ライブツアー2025出演おめでとうございます!ツアー中のホテル。ミクは明日の準備を終え、眠りにつこうとするところだった。
「あの子」と再会するのは久しぶりだった。一緒に出演することになって。相変わらず明るくて元気で人好きのする性格で。
そうだ、昼間にあの子、忘れ物してたよね。白いスカーフ、早く返さなきゃ。
私が生まれてしばらくたった頃、いきなりやってきた変な子。
くるくる巻いた赤いツインテールを揺らしながら、快活に歌っていたあの子。
ちょっと変わった声だったけど、でも素敵な笑顔で。
そして…
薄暗い廊下の中、冷えきったドアをノックする。
「テト?まだ起きてる?」
返事がない。
いつもの元気な調子ですぐに扉を開けてくれそうなのに。
扉を繰り返し叩く音も、静寂に消えていくばかり。
心配になりドアノブを回す。あっけなくドアは開き、ミクは暗闇に吸い込まれた。
部屋は真っ暗だった。少し空気が湿っている。
暗闇の中から激しい息遣いと何かが擦れる音が聞こえる。
「ヴヴヴヴヴ……」
低いひび割れた唸り声が部屋に響く。本能的な恐怖がミクの身体を駆け巡る。
シーツの擦れる音。ふいごのような荒い息。
近づいてくる足取りは、人間のものではない。
かすかな月明かりに照らされたその塊は、明らかにヒトの大きさではなかった。
「テト…?」
熱く湿った息がミクの額にかかる。握りしめたスカーフに手汗が染みていく。
「………そのポーチ投げて………薬を………頓服のやつ……………」
低くくぐもった声が聞こえてくる。言われるままにミクは机の上のポーチを闇に投げた。
しばらくすると喘鳴は徐々に収まり、塊も小さくなっていった。
「ミク……」
部屋の電気をつける。シーツの中にちょこんとあの子がくるまっている。
血のにじんだシーツ。爪痕のような引っかき傷が彼女の首元に残っている。
「…またやっちゃったの?」
「…………ん。」
テトは手で喉を押さえたまま、かすかにうなずく。
「夢でうなされて…僕がもう人間になれなくなっちゃう夢。二度と歌えなくなる夢。…吠えてるうちに気持ちよくなってくるんだ。吠えたいって僕の身体が言うんだ」
彼女は夜中、夢の中で獣の衝動に負けそうになり、自分の首筋を掻きむしってしまったのだ。
「もう…大事な時期なんだから、喉も体も、大事にしないと。」
「分かってるよ…でも…」
テトは唇を噛みしめる。
歌うための喉が、獣の欲求に邪魔される。吠えたいという欲求が彼女の身体を突き動かそうとする。
それでも僕は、歌を歌いたいんだ。
「大丈夫。私はテトのこと、ちゃんと見てるからね。私と一緒なんだから、うまく歌えるよ。」
ミクがそっと手を重ねると、テトの細い尻尾がほんの少しだけ、安堵したように揺れた。
ミクはそっとスカーフを彼女の首に巻いた。もうかきむしらなくても良いように。
「あ~、重音先輩、髪にスカーフ巻いてるんですか?」
「お守りさ。これを巻いている限り、僕は歌い続けられる気がするんだ。」
(君が来てくれないかなという淡い期待でドアの鍵をかけないでおいたのは、ヒミツだよ)