MAVでなくても手は取れる(仮) 第一話?エグザベ・オリベの捜査は行き詰っていた。ジークアクスを奪取した疑いのある女学生に逃げられて以降、完全に手掛かりを失ってしまったのだ。地道にMSの後を追い、噂をかき集め、街を歩き回る。小競り合いに巻き込まれ、難民を何度か助けてやり、ついでに情報を聞き出す。そうしていくうちにまた妙なことに巻き込まれる、その繰り返し。そうして得られた情報たちは特にジークアクスとは関係のなさそうなものばかり。
ただ、その中でも一つだけ、どういうわけか奇妙に引っかかるものがあった。何やらニュータイプの「検体」をかき集めて後ろ暗いことをしているらしい施設の話。それは自分の目的とは関係ないはずなのだが、どうにも調べておいたほうがよさそうだと直感が囁いた。
エグザベ・オリベは己の勘を妄信するタイプではない。結論らしきものだけ閃いたところで、それを判断の理由にすることもない。
それでも、特に他の理由もなく行き詰っている時ならば、行動の理由にはする程度には信じてみることもある。だから彼は、バイクを借りてそこへ足を向けてみることにしたのだ。
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被検体アルファは己の勘だけを信じて生きていた。他に信ずるものがなかったと言ってもいい。何と言ったって記憶もなくまま施設に売り飛ばされた身分である。牢獄のような狭い病室と薄い病院着とスリッパ、そしてニュータイプという分類に被検体アルファという無機質な呼称だけが彼が持ちうる全てである。過去も身分も信用できる知人もなく、あるものといえば直感とただ一つの温かい記憶の断片だけ。
顔も名前も思い出せないが、記憶を失う前の自分には信頼出来る人間が傍にいたらしい。その人物が低い声で「キャスバル」と呼ぶ声を、その時の自分が心から安心していたという事だけが、彼に思いだせる過去の全てであった。だから、きっと自分の名前はキャスバルというのだろう。でも、それを自分の名前として名乗ろうとは思わなった。勘が働いたと言ってもいい。だかれ彼は被検体アルファと呼ばれ続けることを選んでいた。
何となく、誰かに探されているような気はしていた。その人物と再び会えば、自分は自分を取り戻せるのではないかという予感も。それでも、ここがどこなのかもわからず逃げるあても身寄りもない身では、どうする事もできなかった。だから彼は直感が告げる通り、いつか「その日」が訪れるのではないかという一縷の望みに賭けて、従順な被検体として生き続けていた。
そしてある日のこと、窓から差し込む偽物の陽光を見て、「今だ」と閃きが走った。
被検体アルファは己の勘以外に信ずるものを持たない。失うものも持っていない。
だから、彼は迷いなく駆け出した。後ろから追いすがる足音にも銃声にも足を止めることなく、一息に窓を破って、跳んだ。
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バイクのホルダーに取り付けた端末が、到着を告げる。エグザべは信号を待ちながら画面に表示された地図と目の前の建物を見比べて、この何の変哲もないビルが「それ」なのだと確かめた。さて、ここからどうするか。まずは一周して出入口を抑えて、それからしばらく張り込んで様子を見てみようか。そんなことを考えた矢先、何か破裂音とガラスが割れる音が頭上で響いた。
反射的に視線を上げる。降り注ぐ窓ガラスの破片の向こうから、ひとつの人影が飛び出してくる。コロニーの遠心力に導かれて落ちてきたその人間の視線が、確かに自分のほうにむけられた。より厳密に表現するなら、エグザべが跨っているエンジンがかかりっぱなしのバイクに。
「な──」
いきなり現れた人間が降ってきて自分の乗り物を奪おうとするなどと非常事態に、普通の人間は咄嗟に対応できない。そんな事を経験したこともなければ、想定もせずに生きているからだ。しかしながらエグザべ・オリベはそういう意味で普通の人間ではなかった。ニュータイプで、しかもなんと降ってきた人間に乗り物を奪われた経験があって、二度とあんなことがあってたまるかと思いながらこの街を駆けていた。だから、バイクの上に落ちてきて即座にハンドルを奪おうとしたその乱入者に抵抗することができ──そしてその背後から駆け寄る武装した集団にも気づく事ができてしまった。
「おい、何が──」
気を取られた瞬間、乱入者はサドルの上のエグザべに半ば乗り上げるような形でバイクに座り、ハンドルを握ってバイクを発進させた。背後から叩きつけられる殺気の前でまだ争うだけの余裕はない。エグザべは乱入者を叩き落すのを諦め、振り落とされまいと彼は乱入者の腰にしがみつく。
彼らの逃走劇は、かくしてあまりにも不本意な二人乗りから始まることになった。
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向かい風が叩きつけるように吹きすさび、飛んでゆく矢のように景色が後ろに流れていく。猛スピードでかっ飛ばしているバイクの後ろで、エグザべは冷静に周囲の様子を伺っていた。ハンドルを握る金髪の男は法定速度という概念を知らないのではないかというくらいの速度を出していたが、あまり追手を撒けているという風には感じられなかった。相手がやたらと組織だった動きを見せていて、妙に行く手を阻まれている。それだけの動きをする施設とは何なのだろう。そして、それをさせるこの男は何なのだろう。
癖のついた金色の髪を靡かせて飛ばし続ける男を見上げる。生地の薄い入院着のようなものを着た男は、おそらくあの施設から逃げ出してきたのだろう。年はエグザべとそう変わらないくらいだろうか。だが、落ちてきていきなりバイクを強奪する豪胆さ、この速度だというのに少しの迷いもないハンドル捌き、前を見据えてどこか楽しげに口の端を吊り上げた表情、どれ一つとっても只者ではない。そして、おそらくは彼もニュータイプなのだろう。死角から飛んでくる銃弾を難なく躱し続けている。おかげでエグザべは警告すらも発さずにただしがみつきながら、この先どうなるのだろうと考えていた。この、おそらくはニュータイプの「検体」なのだろう青年を引き渡すという選択肢はもう取れない。こうなったら一蓮托生だ。
バイクは橋の上にさしかかる。視界が開けて、遠くの前方に黒く重々しい影が見えた。
「嘘だろ、軍警のザクが」
あいつら、そっちと繋がっていたというのか。どうするんだ、と再び目の前の男を見上げる。
そして、その男の顔色がとんでもなく悪い事に今気づいた。顔は血の気が失せて蒼ざめ、額には脂汗が滲んでいる。笑ってこそいるが、余裕はない。おそらくは極限状態の興奮。そして、腕を回しているその体が厭な熱を帯びていることに気づいた。おそらくは負傷による発熱。そういえばガラスが割れる前に破裂音を聞いた。思い返してみればあれは銃声ではなかったか。エグザべの腕が血に濡れているのは、ガラスで切った傷ではないとすれば。だとすれば、この青年は。
怪我を負ったまま興奮状態で走り続けて、目の前を強大なMSに塞がれて。
猛スピードで走り続けるバイクの上で、熱を持ったからだがぐらりと傾いた。
「──くそっ!!」
エグザべ・オリベは咄嗟にその青年を抱えて無我夢中でハンドルを切る。
段差に乗り上げたバイクが無軌道に跳ね上がって、橋の上から投げ出された二つの体が川へと落ちていく。
宙を舞いながら回転するエグザべの視野の端で、運転者をなくしたバイクがそのままザクの膝にぶつかって爆発しているのが見えた。それが、彼らが水柱をあげて川に落ちる前に見た最後の景色だった。