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    sonohennoproxy

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    sonohennoproxy

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    無題喧騒から少し離れた場所に立っていたライカンは、視界の端で揺れ動く金糸を見つけた。その瞬間、突き動かされるようにその手を掴んでいた。
    「何のつもりかね、これは」
    不機嫌さを全く隠さないその声は、随分昔に聞いたものよりも何トーンか低い。意思の強そうな赤い瞳はあの頃のままだ。背丈はお互いに伸びているが、身長差は縮まる事なくむしろ開いたように思える。こちらを振り向く時、緩やかに揺れた金の髪は、今では尻を覆い隠すほどの長さまで伸びている。それがライカンに過ぎ去った年月を嫌でも思い起こさせて、心をかき乱した。
    「おい、いつまでそうしている気だ」
    そう言われて掴んでいた手首をやっと離す。ライカンからすれば十分に細いと感じる手首。力を込めてやれば、いとも簡単に折れそうな気さえして。
    ──ああ、違う。何て場違いで、酷い事を考えているのか。頭を軽く振って、邪な思考を追い出す。
    二人はとっくに、再会の喜びを分かち合えるような関係ではない。本当なら矛を交えていてもおかしくないくらいには冷め切っている。そうならなかったのはひとえに、ここが人の出入りの多いパーティ会場で、騒ぎを起こすのは互いの本意ではなかったからだ。
    何を話せばいいか分からない。ほとんど反射的にその手を掴んでしまっていた。しかしここで何も言わなければ、目の前の男はすぐに居なくなってしまう事は明白だった。
    「ヒューゴ、お前は……」
    「随分と気安く名前を呼んでくれるな、裏切り者」
    つり目がちの色の異なる瞳がライカンをキツく睨み上げる。元々整った顔立ちだったが今では大人びた雰囲気が加わり、ミステリアスさを醸し出した美貌へと変貌を遂げている。先ほどから漂わせている様々な種類の甘ったるい匂いにも納得が行く。ご婦人方がヒューゴを放っておくはずがないのだから。
    「貴様は、今の“ご主人様”の命令でここへ来たのか」
    「そうだ。依頼主様お守りするためにここに居る」
    「フン、実に番犬に相応しい依頼内容だな」
    棘のある言い方はこちらへの当て付けだと理解していたので、深追いはしない。
    対してライカンは、ヒューゴはどうしてここに、と訊き返す気には到底なれなかった。
    「用件があるなら手短に言いたまえ。俺は忙しい」
    ほとんど反射的にヒューゴの腕を掴んでしまったせいか、このまま繋ぎ止めておける尤もらしい理由は見当たらない。今更、昔話をする気にもなれない。嫌でも過去の事──決別したあの夜の事に話は行き着いてしまう。
    「お前、変わったな」
    「当たり前だろう、昔とは違うのだよ。俺も、貴様も」
    「……」
    だからもう関わりを持つ事はないだろうと、暗に言われているような気がした。モッキンバードを抜けてメイフラワー家に仕える身となったライカンと、今もモッキンバードとして活動を続けているヒューゴ。別々の道を歩む二人の間には、どうしたって埋められない溝があった。
    「どうやら、貴様と話す事はなさそうだ。無駄な時間だった」
    身を翻したヒューゴに、ライカンは焦りを覚える。ヒューゴ、と咄嗟に名前を呼べばもう一度振り返ってくれたが、胡乱な目つきを向けている。何か言わなければ、とさらに焦燥感を掻き立てられ、苦渋の末に絞り出したのは。
    「随分、綺麗になったな」
    「………は、」
    口をついて出たのは、よりにもよってそんな言葉だった。ヒューゴも予想だにしていなかった台詞のようで、呆気に取られて瞬きを繰り返している。少し見開かれた瞳がいくらか目つきの鋭さを和らげ、ライカンがよく知っているヒューゴの面影を見た。そこに懐かしさを感じてしまうのは、殆ど不可抗力みたいなものだ。
    「貴様、今なんと言った?」
    先に硬直から解けたヒューゴは、眦を吊り上げてライカンを凄んだ。僅かに震える語尾が、隠し切れない怒りを滲ませていた。
    しまった、と今更後悔しても遅い。綺麗だと思ったのは実のところ本音で、つい心の声がダダ漏れになってしまった。病的なほど色白な肌に影を落とす長い睫毛、小ぶりながらふっくらと弾力のある唇、悩ましげに寄せられた柳眉。華々しい装いに反してどこか儚げな雰囲気を感じさせる容姿は、誰が見ても美しいと形容するはずだ。あまり他人の見目に頓着しないライカンですらも、そのような感想を抱く程度に。
    だからといって、剣呑な空気の中で言うべきではないのは百も承知だ。捻じ曲がって伝わって、侮辱されていると捉えられても仕方がない。実際、ライカンに投げかけられている視線にはたっぷりの敵意と侮蔑が籠っていた。
    「すまない、嫌味を言った訳じゃないんだが……いや、何でもない。忘れてくれ」
    下手に言い訳をしても火に油を注ぐだけと判断して謝罪するが、ヒューゴが眉間の皺を深くしたのを見てライカンは悪手だったのだと悟る。罵倒の類が飛んで来ると身構えていたが、何を思ったかヒューゴは形のよい唇を開きかけてすぐに閉じた。さらには口角を上げて笑みを形作り、ライカンを挑発するように目を細める。
    「それは本心か?」
    「嘘は言っていない、が……ヒューゴ?」
    長い脚でライカンとの距離をぐっと縮めると、ヒューゴは指先でつつ、と腹から胸元のあたりまでを撫で上げた。
    「なら、俺を一晩買ってみろ。執事とやらの仕事でそれなりに報酬は貰っているのだろう?」
    「一晩、って、お前何を言って……!」
    「初心でもあるまいに、何を狼狽えている。言っておくが、あまり安く見積もるなら考え直すぞ?」
    蠱惑的とでも表現すればいいのだろうか。ヒューゴは、ライカンを誘うように厚い胸板にしなだれかかって上目遣いで見つめた。
    これはライカンの知るヒューゴなのだろうか。疑問に感じつつも、早鐘を打つ心臓が目の前の美しい男に対してどうしようもない興奮を覚え始めている事を証明していた。
    「やめろ!俺とお前はそんな関係じゃない、だろ」
    「よく言えたものだ。先ほどから貴様の鼓動が煩くてかなわないのだが?」
    「っ……それは……!」
    「今の俺たちの関係に名前なんてない。なにせ先に裏切ったのは貴様なのだから。だったら、一線を越えたとて問題あるまい」
    背伸びをして、逞しい首筋にヒューゴの両腕が回される。ヒューゴはライカンの葛藤など無視し、綺麗だと褒められた顔を近付けた。久しく嗅いだ事のなかったヒューゴの匂いを間近で吸い込み、下腹部に熱が集まるのが嫌でも分かった。鎌首をもたげ始めている欲望を抑えつけ、ライカンは努めて冷静に答える。
    「俺には……要人警護の任がある。お前のお遊びには付き合っていられない」
    「そうやって真面目ぶる所も昔と変わらんな。まったく、つまらん男だ」
    そう言って興醒めとばかりに離れていこうとする身体を、気付けば腕の中に閉じ込めていた。ライカン自身が一番驚かされていたが、ヒューゴは一笑に付すのみで抵抗の意思は見られない。三日月形に歪められた唇が、愉快だと言わんばかりに言葉を紡ぐ。
    「言動不一致も甚だしいな、ライカン」
    「………」
    先ほどからヒューゴの挑発に見事に踊らされている。自覚はあっても、雄としての本能を擽る行動にまんまと振り回されてしまう。言い返す事もできず、華奢な腰をさらに強く抱き寄せた自分の堪え性のなさに、ライカンは内心舌打ちした。
    「どちらでも構わんが、あまり優柔不断だと俺の気が変わってしまうかもしれんぞ?」
    ヒューゴは、追い討ちをかけるように選択を迫った。誘いに乗ってはならないと鳴り響く最後の警告は、耳元で「なあ、ライカン」と甘く囁く声にかき消された。
    「……会場の近くにホテルがある。お互いすべき事を済ませたら、そこで落ち合おう」
    「相変わらず律儀なものだ、俺がまだその気でいる保証はないというのに。まあよかろう、貴様の澄まし顔が歪む様は見てて愉快だった。それに免じて、大人しく待っていてやる」
    だから貴様も、さっさと野暮用を済ませてくるがいい。
    そう言って頬をひと撫でする感触に気を取られ、腕の力を緩めるとヒューゴはするりと抜け出してしまった。
    「クソッ……」
    あっという間に雑踏に紛れてしまったヒューゴの姿を見送ると、紳士的な執事としての振る舞いを忘れてライカンは悪態を吐く。自ら別れを告げた相手にひどく執着している事に、嫌気が差した。けれども腕の中に残る温もりと香りの残滓のせいで、未だに熱は燻っている。これから仕事が待っているというのに。
    深く息を吸い込んで吐き出し、無理やりに熱を冷まさせる。金の懐中時計で時間を確認し、自身に言い聞かせるように呟いた。
    「三十分で終わらせましょう」
    ヴィクトリア家政としての落ち着き払った声音に戻ったライカンは、狩りの対象へと気持ちを切り替えた。
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