと金属がからりと音を立てた。
「これが溢れる日が来たら、そのときはあなたの本当を聞かせてね」