【鍾タル】いとしい香りとおもいの箱 今年の誕生日は、鍾離先生に会えそうにもない。ふと、カレンダーの日付を見てそう思った。
あちこち飛び回っていると日付の感覚も曖昧になり、もうあと数日もすれば自分の誕生日だと気付いたのは偶然だ。せっかくの休暇はフォンテーヌでの騒動で帰還を命じられ、かの最高審判官との再戦も叶わずにしぶしぶ故郷へ帰国しては療養しろと言い渡されてしまい、随分と暇を持て余した。
その後は雑務に追われながら退屈な日々を過ごして、やっと任務に復帰できるようになり、少しばかり忙しくなってきたところだ。休暇は取ったばかりだし、当面は璃月に向かう任務もないだろう。そちらに訪問することは難しいと事前に手紙で伝えてあるものの、俺の誕生日やそのほか記念日を祝いたがる節のある恋人に対してやはり申し訳なく感じる。今度何か埋め合わせでもできればいいが、と考えて寝室に入ると、いつの間にかナイトテーブルに見知らぬ小包が置かれていた。
「なんだ? これ……」
何者かの仕掛けた罠か何かだろうか。ここは紛いなりにもファデュイの拠点で、外部の人間がそうそう侵入できるようなセキュリティはしていないはずだが、と机に置かれた小包を目視で確認すれば、そこに記された差出人の名と見覚えのある筆跡に数度、目を瞬かせる。シンプルな包装紙を剥がすと、中には両の手のひらに乗るくらいの木箱に手紙が添えてあった。まず手紙の封を切れば、便箋から懐かしい香りが仄かに漂ってくる。そこに書かれていた内容を要約すると、『少し早いが、誕生日プレゼントを送る。お前の誕生日までは開かないよう仙術をかけてあるので、当日になってから開けるように』ということだった。
思わぬサプライズに、ふ、と笑みが零れる。部下を経由してこないとは、いったいどんな手段で届けたのだか。まったく、こちらの予想しないようなことをしてくれる男だ。それが凡人を自称する身でやることかと呆れる時もあるけれど、そういうところも好きなのだからどうしようもない。
彼――鍾離先生ならば、会いたいと思えばきっと、いつでも会いに来られるのだろう。敢えてそれをせず、こうして贈り物だけ届ける。会えない時間が長いと少しばかり張り合いのない気持ちにもなるが、そういった期間も恋人関係においてはいい刺激になるというものだ。とはいえ璃月から離れない鍾離先生と、仕事柄ひとところにあまり長く留まらない俺では傍にいる時間の方が短く、そんな風に遠く離れて過ごすことの方が多いのだけど。ふとした瞬間に、あちらは今何をしているだろうか、だとか、星や月の綺麗な夜を見上げては同じ空を見ているだろうか、などと思いを馳せたりするのも、むず痒く感じながらも案外悪くはない。故郷に恋人のいる隊員も中にはいて、遠距離恋愛は難しいとも聞くが、色恋に疎い俺と気の長い先生だからこそ上手くやれているのかもしれない。
だからといって、大事に思っていないわけでもない。でなければ恋人などという、戦いには不要な煩わしい関係など構築していないわけで。こうして贈り物に胸が温まる心地になるのも、会えないことを残念に思って恋しくなる気持ちも、家族へのそれとは少し違うことぐらいは分かっているつもりだ。
「……会いたいな」
なんだか急に懐かしくなってしまった。できることなら勿論手合わせもしたい。けど、ただ顔を合わせて食事するだけでもいい。近々璃月か、帰りにでも璃月に立ち寄れるような地域での任務がないかどうか確認してみよう、と心に決める。これも俺が会いたくなるように計算してのことだったりするのだろうか、なんて、頭の中に思い浮かべた食えない男を疑ってみたり。
箱を開けたら、久々に手紙でも書こうか。そう考えながら、ここにはいない愛しい人の香りがする便箋に口づけを落とした。
了