徘徊する化学物質室外機が直射日光に当たるからクーラーが全然効かないのだと言っていた。日付が変わりそうな時間なのに、この部屋は涼しさが今ひとつ物足りなかった。暑い暑いと文句を言いながら盧笙のカッターシャツのボタンを外して、薄く湿った皮膚を舐めまわしていたところだった。懐のスマホが震える。どうせ仕事の連絡だろう。俺は画面を確認せずに通話ボタンを押した。
「もしもーし」
肩を上げて頬で端末を挟んだ。声の向こうで聞き覚えのある音が響いた。心電図モニターがピーピー鳴る音だ。電話口の人間は、憔悴しきっていそうな声色だった。俺はうん、うん………と頷きながら盧笙のスラックスからベルトを引き抜いた。目の前の薄桃色の肌が期待するようにうねった。盧笙は俺の電話の邪魔にならないよう、息を潜めて俺の顔を視姦していた。盧笙のきめの細かい皮膚を見つめながら俺は物思いにふけった。
若い俺は不躾にたずねる。患者が死ぬのってどんな感じなん。俺の脇から体温計を抜いたのはちょっとエロそうな感じの看護師だった。そうですねぇ、悲しいですよねぇ、はーい、白膠木さんお熱は無いですね、廊下歩いてリハビリしてくださいね。美しい関東弁だと思った。俺に惚れていたのだろう看護師の顔は思い出せなかったが、俺の首に名札を引っ掛けて非常階段でヤニを吸わせてくれたことは思い出せた。
「………ええんちゃう? かわいそうやし、楽にしたりや。俺が口出せる話ちゃうわ、悪いけど………ちょっと今外やねん。また掛けるわ、ほなねぇ」
盧笙は俺の瞳に射抜かれてよだれを垂らした。中指と薬指で盧笙の湿った唇を撫でて、指先を生ぬるい上顎に擦り付ける。唾液腺からどばっと唾液が漏れたのが分かった。俺は通話終了を押さずにスマホの電源を切った。今すぐ盧笙に縋りついて泣きじゃくりたいような気がしたが、切羽詰まったらしい盧笙が俺のシャツの胸元を掴んでピアスに舌を這わせたから、上手に待てができたご褒美にじゅくじゅくに膿んで熱を持ったそこに唾液でぬかるんだ指を差し入れた。
死んだ、みたいな、まあほぼ死んだのだろう、そういうような事を言っていた。次回の確定診断で死ぬらしい。誰が人工呼吸器を止めるのかで揉めていて、家族や近しい人たちはみんな精神状態が悪くすぐの判断が出来ないそうだ。そりゃ無理もない話だ。俺は勝手知ったる盧笙の粘膜を的確に擦りながら、スラックスのポケットからニコチンとタールの詰まった箱を取り出した。ヌトヌトの手で火をつける。久しぶりのニコチンによる多幸感に脳が揺れる。あまりにも現実味が無い話だった。
思考は冴えているというか冷えているのに体は正直に盧笙の痴態に大興奮していて、爆発しそうなのをこらえてぬめった穴に先端を擦りつけた。盧笙が金切り声を上げて、俺は真っ赤に染まっている首筋に手をかけた。ドクドクと頸動脈が脈打つ感触が伝わってくる。そのまま手のひらに体重を乗せて血管を絞めていく。人間の頚椎は大きな筋肉に守られていて血管も太いから、少しくらい力を込めて絞めたって死ぬことは無い。頸動脈をしっかり圧迫しても少し酸欠になるだけだ。盧笙は血走った目で俺を見て、声帯を締められて濁りきった声でごめんと叫んで、目を閉じて口元をひくつかせながら絶頂した。ありえない内臓の動きに引き絞られて、俺も腰を打ちつけて盧笙に乗りかかって一番奥で射精した。その瞬間、自分は知性なんてまるで無い、ただ化学物質を分泌するタンパク質の塊であることを自覚した。俺のこめかみから汗が吹き出て、燃え尽きたヤニの灰と一緒に盧笙の白磁の肌に落ちた。
「高校でもプールの授業ってある?」
俺は意思を持って盧笙のみぞおちに向かって灰を落とした。盧笙は抜けきらない、寝ぼけた顔で「授業はあるやろ、俺は担当ちゃうけど」当たり前のことを抜かした。俺はフィルターギリギリまで燃えた吸い殻を盧笙の鎖骨の下に押し付けた。
「痕つく?これ」
「つくやろ普通に、しばかれたいんか?」
潤んだ瞳で笑う。可愛いと思う。好きだと思った。もうこいつしかおらへんのや。俺は頭の中で思い浮かんだ一人ひとりに懺悔した。ごめん。自分は許されたかったのだろうか? 俺は自分の浅はかさと傲慢さに嫌気がさして、脱力しきって伸びている盧笙の胸元に頬を擦り寄せた。白い肌は触れてみると血の流れを感じさせる温かさで、規則正しく深い呼吸は盧笙が完璧なパーツの組み合わせと働きで生きていることを実感させた。盧笙が神に作られた優美な調度品なら、俺は神の気まぐれで作られた欠陥品だと思った。だって今、涙の一粒も出ない。
「こんど零がこっち来るって。どうせまたろくでもない仕事しに来るんやろ。たかろうや、ジャンプさせたろ。札束が舞うで」
盧笙がスマホを打ちながら笑った。うん。俺は眠たげな声を装って目を閉じた。零は元気でやってんねやろか。歳だし、自営業だし、人間ドックを勧めた方が良いかもしれない。あの歳であんなに飲んでいたらさすがに体を壊すだろう。零のシワの寄った笑顔を思い浮かべたら目頭が熱くなった。まばたきをするたびに涙がこぼれ落ちる。
「………何やねんもぉー、ヘラっとったんなら言えや」
一度出てしまうと止められない。しゃくり上げる俺を見て盧笙が笑った。
「俺には盧笙クンしかおらへんのに、他の男の名前出さんとって!」
「すまん。俺も簓くんだけやから泣かんといて………あ、腹減ってんとちゃう? ラーメン作ったるから待っとき」
盧笙が小芝居を打って眼鏡をかけ直して立ち上がった。俺は自分がただのタンパク質の塊では無かったことに心から安堵した。そして急に現実に戻った心地で、中出ししてしまったことを思い出した。盧笙の腹がビックリしてしまう前にほじくって出してやらないと。俺はシャツとパンツのみで台所に立っている盧笙の背中に飛びついた。