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    ささろ

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    ささろ/できてる

    「ビョーキやねん」
    カチカチとナイフを皿に当てながら肉を切っている盧笙に囁いた。
    「誰が」
    「俺」
    シャトーブリアンの脂で唇をテカらせている。俺は正直スーパーで盧笙が二割引で買ってくる豚こま肉の方が好きだし、次々出てくる妙に薄味の料理たちはさっきからもう美味いのか不味いのかよく分かっていない。盧笙もきっと「よぉ分からんけど多分美味いんやろうから美味いって言っとこ」という感じだろう。そうであって欲しい。フレンチを食べ慣れている盧笙なんて解釈違いだ。一体誰と行ったんや死ねになるから。
    「………糖尿か」
    盧笙が美しい柳眉をひそめた。こいつは本当に教師をやっていけているのかと不安になる。頭の電源を抜いてやりたかった。俺は否定する気にもなれず曖昧に微笑んだ。お前が下の世話までしてくれるなら俺は狂ったようにクリームソーダと飴だけで生活する。でもそんなこと言ったらそのキラキラの目の奥濁るもんな。俺はそっちの方が脚が駄目になるよりよっぽど恐ろしい。
    「次なに飲む?」
    ワインリストを開いて見せた。こうして恭しく男に奉仕する俺は周りからどう見えてんねやろな。どうでもええけど。
    「もうええわ、俺ストップ。水」
    盧笙は少し赤くなった顔で鮮やかな瞳を潤ませていた。飛んできたウェイターに手を挙げて「水ください」と微笑む。そんな顔で俺以外の男を見るなよ。死ね。俺は革靴の爪先を盧笙のすねに擦り付けた。
    冷たそうな水が銀のピッチャーから注がれる。盧笙はそれをすぐに飲み干して、二杯目を頼んでいた。極上の美形から飛び出すマナーもへったくれもない仕草に勃起しそうになる。
    俺はできるだけ妖艶に見えるように口角を吊り上げた。
    「このあとケーキ来るから」
    盧笙はへぇと言って机上のメニューを見た。水を飲んで幾分すっきりしたようだ。
    俺にとって盧笙は海水のようだ。飲めば飲むほど喉が渇き、底なしの深さに溺れてしまう。俺は懐からカードキーを抜いた。三十度だけ目を伏せて、それから瞼ごと引き上げて上目遣い。このためにわざわざ百均で分度器を買ったのだ。盧笙が俺の子どものような顔に弱いことは知っている。薄汚い思惑通りに盧笙はうろたえた。カードキーを真っ白なテーブルクロスの上に滑らせる。盧笙の骨ばった細長い指先を握った。
    「断ったら、殺す」
    自分の口から溶けそうなほど甘い声がまろびでた。その美しく輝く瞳に今の俺はどう映っているのだろうか? 盧笙は俺の汗ばんだ手を振りほどいてカードキーを自分の内ポケットにしまい込んだ。
    「これからケーキやのに………最低な気分や」
    盧笙が俺をめちゃくちゃにする優しい声で笑った。はにかんだ唇のすき間から白くて小さい歯が整列しているのが見える。
    取り返しがつかないことをしたのだろうという予感に背筋が冷えて、しかし首から上は燃えるように熱かった。ウェイターがケーキを運んでくるのを目の端に捕らえた。
    盧笙の前にバカでかい銀の蓋が載った皿が置かれる。もったいぶるように蓋を開けて、なんとかのフレジェでございますと呟いた。俺も盧笙もケーキの説明なんて聞いちゃいなかった。まばゆく輝くフルーツが小さなホールケーキに敷き詰められて、俺が特注で頼んだ固そうなプリンが真ん中にドヤ顔で鎮座している。側面はまるでドレスのフリルのようにいちごの艶やかな断面でぐるっと一周飾り付けられていた。うわめっちゃ美味そう。
    俺の前にも小ぶりにカットされたショートケーキを置いてくれる。つまりこのデカいケーキは全て盧笙のものということだ。俺はプリンが載ったありえないホールケーキを前にすっかり骨抜きになっている盧笙に囁いた。
    「残してもええよ」
    盧笙は無言で俺を見て、ナイフを手に取って、置いて、フォークを取って、置いて、スプーンでケーキをほじくり始めた。俺も自分のケーキにフォークを突き刺す。背筋がゾクゾクして、アドレナリンが脳髄から垂れ流れるのを感じる。早く早く早く。俺は心臓がバカになるのを抑えられない。フォークを握る手にべったりと汗をかいていて、手の中で重たい銀が滑る。
    「………むっちゃ美味い」
    盧笙のまつ毛の先が震えた。まだだ。俺はできるだけ口元を引き締めて、せやろと返してやった。
    「むっちゃ最高で最上級のケーキ作ってくださいって頼んでん」
    「これ一人で全部食えへんくない?」
    一口食べるごとに美味い美味いと騒ぐのをたしなめて、盧笙の問いに「タッパー持ってきとるから詰めて帰ろ」と冗談で返した。
    まだか。待ちきれない俺は自分のケーキそっちのけで盧笙のスペシャルオーダーケーキを見つめた。どこに入っているのかは分からない。食べきれへん可能性を考えて、なるべく手前に入れてくれとはお願いしてあった。ウェイターが皿の前後左右を間違うはずもない。だとしたら、そろそろだろう。
    「んっ、?」
    ガリッ、という、おおよそケーキを食ってる時に出るはずの無い音が響いた。俺は脳天まで駆け抜ける絶頂感に酔いしれる。盧笙が「なんか噛んだ」とパニりかけている。またゴリッという音がした。
    「ちょっと一回出してええ?」
    泣きそうに顔を青ざめさせて盧笙が呟いた。
    「いや盧笙、勘弁してや〜ここどこやと思てんねん………出したらガチで殴るから」
    盧笙は少し涙を浮かべてゴリゴリと噛んで、喉仏が上下したのを見るに飲み下したようだ。すかさず紙ナフキンを口元に取り、ナフキンの中を呆然と見つめている。自分の食った物の予想がついたのか絶句していた。
    「見して」
    盧笙はあまりの衝撃にやられているのか無言で紙ナフキンを俺に差し出した。俺はナフキンに載った唾液でグチャグチャになった代金三万円のケーキの残滓と、その中にひときわ輝く欠片を見つけて今度こそ本当に勃起した。ぬるつく宝石の粒をつまんでスラックスにこすりつけ、内ポケットにしまった。
    「これは………一応俺もらっとこかな」
    「何?……今のも、簓のやつ?」
    「特注品って言うたやろ」
    俺は今自分がどんな顔をしているのか分からなかった。盧笙が怯んだような顔をしたから、やっぱり怖い顔をしていたのだと思う。盧笙のネクタイのあたりを見つめた。薄い皮膚の下、見えない内臓の中に俺の一千万円が無事に収まっていることを、現実としてはっきりと捉えた。
    「明後日くらいか? キラキラの、う………アレが出てもビックリせんでな。そのまま流してや。触ると汚いから」
    「………キー返却してええか? お前ほんとにきもい」
    「あかんよぉ。俺めちゃくちゃ楽しみにしててん。一千三百万のお前と仲良しするの」
    「キモ過ぎ罪で死刑やな」
    盧笙がへらへら笑った。飲み込みの早さにこっちが仰天する。お前は見てないだろうけど三カラットのダイヤモンドがどんなもんか知っとる? 当たり前にクレジット使えへんくて俺、レンガみたいな厚さの帯付き紙幣の塊持ってって買うたんやで。言いたかった言葉は舌の上で甘く溶けた。
    「もうすぐコーヒー来るから。それ飲んだら部屋いこな。極上の夜を献上したるわ」
    俺は顎をしゃくって腕を組み、ふんぞり返ってみせた。盧笙が頬を染めて俯く。つくづくバカだと思った。どっちもだ。俺はショート寸前の脳神経で、一千三百万の身体をどうやっていたぶってやるかの算段を立て始めた。




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