seisワンドロ「添い寝」「じゃ、そういうことだから」
そんな簡素な言葉と共に、チーフマネージャーは潔たち二人に清々しいほどまでの笑顔を向け、ルームキーカードを渡してきた。
潔は呆然として立ち尽くすしかない。そんな潔の意識を呼び覚ますように「おい」と後ろから声をかけられる。振り向けば、動揺した様子もないもう一人は平然とした顔で「何突っ立てんだ。行くぞ」とだけ言って、スタスタと歩いていく。そんな後ろ姿を眺めながら潔は頭を抱えたくなる。
(どうしてこうなった……!)
♦︎
今日、潔の所属するサッカークラブは、試合のため遠征していた。その遠征先の宿泊施設に到着した途端、急遽チーフマネージャーからとんでもないことを言われた。
「いや〜、こちらの手違いでダブルベッドの部屋一部屋予約しちゃってね。まぁ君ら同じ日本人だし、仲良いし、一緒でいいよね?」
「は?」
さも当然と言うようにそう告げられ、謝罪もそこそこにそんな説明をされた。潔は思わず固まる。
潔と同じ日本人──というのは、同じサッカークラブに所属する、糸師冴のことだ。なんの因果か、潔が移籍しようと決めた先のサッカークラブに同時期に移籍してきたのが冴だった。
正直潔は冴のことが苦手だった。サッカーに関しては尊敬できるところはあるが、弟の凛よりもその言葉の刃は鋭利で、凍てつくような冷ややかな言葉も平気で浴びせてくる。糸師凛を形成させた元祖と呼ばれても納得してしまうほどの、超ドライ人間。まさにそんな感じだ。
潔は基本的にサッカー以外は平穏を望む。フィールドを出れば──特に、気を休める時なんかはどちらかというとかつてのチームメイト、氷織のような穏やかな感じの人間と共に過ごしたいと思う。それが──
(なんでこんなことに……)
潔は目の前でドサっと荷物を備え付けられた机に置く冴の姿を見ながら、心の中で肩を落とす。〝仲がいい〟なんてチーフマネージャーは言ったが、正直どこがと聞きたかった。サッカー以外で冴と関わることはほとんどない。冴自身、口数はあんまり多い方じゃなく、話す時も潔の方から投げかけることが多く、それに一言二言で冴が答えるという場合が多い。つまり会話らしい会話が続かない。
冴はあまり人と深く関わる気がないのか、潔以外とも基本こんな感じで、飲み会に参加することも少なく、誰かと話す姿も潔の知る限り自分以外だとあまり見ない。
(……まぁそういう点で言えば、仲は……いいのか……?)
〝仲がいい〟とされる基準がよくわからず、頭を捻っていれば、冴の視線が刺さる。
「…………」
「え、な、何……」
「風呂」
「え」
「俺が先に入る」
「あ、ど、どぞ……」
潔はそそくさと浴室近くのドアから離れる。すると冴はスタスタとタオルと下着、洗顔等を持って浴室へと消える。潔はそれを見送り、冴がいなくなった後、大きくため息をついてベッドに座り込む。
(……これ、寝れるのか……?)
こんな緊張感のある部屋で寝れる気なんてしない。しかもダブルベッド。一緒に大の男二人が寝ろっていうのか。どうかしてる。
潔はウウンと考える。
チーフマネージャーからは他に空き部屋はないとのことだったが、正直他のチームメイトに掛け合えばなんとか違う部屋に泊まれないかと考える。狭いとは思うが、正直床でもなんでもいい。この部屋で寝るよりはマシだ。
(何より……冴自身、本当は嫌なんじゃないかな)
冴は潔癖の気があると潔は勝手に思っている。というより、自身のパーソナルスペースに他人が入ることを嫌っているのだと感じていた。だからこそ、チーフマネージャーに同室だと言われた時にもっと冴の方が拒否してくると思っていたのに、こんなにもすんなり了承したことに潔は驚いた。さすがの冴も長旅で疲れたのか、変に言い合いするよりも、さっさと身体を休ませたかったのかもしれない。
そんなことをぼんやりと考えているうちに、ガチャリと浴室のドアが開いて冴が出てくる。潔は「あ……」と口を開いた。
「なんだ」
「あ、いやえっと……」
何か言いたげな潔をじっと冴は待つ。そんな冴に視線を逸らしたまま、潔は自身の荷物を握って立ち上がる。
「お、俺さ、他の奴らの部屋行くよ。冴も疲れてると思うし、俺と一緒って嫌だろ? しかもダブルベッドだし……せっかくだから広々としたベッドで寝たいかなと思うし……」
口を回して思いつく限りの言葉を出す。冴は特に何も言わない。言葉が途切れ、気まずくなり、潔は「じゃ、じゃあ……」と部屋を出ようとした。が──
グイッと思いっきり、鞄を掴まれる。え、と思い、振り返れば、冴の翡翠色の目が潔を捕える。
「……言いたいことはそれだけか?」
「へ……」
「結局、テメェが俺と一緒にいたくないだけの御託を並べてるようにしか聞こえなかったが」
「えっ、そ、そんなつもりじゃ……」
潔は言って、続けようとした言葉を飲み込む。いや確かにそうだ。自分が結局ただ単に冴との同室を嫌がってるようにしか聞こえなかった。むしろ、勝手なイメージで冴を理由にしてしまっていただけなのは否定できない。
「……ごめん、確かに今のは感じ悪かった」
潔は素直に謝る。
「でも、冴が嫌かなって思ったのは本当。冴って他人と同じ部屋とかあまり好きそうじゃないし、文句言いたかったのに言えなかったってことなら俺──」
「嫌じゃない」
「え」
潔の言葉を遮るように冴は言うと「こう言えば満足か?」と潔を見据える。
「俺は別にお前と二人部屋は嫌じゃない。それが気がかりだったならもうこれで問題は解決しただろ。くだんねぇこと考えてないでさっさとお前も風呂に入れ」
冴は潔の荷物から手を引き、風呂へと促す。
潔は唖然としながらも「あ、う、うん……」となんとか答え、洗面用具を持って浴室へと入る。
シャワーに当たりながら、潔は冴の事を考える。
(二人部屋は嫌じゃないって……本当に勝手なイメージだっただけで、冴って意外とフレンドリー?)
そう考えるが、フレンドリーという言葉と冴が釣り合わなすぎて「いやないか……」とすぐさま否定する。きっとごちゃごちゃ考える潔が煩わしかったのだろう。そう考え、まぁ冴がいいならいいかと潔もそれ以上深く考えないようにした。
(……とは言ったものの……)
風呂から上がり、潔は改めてダブルベッドを見つめ思う。
一つのベッドに男二人で寝る。字面的にもむさ苦しすぎる。
冴はもう既にベッドに入っており、ちゃんと潔も入れるように一人分のスペースを隣に空けている。潔はぎこちない動きで洗面用具を片付けながら、そろりとベッドの方を見る。すると冴と目があった。潔が何か言おうとする前に冴が口を開く。
「俺は寝る」
「え……」
「聞こえてねぇのか? 俺は寝るっつてんだ」
「……あっ」
潔はハッとなって気づく。冴の言葉の意味は、恐らく〝お前も寝ろ〟ということだろう。適応能力というのはこういうことにも発揮されるのか、冴とチームメイトとして過ごすうちに大体潔は冴の言葉の裏を読めるようになってきていた。
潔は慌てて鞄に洗面用具を押し込んで、ベッドに近づく。一瞬躊躇うが「し、失礼します……」なんて律儀に言って、ベッドに入る。冴はそれを確認するとすぐに電気を消した。
もぞもぞと動きながらベッドに入る。隣にはすぐ冴の気配。無意識に潔の身体は強張る。
「……おい」
「は、はい!?」
冴に不意に声をかけられ、声がひっくり返る。冴はそれを気にせず潔を一瞥した。
「そんな端にいたら落ちるぞ。もっと寄れ」
「え、いやでも……」
「落ちてどこか痛める気か? 明日の試合、使い物にならねぇ身体になりたいってことなら好きにすればいいがな」
吐き捨てるような刺々しい言葉に潔はぐっと口を噤む。そうして無言でゆっくりと隣の冴との距離を縮めた。
「…………」
「…………」
長い静寂が訪れる。静かすぎて、居た堪れない。呼吸の仕方さえも忘れてしまいそうなくらいだ。潔はチラリと冴を見る。冴はもう目を瞑っていた。
(寝た……のかな……?)
潔は冴を起こさないようゆっくりと身体の向きを変える。横向きになり、冴の顔をじっと見つめる。綺麗な長い睫毛が整った顔立ちをさらに引き立たせている。
(……あんま近くでちゃんと見たことなかったけど、冴って女にモテそうな顔してるよなぁ……)
と思いかけ、いや実際モテてるなと思い直す。スタジアムには冴目当てと思える女性ファンがチラホラいて、スタジアムに入る時も出待ちしているファンの姿を見たことがある。冴は見えていないかのように完全に無視していたが。
(なんか……眠ってると雰囲気やっぱ違うな)
潔は起きている時の冴と眠っている時の冴の印象の違いを感じる。前髪が下りているせいで普段より幼く感じるからか──いや、それだけじゃない。無防備……とも違うが、起きている時の冴から感じる威圧感がない。そこまで考え、あっと潔の頭の中に浮かぶ翡翠色。
(そっか。冴の目だ。寝てるから冴の目が見えなくて、雰囲気が違って感じるんだ)
冴のあの綺麗な翡翠色の瞳を向けられると、身体が一瞬動かなくなる。その美しさに引き込まれてしまうのと同時に、自分の何もかもを見透かされたような気持ちになり、居た堪れなくなる。
(……今はそれが見えないから、なんかちょっと緊張感はマシかも……)
潔は思わずジッと見つめる。そうして知らず知らずのうちに、手がスッと冴の方に伸びる──
(って、何してんだ俺)
寸前で我に返り、手を引っ込めようとした。だが、それはできなかった。何故なら、その手を握られたからだ。
「えっ!?」
思わず身体を起こすと、冴のあの瞳と目が合った。
「冴、起きて──!?」
「あんなに見つめといてよく言うな。どんなに鈍感な奴でも視線がうるさくて寝れねぇよ」
「あっ……」
指摘され、恥ずかしく思う。そんなに見ていたのか、自分は……と潔は俯く。
「ご、ごめん……」
「別に。それより、中途半端に怖気付いてんじゃねぇよ」
「へ……」
「触るなら触れ。許可してやる」
「は……」
言われて思い出す。そう言えば、冴に今手を握られているのだ。潔はさっきの自分の行動を思い出し、慌てて弁解する。
「いや、ちが……! 触ろうとしたっていうか、あれは無意識で──!」
「あ? 無意識? お前、他人にもこうやって無意識に触ろうとすんのか?」
「え、えーっと……」
僅かに眉を上げ、不機嫌そうに冴は言う。確かに冴の言う通りだ。潔は今までそんなことは一度もない。なのに冴には触れようとしてしまった。自分の行動の意味がわからなかった。
「と、とにかくもうしないから! 寝よう!」
半ば強制的に話を終わらせ、潔は再びベッドに身体を沈ませる。そうして潔は徐に口を開く。
「……あの、冴」
「なんだ」
「手が……その、繋がったままだけど……」
さっきから握られたままの手を潔は見ながら言う。そんな潔に冴は平然とした顔で「そうだな」と答える。
「そうだなって……」
「嫌なら振り解け」
「えぇ……?」
振り解けとはまた投げやりな……と潔は狼狽する。潔に全ての判断を委ねるとばかりに冴はまた目を閉じた。手はしっかりと繋いだままだ。
潔は困り果てるが、正直振り解くのもなんだか気が引ける。ここでも持ち前の適応能力が活かされ、潔はまぁいいかとそのままにすることにした。
「……なぁ冴」
「……なんだ」
返事がないかと思ったが、律儀に返答があり驚きつつも潔は続ける。
「なんで俺との同室拒否しなかったの?」
単純に気になったことを聞いた。なあなあにしても良かったが、なんとなく今なら聞ける気がしたからだ。
「冴ってもしかして、部屋に人がいないと寂しいとか思うタイプ?」
「あ? バカか? お前」
「ハハ、だよね……」
思った通りの返答に潔は苦笑を浮かべる。そんな潔に冴は続ける。
「……他の奴となら何がなんでも拒否してた」
「え」
「お前だからだ、潔」
その言葉に思わず冴に潔は視線を向ける。するとあの翡翠色の瞳がまたこちらを見ていた。暗がりの中でも、綺麗な瞳の中に潔の顔が映っているのが分かる。潔は息を呑む。
「……なんか、それ……俺が冴の特別みたいに、聞こえ……」
潔は言いながらハッとする。しかしもう遅い。潔が考えるよりも先に口が動いてしまっていた。
(やばい、めっちゃ恥ずいこと言った俺!)
我ながら自惚れが過ぎる。慌てて何か訂正しようとした潔だったが、冴の顔を見た瞬間その言葉は喉の奥に消えた。
冴のいつもはどこか冷たい印象を受ける翡翠の瞳がその時、優しく緩んだ。初めて見る冴の顔だった。思わず見惚れてしまう潔に冴は否定も肯定もせず「もう寝るぞ」と一言だけ言って、その目を閉じた。
残された潔はドキドキと心臓が大きく鼓動を打ち、それに合わせて体温もぐんぐんと上がるのを感じていた。
潔は何か言おうにも声が出ず、ただ金魚の様にパクパクと口を開閉を繰り返し……そうして結局何も言えないまま、潔は目を閉じることしかできなかった。
今でもしっかりと繋がれた冴の手を通して、自分の心臓の音が伝わらない様にただ潔は願うばかりだった。
──結局、翌日の試合は寝不足で潔は全く使い物にならなかったのは言うまでもない。
ただ人知れず、冴だけはそんな潔に少し満足気に笑っていた。