ブロードキャスト・エレジー / 初代ブロ音*前後のシーンしかありませんが、合意のない接続(合意のない性行為を思わせる描写)を含む内容ですのでご注意ください。
*この作品では、機械生命体の接続と有機生命体の生殖行動を、“見た目の類似した別のもの”として書いており、人間と機械生命体との倫理観・価値観は違うという描写をしています。
また、立場やキャラクターによって倫理観・価値観などが違うことを強調するような話になっておりますので、読む方によっては一部不快に感じる可能性があります。
ブロードキャスト・エレジー part1
――ディスコ、ダンシトロン。華々しい社交の場かと思われたその実態は、労働力や兵士として人間達を意のままに操ろうと企む、デストロンの仕組んだ罠であった。
その目論見は打ち砕いたものの、ダンシトロンで流された、サウンドウェーブの催眠音波“ウルトラサウンド”。
人々を奴隷に変える為に作られたそれは、音楽を愛するブロードキャストにとって、許すことの出来ない代物だった。
「う~ん……、よし、悪くないんじゃない?」
珍しく……と表すと彼は心外だと言うかもしれない。しかし珍しく使命感に燃え、ミキシング・コンソールの前で口を尖らせ、唸りながらもヘッドホンに流れる音源をいじっているのは、サイバトロンの通信員、ブロードキャストだ。
ここはサイバトロン基地、彼の自室である。
ミキサーにかけているのは、例の“ウルトラサウンド”が使われた音楽を録音したものだ。音楽と共に再生される、人々の脳に悪影響を及ぼすその音波は、聞く度に忌々しい宿敵の顔がブレインに思い浮かび、いい気持ちはしない。だが、今はその苛立ちを我慢してでもやるべきことがある。それこそが、今この瞬間のブロードキャストを燃やす使命感の源だ。
たった今完成した音源をテープに録音する。サウンドシステムの胸ハッチで再生できる、カセットテープを作成するためだ。
いつもなら最ッ高にゴキゲンなこの作業を、こんなブルーな気分でやることになるなんて……。ブロードキャストは気だるげに頬杖をついて排気した。
しばらくの後、コンコン、と軽いノックが聴音回路に飛び込んでくる。ブロードキャストはその音を聞くなり表情を明るくし、跳ねるように迎え出た。
「やあ、お呼びと聞いて来たんだがね。今はお邪魔だったかな?」
「副官! いやいや、ドンピシャのタイミングってとこですよ!」
扉の向こうに立っていたのは、ブロードキャストから「時間が空いたら部屋に来てください!」というだけのごく手短なメッセージを受け取った、サイバトロンの副官、マイスターだ。真っ赤な機体は、さぁさ、中へ! と調子良く彼を部屋へ招き入れ、椅子をすすめる。
部屋に踏み入れてまずマイスターのオプティックに映ったのは、地球の色々な国の名前と曲目が書かれたラベルの貼られた、大量のカセットだった。ニューヨークだけでなく、任務で赴いたその土地の人間達とよく交流しているブロードキャストが、現地の人々に録音させてもらったものだ。
彼は通信員だが、人間達との交流を深める事にも長けている。彼らに自覚があるかは解らない。しかし、街へ繰り出すことの多いトラックスやブロードキャスト達は、軍や政府に関係のない一般の人間達に対して、サイバトロンが“友好的な隣人”であることを広める、広告塔のような役割も果たしていた。
「いやあ、相変わらずすごい量のカセットだ。また増えたんじゃないの?」
「そうなんですよ! ナウい曲もどんどん出てくるし、その土地特有の音楽ってのもまた良くって‼」
マイスターの質問に、カセットの山を見ながらオプティックをきらきらと輝かせて熱弁する。
そんな、機械生命体に対しても人々に対しても極めて友好的なブロードキャスト。彼は、デストロンに対抗するため、その情報参謀であるサウンドウェーブの機体情報を基に造られた機械生命体だ。
普段の彼は、陽気で賑やか。ともすると喧しい、騒がしいと苦情が来る。良くも悪くもマイペースだが、そこが彼の魅力と言えるだろう。しかし戦場でサウンドウェーブと対峙すると、彼の表情は厳しくなり、その発声回路から出力する言葉を選ばなくなってしまう。血気盛んなサイバトロン戦士の中ではそういう気質の者は珍しくはないし、彼はまだ若く、感情的になりやすいということもあるのだろう。だが、それにしても普段の彼をよく知っている者から見れば、少し異様な光景に映るほどだ。
――悪の軍団、デストロン。その情報参謀の機体情報を下敷きに造られた彼の心中は、いかばかりか。
サイバトロンの一部の面々は、若き通信員ブロードキャストに、少なからず存在するであろう苦悩に心を砕いていた。その一機であるマイスターは、こうしてよく彼の気晴らしに付き合っている。もっとも、マイスター自身も地球の音楽を気に入っていて、趣味の合う仲間と話すことが純粋な楽しみだというのも大きな一因だったが。
「それじゃ今日も、君のお気に入りの曲を紹介してもらえるってことかい?」
「良いですねえ! 最近俺っちの“オキニ”は……、っと。それはまた今度ってことで! 今日は、その、副官にものすごく真面目な話を聞いて欲しいんです……」
何かを決意したような、未だ何か迷っているような。そんな複雑な顔をするブロードキャストにマイスターは頷きながら微笑んでみせ、これはきっと長い話になるだろうと腰をおろした。
「まずはちょっと、聞いて欲しいものがあって……。これから俺が再生しますから、二十秒再生したら、副官がここのスイッチを押して止めてください。それじゃいきますよ、ぁワン、ツー!」
どうして私が止めるんだい? そう、マイスターが発声する前に、ブロードキャストは再生スイッチを押下し、いつもの調子で再生を始める。
「ぐぇえ……‼」
音が流れ始めた瞬間、ブロードキャストが呻き声をあげて倒れ込んだ。マイスターは、わけも解らず慌てて駆け寄り、苦しげに痙攣するブロードキャストを抱え起こす。彼の脚に埋め込まれたスピーカーだけは機嫌良く重低音を響かせて、カセットテープを再生し続けていた。
……ひょっとすると、この音楽のせいなのか? マイスターは約束の二十秒を待たずして停止スイッチを押下する。
「はあ、はあ……。た、たすかりましたぁ……」
「君ね、こういうのは、もっときちんと説明してからやるものじゃないのかい。さすがに驚いたよ」
「はい……、すいましぇん……」
へなへなとマイスターにしなだれたまま、未だ舌が回らない様子のブロードキャストが落ち着くのを待ち、改めて彼に問い掛ける。
「それで、これはどういうことなんだい?」
「……ちょっと前に、デストロンが人間達を催眠術にかけた事件があったでしょう?あの時の音源を利用して奴らに対抗できるものが何か作れないかって、特殊なサウンドを作ってみたんです」
「ふむ……。私には効かなかったみたいだけれど、君は動けなくなっていたね」
「たぶん、ヤツの部下のカセットロン達にも効くと思うんですけど、俺とあの面汚し……。いや、ごほん!サウンドシステムに対して、麻痺の効果を発揮する音源に作り替えてみたんです!」
「へえ、すごいじゃないか! 君もなかなかやるねえ」
「へへ、俺っち頑張ったんですよ! それで、これもたぶんなんですけど、再生した機体が一番強い効果を受けるみたいで。編集してる時は、機体の動きがかなり鈍くなる、って感じだったんです。だけど、さっきは完全に動けなくなっちゃって」
賞賛を受けて胸を張ったかと思うと、失敗を口にしてはにかむように笑うブロードキャストに、マイスターは危惧の念を抱いた。
サウンドシステムに限定して機能する麻痺音源。彼はおそらく、これを使ってなにか無茶をする気だ。
「ブロードキャスト。君は、これを使って何をするつもりなんだい?」
「……あいつにこれを再生させて、サイバトロンの捕虜にするんです。簡単にはいかないでしょうけど、もし、それが出来れば、デストロンの機密を引き出せるかもしれないでしょう? そうすれば、ちょっとでも早くこの戦争を終わらせられるかもしれない!」
「……ずいぶんと大きく出たね」
「そ、そりゃあすぐには終わらないでしょうけど! そんな簡単なことじゃないってのも、解ってますけど……」
「ここまでは友人として聞いていたけれどね、これは副官として言わせてもらうよ。君にも作用する音源を戦場で使うのは、あまりに危険だ。それに、不確定要素が多すぎる。とてもじゃないが、許可はできない。おそらく、司令官もそう判断されるだろう」
マイスターの返す芳しくない反応に、息巻いていた語尾が少しずつ小さくなり、最後にはがっくりと肩を落としてブロードキャストは俯く。
ああ、きっと名案だと言って背中を押して欲しかったのだろうな……。申し訳なく思いながらも、いつかテレトランワンが映していた人間達の芸、変面のようにコロコロと変わる彼の表情にマイスターは口許を弛ませた。
「でも、いいね。彼の作った曲を君がリミックスして、アンサーソングを作ったみたいで、素敵じゃないの」
「……そ、そんなの、冗談でも御免ですよ!」
ブロードキャストはオプティックを吊り上げて胸の前で両の拳を握り、声を荒げる。マイスターはこうなることが解っていたかのように落ち着き払い、なだめるように、慰めるように、優しく彼の肩に手を置く。
「さっきのは、ただの喩えだけどね。もし、サイバトロンとデストロンが争わなくても良くなったとしたら、君とサウンドウェーブが手を取り合う……。そういう日だって来るかもしれない。我々は、そんな日が来ることを願って戦っているんだよ。君だってそう思っているから、そのテープを作ったんだろう?」
「……それは、そうですけど」
「まあ、デストロンがやっていることは許されないけれど。理想を語るのは自由だ。私も、君もね」
「……そりゃあ、誰も彼も一緒に歌って踊れるようになったら、それが一番良いに決まってるじゃないですかぁ!」
ブロードキャストはなんとも言えない気分になった。自分では、セイバートロンも地球も今すぐにでも平和になってほしいと願っているはずで、全ての生命体がみんなで歌って踊って、楽しく過ごせる日が来たらどれだけ良いだろうと考えているつもりだ。
なのに、あの面汚しと一緒に歌って踊るなんてことは一欠片だって想像できない。それどころか、ブレインがめちゃくちゃに掻き回されるようなひどい気分になる。けれどもし、明日戦争が終わり、一切の戦闘行為が禁止になって、サウンドウェーブと和解することになったら?
そんなことはあり得ないと解っているが、それでも、もしそうなったとしたら、自分にそんなことが出来るだろうか。いいや、あいつにだってそんなこと出来やしない。俺には解る。……認めたくはないけれど、基板の同じ機体なのだから。
セイバートロンで戦争を引き起こした非道なデストロン。その情報参謀に対抗するために、ブロードキャストはそれと同じ機体情報から造られた――つまり実質的には、あの卑劣なデストロンの参謀と自分は兄弟機のようなものなのだ。その事実を考える度にブロードキャストのブレインは痛み、機体と心がギシギシと軋むようで苦しかった。それを責める者はサイバトロンには居ないし、わざわざそれに触れられるようなこともない。しかし、それが辛かった。それをからかって冗談にしてくれたほうがまだ良かったような気さえする。
自らに流れるオイルは間違いなくサイバトロンのものだ。しかしこの機体がデストロンの参謀と同じものだということは誰も口にしない。暗黙の了解のように。触れてはならない禁忌のように。
音楽こそが宇宙の共通言語だと、音楽こそが言葉の解らない相手とでも通じ合える素晴らしいものであると、ブロードキャストは強く信じていた。だからこそ、サウンドウェーブの作った“ウルトラサウンド”を、人々を奴隷にするためだけに作られたその音を、サウンドシステムにだけ作用するものに作り替えた。
サウンドウェーブの作ったそれをブロードキャストの手で作り替え、平和への一足に出来たなら、そこから何かが変わることだってあるのではないか。それはきっと自分にしか出来ないことで、自分が成し遂げなければならないことだ。
もしもそれが叶ったなら、ようやくブレインを苦しめるこの悩みから解放される。自分の生まれた意味を、やっとこの手で掴むことが出来る。そんな気がしていた。
――若き通信員ブロードキャストは、使命感に駆られていた。
マイスターに相談を持ちかけてから、もう何日経っただろう。あの後、司令官にも掛け合ってみたが、やはりマイスターの言った通り、許可できないという返答だった。けれど、ブロードキャストには諦めきれなかった。あのテープは、長年彼を苦しめる悩みの種を消すための、唯一の希望だ。何百万年と戦っていてもこの争いが終わる気配などないのだから、このまま戦っていても何も変わらないことは解りきっている。現状を打破するためにも、新しい一手が必要だ。
――そう考えていた矢先の出動要請。ブロードキャストは自らの胸ハッチに例のテープを忍ばせる。
いつも乗っているはずのトラックスの助手席が、妙に落ち着かなかった。
司令官も、副官も、許可できないって言ったじゃないか。こんなことは良くない。でも、現状を変える手段を持ってるのに、なんにもせずにおしまいなんて、俺には出来っこない!
助手席のラジカセの葛藤も知らず、トラックスはドアを開いて友人を戦場へと降ろしてやった。彼はそのまま旋回し、同乗していたラウルを安全な場所へと降ろしにゆく。
ブロードキャストが降り立った場所、その目の前に連なる瓦礫の山。それは、デストロンの攻撃で倒壊した建物であった。
「なんて酷い有り様だ……」
呆然としている暇はない。青い機体をアイセンサーで捉えるやいなや、ブロードキャストはその手に握ったエレクトロスクランブラーガンを撃った。エネルギー切れを一切考えないような激しい連射は、足元を狙うように低い軌道で放たれる。銃を構える余裕も与えないようなその猛攻に、サウンドウェーブはたまらず崩れかけたビルで出来た遮蔽物へ飛び込んだ。
「おたく、例のディスコが潰れて、踊る場所がないんでしょ?代わりにここで踊らせてあげようってのに、隠れることないんじゃない?」
「ウルサイ」
サウンドウェーブは戦意を煽るようなブロードキャストに対し、苛立ちを隠そうという素振りすらなくオプティックで睨めつけて、お返しとばかりに振動ブラスターガンを撃ち込んでゆく。普段は冷静なサウンドウェーブも、相手がブロードキャストとなるとブレインが過熱して、あの赤い機体を今日こそは破壊してやろうと躍起になってしまう。
こうなってしまえば二機の戦いはまるで一対一の決闘のように白熱し、サイバトロンとデストロンの、軍団としての戦いなどブレインの隅へ追いやられているようだ。どちらかが冷静な視点を持てていれば戦況は大きく変わるだろう。けれども、お互いに相手が倒れるまで戦う気でいるのだから始末が悪かった。
――遮蔽物から遮蔽物へ。銃撃に音波攻撃、持てる武器の全てを尽くして戦ううちに、両軍の主戦場から外れた場所へ出る。しばらくは睨み合いが続いたが、そのうちに二機は揉み合いになり、それはもはやケンカの様相だった。
お互いに致命傷や行動不能になるような傷を与えられることもなく、エネルギーと体力だけが削られて、終わりが見えない。しかし今さら戦いを打ち切ることも出来ず、戦いは泥沼化してゆく。
「おたく、全然撃ってこなくなったけど、もうエネルギー残ってないんじゃないのぉ?」
「黙レ。貴様コソ、残弾ガ無イヨウダナ……!」
「……大当たり。でも俺っちにはまだ“これ”がある!」
「⁉」
揉み合ったままサウンドウェーブのイジェクトボタンを殴り付けるように押し、弾かれるように開いた胸のハッチへテープを捩じ込んだ。そのまま機体を押さえつけるように再生ボタンを押下すると、辺りに重低音が響き渡る。その音楽と共に、抵抗していたサウンドウェーブの動きが止まり、青い機体は膝から地面へと崩れ落ちた。
成功したんだ……!
ブロードキャストは心底安堵した。正直なところ、これは大博打だ。自分に効くのだから、同じ機体情報のサウンドウェーブに効かないということはないはずだ。しかし、ブロードキャスト以外の機体で実験が出来ない以上、成功の確証はない。だからこそコンボイとマイスターは止めたのだ。それを解っていながら、他に打つ手のないブロードキャストはこのカセットに勝負を賭けた。
だが、何にせよ作戦は成功した。
これでようやく、自分は苦悩から解放されるかもしれない。そして、上手く行けばこの勢いで、長きに渡る戦いそのものにも終わりが来るかもしれない。無意識に口角が上がる。
「ッ……、コレハ……、ウルトラサウンド……⁉」
「またまた大当たり~! ってね。どう? 俺っちのリミックスの方がイカしてると思わない?」
「グッ……! 貴様、俺ノウルトラサウンドヲ……、ヨクモ……‼」
足元に倒れたまま、身動きの取れないサウンドウェーブは苦しそうに排気を繰り返す。直に再生すると効くよねぇ……。そう呟きながら、その苦しみを身をもって知っているぶん、いい気味だとオプティックを細めてみせる。テープの効果で機体は重いが、直接テープを再生していないブロードキャストは動くことが出来た。
さあ、このテープが止まらないうちに、こいつを縛り上げて捕虜にしてやろう。ブロードキャストがサウンドウェーブの機体に触れる。強く触れた訳ではないのに、彼はビクリと機体を震わせて呻き声を上げた。
「ゥアッ……‼……⁉」
「ちょっと、大袈裟な声出さないでよ!こっちが悪者みたいじゃんか」
「俺ニ、触ルナ……!」
「おたくらと違って、こっちは抵抗出来ない機体を壊したりなんかしないってば。基地に連れていくだけなんだから、ちょっとの間大人しくしてなって」
「ッ、ン、……ゥ、ヤメロ……! 触ルナ……、ッア!」
サウンドウェーブは明らかに様子がおかしかった。触れる度に機体をびくつかせ、錯乱しているように見える。それに、ブロードキャスト自身も、いつの間にか妙な気分になっていることに気が付いた。ブレインがぼんやりとして、機体が熱い。
まさか、テープの効果が変わっている……?
一体、何がどう作用したのか。サウンドウェーブの再生する音色は、同じテープであるにもかかわらず、ブロードキャストが再生する時とは何かが違った。これは機体の麻痺ではない。機械生命体の正気を失わせるような、もっと何か別の効果。副官の言う通り、これは戦場で使うべきじゃなかったのかもしれない――。
ブレインを、ウルトラサウンドの重低音が揺らす。
目の前でうわ言のように拒絶の言葉を繰り返し、動けないでいるサウンドウェーブは、罠にかかった獲物のように、無力にこちらの為すことを待つだけだ。
――今なら、何をしたって抵抗出来やしない。
こいつらは、今まで何をやってきた?罪もない機械生命体を破壊することだって、エネルギーを略奪することだって、街を破壊することだって、相手が拒絶しようが許しを乞おうが、平気でやってきたじゃないか!
仰向けにするために肩を掴んで馬乗りになると、サウンドウェーブの発声回路から、聞いたこともないくらい切羽詰まった声が漏れた。その機体は冷却水で濡れて、ろくな抵抗も出来ずに小さく首を振るだけだ。たちまちにして征服欲が膨らんで、おさまる気配がない。
――こいつは一度、身をもって思い知った方が良いんだ。懇願する相手を踏み躙ることが、どんなに酷いことなのかを!
ブロードキャストは、口内のオイルを飲み込んだ。
そこから後の記憶は残っていない。
――こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃあ……。
テープが止まり、正気を取り戻したブロードキャストは、眼前で広がる光景にオプティックを明滅させた。
電源が落ちて力無く横たわったまま、オプティックの光を失ったサウンドウェーブの機体。それは冷却水とオイルに塗れ、無防備に開いた入力端子のハッチからは廃オイルが流れ出ていた。自らの真っ赤なボディも同じように冷却水とオイルでじっとりと濡れ、出力端子は露出している。
それは、今まで二機が何を行っていたかをはっきりと証明していた。
これは俺がやったのか……? こんな酷いことを……。
テープを流し始めて暫く経った後のメモリーが飛んでいる。その間に自分のとった行動を裏付ける凄惨な光景は、アイセンサーを切ってしまいたくなるほどのものだった。
震える手が行き場をなくして宙を彷徨う。ブロードキャストは今すぐにでも一機でこの場から逃げ出してしまいたかった。けれど、あんなにも憎く破壊したいと思っていた機体でも、こんな姿でこんな所に打ち捨ててゆくことは出来ない。普段ならば脚を持って引きずって行くことも視野に入れていただろうが、しかし、ブロードキャストは自らが宇宙錆に侵食された時のようなひどい不安と良心の痛みに耐えられず、サウンドウェーブをそっと両腕に抱きかかえる。
元々捕虜にするつもりだったんだ、連れて帰るのはおかしいことじゃない……。ブロードキャストは誰かに言い訳をするように細く呟いた。
こそこそと通りすぎようとした戦場では、戦いがまだ続いていた。両軍は入り乱れ、取っ組み合いになっている者もいれば、銃撃の応酬をしている者もいた。見たところ、サイバトロンがかなりの優勢だ。もうすぐ決着がつくだろう。
良かった。本当に良かった……。
いつもであればコンボイに、俺っちがあいつを足止めしたおかげですよ! なんて調子よく胸を張って加勢していただろう。けれども今は色々な罪悪感で胸がいっぱいになって、そんなことはとても出来ない。ブロードキャストは司令官と仲間達へ心の中で謝罪して、サウンドウェーブを抱えたまま足早に基地へと向かった。
こっそりと忍び込むようにサイバトロン基地へ足を踏み入れる。幸いにもサイバトロン戦士のほとんどは戦場へ駆り出されていたため、オイルにまみれた酷い姿の二機は誰にも見咎められる事がなかった。
とにかく、まずは機体の洗浄をしなくては。自らとサウンドウェーブの汚れをざっと温水で流し、洗剤を使ってオイルを落としてゆく。
ああ……、犯人が証拠を隠滅してるみたいだ……。テレトランワンで見る、人間達が作った物語、“テレビドラマ”の数々は、戦いが続く日々を送るサイバトロン戦士達のちょっとした楽しみになっていた。そのテレビドラマのワンシーンで、犯罪をおかした人間が証拠を消すため、血を洗い流すのを見たことがある。
いま俺がやっていることは、それと何が違うんだ。なんてことをしたんだろう。なんてことを。自責の言葉がぐるぐるとブレインの中でリフレインする。
年若いブロードキャストは、まだ接続をしたことがなかった。
いつか素敵な相手と巡りあって結ばれたら、愛情を深めるためにムードたっぷりの音楽でも流しながらじゃれあって、お互いに愛の言葉を紡いで接続をするんだ。それもとびきり優しく、紳士的にやらなきゃダメだ。だってきっと相手は自分にとって誰より愛しく、大切な機体だろうから――。そんな風に夢見て、憧れていた。
彼にとって接続とは、ロマンチックで愛に溢れた特別な行為だった。腕力や権力で嫌がる相手に無理矢理接続するなんてことは、卑劣で最低なことだと思っていたし、自分はそんなことは絶対にしないと思っていた。それなのに……。
サウンドウェーブの青い機体を洗浄しながら、ブロードキャストは考える。
もし、もしも……、こいつも初めてだったとしたら、どうしたらいいだろう……。取り返しのつかないことをしてしまった……。
――機械生命体の接続は、有機生命体の生殖行為と違って子を為す事はない。
確かに、嫌がる相手に無理矢理接続するなどというのは褒められたものではなく、サイバトロンのすることではない。
しかし、大抵の機械生命体の認識では、接続とは旧式の情報交換手段だとか、廃オイルの処理だとか、パートナーとの交流だとか、他機に言うことが憚られる、快楽を得る為の後ろ暗い楽しみ。その程度のもので、ましてや倫理観の欠如した者の多いデストロンともなると、快楽を求めて不特定多数の者と接続し、その興奮のままに相手を破壊してしまうような機体が――さすがに他の機体には悪趣味と言われるものの――存在するほどである。
けれども、表立って下卑た話をする者が少ないサイバトロンに身を置き、人間達の文化やテレビドラマに大いに影響された若者、ブロードキャストにとって、これは極めて深刻な問題であった。
……嫌がる相手を無理矢理に抱いてしまった。確かにいい加減なところもあるけれど、サイバトロンとして胸を張れるよう、善い機体でありたい。そう願っていたのに。自分は所詮、デストロンと同じ基板の機体で、欲望に抗えない非道な機械生命体なんだろうか……。ブロードキャストは暗鬱な気持ちを振り払うように自らの顔へ冷水を浴びせる。
これが終わったら捕虜としてサウンドウェーブを拘束し、隔離部屋へ入れなければならない。捕まえたら厳しく尋問して、洗いざらい喋りたくなるほど嫌みを言ってやろうなどと考えていたはずが、今は胸がじくじくと痛む。
洗剤を洗い流し、すっかり綺麗になったサウンドウェーブの機体を柔らかい布で丁寧に優しく拭いてやる。それが、今のブロードキャストに出来る精一杯の罪滅ぼしだった。
サウンドウェーブを抱えて訪れた、懲罰房のようなその部屋は、捕虜の為に用意された隔離部屋だ。簡素な内装で、窓はないがすきま風もなく、寝床や明かり、机や椅子もきちんと用意されている。あまり使われたことはないが、基地内の部屋は全て当番制で掃除するものだから、いつも清潔に保たれている。
ブロードキャストは青い機体をその寝床へゆっくりと降ろす。そして、未だオプティックに光が戻らないサウンドウェーブの手足を傷付けないよう、細心の注意をはらって枷で拘束した。トランスフォーム能力を阻害し、その他機械生命体の持つ特殊能力や外部への電波の送信など、諸々を使用不能にする為の装置だ。
「……おたくをこんな丁寧に扱う日が来るなんてね」
いつもの調子でからかうように言ったつもりが、発声回路から出た自らの声は震えて今にも消えそうだ。サウンドウェーブが目を覚ました時の為に小さな明かりを灯したまま、扉を閉じる。
あとでまた様子を見に来よう。目を覚まさないようなら、ラチェットに診てもらわなくちゃ……。ちくちくと痛み続ける胸を撫でつけて、罪悪感に蓋をするように部屋の鍵をかけた。
そろそろ皆基地へ帰って来ただろうか。ブロードキャストは、自らの行為を仲間達に知られるのが恐ろしかった。しかし、黙っておくことは出来ない。このまま秘密にしていたら、ハートが潰れてどうにかなってしまいそうだ。
デストロンを退け、凱旋したサイバトロン戦士達の輪の中で話すコンボイの元に、ブロードキャストはトボトボと歩み寄る。
「あの、司令官……、俺……言わなきゃいけないことが……」
「一体どうしたんだね?」
「それが……、その……、あの……」
「……うん。ゆっくりでいい。場所を移そうか」
コンボイは、目の前で今にも冷却水が溢れそうなオプティックを震わせて、ぎゅっと唇を結ぶブロードキャストの肩を優しく叩く。別室へ促すように背中を押す司令官の優しさで、ブロードキャストは更に胸が締め付けられるように苦しくなった。扉を閉めるなり悲痛な声を上げ、深く頭を下げる。
「司令官、司令官……! ごめんなさい‼」
「ブロードキャスト、落ち着きなさい。君がそんなに取り乱すとは……一体、何があったんだ?」
ブロードキャストは途中で言葉につかえながらも、少しずつコンボイに話した。隔離部屋にサウンドウェーブが居ることも、使用を許可されていなかった、ウルトラサウンドを改造して作った音源を使用したことも、それによって詳細不明の効果が発揮されて正気を失い、サウンドウェーブを無理矢理に抱いてしまったことも、全て。
「……よく話してくれた」
「司令官、俺……、俺は……」
コンボイの大きな手がブロードキャストの頭を優しく撫でた。叱られると思っていたブロードキャストは、何がなんだか解らないといった様子で、ぽかんと口を開けて呆気に取られる。コンボイは言い含めるように言葉を続けた。
「ブロードキャスト、君にはやるべき事がある。ひとつは、その音源をしっかり調べること。ホイルジャック達と協力して調べるんだ。そして、もう二度と無茶はしないと誓ってくれ」
「……はい。今度こそ約束します、司令官」
「……よし。捕虜は一旦ラチェットに診せる。機体に問題がなく、もしもサウンドウェーブが接続のことで君を忌避しないと言うのであれば、その後は君に尋問を任せる」
「えっ……、で、でも……」
ブロードキャストは戸惑った。乱暴してきた相手に尋問までされるなんて、傷を抉られるようなものじゃないか。司令官は優しくて、慈悲深い機体のはずだ。そんな酷いことをさせるなんて、いつもの司令官とは思えない。こんなの、自分の言えた義理じゃない。だけど……。
「もちろん、彼が君を拒否した場合は、誰か他の者をつかせる。しかしそうでなければ、君がやるべき事だと私は思う」
「でも……、俺は、無理矢理接続したんですよ……。そんな奴なんて、顔も見たくないし、会ったら嫌な事を思い出すに決まってるじゃないですか! そんな酷い事をして何になるって言うんです⁉」
コンボイは、取り乱すブロードキャストの肩を優しく、しかししっかりと両腕で掴んだ。まるで子供に言い聞かせるようにして、オプティックを真っ直ぐに見つめる。
「自分の受けた行為をどう感じて、どうするべきだと思うか……それは君ではなく、彼の決めることだ。解るだろう? そして、尋問は彼を捕虜にした君自身が責任を果たすべき重要な任務だ。そうは思わんかね」
「……」
「ブロードキャスト。君がやったことは、残念ながら良いこととは言えない。しかし、人間達と、我々のルールは違う。君自身に、そのルールを全て当てはめることはないんだよ。友人の世界のルールを守ることは、もちろん大事なことだ。しかし、デストロンも、我々も、セイバートロンの機械生命体なんだ。それを忘れてはいけない」
「……はい」
「……君はまだ若い。この機会に、デストロンに身を置く者がどういう風に物事を捉えているか、理解を深めてくるといい」
ホイルジャック達には私が連絡しておくから、ラボへ行きなさい。そうコンボイに促され、ブロードキャストは再び胸がつかえるような気分で退室した。
司令官の言うことが解らないわけじゃない。だけど、無理矢理接続したことが、心の傷になっていたらどうしよう……。もしもそうだとしたら、自分でなくとも赤い機体を見てショックを受けるなんてこともあるかもしれない。そんなのは、あんな悪党でも、あんまりな仕打ちなんじゃないか。ブロードキャストは俯いて廊下を歩く。ふいにトン、と両手で機体を押されて足が止まった。
「おっとと、前を見て歩きたまえ。基地内で衝突事故なんて、洒落にならんよ」
「わっ……! あ、あぁ、ラチェット……。ごめんよ、俺……、俺っち、ちょっと考え事しててさ……」
「はは、珍しくしょんぼりしとるねぇ! 若者は元気なほうがええよ」
「いやいや、考える事はブレインを活性化させるからね。時には考え、悩み抜くことも大事なことじゃないかね」
顔を上げてよく見ると、ラチェットにホイルジャック、パーセプターが揃っている。
司令官がテープの調査の為に呼び出してくれたんだ。さっきの戦闘でリペアが必要な仲間も居るだろうに、もう集まってくれたなんて。ラチェット達の代わりに、ホイスト達がリペアに回ってくれているのだろうか。こんな自分の為に皆が動いてくれている……。またしてもオプティックから冷却水が流れそうになってしまう。こんなの、自分の柄じゃない。ブロードキャストは両手で自分の頬を叩く。こんな時に元気で居るのは違う気がするが、仲間達に心配をかけるのも本意ではなかった。
「司令官から大体の話は聞いているよ。まずは君が作ったテープを試してみたいんだが、良いかね」
「……もっちろん! 徹底的に調べてちょ~だいよ!」
ブロードキャストは精一杯いつも通りに明るく振る舞った。
そして、ラチェット、ホイルジャック、そしてパーセプターによる、テープの調査が始められる。サウンドシステムにどう作用するのか、再生した機体……つまりブロードキャストが麻痺する様を実際に見せることも、甘んじて受け入れた。しかし、こうして苦しむことで自らを罰した気分になっているだけではダメだ。司令官の言うように、加害者への罰は被害者であるサウンドウェーブが決めることなんだ。
ブロードキャストは心のうちで覚悟を決めた。
「こりゃたまげた。これをブロードキャストが作ったなんてねえ。餅は餅屋、音はサウンドシステムってところかね」
「こんなに強い効果を発揮するのに、我々には全く影響がないとは……。ふうむ、これは興味深いね」
「ははあ、なるほど。これをサウンドシステムが流すことで効果が強まるということか。おそらくだが、サウンドシステム特有の聴音回路と、特定の機構に作用するものとみていいだろうね……」
三機はあくまで真剣に調べているのだが、新しいものに興味津々といった様子で、それはすこぶる楽しそうにも見えた。その様を眺めるブロードキャストは、どうも複雑な気分だ。
「しかし、効果が変わったってのはどういうこっちゃ」
「これは仮説なんだがね、ブロードキャストとサウンドウェーブには何か大きな差異があるんじゃないだろうか」
「そうか……、確かに彼らは同じ機体情報から出来ているが、ベクターシグマから授かったものは全くの別物だ。そこから決定的な違いが生まれてもおかしくはないなぁ……」
「それにオイルだって全然別物だろう?」
「後発機のブロードキャストは新しいパーツを使っているし……。例えば、スピーカーの音質が違うだとか、サウンドシステムはそういったわずかな差異でも、大きな影響を受けるのかもしれない」
「う~ん、出来ることならサウンドウェーブにもこのテープを流して貰って比較したいところだがねえ……」
「流石にそれは難しいだろう……」
「倫理的にもまずいけどねえ、やはり彼に能力を使わせる事自体が危険だよ。ハッチにカセットロンが潜んでいるかもしれないし……」
「カセットロンが居るかどうかなんて、スキャンしてみりゃあ一発で解ることでっしゃろ」
「そりゃあ私だって、もうひとつの効果を実際に検証してはみたいが、しかしだねえ……」
三機の議論は大いに盛りあがりを見せていた。しかし、この音源を作った当事者で、話題の中心であるはずのブロードキャストは、やはりなんだか置いてけぼりで、蚊帳の外のようだった。
「あの~……、俺っちに出来ることって、他に何かあったりする……?」
「うーん、今のところは無いね」
「何かあれば通信で呼ぶよ。どこかで暇をつぶしておいで」
「いやぁ、こりゃ面白いモンを作ってくれたねぇ」
「ああそうだ、私は捕虜の診察をしなくては。ホイルジャック、パーセプター、ここは任せたよ。さ、ブロードキャスト、鍵を持ってるんだろう?ついてきてくれ」
「えっ、う、うん……」
ブロードキャストはラチェットに腕を引かれてラボを出る。サウンドウェーブはそろそろ目を覚ましただろうか。診察が終わるまで、排気を潜めて大人しく部屋の外で待っていよう……。隔離部屋の鍵を開け、ラチェットを部屋に入れると、ブロードキャストは中から自分の姿が見えないよう扉から離れた。
サウンドウェーブはきっと、自分になんて会いたくないと言うだろう。尋問は誰か別の機体が行うことになる。カッとなりやすいアイアンハイドやクリフじゃないことを祈ろう。それに、出来れば赤くない機体がいい。接続のことを思い出して辛い気持ちにならないように。……捕虜にだって、それくらいの配慮はするべきだ。
壁に背を預けて悶々としていると、ラチェットが診察を終えて部屋を出てくる。その顔は苦笑いといった表情で、あまり良い結果ではないのだろうかとブロードキャストを不安にさせた。
「診察は終わったよ。すこぶる健康体だ、憎らしいくらいにね」
「良かった……。それで、意識は……」
「意識ははっきりしてるし、尋問官は、君が良いってさ」
「……へ?」
「彼は君をご希望なんだよ、ブロードキャスト」
「……、……お、俺ぇ⁉」
ブロードキャストのすっとんきょうな声が、サイバトロン基地の廊下に響いた。
ブロードキャスト・エレジー Part2
薄暗い明かりの中、オプティックに緋色の灯がともる。強制シャットダウンから復帰し、再起動したサウンドウェーブは、見覚えのない殺風景な部屋をアイセンサーで見回した。その聴音回路で周辺に機械生命体の気配が無いことを確認し、音を立てぬよう密やかに半身を起こす。
……エレクトリックランチャーが、肩に装備されていない。武装解除されていることに気付き、同時に手足へはめられた枷を一瞥した。そして記憶回路に残った最新のメモリー再生を終えると、自らがサイバトロンの捕虜になったことを悟った。
デストロンの参謀ともあろう者が、なんたる不覚。……しかし、サイバトロン基地に深く入り込んだとも言える。これは好機だ。
サウンドウェーブは思案する。状況を整理し、脱出する為の策を練るために。
ここがサイバトロン基地ならば、カセットロン達が周辺の地形を把握し、常日頃から監視している。脱出を試みるのは何か収穫を得てからでも遅くはないだろう。
もしも、ここがまだこちらに把握出来ていなかった臨時基地のたぐいであるならば、単機での脱出計画を立てる必要がある……。
どちらにせよ、あのコンボイが司令官という立場に居る限り、こちらが破壊活動を始めでもしなければ、何機たりとも破壊に繋がるような刑や拷問にかけることは出来ないはずだ。サウンドウェーブには、確信に近いものがあった。
以前の調査では、サイバトロンには相手の思考やデータを読める者や、サイコプロームのような装置を保有している事実は確認出来なかった。しかしホイルジャックやパーセプターといった面々が、似たようなものを発明していないとも限らない。それについては警戒するべきだ。
デストロンが参謀一機の不在程度で、作戦を中止することはない。進行中の作戦のいずれかでも表面化した場合、こちらの意思と関係なく、サイバトロンがメモリーチップや記憶回路を強制的に調べる可能性は高くなる。そうなれば、デストロンの機密を明け渡すことと同義……。
いざとなれば機械生命体としての権利を侵害されたとでも主張して、尋問官に非道な言葉を浴びせられた、過剰な暴力を振るわれた、サイバトロンは捕虜にこんな仕打ちをしておきながら、デストロンを批難することが出来るのか――などと、いかにも被害者らしく振る舞って時間を稼ぐことになるだろう。お優しい事でその名を馳せるコンボイ司令官は、それが敵の言葉であっても、部下をどんなに信頼していようとも、その調査を命じ、こちらの権利を尊重するように働きかけるはずだ。
慎重に動かねばならないが、捕らえられていても自らに出来ることは決して少なくない……。とにかく本格的に動き始めるのは、材料を揃えて身の安全を確保してからだ。
さて、電源が落ちてからどのくらい経ったのか……。サウンドウェーブは次に取るべき行動を考える。
窓の無いこの部屋は、外をうかがい時間経過を推測することもかなわない。しかし、囚人を制限するための枷は、視覚、聴覚などの基本的な回路には大きく作用しないことが幸いし、その秀でた聴音回路は完全には封じられていなかった。
枷から流れる特殊な電磁波により、性能は通常より落ちているようだが、めいっぱい聴音回路の感度を上げて、可能な限り外の音を拾う。遮音性の高いその壁は、並の機械生命体には何の音も聞こえないが、サウンドウェーブにかかれば完全な防音とは言えない。性能が落ちているせいで、部屋の側を誰かが通れば足音や話し声を途切れ途切れにどうにか拾えるくらいのものだったが、何の情報も得られないのと比べれば天と地ほどの差がある。
四面の壁のひとつひとつに聴音回路を集中させて、隣に部屋があるか、機械生命体は居るか、情報を求めて探ってゆく。
扉のある正面の壁は廊下。現状、通る機体の少ない通路のように感じる。しかし、今はまだ情報が足りない。
左はなにか機器の音がする。それも機械生命体の駆動音ではない。スリープモードのような静かな音だ。何かの装置が待機状態で置いてあるのか?
右は無音。壁を軽く叩いてみるが、厚い壁で隣の部屋に何も音を立てるものがないから音が聞こえないのか、それともここが突き当たりの部屋なのか、現時点では判断つきかねる。
そして後ろは――かすかに風の吹き抜ける音。火山に空いた洞穴に面しているようだ。都合が良い。カセットロンとコンタクトを取れれば、外から壁を破壊して脱出することが出来るだろう。
枷により、あらゆる機能と能力の使用が制限されているサウンドウェーブは、あらためて現在使用できる自身の能力を確認する。
この枷は、平均的な機械生命体を基準に作られているのだろう。すべての基本的な機能が抑制されているなかでも、サウンドウェーブの聴音回路は元々の性能が秀でているため、普段に比べれば大きく性能が落ちるものの他機のそれよりもずっと鋭敏なままだ。しかし、速度に関しては期待できない。常から他機に比べれば機敏なほうではないが、今は制限がかかったせいで走ることも難しそうだった。最後に、サウンドシステム特有の、録音、再生機能がかろうじて働くことを確め、ひとつ小さな排気をする。
これならば、尋問中に、ある程度こちらの欲しい言葉を引き出して、音声データを繋ぎ合わせ、脅迫の証拠をでっち上げることも出来る。ある程度の足止めにはなるだろう。音声データの偽造に関しては、うまくやれば内部からサイバトロンを掻き回すことも可能になるかもしれない。
ひとまずサイバトロンの出方を待つことにして、エネルギーを節約するため大人しく横になった。ブロードキャストとの戦闘で、エネルギーを激しく消耗しているのだ。これ以上、無駄に力を使うことは出来ない。
ふかふかのスリープ台とまではいかないが、独房にしては手入れがされていて清潔な寝床であるし、あのイカれた奴のせいでひどく汚れていたはずの機体の洗浄まで済んでいる。さすがはサイバトロン。捕虜に対しても至れり尽くせりだ。
……しかし、あちらが接続などという迂闊な行為で、重要なパーツである出力端子を晒してくれたというのに、しくじった。正気を失っていたせいでブレインが回らず、入力端子でサイバトロンの情報を抜き取る絶好の機会を逃してしまったことは、ここ数百万年で一番の失態かもしれない。
今しがた自己診断を終えたが、ウイルスを混入された形跡はない。ただ快楽を得る為だけに敵に出力端子を挿し込むとは、間抜けな奴だ。おそらく、あれは計画的なものではなく、衝動的に接続したのではないだろうか。
機械生命体のなかには、接続に付随する快楽を求め、享楽にふける者も少なからず存在する。今では接続を正規の情報伝達の手段として使うことはないのだから、それが世の流れなのかもしれない。何にせよ、折角の好機をふいにしたのはお互い様と言ったところか。
――サウンドウェーブは、自らに対抗して同じ機体情報からサイバトロンに造られたという、ブロードキャストの事を忌々しく思っていた。自分とほぼ同等のスペックを持ちながら通信員に甘んじていることもそうだが、目立つようにがちゃがちゃと騒がしく音楽を流し、感情をむき出しにした口先だけの軽薄なお喋りは隙だらけ……サウンドウェーブとは正反対のその全てが気に触る。
奴は一体何のつもりでそんな振る舞いをしている? ブレインがイカれているとしか思えない。あんなものが俺に対抗して造られた機体だというのか? 馬鹿げている。
……だが、"ウルトラサウンド"を機械生命体に機能するものへ作り替えた事に関しては、唯一賞賛に値する。元々、人間の脳に作用するあの催眠音波は、機械生命体に作用するものを作ろうとした際の副産物として生まれたものだ。機械生命体へ作用させるには何かが足りなかった。ひとまずの試用として、副産物を人間達へ使ったのだが……それを、まさかあのイカレサウンドが、機械生命体へ影響するものに作り替えるとは思いもよらなかった。あのテープはハッチから回収されてしまっているが、もう一度あれを手に入れ、音源を詳しく解析すれば、機械生命体に作用する催眠音波の完成への足掛かりになるかもしれない。
メガトロン様ではないが、よくやったと褒めてやってもいいだろう。俺の機体情報から造られたのだから、本来そうでなくてはならない。
思考を巡らすうち、二機分の足音が聞こえ始める。そして、鍵を開ける音。ノックと共にサイバトロンの看護員、ラチェットが一機で部屋へ入ってきた。
横になっているサウンドウェーブに意識があることに気付くと、まるで友人であるかのように気安く手を上げて挨拶し、目の前で診察の道具を広げだす。枷がはめられているとはいえ、サイバトロンがこんなにも油断した状態で接して来るとは思っていなかったサウンドウェーブは、いささか当惑した。
この白い機体は、看護員でありながら前線に出て戦っているのをよく見掛ける。しかし、デストロンの参謀を相手に部屋へ護衛も入れず、よくも一機で。さすがに、武装解除されて枷をつけられていては、サイバトロンに囲まれたこの状況で下手なことは出来ないと踏んだのだろうか……。多少暴れられてもすぐに取り押さえられると考えているのだとすれば、ここは臨時基地のたぐいではなく、サイバトロン基地であるとみて良いのかもしれない。
とにかく、こんな友好的な態度で来られては、喧嘩を売ればこちらが不利になってしまう。今後の為にも、ここは多少しおらしくしておくか……。
サウンドウェーブは、いかにも今起きたような素振りを見せて半身を起こし、応対することにした。
「ちょうど起きたところだったかな。気分はどうだい?」
「……悪クハナイ」
「そりゃあ良かった。解っているだろうけど、君はサイバトロンの捕虜になったんだ。損傷はなさそうだが、戦闘の後だからね。詳しく診察をさせてもらうよ」
「好キニシロ」
「そいつは助かる。ところで、君を尋問する相手だけど……」
「コチラニ、尋問官ヲ選択スル権利ガ有ルナラバ、"アレ"ガ良イ」
「……“あれ”っていうと?」
「ブロードキャスト ダ」
あれは簡単に挑発に乗る。わざわざ音声を繋ぎ合わせなくとも質の悪い暴言を吐いてくれる可能性が高いのだから、こちらにとって都合が良い。そうでなければ、あの物騒な物言いをする赤い機体……アイアンハイド辺りが適当だろう。あれもうまく挑発すれば、すぐにオイルが沸騰して言葉と手が出るはずだ。もっとも、機体を氷漬けにされたり接着剤で床に貼り付けられるのは御免蒙りたいものだが。
ラチェットは丁寧にサウンドウェーブに外部の損傷がないか確認し、気遣うように笑って穏やかな声で話しかけると、小型の機器をサウンドウェーブの胸部に取り付けて起動させた。
「内部に異常がないか確認する装置だから、心配ないよ」
「……解ッタ」
嘘は言っていないが、詭弁だ。取り付けられた小型スキャナーは、確かに損傷箇所を探すことも出来るが、カセットロンを胸部ハッチに潜ませていないか……それを調べるのが真意だろう。気の済むまで確認すればいい。そして、武器もなければ手勢もない、無力な機体だと油断してくれればこの上ない。
「なあ、出来れば、彼……ブロードキャストに、あまり意地の悪いことは言わないでやってくれないか」
「ソレハ、捕虜ニ対シテ言ウ事デハ無イ」
「はは、変なこと言って悪いね。……我々は敵同士、そして今は戦時下だ。でも、君らはそれだけで戦ってるわけじゃない。端から見てて心配なのさ」
「過保護ナ事ダ」
「言えてるね。それでも、ブロードキャストはまだ若い。皆にとって、彼は子供や弟みたいなものなんだよ。……さ、診察は終わり。君は健康そのものだ」
……要するに、あの喧しい機体は甘やかされて来たわけだ。組織から切り捨てられる心配がないから手柄を立てる必要もなく、地位に大した興味もない。周囲に対する警戒心がないから、べらべらと喋る。目立てば構って貰えるからと、騒がしく音楽を鳴らして目を引く――常識では考えられないことをする、ブレインのイカレた奴だと思っていたが、奴にとってはそれが普通というだけ……たったそれだけのことなのか。
サイバトロン共は、そんな幼稚なもので俺に対抗出来ると思っているというのか?あんなものが俺と同じ機体を持っていること自体、不愉快極まりない。目障りなものは排除するべきだ。……一刻も早く。
ラチェットが退室すると、扉の向こうが騒がしくなる。聴音回路で途切れ途切れに拾えたのは、ブロードキャストの声だった。
足音のもう片方は、あいつのものだったのか。あちらも尋問をしてやろうと意気揚々と待ち構えていたのであれば、挑発して暴言を引き出すという目的は容易に果たせるだろう……。
しかし、部屋へ顔を出したブロードキャストの様子は、サウンドウェーブの想定とは全くの正反対だった。赤い機体は扉の外から様子をうかがうように、不安げな表情でサウンドウェーブを見据えている。
一体、何のつもりだ……? サウンドウェーブは一層警戒を強めた。
何か企んでいるのか。それならば、あちらにペースを握られぬよう気を張らなければ。あんなものでも一応はサイバトロンであるし、捕虜への最初の尋問は非常に重要だ。何も仕掛けてこないなどということは、あり得ない。
「何ヲ シテイル」
「いや、その……、ホントに入っても良いわけ……?」
「サッサト入レ」
部屋に足を踏み入れたブロードキャストは、不遜な態度でスリープ台に座ったままのサウンドウェーブを注意することも、それに腹を立てる様子もなく、ごく控えめに椅子へ腰掛けた。そのまま無言で俯き、動いたかと思えばほんの少し顔を上げてちらちらと盗み見るように薄水色のオプティックを動かすだけだ。……ただただ流れる、不毛な時間。
一体、何だというのだ。
「……」
「……」
「尋問ハ、ドウシタ」
「えっ! あ、ああ、……あのさ、その前に、せ、接続……のことなんだけど……。おたくにすごく、悪いことをしたと思ってるんだ……。こんなこと言われても困るだろうけど、その、ごめん……」
……こいつは、何の話をしている?返す言葉も出なかった。神妙な面持ちで何を言うかと思えば、接続したことを謝罪しているのか? それも、敵に? 何のために? 動揺を誘っているのか? いや、しかし……。
理解が追い付かず、サウンドウェーブは思考を整理する間、黙って聞いていることしか出来ない。
「そりゃ、おたくがこれまでやってきた事は、絶ッ対に許せないけど! それとこれとは別っていうか……。おたくだって、無理矢理あんなことされて……傷付いたと思うし……。あの、俺じゃなくても赤い機体を見たら思い出すなんてこともあるかもしれないし……。だからその……、もしも、ちょっとでも、おたくの気が晴れるなら何か罪滅ぼしをしたいと思ってるんだ……。あ! でも、言っとくけど、悪事に荷担したりはしないから!」
悲しんでいるのか、怒っているのか、ふてくされているのか。相当葛藤しているのだろう。ブロードキャストは語気を強くしたかと思えばぼそぼそと声を震わせて、せわしなく発声回路の音量を上下させながらサウンドウェーブに埋め合わせを申し出る。
……相も変わらず、喧しい機体だ。
サウンドウェーブはようやく情報を整理し、ブロードキャストに聞かせるように、長い長い排気をした。
下らない。無理矢理に接続をされて傷付く? それも、機体ではなく、心が? どこの生娘の話をしている。俺にとっては機密情報を抜き取られるほうが、よっぽどの屈辱で、耐え難い苦痛だ。接続の際、入力端子からウイルスでも仕込まれていれば話は別だが。
そもそも、テープの効果でブレインに支障をきたしていた。その影響で記憶回路に大してメモリーも残っていないのだから、余計に些末なことだ。記憶回路からメモリーの一部が抜け落ちているのは不快であるし、もしもこいつだけが接続の際の記録を保有しているのであれば更に不愉快だ。自らが取りこぼした情報を、他機だけが持っている。それが気にならないと言えば嘘になる。
しかし、今回のそれは重要な機密などではない。所詮は、快くは思わない――その程度のこと。敵に対して自ら弱みを作りに来るとは、救いようのない愚か者だ。
サウンドウェーブは、目の前の赤い機体を冷ややかに見ていた。ブレインスキャンは出来ずとも、ブロードキャストが気まずそうな顔をして、いかにも反省をしているような態度を見せ、顔色を窺っていることは明白だ。姿を見れば噛みついてきていた、威勢の良さはどこへ行ったのか。
罠か何かかと勘繰ったが、どうもこいつは本気で言っているらしい。ならば都合がいい。このまま話を合わせて利用してやる。
さて、ブロードキャストに贖罪と銘打って、一体何を命じるべきか。ここで選択を誤れば、罪滅ぼしをすると言ったことすら取り下げてくる可能性がある……出来ることならこの一手を有効に使いたい。サウンドウェーブはブレインを悩ませた。
コンボイのパーソナルコンポーネントを破壊してこい、と言っても、それは不可能だろう。デストロンの為に間者になれというのも、受け入れるとは思えない。どうにかうまく丸め込めたとしても、おそらくはすぐにボロを出しておしまいだ。
今すぐに釈放しろ、というのも、自力で脱出できる可能性が少なからず存在すること、まだサイバトロンから目新しい情報を収集出来ていない現状を考えると、好機を自ら放棄するような、もったいない選択のように思える。
こいつに実行可能な範囲で、真意に気付くことなく了承するであろう事柄、そしてこちらの益になることとなると……。
「……詫ビル気ガ有ルノナラ、マスター音源ノデータヲ消シ、例ノ“テープ”ヲ、俺ニ寄越セ」
「データを消すのは解るけど、テープを寄越せって……あんなもの、どうするわけ?」
「ウルトラサウンド ハ、元々俺ガ作ッタ物ダ。返シテ貰オウ。貴様ニ、マタ悪用サレテハ困ル」
……どうだ。今のお前にはとても断れないだろう。
サウンドウェーブはその表情の変わらぬ顔で嗤った。痛いところを突かれ、言葉に詰まるブロードキャスト。落ち着かないように口元へ手をやって、そのまま少しの間悩んでいたが、そのうちに小さく頷く。
「……解った。データは消す。けど、あのテープは今、皆が詳しく調べてくれてる所なんだ。それが終わったら、おたくに渡す。それでいい?」
それは、都合が悪い。サイバトロンにあの音源を解析されて、打ち消すようなものを先に作られては、テープをベースにした催眠音波の対策が容易になる可能性がある。
……協力をする体でテープをハッチに入れ、データを記憶回路に移した後、上書きして消すことが出来ないだろうか。
表向きにはテープのせいで正気を失ったため、誤って消してしまった、とでも言っておけばいい。サイバトロンから見れば、故意にこちらがテープを消す理由があるとすれば“接続を強要するために使われた、忌まわしいテープを抹消したかった”……その程度のはずだ。それに食い下がるものが居るとすれば、事を荒立てたいと考えている者くらいだろう。
「マスターデータハ、今スグニ消セ」
「わ、解ったよ。……今、俺のメモリーバンクに移してあったマスターデータを消した。これで残ってるのはテープだけだ」
「……良イダロウ。調査ニハ、貴様以外ノ再生サンプルモ必要デハナイノカ。協力シテヤッテモ良イ」
「何? どういう風の吹きまわし?」
「アレヲ打チ消ス音波ヲ作成出来レバ、二度ト貴様ニ同ジ事ハ出来ナクナル。ソノ為ダ」
「……。一応、聞いてみるけど……、あんまり期待しないでよ……」
「解ッテイル」
ブロードキャストは扉の外へ出て、仲間に通信を繋ぐ。
――周りに甘やかされた結果がこれだ。少し前まで敵意を剥き出しに対峙していた相手に対して、今では罪の意識に苛まれ、こちらに融通をきかせようとする。つくづく愚かな奴だ。
サウンドウェーブは扉の外の音を拾おうと、聴音回路を集中させる。まだ通信が続いているようだが、声の調子からすると、状況はあまり芳しくなさそうだ。
……どうも話がつくのが遅い。さすがに警戒されているのだろう。了承が降りない可能性もある。その場合、何か別の手を考えなければ……。
代替案を考えようとしたところで、ブロードキャストが扉から顔を覗かせた。
「ねえ、皆がこれから、ここでテープの効果を検証してもいいかって……」
「……構ワナイ」
それから百アストロ秒も経たないうちに、ホイルジャック、パーセプター、ラチェットの三機が顔を揃えた。
「やあ、まさか君の方から協力を申し出てくれるとはね」
看護員は相変わらず友人のような気軽さで、ひょいと片手を上げて微笑む。変わらず物腰は柔らかいが、そのオプティックはこちらの様子を探っているように見える。友好的な態度に徹していながら、一応は警戒しているのだろう。
「実験の前に、これを読んで貰っても良いかい? 問題なければ、ここにサインを。いま、捕虜として立場の弱い君にお願いするのは申し訳ないが、あとで無理矢理に実験台にされたと主張されたら、困ってしまうからね」
パーセプターが情報端末を差し出した。
そこには、サウンドウェーブは自らの提案で実験を開始したということ、そしてそれに自らの意思で参加すること、その証拠になるよう実験中の言動はサイバトロン側が全て記録する旨を了承すること、実験中お互いに危害を加えないと約束すること、サイバトロン側は実験による健康被害が出ないよう尽力すると約束すること……そのような内容が記されている。
念書を書かされるとは……。枷が機能しているか再確認されるか、改めて機体を調べられる程度かと思っていたが、サイバトロンの立場を悪くするような材料を作るまいと先回りされる形になってしまった。
まあいい。本来の目的はテープの録音と抹消。想定外だが、問題はない。
サウンドウェーブは文面をしっかり確認したうえで、念書にサインをする。
「オーケー、不備は無いね。念書のコピーはあとで送ろう。では、実験を始めようと思うが、準備はよろしいかな?」
「完了シテイル」
「これが、問題のテープ。ご存知だろうが、再生するとサウンドシステムの機体にだけ影響が出るという代物だ。……ブロードキャスト、君もだよ。転倒の可能性もある。座っていたまえ」
「……ね、ねえ、やっぱりやめない? 俺……あれを聞いたら、自分でも何するか……」
先程からそわそわと落ちつきなく話を聞いていたブロードキャストの腰が、すっかり引けている。
……イカレサウンドが。怖じ気づいたか。
接続で傷付いた、などと言っていたが、それは貴様のことではないのか。罪滅ぼしをするだの何だの言っておいて、全く勝手なことだ。せっかくここまでこぎ着けたのだから、今更実験をやめられては困る。
「もしも不安なら、外に出て待っていると良い。無理矢理参加させるつもりはないからね」
「う……、それはそれで悪い気がするって言うか……。ラチェット、もし俺が正気を失ったら、羽交い締めにしてでも止めてほしいんだけど……」
「ああ、構わないよ。何なら今から羽交い締めにしておいてやろうか」
「あは……、そりゃ頼もしいや……」
「話ハ、ツイタ様ダナ。……問題無ケレバ、再生スル」
渡されたテープをハッチに入れ、銘々が頷くのを確認する。会話の途中で勝手に再生してしまいたくなったが、少なくとも目的を遂行するまでは、協力的な捕虜を演じなければならない。
サウンドウェーブは今度こそ、再生ボタンを押下した。
重低音が鳴り響く。突然、バランスサーキットやジャイロコンパスが働かなくなったような感覚に陥り、気付くと倒れるようにスリープ台へ機体を預けていた。
――初めにこのサウンドを使われた時、テープが流れている間のことは記憶回路に殆ど残っていなかった。だからこそある程度の心構えはしていたが……機体の芯まで響くこの重低音は、ブレインを震わせ、狂わせる。機熱は上がり、排気がうまく出来ない。意識の混濁は激しく、判断力が著しく落ち、酩酊した時の感覚を更にひどくしたような状態だ。また、機体を自由に動かすことも難しく、出来て身動ぎ程度。視覚、聴覚など基本的な機能は働いているものの、その機能はただ動いているだけ。自分に見えている、聞こえているものが何なのか、はっきりと知覚出来ていない……これは、想定以上に危険だ。
データを収集し、解析を妨害するためとはいえ、協力するなどと言ったのは、さすがに軽率だったか……。
そうだ、録音を……。これを記憶回路に残さなければ、わざわざサイバトロン共に取り入った意味がない……。
そう思い至った瞬間、ブツ、と音を立てて喧しい重低音が止まる。テープの影響がなくなると、アイセンサーに停止ボタンを押下するパーセプターが映っていることを、ようやく知覚出来た。……本音を言えば、助かった。しかし同時にデータ収集の妨害という、余計なことでもある。
「……、ナゼ……停止シタ」
「このテープがサウンドシステムに与える影響は、まだよく解っていないからね。長い間流し続けては、君たちの機体やブレインに強い負担がかかる可能性がある。本当は、君たちで実験しなくて済む方法が見つかれば、一番良いんだけれどねえ……」
「もし、この方法で検証を続けるなら、経過を見てからやねぇ」
サウンドウェーブは、念のため機体を診ようか、と提案したラチェットに首を振る。今のところ機体に違和感はない。目的も果たせなかった。いまは早く次の策を練るための、静かな時間がほしい。
「そうか。サウンドウェーブ、協力に感謝するよ。また明日、あらためて診察に来よう」
「待テ。機体ニ不調ガ出タ場合、オ前ニ連絡スル手段ガ欲シイ」
「……確かに、時間を置いて不調が起こらないとは限らないな。解っているだろうけど、君の無線を使えるようには出来ないよ。代わりに、あとで私の所にだけ繋がるものを持って来るから、それで良いだろう?」
「……了解シタ」
気分が悪そうにしているブロードキャストを連れて、全員が引き上げてゆく。再生中は様子を探る余裕もなかったが、あのテープは奴にも相当効くらしい。
テープを回収されてしまったのは口惜しいことだが、武装解除され、枷を付けられた状態でこの人数を相手にすることはとても出来ない。腰を据えて好機を待つしかないだろう。
サウンドウェーブは再び聴音回路の感度を上げ、壁の向こうの音を拾う。これを毎日続け、部屋の前を通る者の大体の数、周囲の部屋の使用頻度などを探り、記録する。長期戦を視野に入れながら、脱出のために必要な情報を集めることが重要になるだろう。
実験にまで付き合ったのだ。経過観察のため、ラチェットは毎日診察に来るはずだ。時間をずらし、ブロードキャストも尋問の為この部屋へ来るだろう。それぞれの時間とその間隔が、毎日ほぼ一定のものになるのならば、それを基軸にしておおよその時間をはかることも出来る。
サイバトロン基地周辺、時には内部を探るコンドルやジャガー。どこかのタイミングで必ず二機のどちらかはサイバトロン基地に潜り込む。各々の大まかな行動時間や、予定、潜むのに適した場所は把握している。サイバトロンに気取られず、自身の所在を伝えることさえ出来れば……。
まずは、サイバトロンの了承のうえでこの部屋から出る手段がほしい。外出といっても、基地内だけで良い。それが出来れば、カセットロンと連絡を取ることの実現に近付く。
サイバトロンも、捕虜の通信機能を開放するほどの馬鹿ではない。しかし、ひとまず看護員に連絡する手段――すなわち、脱出への糸口を得ることが出来たのだから上々だ。不調が出たとして看護員を呼びつけ、診察させる。しかし異常など発見できないのだから、より詳細に調べるためにリペアルームへ移動することになるはずだ。そうすれば、見張り付きでもこの部屋を出て、たとえ短い距離であろうと、サイバトロン基地内を探ることができる。その時こそがカセットロン達との連絡をはかる好機になるだろう。
それが叶わなかった場合は、テープの影響で きたした不調が治らないと訴え、リペアルームへ通う口実を作る。だが、そうするともうテープの検証に関わることが出来なくなるだろう。
……あのテープを手に入れ、その上で脱出するのが現時点で実現可能性な行動のなかで最上と言える。
ウルトラサウンドは、水を掛ける程度の刺激でその催眠が解けてしまうという、まだ不完全なものだった。
しかし、あのテープの作用は更に強力だ。まさか、あれほど強く機械生命体のブレインに干渉するものに仕上がっているとは思わなかった。あれを解析し、サウンドシステム以外にも作用するよう改良したうえで、元々のウルトラサウンドの性質と組み合わせることが出来たなら、全ての機械生命体を支配下に置くことも夢ではない。
それが実現すれば、もう反乱を起こす者など出てこない。エネルギー探索や採集に必要な労働力に困ることもなくなる。デストロンが統治するセイバートロンは永く繁栄するだろう。
暫くして、ラチェットは念書のコピーデータと、直通でラチェットに繋がるだけの簡易的な無線、そして控えめな大きさのエネルゴンキューブを持って部屋へ現れた。
それらを机のうえに広げ、サウンドウェーブに椅子を促す。
「……コレハ」
「捕虜をエネルギー切れにしちゃ、いかんだろう。もし、サイバトロンの物に口をつけたくないのなら下げるがね……ああ、それとも、毒見が要るかな」
「……イヤ、頂戴スル」
「良かった。じゃ、また明日」
ラチェットが退室するのを見届けて、目の前のエネルゴンキューブを手に取る。サイバトロンにいつもエネルギーの強奪を妨害されているデストロンは、エネルギー危機に陥ることもある。それが、施しを受けることになるとは、皮肉なものだ……。しかし、エネルギーが切れれば動くことも出来ないのだから、今は意地を張っている場合ではない。
サウンドウェーブは、そろりとそれを口にした。
――そうか、サイバトロンは人間共からエネルギーの提供を受けている。だから、捕虜に分け与える余裕もあるのか。
サイバトロンは、デストロンに地球のエネルギーを奪われたら敵わないことをよく知っている。だから地球から……人間共から、デストロンがエネルギーを奪うのを妨害しているに過ぎない。それを崇められ、英雄などと祭り上げられ、人間共からエネルギーをせしめるとは、図々しいにもほどがある。
……本来これは、デストロンの物だ。そして、あのテープ……“ウルトラサウンド”も、俺のものだ。
口内に広がる滋味とは裏腹に、憤ろしい気持ちでエネルゴンを嚥下する。
サイバトロン共も、人間共も、そして今のこの状況も、何もかもが忌々しく思えた。ガン、と音を立てて机に拳を振り下ろす。枷で制限された腕力では、この簡素な机を傷付けることすら出来ない。
……少し、落ち着こう。
テープを手に入れることも、抹消することもまだ叶っていないことによって、ほんの少し焦燥感を抱いているだけだ。脱出のための計画は進んでいる。問題ない。
サウンドウェーブは大きく排気して、自らに言い聞かせるよう思考する。
平素であれば、計画を始めてからこんな短期間で、これほどまでに苛つくようなことはない。捕虜になった事実が、想定以上の負荷になっているのか、それとも、例のテープがまだブレインに影響を及ぼしているのか……?
何にしても、今日は色々なことが起こりすぎた。ブレインへの負荷が高い。パフォーマンスを高めるためにも休まねば……。エネルゴンキューブをすっかり燃料タンクに収めるとスリープ台で横になり、速やかにスリープモードへ移行した。
――その夜、サウンドウェーブは夢を見た。
自分がどこに居て、何をしているのかも解らない。地に脚がついているのか、宙に浮いているのか、海に沈んでいるのか。目の前に何かあるのか、何もないのか。ずっと何かが聞こえているような、何も聞こえないような。何もかもが曖昧で、朧気だ。
しかしブレインと機体を蕩かすような熱と、胸が満たされて溢れるような多幸感だけは明瞭に存在し、自らを捕らえて離さない。そして自身もそこから逃れようとはせず、満たされているにも拘わらず、それを求める。
その状態を、ただただ受け入れている……。
その何とも不思議で不可解な、心地好い夢が終わると、そこには独房のような部屋の天井があった。
……ああ、そうだ。今の自分はサイバトロンの捕虜なのだ。
現実へ引き戻される。
スリープモード中は、ブレインの整理のため記憶回路からメモリーが再生されることがある。時には正確な記憶ではなく、複数のものが混ざり合ったり、見聞きしただけの話が自分の体験のように映像として出力されたり、自らが経験したことのないはずの、全く知らない光景が出力されることもある。
……だが、今のは何だ?
映像としてはひどく抽象的で、そこがどこなのか場所も解らなければ、他に誰かいるのか一機なのか、そもそも、それが自分なのかもよく解らない。しかしその熱と多幸感だけは妙にはっきりとして、スリープモードから醒めたあとも印象に強く残り、消える気配がない。
妙な心持ちだ……。
ただの夢のはずが、じんわりとブレインに残る余韻。
ジャガーを撫でている時のような、フレンジー達の何ということもない話を聞いている時のような、なにかもっと、別のもののような……。
どうせすぐにはここから出られないのだ。このまま暫くぼんやりとしていたい……柄にもなく怠惰な思考に飲み込まれそうになったサウンドウェーブは、頭を振って気を取り直す。そして機体を起こし、ルーティンとして行うべき情報収集を始めた。
聴音回路を集中させ、周囲の音を聞く。新しい情報は特にない。昨日と違うことがあるとすれば、火山に空いた洞穴を吹き抜ける風の音が、どこか物悲しく聞こえることくらいだ。
暫くすると足音が近付いてきた。これは、看護員の足音だ。どうやら今日は連れが居ないらしい。昨日、極めて協力的な態度を見せたからなのか、それとも。
今日も、看護員は気安く手を上げてこちらに挨拶をした。
「やあ、起きていたのか」
「ブロードキャスト ハ、ドウシタ」
「え? ああ、昨日は彼がここの鍵を持っていたから一緒に来たんだよ。今日は私だけ。彼に起こして貰いたかったのかい?」
「……違ウ」
「はは、そう。それで、その後調子はどう?」
「少シ、気分ガ不安定ダ」
「……そうか。昨日の実験で、どこかに影響が出ている可能性もある。早速診てみよう」
ラチェットは昨日のように診察道具を広げて、丁寧に機体を診る。
現在、デストロンに軍医は居ない。もちろん、リペア出来る者は居るが、しかしサウンドウェーブは、重篤な破損でなければ自身の手で修復することが多かった。他機の秘密を暴き、保有する者として、少しでも自分の情報を他機に知られないように。
よくリペアが必要になる、他に比べて脆いパーツがどこか。積み重なればそういった弱みも見えてくるからだ。
……それが、敵の看護員に対して毎日機体を診せることになるとは、奇妙なことだ。
「軽く診たところでは、異常はなさそうだがね……。念のため精密検査をしてみようか」
「……頼ム」
テープは惜しい。しかし、過去にみられないような感情の起伏、スリープモード中の不可解な夢、それに引きずられるようにして緩慢になる思考……。断定するには早いかもしれないが、ブレインに異常をきたしている可能性が高い。
したがって、協力する体でこのまま自らの機体を使って検証を続けさせるのはリスクが高すぎる。そして、何よりも脱出を優先させるべきだ。
「サウンドウェーブ、捕虜の君と私だけで移動することは出来ないんだ。少し待っていてくれ」
ラチェットは扉の外で、誰かに通信を繋いでいる。ホイルジャックか、パーセプターか、それとも、ブロードキャストか。
暫くの後に扉が開き、ラチェットがアイアンハイドを連れて入室してきた。枷をつけた捕虜を護送するのに、わざわざ警備員を呼んだのか。
サウンドウェーブの手枷にチェーンを繋ぎ、左右一本ずつをラチェットとアイアンハイドが持つ。これなら捕虜が暴れて一機が手一杯になっても、もう一機が取り押さえるなり助けを呼ぶなり出来る。サイバトロンは軍隊ではないぶん、こちらに抵抗された場合のリスクをそれなりに重く見ているようだ。
「悪いね。部屋を出る間は、これを着けさせてもらう決まりになっているんだ。さ、行こう」
「くれぐれも暴れるんじゃないぞ」
挟むように左右をラチェットとアイアンハイドに固められて、大人しく廊下を歩く。
聴音回路で得た情報の答え合わせといこう。
右隣に部屋はない。無音なのは突き当たりだったからだ。
左は、倉庫兼雑務を行う部屋といったところか。本来は独房の見張り番が待機するための部屋だったのかもしれない。扉は開け放たれており、中に明かりはついていないが、積まれた資料やコンソールが見える。頻繁な出入りは無いようだ。
向かいにも部屋があるが、あまり使用されないのか、すべての部屋に明かりがともっていない。
そして、廊下を進んでもすれ違う者が居ない。やはりここはあまり使用者の多い通路ではなさそうに見える。
……それにしても、サイバトロン基地の橙色の壁は妙に眩しく、落ち着かない。特に気に入っていた訳でも、気に入らない訳でもなかった海底基地……スペースクルーザーが、今はひどく恋しく思えた。
「さあ、着いたよ。横になってくれるかい?」
「……解ッタ」
リペアルームには仕切りがあり、その奥で他の機体がリペアを受けているようだった。未だリペアの終わっていない者がいたのか?それとも、新しく負傷した者か?予定では一週間ほど後まで、表立って実行可能な作戦はなかった。つまり、デストロンとの交戦はないはずだが……。
まあいい。とりあえずは看護員に診察をさせよう。サインさせられた念書には、こちらが協力する代わり、実験による健康被害のないよう尽力すると、向こうが記したのだ。変に手出しは出来ない。
素直にリペア台へ腰掛け、横になった。
「一度機体をスキャンするから、そのまま横になっていてくれ。眩しいかもしれないが、ちょっと我慢してくれよ」
スキャナーから青い光が照射される。
放っておいて悪化することがあれば、その方が大事であるのだから仕方がない。とはいえ、憂鬱だ。機体のスキャン……デストロンにおいて、非常時以外にこの様な事を許せるのは、レーザーウェーブなど極々少数の機体に限られている。それをサイバトロンにスキャンさせるなど、極めてよろしくない状況と言える。
「はい、スキャンは終わりだ。少し待っていてくれたまえ」
「ならその間、俺が話し相手になってやろうか、サウンドウェーブ」
「……看護員ト オ前ハ、色ハ異ナルガ ホボ同型ダッタナ」
「えっ⁉ あ、ああ、そうだが……」
冗談として話し相手になると言っただけで、サウンドウェーブが本当に話をするとは思っていなかったのだろう。アイアンハイドは驚いたようにオプティックを丸くして、口を開けた。
まだ、挑発をして騒ぎを起こす局面には来ていない。もしもコンドル達が潜入しているのなら、極力長く話し声を立てて存在を主張するべきだ。
本来、雑談というものは好きではないし、得手でもない。しかし、相手の情報は幾らか持っている。今回はその情報を組み合わせて、カセットロンへ発声回路の音を届ける為だけの、上っ面の会話を仕立てればいいだけだ。
「兄弟機ナノカ」
「いや、よく言われるが違う。……何だってそんな事を?」
「俺ニハ、兄弟機ハ居ナイ。兄弟機トハ ドノ様ナモノカ、気ニナッタダケダ」
「へえ、お前さんにもそんな感覚があるのか……。あっ、いや、これは失敬……」
アイアンハイドはばつの悪そうな顔をして、口元を押さえた。戦場であれほど啖呵を切る者も、相手がこうして会話の出来る機械生命体だと思うと、失言を謝罪する気にもなるのだろう。
ガタン、と仕切りの奥で物音がした。リペアルームの先客は、声を立てないので何者か解らない。発声回路でも切られているのだろうか……。そう考えるうちに、看護員が戻ってきた。
「待たせたね。サウンドウェーブ、君のブレインサーキットには、少し異常があるみたいだ」
「……テープノ影響カ」
「それについては、まだなんとも……。ブレインの一部が帯電している。でも、二、三日で自然に放電されるはずだよ、安心してくれ。ただ、暫く安静にする必要があるから……」
「実験中止、ト イウ事カ」
「そうなるね。君からの提案とはいえ、やはり実際にテープを流して検証するというのは、リスクがあった。すまない」
「……」
サウンドウェーブは、密やかに胸を撫で下ろした。
この問題により、テープの解析は一時中断されるかもしれない。テープの影響でないにしても、そう断定されるまでは今後サンプルは取れないのだから、完全に解析されるまでにはそれなりに時間がかかるはずだ。その上、昨日から己を振り回す不安定な感情の起伏も、放電すれば完治するようだ。とりあえずは、目下の問題に解決の目処がついた。ほんの少し気分が楽になる。
もしも、看護員と自分の立場が逆であったなら、記憶回路やメモリーチップに異常があるなどと言って情報を抜いていただろう。馬鹿正直にも程があるが、今はそれによって助かっているのもまた事実だ。
何にせよ、診察は終わった。また二機に挟まれて独房へ逆戻りだ。
「……俺ガ収監サレテイルノハ、角部屋ダッタノダナ」
「何か気に入らないかい? 残念ながら隔離部屋はあれくらいしかないんだよ」
「イイヤ。アノ部屋ハ、防音壁ダロウ。隣ニ有ル筈ノ、火山ノ音スラ聞コエナイ……余計ナ音ガシナイノハ、悪クナイ」
「はは、そんなこと言う奴は初めてだ」
「移動シテイル間、他ニ誰モ見テイナイ。何カ忙シイノカ」
「たまたまだろう。サイバトロン基地は広いから」
「毎日顔ヲ合ワセルノガ、オ前ト ブロードキャスト 位トハナ」
「もっと色んな奴に会いたいなら、司令官に尋問官を交代制に変えるよう希望を出してみたらどうだい。取り次いであげよう」
「……イヤ、喧シイノハ、困ル」
「そう? しかし君、意外とお喋りだね」
「ソウカ」
サウンドウェーブを部屋へ送り届けると、紅白の二機は去ってゆく。雑談というものの体をとる、というだけでも疲れるものだ。ようやく解放された思いで小さく排気して、簡素な椅子に腰掛ける。
……やれることは、やった。機を見て、これを可能な限り続ける。カセットロンが潜入していれば、全て伝わるはずだ。今日はもう、ブロードキャストの尋問が始まるまで情報収集に徹すればいい。
だが、次に通路を歩いてきた足音は、ブロードキャストのものではなかった。……看護員が言うように、通路で誰ともすれ違わなかったのは、本当にたまたまだったということか?
しかし鍵を開ける音とノックの後に、扉が開いた。
ラチェットと同じように手を上げて気さくに挨拶をするのは、サイバトロンの副官、マイスターだ。
「いやあ、挨拶が遅れたね。サイバトロン基地へようこそ……というのは、ちょっとおかしいかな?」
「……ブロードキャスト ハ、ドウシタ」
「彼は急な任務が入って来られないんだ。それにしても、開口一番他の機体の名前を出されるとはねえ。私じゃ、お相手として不足ってことかい?」
「奴ガ大人シイト、気味ガ悪イ。ソレダケダ」
「ははは、彼は賑やかだからねえ」
今日は、奴が看護員の診察に付き添わなかった。それだけでは確信が持てなかった。しかし尋問にすら来ないということは、ブロードキャストにもブレインの異常が起こっている可能性がある。
とすると、先程のリペアルームの先客は、ブロードキャストだったのかもしれない。ひとつも声を立てなかったのは、こちらに不調を知られたくなかったからか。
看護員もこいつも、ブロードキャストの不調を秘匿しているとしたら、それはなぜだ?
そもそも、奴は実戦で使用する前に、何度かテープを自分で再生して効果を確かめているはず。にもかかわらず、実験に同席した。退席するタイミングがなかった訳ではない。それでも同席を選んだ……。
奴はあのテープを使用することで、テープの再生後までブレインに異常をきたすのを知らなかったということか?
考えられる可能性としては、製作の段階で存在しなかった要素により、性質が大きく変化し、奴はそれを正しく理解出来ていないということだ。つまり、俺がテープを再生することで、その効果に予想以上の大きな変化が起こっているのかもしれない――とすると、機械生命体のブレインに強く影響を及ぼす催眠音波を作る鍵は、俺自身が持っている可能性が高い。
もしもそれが正しいのならば、あのテープに固執する必要はなくなる。ウルトラサウンドを機械生命体に効果が現れるよう作り直すことが出来るか否か、それだけが大きな問題だが、ブロードキャストに作り替えることが出来たのだ。基礎を作った俺自身に、それが出来ない道理はない。
何にせよ、当面はカセットロン達へ所在を伝えること……それだけに集中すればいい。
「それじゃ、ブロードキャストの代役をつとめさせて頂くよ。さて、ご満足頂けるかな?」
サウンドウェーブが考えを巡らせているその眼前で手前の椅子を引き、席についたマイスターは人好きのする顔をしていた。何を話そうか考えるように、ゆったりと肘をついて手を組む。そして始まった尋問のその柔らかい語り口は、サウンドウェーブの首を真綿で絞め上げるように少しずつ、蝕むように排気をつかえさせた。
……ブロードキャストの代役とは、ずいぶん控えめな自己評価だ。
思わぬ伏兵に、サウンドウェーブは小さく椅子を軋ませて姿勢を正す。
マイスターは柔和な雰囲気、気さくさ、それに懐っこさを持ちながら、その奥になにかぎらぎらと鋭いものを持っていた。何でもない雑談のようでいて、その中に緩急をつけて核心をつくような質問を突きつけてくる。ほんの小さなきっかけから、こちらの思考、感情、思想……、何らかの情報を得ようとしているのが解る。少しでもそれを洩らせば、そこから更に深みを探ろうとしてくるのだろう。こちらが逆に探ってやろうとすると、のらりくらりと交わし、こちらの質問の内容までもを自分の物として巧みに使い、情報を引き出そうとしてくるのだから、苦しいという一言で済むようなものではない時間だった。
――もう何アストロ秒経っただろう。サウンドウェーブはずいぶん長い時間、尋問が続いたように感じていた。しかし、それはマイスターの為せる技だろう。実際は、前日にブロードキャストと会話し、実験を行った時間とそう変わらなかった。
「……おっと、通信だ。残念ながら楽しいお喋りはそろそろ終わりのようだね。君の話は大変興味深かったよ。明日も私に尋問官の代役が回ってくると良いんだがねえ」
「……御免蒙ル」
「はは、嫌われてしまったかな? それじゃ、これでお暇するよ」
……尋問官から情報を引き出してやろうと考えていたが、マイスターが相手の時は、黙っている方が得策だろう。
デストロンの捕虜に対する尋問官は、基本的にサウンドウェーブが務める。それはブレインスキャンであったり、触れるだけで相手の頭脳にあるデータをダウンロードする能力があるからだ。
しかし、マイスターはそうではない。いたって普通の会話のようで巧妙に自らの欲しい情報へ誘導する話術であったり、その場の空気を操作するような手練手管を持っている。他機を懐柔する時のスタースクリームを、もっと懐こく、しかし丁寧で柔らかい雰囲気にしたような、そんな印象を受けた。
言葉選びが丁寧かつ慎重であり、語気の柔らかなそれは、表面上威圧を感じさせない。これでは、音声を繋ぎ合わせて会話を偽造し、脅迫されたなどと訴えることも難しい。しかし、追及自体は厳しいものだ。こちらの探られたくないところを、的確に探ってくる。問い掛けに反応すること自体が情報を与えることになるようなそれを、うまく捌いてこちらの武器に変えることは極めて困難といえる。
――つまるところ、非常に厄介な相手だということだ。
サイバトロンにしては賢明だ。捕虜のブレインに異常があると解った途端に、こんな相手を寄越すとは……。情報を引き出されないようにするだけで、手一杯だ。サウンドウェーブはマイスターが退室すると同時に、労るように頭部を擦った。
尋問の内容を踏まえて今後のことを思案する予定だったが、目新しい情報は、マイスターが想定より手強い相手だという事実だけだ。今日は早々にブレインを休ませるべきか……そう考えた瞬間、ふいに扉が開き、マイスターがひょいと顔を覗かせる。
「そうだ、言い忘れたんだけどねえ」
「……何ダ」
「この後ラチェットが来るそうだから、もう少し起きていてやってくれ。頼むよ」
「……ソウカ」
「確かに伝えたよ。それじゃあ、今度こそ失礼」
扉が閉まる。今度こそは鍵の掛かった音と離れてゆく足音をしっかりと確認した。普段からそうしているはずだが、先程はそれを怠っていたことに気付く。疲労とブレインの異常が重なり、注意力が散漫になっている……。ブレインの帯電を早々に解消する術はないのだろうか。有ったとして、こちらには伏せられているのかもしれない。ここは敵地なのだから。
明日、ブロードキャストが尋問に来た場合、安静にすること以外に帯電を解消する術がある可能性が見えてくる。むこうの出方次第で、こちらもまた動きを考えなければならない。……しかし、とりあえずはマイスターの顔を見ずに済めば良いということにしておこう。
サウンドウェーブはラチェットの訪問を待つ間、聴音回路を休ませた。少しでも早くブレインの帯電を解消させたい。普段より大きい感情の起伏がひどく煩わしく思えて、疲労を加速させているようだ……。
しかし、次に開いた扉から顔を覗かせたのは、ブロードキャストだった。
「……ラチェットに交代して貰ったんだ。おたくが調子悪いって聞いたから」
サウンドウェーブは、出端を挫かれたようで吃驚した。
ブレインに不調が現れているのではなかったのか?それとも、サイバトロンはすぐに放電する手立てがあることを伏せているのか?
ブロードキャストは同じ不調で臥せっている――もしもその前提が間違っていたのなら、催眠音波の完成の鍵は、自身の機体ではないのか? 未だテープは回収の対象ということか……? うまく回らないブレインが過熱してゆく。
「……別に変なことする気なんてない。今日のぶん、持ってきただけ」
「……」
ブロードキャストの手によって、机に小さなエネルゴンキューブが置かれた。
よりによって、こいつに施しを受けるとは……!
サウンドウェーブの機体を巡るオイルが煮える。
まだ、騒ぎを起こす段階には来ていない。そんなことは解っている。解っているはずだ……。
過熱したブレインは冷却水を流すことすらも忘れて、排熱をしようという素振りもみせない。放電するには、二、三日安静にする必要がある……リペアルームでのラチェットの顔が過ったが、発声回路は止まらない。
「捕虜ニ施シヲ シテ、満足シタカ」
「そ、そんなんじゃないってば……」
「俺ヲ憐レム事デ、優位性ヲ確認スル。貴様ハ、ソノ為ニ看護員ト交代シタ」
「ち、違う! 俺はただ……、傷付けただろうから、おたくの様子が気になってるだけで……」
「俺ヲ組ミ敷イテ接続スルノハ、サゾ気持チガ良カッタダロウ」
「……‼」
――腹を立たせて殴らせれば、明日もリペアルームへ行く算段がつく。これは計画の範囲外ではない。そう思い直した矢先、見開かれたブロードキャストのオプティックが明滅し、冷却水で滲んでいることに気付く。
……この程度の事で。
機体の奥で苛立ちが渦まいていた。ブレインを制御出来ず、発声回路から本心が出てしまったことは不覚だが、これは事実のはず。それの何が悲しいというのか。こんな腑抜けに自らの機体情報が使われている。その事実のほうが余程悲痛で腹立たしい。
「勝手ニ接続ヲシテ、勝手ニ傷付イタノハ貴様ノ方ダ。貴様如キニ、俺ヲ傷付ケル事ナド出来ナイ」
立ち上がり、ブロードキャストの胸ハッチを押しやり、扉の方へと突き飛ばしてやろうとする。枷に制限されたままで行われたそれは軽い音を立てるだけで、体勢を崩させることすらままならない。ブロードキャストは相変わらずオプティック明滅させて、何も言えず、何も出来ず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
それを見かねて、扉からラチェットが顔を出す。
「おふたりさん、ケンカは良くないな」
「……貴様モ居タノカ」
「盗み聞きになって悪いね。いま、君のブレインは調子が良くない……扉を少し開けて待機していたんだよ。さあ、診せてくれたまえ」
「“アレ”ガ同席スルノナラ、断ル」
「……やれやれ。ブロードキャスト、ホイルジャックの所へ行っててくれ」
「う、うん……」
ブロードキャストは、サウンドウェーブを盗み見て、ふらつくように扉から出ていく。目障りで仕方がなかった、チカチカと光る薄水色のオプティックが目の前から消えると、いくらか気分が楽になったような気がした。
「ほら、これで良いだろう? さ、名医の診断の時間だ」
「……」
「……本来なら、もう少し放電されているはずだがね。この様子だと、暫くはブロードキャストを尋問官から外したほうがいい。君も我々に分解修理されたくはないだろう?」
「……マイスター モ、外セ」
「はは、こってり絞られたと見えるな」
「ブレインノ放電ヲ、早メル事ハ出来ナイノカ」
「……サウンドウェーブ、君は今、君の想定以上のストレスにさらされている。敵の言うことを信じろと言っても難しいかもしれないが、今は安静にするのが一番の薬だよ」
「……」
「いい気持ちはしないかもしれないが、エネルゴンキューブを摂って、ゆっくり休んでくれ。私も、何か良い処置がないか探しておくから」
診察を受けるため、スリープ台に横になったままのサウンドウェーブ。その枕元へエネルゴンキューブを置き直して、ラチェットは困ったような微笑みで部屋を出て行った。頭部が妙に重く、視界がちらちらと揺れる。帯電するブレインから、パチパチと小さな火花が弾ける音が聞こえたような気がした。
……火花が弾ける?
サウンドウェーブは、ふいに気付きを得たような気がして、動きの鈍ったブレインをまた働かせ始める。
ブロードキャストの目障りなオプティックの明滅。今日まで対峙することは何度もあったが、あんな挙動は今までに見たことがない。ブレインの帯電で、オプティックの灯がちらついているとは考えられないか? そしてこちらが侮辱しようと意図した発言とはいえ、ブレインの不調があったために、あの程度のことにひどく動揺したのではないか?
今になってわざわざブロードキャストが現れたのは、不調を秘匿するため、あえて顔を出したとも考えられる。看護員が様子をうかがっていたのも、ブロードキャストの不調のサポートではないのか。そうだ、ホイルジャックの所へ行け、というのは、不調をホイルジャックに診せろ、という意味だとしたら。
……落ち着け。ブレインの不調は、やはりブロードキャストにも起こっている。
サウンドウェーブはゆっくりと半身を起こし、枕元に置かれたエネルゴンキューブを齧った。
不本意だが、ここを脱出するか、放電しきるまでは、あの看護員の言う通りにするしかない。
ブロードキャストに、接続で傷付いてなどいない、などと言うつもりはなかった。あれを言わなければ、奴のことをまだ利用出来たはずだった。ブレインが思うように動かないことの歯痒さに、天井を仰ぐ。
この帯電は、非常に厄介だ……。
ブロードキャスト・エレジー Part3
“勝手ニ接続ヲシテ、勝手ニ傷付イタノハ貴様ノ方ダ。貴様如キニ、俺ヲ傷付ケル事ナド出来ナイ”
リペアルームでホイルジャックの診断を受ける、ブロードキャスト。そのブレインの中では、先程聞いたばかりのサウンドウェーブの言葉が、ぐるぐるとリピートしていた。
……つまり、全然傷付いてないってこと? それじゃ、罪滅ぼしをしようなんて、意味なかったってこと?良かったけど……、なんにも良くない! なんにもだ‼
二日間、ずっと悩んできたことは何だったのだろう?
ブロードキャストはリペア台で横になったまま、胸ハッチの中でカセットテープを巻き込んで、ぐちゃぐちゃに絡まってしまった時のような気分でいる。それは、お気に入りのテープがもう聞けなくなってしまった悲しさと、ハッチの中にテープが絡まる気持ちの悪さと、テープを取り除く作業の面倒さが混ざりあったような、なんとも言えない憂鬱な気分だ。
心の傷になってなかったっていうのは、素直に良かったと思う。でも、それなら俺は、あいつに罪悪感をただ弄ばれただけってことじゃないか⁉
オプティックの間に皺をよせて、難しい顔をするブロードキャストのアイセンサーを確認するように、ホイルジャックが大きく手を振り、声をかける。
「……お~い、我輩の話を聞いとるかね?」
「えっ! ああ! ごめん! え~っと……、何だっけ?」
「無茶しないっちゅうから行かせたのに、ブレインはオーバーヒート寸前。これがどういう事か、お分かり?」
「……だってさぁ」
「だってもへったくれもないの。さっさと帰って休む! これが我輩じゃあなくラチェット君だったら、明日まで発声回路を切られたままでも、しゃーないとこだったよ?」
「うっ……、そんなに脅かすことないでしょお⁉」
「反省せえ、ちゅうこっちゃね」
「解ったったら……」
ブロードキャストは拗ねたように口を尖らせて、やれやれと排気するホイルジャックをじっと見た。
サウンドウェーブは接続のことを何とも思っていない。けれど自分はこんなにもブレインを悩ませている。そして司令官は、どう思うかはサウンドウェーブが判断することだという……。
だったら、ホイルジャックはどう思うのだろう? 勢いよくリペア台から機体を起こし、身を乗り出して問いかける。
「あのさ! 急に変なこと聞くけど、ホイルジャックは、せ、接続って……、どういうものだと思う?」
「接続ぅ? まあ~、えらく古いタイプの情報交換の方法ってとこかね。もう何百万年と接続で情報交換するようなとこは見てないがねえ」
「情報交換……」
「ああ、でも、情報交換の他にも使いみちが有るんだよ。しかし、君にはちょ~っと早いねぇ。もっと大人になってから、また聞きなさい」
「……もお! 俺は子供じゃないってば!」
……司令官、ホイルジャック達に、接続のことは言わなかったんだ。
ブロードキャストは、コンボイの言葉を改めて思い出す。人間のルールを全て自分に当てはめることはない。そう言われた時、ブロードキャストはコンボイに突き放されたような気がした。
いつも優しく、けれど間違ったことをすれば叱って道を正してくれる司令官。コンボイの元にさえ居れば、もしも、デストロンと同じ基盤の自らが間違いをおかしてしまった時には、きっと正してくれる。そうすれば善い機体として、ずっとサイバトロンに居られる。そう思っていた。
けれど、間違いをおかしたはずなのに、司令官は強く叱らなかった。自分はもう、道を正すことすらして貰えなくなったのではないか。そんな不安を抱いていた。
しかし、そうではない。コンボイ達の若い時代か、それよりも遥か昔には、接続で情報交換をすることがあった。その方法が廃れてしまった後に生まれ、人間の文化に強く影響されたブロードキャストとは、接続という行為の捉え方が、根底から違うのだ。
自分が受けたことをどう感じて、どうするべきか決めるのはサウンドウェーブだと、コンボイは言った。無理矢理接続するのは良くない事だという、自分の気持ちは変わらない。けれど、サウンドウェーブはブロードキャストよりもずっと昔の生まれであって、コンボイ達のように、接続というものをただの情報交換の手段の一種と捉えているのかもしれない。
……ああ、そうか、そういうことだったのか。
オプティックにまた冷却水が滲んだ。
ブロードキャストはこの二日間を、永い時間のように感じていた。
罪の意識に絡め取られ自責を繰り返す度、サウンドウェーブは、敵のテープの解析に協力するほどに傷付き、追い詰められているのではないか。そんな状態で捕虜として勾留すべきではないのではないか。サウンドウェーブを逃がすべきなのだろうかと、そう思い悩んだ。
ブレインの帯電により、それは一層酷くなった。何もかもが不安で仕方がない。
今思えば、サウンドウェーブにテープを再生させた時から、帯電はもう始まっていたのかもしれない。
リペアルームでホイルジャックの診察を受けた時、仕切りの向こうでラチェットがサウンドウェーブの診察を始めた事が解って、排気をひそめた。テープの実験のあと、サウンドウェーブにも帯電の症状が現れたと知って、目の前が真っ暗になるようだった。自分のせいだと更に自責が強まって、止まることを知らない。
そんな中でサウンドウェーブの発声回路から“兄弟機は居ない”と発せられた時、なぜだかひどい喪失感を覚えた。胸ハッチを開け放ったままで二度と閉められなくなったような。今までそこに有ったものが突然無くなってしまったかのような……、スカスカとして落ち着かない気持ち。
――あれだけ嫌で、ずっと消したいと思っていたはずのことを、どうして。
ラチェットに頼み込んでまで、サウンドウェーブへエネルゴンキューブの差し入れに行ったことを、自分でも不思議に思っていた。
きっと、どうしてそう感じたのかを知りたかったからだ。
“勝手ニ接続ヲシテ、勝手ニ傷付イタノハ貴様ノ方ダ。貴様如キニ、俺ヲ傷付ケル事ナド出来ナイ”
サウンドウェーブの腕が、拒絶するように胸ハッチを押した瞬間。自分とは何もかもが違うのだと、改めて突き付けられたような気がした。
自分の知る限り、世界にただ二機だけのサウンドシステム。
心のどこかでサウンドウェーブのことを、“デストロンに居る自分”のように捉えていたのかもしれない。
ブロードキャストは、サウンドウェーブではない。
サウンドウェーブも、ブロードキャストではない。
ただそれだけのことが、ずっとそうであった筈のことが、ようやく解ったような気がした。
機体情報が、基板がデストロンの機体と同じだからといって、自分はデストロンではない。……サウンドウェーブもきっと、サイバトロンに鞍替えすることはないのだろう。
デストロンの情報参謀の機体情報から造られたことに、サイバトロンの面々が触れないのは、それに触れることが禁忌だからではない。ただ単に彼を、ブロードキャストという一機の機械生命体として見ていただけだったのだ。
それに気が付いていない訳ではなかった。ただ、自分が負い目を感じて、斜に構えて見ていただけだ。
サイバトロンの皆は、ずっとずっと家族のように暖かだった。
……ここ数日、オプティックが湿って仕方ない。こんなの、柄じゃないのにな。ブロードキャストは、頬を濡らす冷却水を指で拭う。
「お、おいおい、泣くこたぁないんじゃないの……? 子供扱いされるのが、そんなに悲しかったのかね?」
「……ううん。俺っち、やっと調子が出てきたかもしんない!」
「よっしゃ。そんなら早く寝て、帯電を治さにゃいかんね」
「了解っ!」
ホイルジャックに敬礼をしてみせて、自室へ戻る。ブロードキャストのアイセンサーには、いつもの廊下のオレンジが鮮やかに輝いて見えた。
――その夜、ブロードキャストは夢を見た。
ここがどこなのか、寸前まで何をしていたのかも解らない。それどころか、相手の姿さえ解らないが、目の前に居るのは大好きで堪らない自分のパートナーだ。
ブロードキャストはパートナーへ思い付くかぎりの愛を囁き、とびきり優しく触れる。抱擁も、口付けも、相手を傷付けないように、けれど情熱的にして、甘い甘い時を過ごす。初めてだから、ぎこちないかもしれないけれど、精一杯自分の愛情が伝わるようにしたい。
そうして、ずっと理想として思い描いていたような接続を果たす、幸せな夢……。
スリープモードが終わり、自分の部屋の天井を見て意識が現実に戻ると、ブロードキャストは顔をしかめた。
「……最ッ悪なんですけどぉ‼」
蕩けるように幸せで、心が満たされるような夢だった。しかし、起きて冷静になってみれば、それは、叶わなかった自分の願望を映し出したものだと感じた。現実の自分が唯一接続をしたのは、あのサウンドウェーブなのだから。
接続のことを覚えてはいないが、あの状況に、相手が相手だ。理想とは程遠かっただろう。
……初めての接続は、今日の夢みたいに、大好きで可愛くって素敵なパートナーに最高の一夜を捧げるつもりだったのに! それをあんな、あんな奴に‼
サウンドウェーブが接続を歯牙にもかけていないことが解ると、ふつふつと怒りが沸いてきた。完全な逆恨みであることは解っている。しかし、向こうが気にしていないのであれば、こっちもどう思おうと勝手で、開き直ったって良いはずだ。ブロードキャストは心の中で、サウンドウェーブにこの二日間の鬱憤をぶつけた。
けれども、昨日に比べてブレインはずいぶんと楽になって、すっかり具合が良くなった気がする。ラチェットはサウンドウェーブの診察に行っているはずだ。ホイルジャックに診て貰おう。ブロードキャストは先ほどまでの怒りも忘れたように足取りが軽くなって、踊るように部屋を出た。
バンブル、ゴング、トラックス。途中出会った面々に、今日はえらく元気だね、また騒がしくなるな、昨日とは別人みたいだ、などと茶化されながら廊下を進む。皆におはようと挨拶するだけのことが、こんなに楽しかっただろうか。
ぴょんと跳ねるように足を踏み入れたリペアルームに居たのは、パーセプターだった。
「おや、ブロードキャスト。珍しく早いじゃないか」
「あれ? ホイルジャックは?」
「ダイノボット達と出掛けたよ。以前から、遊んであげる約束をしてたみたいだね」
「じゃあさ、代わりに俺っちの診察してくんない?」
「ああ、良いよ。例の件の経過観察だね」
リペア台に横になると、パーセプターはブロードキャストをスキャナーにかけた。昨日のスキャン結果と今日の結果とを、念入りに見比べている。そして、ようやく上げた顔は穏やかで、ブロードキャストはそれだけで安堵した。
「これはだいぶ良い結果だと言えるね。大人しくしていれば、明日には放電が終わるだろう」
「ホント⁉」
「……いいかね。大人しくしていれば、だよ」
「はいはい、了解しましたっ!」
「元気になるのは良いことだけれどね。司令官にも無茶をするなと言われたんじゃあなかったのかね?」
「あは、病み上がりなんだしさ、そう痛いとこ突かないでちょうだいよ」
「それは、ちゃあんと病み上がりになってから言うことだよ。君はまだ完治していないんだ。安静にしていなさい」
「はぁ~い……」
ブロードキャストは肩をすくめてみせた。
以前ならサウンドウェーブをからかいにでも行っていたかもしれない。しかし、司令官に無茶をしないと誓ったのだから……少なくとも、忘れるまでは約束を守るべきだ。
それよりも、今は久々に音楽が聞きたい。ブロードキャストは胸ハッチをポンと叩く。なんといってもこの二日間のうちに聞いた音楽は、例のテープだけなのだ。気分がノって興奮すると、ブレインに良くないかもしれない。心が落ち着きそうな曲にしよう。自身のメモリーバンクへ記録した曲の中から、該当する曲を探ってゆく。前奏を再生して吟味するのも、ずいぶん久しぶりのように思える。次から次へ、世界中の色々な曲の前奏を聞く。そのうちに一曲、今の聴音回路に馴染むような音を見つける。
……バイオリンの音が綺麗な曲だ。普段はあまり聴かない、クラシック。これにしよう。
リペアルームから出ると、再生ボタンを押下して控えめな音量でクラシックを流す。司令官に音量に気を付けろとは言われたけど、流しちゃダメとは言われてない。それに、今は街の復興のためにほとんどの仲間が出かけている。基地に残った皆も多少賑やかにしたほうが気持ちも明るくなるはずだ…….。ブロードキャストは屁理屈をこねる算段をつけながら、廊下を歩いた。オプティックを伏せて、バイオリンの音色を聴く。
ああ、やっぱり地球の音楽が大好きだ。
基地の奥から歩いてくる足音にアイセンサーをやると、ラチェットとアイアンハイドに連れられて、サウンドウェーブが歩いている。まだ調子が悪いのか、リペアルームへ行くのだろう。
気のせいかもしれない。けれど、サウンドウェーブはほんの少し立ち止まり、クラシックに聞き入ったように見えた。
……あいつも、音楽聴いたりするのかな。
――同じ基板の機体だから、色んな事が解るような気がしていた。だからこそ、サウンドウェーブのことが嫌でたまらなかった。だけど、ホントは今までろくに話し合うことなんてなかったサウンドウェーブのことを、俺は何も知らないんだ。
この帯電が落ち着いたら、少し話してみても良いのかもしれない。……あくまで、尋問の一環としてだけど。
廊下を歩きながら、ブロードキャストが再びバイオリンの音色に浸ろうとした瞬間、胸の通信装置が鳴り、バチ、と音を立てて再生ボタンが元の位置へ戻る。もう少し聞いていたかったと名残惜しく思いながら、ブロードキャストは通信に応じた。
「はいはい、こちらブロードキャスト」
『ブロードキャスト、こちらアラート。聞こえるか?』
基地内を防衛しているはずのアラートからの通信だ。何かあったんだろうか。疑問に思いながら会話を続ける。
「アラート? あれ? 基地に居るんじゃなかったっけ?」
『基地内部への通信の確認だよ。現在、テレトランワンを始め、サイバトロン基地全体が通信妨害を受けている。外部への送受信の全てを遮断されている状態なんだ。お前のほうでも司令官達に連絡を取ってみてくれ』
「了解! それで、他に被害は?」
『通信妨害のほかは、確認出来ない。だが、これがデストロンの仕業なら、この後に何が起こってもおかしくない』
「オーケー、オーケー! 任せてちょうだい!」
司令官に副官、アダムスにパワーグライド、それにシースプレー、ホイルジャック……今日外出すると聞いていた面々に信号を送ってみるが、やはり通信は阻害されている。原因を調べている最中のアラートに、こちらも外部への連絡が不可能なことをひとまず報告しておく。
サイバトロン基地が通信妨害を受けているなら、外に出れば繋がるのだろうか。しかし一機で外に出るのは危険かもしれない。ひとまずパーセプターに相談しよう、リペアルームに向かう。
リペアルームを思い浮かべたその時、サウンドウェーブの姿がブレインを過った。通信妨害が起こる前、リペアルームに向かっていたが、その後は?
何だか嫌な予感がして、慌てて廊下を走り出す。
「パーセプター‼」
「ああ、ブロードキャスト、どうしたんだい?」
リペアルームに居たパーセプターは、不思議そうな顔で返事をして、ゆったりと椅子に座ったままだ。荒らされた様子どころか、診察を受けるサウンドウェーブの姿も既にない。
なんだ、なんともないじゃないか……。心配性のアラートと話したから、伝染ったのかな。そう思いながら、予想とは全く違う平和な様子に、ブロードキャストは頬を掻いた。
「え~っと、そうだ! あいつ……、サウンドウェーブは?」
「さっき部屋へ帰ったけど、放電がうまくいっていないようだね。今日は尋問も止めにして、部屋で安静にするようにと言われていたよ。……ブロードキャスト、君もだ。安静にしなさいと言ったろう?」
「あは、そういや、そうだったっけ。それはそうと、今、基地が通信妨害を受けてて大変なんだよ! デストロンが何か企んでるのかもしれない」
「ええ⁉」
パーセプターにアラートからの通信のことを伝えると、彼は神妙な顔つきで顎を擦る。
「……ふむ、このタイミングでデストロンが動いたということは、何らかの方法でサウンドウェーブを取り返しに来ると考えるのが妥当かもしれないね」
「そうだ、ラチェットとアイアンハイドが部屋に送り届けたら、その後はサウンドウェーブ一機だけ……誰かが見張ってなきゃ!」
「しかし、デストロンにはサウンドウェーブがどこに収監されているかは解らないはずだ。騒ぎを起こしてサウンドウェーブの警備を強化させ、場所を特定するのが狙いだとしたら……」
「でも、もしもそうじゃなかったら、みすみす見逃すってことでしょ⁉」
「ああっ⁉ 待つんだ、ブロードキャスト‼」
ブロードキャストは、サウンドウェーブの収監される隔離部屋へ駆け出していた。もしも自分のせいで敵にサウンドウェーブの部屋がバレてしまったら……?それを考えている暇があったら、今すぐ行動に移した方がいいに決まってる!
たどり着いた隔離部屋の鍵を開けようとした瞬間、轟音と共に、サイバトロン基地が揺れた。爆発の衝撃とは違う。火山が働きだしたのでもない。
「うわっ! じ、地震……⁉」
いや、これは……、フレンジーのハンマーアームだ!
慌てて隔離部屋の扉を開くと、壁には大穴が空いていた。コンドルの射撃が枷を焼き、サウンドウェーブが自由になった手首を擦る。悠々と振り向いて、紅いオプティックの灯を揺らめかせるその姿は、ここ数日見ていた機体と全く違って見えた。
接続の罪悪感。ブレインの不調。手足に嵌められた枷。それらによって、まるで無力な普通の機械生命体のように捉えていた。しかし、彼はデストロンの情報参謀、サウンドウェーブなのだ。
ひりついた空気が流れる中、ブロードキャストはサウンドウェーブの傍に控えたカセットロン達を見て、狼狽した。
「何でこの部屋が解ったんだ⁉」
「サイバトロンノ事ハ、コチラニ筒抜ケダ」
「くっ……、アラート! サウンドウェーブが脱走する! 隔離部屋へ応援を‼」
「……モウ遅スギル」
サウンドウェーブが腕を上げると、それに呼応してバズソーが飛び立つ。その間にもジャガーは体勢を低くし、コンドルは旋回してこちらを警戒していた。ブロードキャストはエレクトロスクランブラーガンを構えるものの、カセットロン部隊が全員揃っていては多勢に無勢だ。どうにか皆が到着するまで時間を稼がないと……。
「この……っ、面汚し! 尻尾を巻いて逃げる気か⁉」
「威勢ノ良イ事ダ。俺ニ“罪滅ボシ”ヲ スルノデハ無カッタノカ? ハハハ……!」
「待てっ‼」
サウンドウェーブがトランスフォームする。それをバズソーがキャッチして、カセットロン達は退いてゆく。逃がすまいと撃つブロードキャストの銃撃はむなしく空を切った。去り際に放たれたランブルとフレンジーの射撃には身を隠すしかなく、ブロードキャストの足では追跡も叶わないことは、とうに解りきっている。
こんなチャンスはもう無いかもしれなかったのに……! ブロードキャストは行き場のない憤りで、崩れた壁へ拳をぶつけた。
そこへ一拍置いて駆けつけたパーセプター、ホイスト達が飛び込んできた。
「うわっ、壁が壊されてる! サウンドウェーブは⁉」
「……逃げられた」
「まあ……、そう落ち込むなよ。誰も怪我しなくて良かった。壁もまた直せばいいさ」
宥めるようにホイストが手を置いた先、ブロードキャストの肩はわななき、心火が燃えている。
立ち止まり、クラシックに聴音回路を傾けたサウンドウェーブ。あの時、あいつも音楽が好きだったなら……副官が言っていたみたいに、いつかは解り合える日が来るのかもしれないと思った。いつか平和な世界になったなら、同じ曲を聞いて語り合うことが出来るのかもしれないと。
だけど本当は、どうにかしてカセットロンと連絡でも取ってたっての? 音楽なんて、ひとつも聴いてなかったってこと⁉
「……やっぱり俺、あいつのことなんか大ッ嫌いだ‼」
――数日ぶりの海底基地。報告を終えたサウンドウェーブは、スリープ台で横になっていた。
“よくやった、サウンドウェーブ”
メガトロンは、機械生命体に有効な催眠音波の開発の糸口を掴んだ――と、予想されるだけであり、未だ確定はしていない、というところまで報告した――ことをたいそう喜んで、サウンドウェーブに静養を命じた。やらねばならない仕事は他にもあるが、ブレインの放電……ひとまずはそれが急務ということだ。
そして帯電が解消すれば、サウンドウェーブもまた、カセットロン達に労いの言葉をかけてやろうと考えていた。
今回、潜入して秘密裏に連絡を取ることも、基地の通信妨害も、壁の破壊も、すべてカセットロン達が行ったのだ。サイバトロンの諜報の際、万が一にもサウンドウェーブが捕らえられてしまった場合のため、ある程度まで備えは出来ていた。そして、作戦も立ててはあったが……、これほど上出来に終わるとは。
サウンドウェーブは、数日ぶんの疲れを吐き出すように深く排気した。
スペースクルーザーが我が家のように懐かしく感じる。元の環境に戻ることで、放電も順調に進むだろう。もう、激しい感情の起伏に煩わされることもなくなると思うと、解放された気持ちでいっぱいだ。
――サイバトロン基地でラチェットに不調を訴え、リペアルームへ向かう途中。雑談に見せかけた連絡をしっかりと受け取っていたコンドルが、陰からこちらへ頷くのが見えた。部屋の場所を特定し、壁を壊す算段がついた……作戦決行の合図だ。
了解の意思を伝えるため立ち止まったその時に、廊下で流れていた美しい音色。あれがまだ、不思議とブレインに残っている。
サウンドウェーブは、それよりももっと好ましく、美しい音色を知っている。……しかしあの時の、聴音回路に馴染むようなあの音は、なぜだかとても心休まるような気がした。
「……少シ、休ム」
スリープ台の横で、じっと様子をうかがうジャガーをひと撫でする。サイバトロンに囚われていたのはたったの二日だったが、こうした時間もずいぶん久しぶりのような気がした。
……そういえば、サイバトロン基地で見た、あの夢は一体何だったのだろう。すべてが曖昧で、しかし心地の良い夢。
ただ記憶回路の整理として起こる現象に意味を見出そうなど、普段は考えもしない。こんな戯言を考えるのも、ブレインの不調ゆえだろうか。
サウンドウェーブは記憶回路に残ったままの、ブレインを抱擁するような音色の中でスリープモードに移行した。
――サウンドウェーブがテープを再生する際に発揮された、音色の正体。それは、サウンドシステムのブレインをショートさせて正気を失わせ、欲望や感情、感覚を増幅させるものだった。
ベクターシグマに与えられた、存在の根幹。決定的に異なるその要素が、流れるテープの音色を変えた。
ウルトラサウンドの効果がどう変化したか、それ自体に意味はないのかもしれない。
しかしそれは、ブロードキャストとサウンドウェーブ、同じ機体情報で構成される二機に差異があることを証明するものであった。
ブロードキャストは、パートナーとの接続に憧れていた。けれども、目の前に居たサウンドウェーブに若い滾りをぶつけたというにしては、彼の行為はきわめて丁重で、慈しみ、愛する者への愛撫や、嬉戯のようだった。
サウンドウェーブに対してそれを行ったのは、接続をするのならそうしなければならないという、彼の主義と理想が無意識の行動として再生された、ただそれだけのことだったのかもしれない。
しかしそれは、サウンドウェーブを強く肯定した。何かを為す事で存在を認められてきたその機体は初めて、何も為さずともその存在を肯定され、生を受けてから初めて、一心に愛を囁かれた。
決してそれを欲していた訳ではない。彼は自らが何かを為して肯定されることで、十分に満たされていた。けれども、ただ存在を認められ、愛によって求められることの喜悦と幸甚を、そこで初めて知ったのだ。
ブロードキャストと、サウンドウェーブの接続。その間にあったものは、結局のところお互いに欲を満たすだけのものだったのかもしれない。しかし、お互いを知覚しないその瞬間だけ、二機の間には何らかの愛情が存在した。
長い長い戦いの末、いつか両軍の間に平和が築かれたとしても、二機が過去の接続の記憶を鮮明に思い出すことはないだろう。
しかし本当に平和が訪れたとしたら、この二機の間に新しく何かが生まれることがあるのかもしれない。
Fine.