ココアの甘さ 眠れない。
ゴンは横になったまま、暗闇の中で目を開けた。
しばらくじっとしていると、だんだん暗闇に目が慣れてきて、ぼんやりと室内の様子が視界に映り込んだ。ゴンは壁の時計に目を向ける。
午前三時。
一日のうちで、いちばん静かで、いちばん暗くて、いちばん寂しい時間だ。今夜は月もない。だから尚更、暗い。そのかわり、開けた窓の外には、満点の星々がきらめいていた。
ゴンは静かにベッドを抜け出して、キッチンへ忍び込んだ。
冷蔵庫から牛乳と、食器棚から若草色のマグを取り出して、なみなみと注いだ牛乳を温める。部屋の明かりを点けなかったので、暗い部屋に電子レンジの光だけが淡く光って、ゴンの頬を優しく照らしていた。こんな夜更けに、ミトさんにも内緒で、なんだか悪いことをしている気分になる。ターンテーブルを見つめながらゴンは、もしミトさんが起きてきたら、叱られるかな、なんて考えていたが、家の中はしんと静まり返っていて、電子レンジの微かな音だけが、無機質に響いていた。
温めた牛乳に、ココアの粉を入れる。スプーンに山盛り三倍が適正量だが、ゴンはそれを承知の上で、スプーンを四度、暗褐色の粉の中へと埋めた。
暗褐色の粉が、白い水面に吸い込まれるように沈んでいく。軽量に使ったスプーンをそのまま液体へと沈めて、くるくると掻き混ぜれば、ココアの甘い匂いが鼻腔を擽った。
マグを片手に、ゴンはキッチンを後にした。足音をひそめて自室に戻り、扉を閉める。部屋の中央の床にぺたり、座り込んで、熱いココアをひと口啜った。ゆっくりと嚥下して、ふた口め。──もうひと口。ゴンはそこで、訝しむように首を捻る。
ココアの粉を規定より多く混ぜて作るホットココアは、キルアから教わったものだ。いつだったか、やはり寝付けなかったゴンに、キルアが作ってくれたのが、通常より甘いホットココアだった。キルアって本当に甘いものが好きだね、なんてゴンは笑ったものだが、ココアを飲み終えると心地よい眠気が訪れて、それまで寝付けなかったのが嘘のようにぐっすりと眠れたのだ。翌朝、キルアに感謝を伝えたゴンを前に、キルアはただ一言、よく眠れたみたいで、よかった、と言ってはにかんだ。あの時の、朝陽に照らされたキルアの顔が、嬉しさを隠し切れてなかったことを、ゴンは今でも憶えている。
ゴンが眠れないとキルアに泣きついた夜、キルアが振るまってくれたホットココア。彼に教わった通りの作り方のはずなのに、何かが違う気がする。飲み進めるごとに、その違和感は大きくなっていくようで。何が違うんだろう。呟いた言葉は、ひとりきりの部屋に落とされて、消えていった。
キルアのココアは、もっともっと甘かった気がする。粉が足りなかった?いいや、通常三杯のところを四杯量るのは、キルアの言っていた通り。スプーンの大きさが違うから?それとも、粉が違うから?……あり得る。あの日キルアが作ってくれたココアは、どこのメーカーのものだったっけ。確か赤いパッケージのものだった。記憶を頼りにゴンは思考を巡らせる。
空になったマグを机に置いて、ゴンはベッドに横になった。果たして、──眠れない。何故だろう、キルアのやり方を正確になぞったはずなのに。味も、安心感も、何もかもが違うように思えた。瞳を開けたまま横たわっていると、キルアとこの部屋で過ごした頃のことを思い出して、頬を一筋の雫が伝い落ちた。キルアがこの部屋にいたあの夏の情景が、脳裏に蘇る。ここは元々ゴンの部屋で、キルアと共有していた期間はほんの僅かで、ただ、部屋がゴン一人のものに戻った、それだけのことだ。だというのに、ひとりの部屋は、がらんとしてひどく静かだった。