彼の髪についての思考から辿り着いた感情について「君、くせ毛だったんだな」
2人で夕食をとった帰りにゲリラ豪雨にあい、私の家よりオクジーくんの家の方が近かったため、彼の家に邪魔することになった。着ていた服もずぶ濡れだっため、彼の厚意でシャワーを借り、服は洗濯させてもらった。今はオクジー君の部屋着を借りている。私の後に風呂に入った彼が髪を乾かしてリビングに戻ってきたところ、普段は束ねている彼の長髪に緩いウェーブがかかっていることに気が付いた。
「あぁ、そうなんですよ。まぁそんなにひどいくせ毛ではないんですけど。束ねてるとあまりわからないですよね」
「そうだな。君が髪をおろしているところは初めて見た。」
私がそう言うと、彼は少し気恥しそうに頭を掻いた。
「髪おろしてるといつもより人相が悪く見えるみたいで…外に出るときはできるだけ束ねることにしてるんです。髪を切ろうかとも思うんですけど、昔短くしてた頃は髪の癖が強くて。俺の場合は伸ばしてる方が癖が落ち着くみたいなので、伸ばしっぱなしになってます。」
「君の髪が長い程度で誰に迷惑をかけるでもないし、いいんじゃないか、そのままで」
短髪のオクジー君を見てみたい気もするが、この髪を切るのも惜しい。わざわざ言ってやらないが、彼の長髪はそこそこ気に入っているのだ。
そういえば、さっき昔は短くしていたと言っていたな。
「オクジー君、髪が短い頃の写真とかないのか?」
「写真ですか?どうですかね、髪が短かったのも大学に入る前までなので…。あ、卒業アルバムとかなら」
「見せろ」
「えぇ…見ても面白いものとかないと思いますけど」
「世俗のものは、友人の家に来たら卒業アルバムの一つや二つ見せあうものなんだろ」
「ゆ、友人…。」
「なんだ」
「いえ、バデーニさんから友人って言ってもらえるなんて、俺のこと友達だと思ってくれてたんですね!」
友人じゃなかったら何だというんだ。今は雑用係でもないし…まぁ彼の機嫌がいい方が卒アルも出させやすいだろう。
「親しくもない人間の家に上がったりしないだろ。で、そのアルバムはここにあるのか?」
「確かあの辺に…。ちょっと待っててください」
オクジー君はクローゼットを漁りだした。それにしても、こんな図体の人間がよくこんなワンルームで生活できるものだ。部屋は奇麗に整理整頓されているが、風呂だってトイレ一体のユニットバスだったし、彼には窮屈だろう。ベッドだってこじんまりとしたシングルベッドだ。よく落ちないな。自分が寝るスペースより蔵書の補完場所の確保の方が優先されているらしい。本棚に入りきらない本が床に平積みされている。部屋が狭いんだから電子書籍で読めばいいものを、紙の本が好きだからと言っていた。その気持ちはわからないでもないが。
「ありました!バデーニさん」
彼の部屋についての感想を思い浮かべているうちに、卒アルを見つけたようだ。
「見せてみろ」
オクジー君の手からアルバムをひったくってベッドの脇に座る。何ページかパラパラとめくってみるが、目当ての写真が見つからない。
「君の写真はどこに載っているんだ?」
「それなら、クラス別のページを見た方がわかりやすいと思います」
彼の影が、髪がアルバムに落ちる。オクジー君は私の右隣に座っている。思ったより近くにいて、私と同じシャンプーの香りがする。彼は髪を下ろしていると人相が悪く見えると言っていたが、そうだろうか。むしろ
「バデーニさん?」
いや、今は彼の写真だ。
「あぁ、君はどれだ?短髪だとは言っていたが」
「言っていいんですか?こういうのってどれか当てるのも醍醐味だと思うんですけど」
「…じゃあ、これか?」
ページの中でそれっぽい少年を指さす。くせ毛なのか巻いた前髪が目元までかかっている。どことなく面影もあるような。
「えっすごい!それです!」
オクジー君が目を輝かせて声を上げる。
「どうしてわかったんですか?」
「そうだな…君から短髪でくせ毛だとは聞いていたし、目元は前髪がかかってすこしわかりづらいが顔のパーツや輪郭などから判断した」
彼を構成する要素を観察すれば自ずとわかることだ。難しいことではない。鷲鼻や口の大きさ、厚み、耳の形やしっかりした輪郭、体躯、そして瞳…。彼が学生時代の思い出なんかをべらべらと語っているが、私の意識は別の方向にあった。先程考えていた彼の人相について。
彼の外見について考えたことなどなかったが、よくよく見たら随分と整っているな。それに加え体格にも恵まれている。普段パーカーやらスウェットやらラフな格好ばかりだが、それなりに着飾れば見違えるだろう。彼は髪を下ろしたら人相が悪くみえるようだと言っていたが、そう結論付けた要因は彼の勘違いではないか。確かに普段と雰囲気は変わるが、人相が悪いどころか、所謂、色気のようなものがあるように思える。普段の臆病な犬のような印象から、少しばかり近寄りがたい印象になるし、彼の周りの人間でも少々よそよそしい態度になった者もいるだろう。それを髪を下ろすと周りの人間がよそよそしい→髪を下ろしていると人相が悪く見えるのでは?と勘違いしたのだろう。多少悲鳴もあがったんだろう、黄色い方のが。
「あの…バデーニさん?」
「あ?なんだ」
「いや、なんだかすごく見られているなと思って。どうかしましたか?」
「あぁ、君の容姿について考えていた」
「俺の容姿?え、なにか変ですか?」
「その分だと学生時代もモテたんじゃないか?」
「俺がですか?いや、全然ですよ。付き合った人はいますけど、思ってたのと違うとかですぐ振られちゃって…。俺も流される感じで付き合ってたし、そういうところもよくなかったのかと思います」
でかい図体のわりに奥手そうだからな。彼の外見で寄ってきたような軽い女性はすぐ離れたわけか。本気で好きだという感情を向けていた女性もいただろうが、オクジー君はそういった感情に鈍そうだし、交際までは至らなかったのかもしれない。
「流されて付き合っていたのがよくないと自己分析しているなら、君が本気で思いを寄せる女性であれば長続きしただろう。そういう相手はいなかったのか?」
「そう、ですね。当時はいなかったです。」
「…今はいるような口振りだな」
「います」
私を見据えて、はっきりした声でそう言った。いるのか。私も驚いたのだろう、心拍が上がったのがわかる。
「ふん…。どういった女性なんだ?君には今日世話になったし、私も知っている人物であれば仲を取り持ってやってもいい」
動揺を気取られぬように、努めて冷静に話す。いや、気取られたところで何だ。君にそう言った相手が居たなんて驚いた、くらいで流せばいいだろうに。
「一応、バデーニさんも知っている人、ではありますけど、仲を取り持ってもらうとか、そういったことは無理じゃないかと…」
「私にそういったことは向いていないと言いたいのか。私は友人が多い方ではないが、伝手をたどれば君に紹介するくらいはできる」
「いや、そうではなくて」
「じゃあ、君が想いを寄せる相手には既にパートナーが居るのか?それなら君が想いを伝えるのも難しいか」
「いえ、そうでもなくて」
「はっきりしないな。私も君も共通で知っている女性となると…まさかヨレンタさん」
「ち、違います!ノヴァクさんに殺されますよ」
「それもそうだな」
ヨレンタさんでもなければ、オクジー君と共通の知り合いの女性は居そうもないが…。私の講義をとっている生徒か?私が考えを巡らせていると、彼がこちらを伺いながら口を開いた。
「その…女性じゃないです」
「は?」
「だ、男性です」
「は?」
「気持ち悪いですよね、すいません…」
「は…いや、まぁ、驚きはしたが。たまたま私の周りにそういった指向の人間が居なかっただけで、別にいまどき珍しいことでもないだろう」
気まずい沈黙が流れる。そういった性的思考の人間がいることは知っていたが、まさかオクジー君がそうだとは。それなら仲を取り持つのも難しいかもしれない。友人としてなら紹介できるだろうが、相手も同じ指向だとは限らないし。私と彼の共通の知人といえば。
「まさか、クラボフスキさんか…?」
「違います」
オクジー君は私と顔を合わせるのも気まずいのか、俯いている。こういったことはカミングアウトするにもかなりの覚悟がいるとは聞くし、無理に聞き出すことでもなかったとさすがに自戒した。静かな部屋に洗濯終了の電子音が響く。
「洗濯、できたみたいですね。うちには乾燥機はないので、近所のコインランドリーに行ってきます。もう雨もあがったみたいですし」
オクジー君が立ち上がる。とっさに彼の腕をつかんだ。今彼が部屋を出て行ってしまったら、何かが永久に失われる気がする。オクジー君がやっとこちらを向いた。その顔は真っ赤に染まっていて、私が一つの推論を導き出すのに時間はかからなかった。彼の好きな人物は私も知っている人物で、男性。彼に紹介するのは難しい、それもそうだ。紹介するまでもなく、今ここにいるのだから。
「私、か?」
手を振り払われる。
「ち、違います。すいません、さっきの話は忘れてください。急にあんなこと言われて困りますよね。その、今なら言ってもいいんじゃないかって思ってしまって、そんなこと言ってバデーニさんがどう思うかなんて考えなくて、本当にすいません。これからも、友人として付き合ってもらえたら十分なので。バデーニさんが良ければですけど」
「いやだ」
オクジー君の動きが止まる。私も立ち上がって、彼に向き合う。
「オクジー君」
「…はい」
「どうやら我々には対話が必要なようだ」
「対話、ですか?」
「そうだ。君は先ほどからやたらと先程の発言に対して謝っているが、私はそういった性的思考の人間がいることは理解しているし、特段偏見もない。君から思いを寄せられて不快だとも感じていない」
「あの、つまり…?」
「今私も自分の感情の整理がついていないが、あの山で地動説と対峙したときと同等の感動を覚えている。それこそ、世界が変わるほどの」
オクジー君が脱力して壁に寄り掛かり、手で顔を覆った。
「それって、俺は、期待しても良いんでしょうか」
「どう転ぶかは君との対話次第だが…。それよりも、今は重大なことがある」
「重大なこと?」
「吐きそうだ、トイレを貸してくれ」
2人で慌ててトイレに駆け込む。私が吐き終わるまでオクジー君は私の背中をさすっていた。その後はコインランドリーで服を乾かして、終電には間に合わないからオクジー君の家に泊まった。私がベッドでオクジー君は床だ。この狭苦しいベッドで成人男性2人が眠れるわけがない。眠るまでの間、オクジー君と今後について話し合った。あの頃にも、こうして彼と語らう時間があれば、我々の関係は違っていたのだろうか。
ただ気が付かなかっただけで、この感情はずっと昔から私の傍らにあったのだから。