無題孫たちの述懐で、「母方の祖父は、物静かで穏やかなひとだった。」みたいに言われてたらいいよね。
「だから私たちは、祖父にまつわるさまざまな不吉な話を、半ば作り話だろうと思っていた。祖母が亡くなった日、どこぞの研究所とやらが検体提供のご協力の「お願い」で、武装した兵士を連れてくるまでは。
結論から言うと、死者は出なかった。数名、顎を砕かれたり内臓をやられたりで後遺症の残る人もいたみたいだけど、問題になることもなかった。70を超えた老人の家に銃を持って押しかけてきたのだから、正当防衛。それはそうだろう。
それから、悲しむ間も無く、祖父と私たちは火葬施設を探した。
私たちの住んでいる国では、土葬が一般的だけど、東の方からやってきた人たち向けの火葬施設がある。リストから、一番近いところを調べて、連絡を入れて、みんなでお婆ちゃんを連れて行って、見送った。腹立たしいことだったけど、祖母の側に座り込んだまま立てそうになかった祖父が背筋を伸ばして歩けるようになったので、そこは良かったのかもしれない。怒りというものも、時としては走り出すための原動力になるのだ。
灰と骨を一欠片も残さず陶製の壺に入れて、それから祖父は死ぬまでの10年近く、ずっとそばに置いていた。あの連中に盗まれるかもしれないから、と言っていたがほんとうはきっと寂しかったのだと思う。