Recent Search
    Create an account to secretly follow the author.
    Sign Up, Sign In

    むぎの

    聖廉

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 32

    むぎの

    ☆quiet follow

    小説機能試してみたかったやつ

    六月の幸福 誕生日が憂鬱だったことはない。両親は毎年祝ってくれたし、今だってプレゼントは何が欲しいかの打診が来る。中等部時代までの友人なのか知人なのかよく分からない距離感のクラスメイトからも、祝福の言葉ぐらいはあった。ひとつ歳をとった程度で何を大袈裟な、という生意気な感想は十歳を迎えた頃には立ち消えて、つまり誕生日というのは自分よりも「周囲の人間」のためにあるのだろう、というのが俺の出した結論だ。
     みんな、「祝う」ことが好きなのだ。俺はただ、にこにこ笑っていれば良い。そうすればみんな満足して、俺も無駄な感情を浪費せず、歳を取ったという数字のカウントひとつで平穏に六月十七日を終えることができる。
     ――だから本当に、憂鬱ではないのだけれど。
    「……朝からずっと、メンドクセーって顔してるよな」
     今朝は教室に入ったら、机の上に自販機のジュースやコンビニのお菓子が大量に積み上がっていた。それをロッカーに押し込むだけでも一苦労だったのに、放課後の稽古の終わりには春馬と創、遊晴からも連名のプレゼント。team鳳に感化されたらしい春馬はコンビニのケーキまで買って来ていて、去年よりも豪勢、もとい、些か厄介な一日だった。
    「別に、面倒なわけじゃないよ」
     一応そう返すと、廉は「有罪」と言って、もたれていた壁から背を離した。稽古の後に俺のクラス委員の仕事がある時、普段であれば廉は先に帰ってしまう。けれども今日は珍しく、「昇降口で待ってる」と俺に声を掛けて来た。その理由ぐらいは、分かっているつもりだ。
    「廉は、何にもくれないの?」
    「はぁ? こないだの週末に買ってやったろ」
     あはは、と笑ってローファーに足を通す。四月の廉の誕生日に、俺が廉の欲しがっていたスニーカーを買ってやったのが、廉的には嬉しかったらしい。お返しとばかりに「欲しいモン言え」と迫られて、これといったものが思いつかなかったので、デートがてら二人で買いに行った。結果的にお洒落な廉に見立てて貰った洋服を、上から下までワンセット。俺よりも、廉の方が楽しそうで、可愛かった。
    「……じゃあ、なんで待っててくれたの?」
     意地悪で、そう訊いてみる。夏が近い空はどんどん日が長くなっているけれど、六時を過ぎるとさすがに少し薄暗かった。アンティーク調の街灯に照らされた、校門から寮へと続く道を、廉と並んで歩く。ここから寮までの距離なんて、ゆっくり歩いても十分に満たない。その十分間のためだけに、廉が俺を待っていた時間は、悠に六十分を越えていた。
    「ウルセ」 
     廉が、足元の石を蹴飛ばす。小学生みたいな反応で、何か言いたいことを我慢しているように見えたので、俺は言葉を返さなかった。廉の歩くスピードはいつもより遅くて、このまま寮に帰ることを、躊躇っているみたいだった。
    「……恋人の誕生日って、どーすんだよ……」
     やがて、廉はぽつりとそう言った。それが引き金になったみたいに、後から後から言葉が飛び出して来る。
    「今日、フツーに平日だし。学校も稽古もあるし、テメーはクラス委員の仕事もあるっつうし、二人きりになる時間全然ねーし。明日も学校あるから、遊びにも行けねー」
     ちらりと、廉の方を見る。廉の視線は地面に向いていて、長い睫毛は伏せられていた。唇の端が本当に不満そうに歪んでいて、俺は、ごくりと唾を呑み込む。廉としては、事前にデートをしていても、本番の「今日」に何かをしたくて――今日がとても普通の、何の変哲もない日常のまま終わってしまったことが、悔しいのだろう。恋人の誕生日なのに、って。
    「……じゃあ、明日一緒に学校休む?」
    「有罪。サボるわけねーだろ」
     真面目だなぁ、と笑う。そういうところも好きだった。今日一日、俺自身よりもよほどソワソワしていたらしい恋人の手を、ふわりと下から掬い上げるようにして、掴んでみる。骨張っていて、俺よりも体温の高い指先。廉はぴたりと立ち止まってきょとんとした目で俺を見た。
    「何だよ」
    「いや? せっかくだから、手ぐらい繋いでも良いかなって」
     ほら、と廉の手を引っ張って、歩き始める。廉は不思議そうに眉根を寄せていたけれど、振り払うことはしなかった。どうせもう夜の帳は落ち始めていて、長身の男二人の間にある一筋の情欲に、気付く人なんていないだろう。遊ぶように指先を動かして、廉の指と自分の指を、きゅっと絡める。いつもは少し廉の方が早い歩幅が、自然と、同じリズムになる。
    「こ……れ……何が、楽しいんだよ」
     廉は、俺の方を見なかった。一歩先の地面を見据えるその瞳は揺れていて、髪の毛から覗く耳の縁は、ほんの少し赤かった。柄にもなく廉は照れているみたいで、いつもだったらそういう時、俺は廉を茶化すのだけれど。今日は何故だか軽口を叩く気分にもなれなくて、沈黙を慈しむみたいに、何も言わずに歩を進めた。廉は何度かもぞもぞと手を動かして、一度は俺の手から逃げようとして、けれど結局は諦めたみたいに、ぎゅっと力を込めて来た。
     ほんのりした人肌の温かさが、じわりとした熱さに変わる。実のところ、廉の誕生日の前に俺たちはひとつのラインを越えていて、お互いの大抵のことはもう――例えば背中にあるホクロの位置や、どの部分で快楽を得るのか、ということを――十七歳になる前に知っていた。
     それなのに今日、学生同士なら当たり前のような「待ち合わせ」をしてみたり。指先を触れ合わせるだけの、小さなスキンシップに対して高揚感を得るのは、何だか、ひどくおかしかった。おかしいのに、上手く笑えないぐらいに、何かの深刻な誤作動みたいに、心臓が鳴っていた。
    「……俺的にはさ」
     ぽつり、と呟く。誕生日が来たって、ストレートな言葉を出せるほど俺はまだ大人にはなれなくて、けれどもある程度は、この恋人に分からせてやりたかった。
    「何にもなくたって、廉とこうして一緒にいるだけで、結構幸せなんだよね」
     ふっ、と廉が顔を上げた。珍しく迷いの色を浮かべていた緑青の瞳が、夜空の星を凝縮させたみたいに、強い光を放って俺を見た。
     なんだそれ、とか。有罪、とか、あるいは、無罪とか。いつもすぐ外に出る言葉を、廉は忘れてしまったみたいに口を閉じていて、けれども数秒してからようやく、「ん」と短く返事をした。
     俺を掴む手の力はその時一際強くなって、ただ純然に俺の意見を尊重してくれる廉に、俺は十七歳になっても尚、途方もなく恋をしていた。

     第一寮の明かりが見えて来る。寮の前の街路樹の下で、廉は地面に縫い付けられたように足を止めた。俺もつられて、停止する。廉は俺の方を向いて立ち、くい、と俺のシャツの裾を両手で掴んで引っ張った。
    「なぁ、聖……」
     廉の顔を見て、一瞬、本気でびっくりした。今まで、あまり廉の方から誘うような素振りをすることはなかったから。一応、周囲にさっと目を走らせる。木々の影に隠れていて、ちょうど寮の入り口からは死角になっているところだ。暗いしよほど見えないだろう、と確認して視線を戻し、つう、と廉の頬を指で撫でた。
    「……廉」
     声をかけると、ぎゅっ、と廉が目を閉じる。どうしようもなく可愛くて、ちょっとだけ笑ってから、俺を求めてくれる唇に口付けた。長く堪能するわけにもいかないから、触れて、わずかに表面を舐めるだけで口を離す。廉は物欲しそうに瞳を潤ませて俺を見詰めていたけれど、ここが外だと思い出したらしく、ごくんと唾を呑み込んでいつもの表情を取り戻した。
    「……廉、これがプレゼントなの?」
    「有罪」
     窘められて、あはは、と声を出して笑う。廉はキスの余韻を確かめるみたいに、もう一度俺のシャツを掴んで、鋭い瞳で俺を見た。
    「誕生日、おめでとう。聖」
    「ん」
     何だかんだで、廉に面と向かって言われたのは、初めてかもしれない。一瞬遅れて、ありがと、と続けると、廉は笑った。先ほどまでは有難かった薄暗さが、今は少し憎かった。廉をもっと、ちゃんと見たかったから。俺の誕生日に、俺を祝って、本当に嬉しそうに笑ってくれる、恋人の顔を。
     不思議だな、と思う。これまでは誰かが誕生日に言葉をかけてくれても、それで終わりだった。俺の方から、その言葉に対して何かの感情を抱くことはほとんどなかった。俺の誕生日に、俺よりも他人の方が楽しそうなのは当たり前で、俺は別に――六月十七日が、自分にとっては「どうでもいい日」のままで、良かったのだけれど。
     内面を覆っていた曇り空が晴れるみたいに、純粋に、一つの感情が顔を出す。嬉しい、とか。口には、出さないけれど。
    「……こーき?」
     俺が何も言わないでいると、廉はきょとんと首を傾げた。腕を伸ばして、その髪の毛をくしゃりと撫でる。今まで俺の辞書にはなかったような言葉が、廉といると、とても自然に発露していく。それらが俺の中に根強く残った憂鬱とか、面倒とかいうページを、いずれ綺麗に書き換えていくのだろう。今はそれが、ほんの少し、楽しみでさえあった。
    「いや……」
     表面、だけではなくて。思ったよりも素直に、笑みが零れた。

    「――自分の誕生日も、悪くないなって」
     俺の言葉を聴いて、廉の瞳にまた、緑青の星がきらめく。俺が恋したこの星と、十八歳を迎えた夜も一緒にいられるようにと、俺は密かに、強く願った。(終)
    Tap to full screen .Repost is prohibited

    recommended works