朝白亜紀前期、現ミネソタ。
穏やかな暖かい風が吹く森の入口で座っていた1頭の真っ白な怪鳥は、遠くに地を這う低い鳴き声の数々を捉えた。平たい口の、あの四足歩行の草食み共だ。
悠々と威厳を持って迫り来るその大行列は木陰の明暗で1様に体色をみるみる変え宛ら1つの巨大生物のような存在感で目の前に広がる木々を横断していく。頭上の鳥たちはその背中を借りながら速さを競って素早く巨木の間を滑っていった。風に流される足元の砂土は寝かせた赤いシックルクローを刺激し、狩りを促された身体は激しく血が巡って深紅の目に鋭い光が宿る。
目を細め今日のご馳走を見定める彼の傍に2頭の兄弟が帰ってきた。青く光る目に長い黒羽を飾ったオレンジ色の怪鳥達は、フサフサの尻尾を上に立ててカカカッと軽く鳴き、戦闘の準備が出来た事を伝えながらソワソワしている
唾液に濡れた牙とエンジンを吹かすように鳴る喉が殺気立つ彼らの興奮をさらに高め、3匹の中で一際大きいアルビノの長男は立ち上がって一声合図すると、地面を抉り土埃を上げて駆け出した。木々の間を軽快且つ力強く走りみるみる近付く狩人に群れが気付いた頃には既に遅く、2頭は群れの隙を縫って上手く3頭ほどを孤立させ、すかさず背後に回ったアルビノが1番弱った老体を見分けて襲いかかった。
我先にと逃げる者、逃げつつも襲われた仲間を救おうと立ち止まる者、群れには様々な態度のやつがいたが、やはり皆自分が可愛いものなのだろう。助けに来る勇者などいない。
肺の壁に穴を開けられ地に蹴り倒された巨体は舞い上がる落ち葉を浴びながら這いずり回り、2、3歩逃げては背中や足に飛びつかれ再び倒れ、長い長い苦痛の中でゆっくりと命を狩られた。
アルビノは倒れたソレに飛び乗って勝利宣言と言わんばかりに何度か吠えて当たりを見渡し、獲物の顔を見ようとソレの顔を除き混んだ。老体とはいえ、その全長は彼より一回り以上大きい。彼にとって獲物の顔は達成感を与えてくれる大事なお楽しみでもあった。
しかし彼は除き混んだまま固まった。死んだはずの獲物の目は未だ瞬きし、あちこちを見ようと動き回っていた瞳がギョッとこちらに向いたのだ。まるでその目以外の全ての時間が止まった様に音もなく、痛いくらいに騒がしい静寂が彼の耳を刺激する。目はこちらを見たまま、低く呟いた
「アイリス」
強烈に耳に残る声が頭の中を引っ掻き回し、彼女はバッと起きて目の前の白衣の女に掴みかかって押し倒した。喉から精一杯に吠え、こんどこそ息の根を止めようと後脚のシックルクローがゆっくりと殺意に満ちて持ち上がる
「アイリスアイリス、落ち着いて!私だよ!エマだよ!」
聞き慣れた声が彼女の正気を呼び戻し、アイリスは目を見開いたままゆっくりと首を掴んでいた両手を離した。
「また嫌な夢でも見た?」
エマと名乗るその研究員は、首を絞められ太ももはアイリスの強靭な脚力で抑えられていたにも関わらず、彼女の頭を撫でて落ち着かせてくれた。アイリスの専属管理職員であるエマしかない特殊なタフさだ。
「こんな時なんて言うの?」
反省を促すエマの言葉に、アイリスはしばし悩み、若干震えた声で答える
「おはよう…間違い。おかえりなさい。」
「ごめんなさい、だよ」
「ごめんなさい。」
今にも消えそうなアイリスの声にエマは満足げに笑い、よしと言って持ってきた朝食をアイリスの前に置いた。茹でた若鶏1匹と温野菜だ。
「エマ。」
「何?」
「生、嫌い。」
「お腹痛くなるから生肉はダメなの」
アイリスは眉をしかめ、鳥の足をもいで口に骨ごと押し込んで呑み混んだ
「こら、ちゃんと噛みなさい。覚えてるか分からないけどあなた元々は人間なんだから呑み込んだら消化できないでしょ」
エマは片手でパクパクと噛む仕草をしながらアイリスに注意する。アイリスはそれを見て骨ごと2、3回咀嚼し飲み込んだ。無機質な白いタイルの部屋にバリバリと砕ける音が反響する
「噛んだ。えらい。」
「はいはい、アイリスは偉いよ」
自慢げに自画自賛する彼女の表情筋はピクリとも動かず真顔だが、エマは彼女が褒めてほしがっている事に気付いていた。エマはサラサラとしたアイリスの白髪を撫で、にっこりと微笑む。
意思疎通が出来るとはいえアイリスはデイノニクスと人間のどちらでもありどちらでもないという曖昧な人外。異種間で心が通じることにエマは深いやりがいを感じていた
アイリスの意識同位体であり喜怒哀楽を共有するデイノニクスのオルタが寝起きのアイリス同様に同刻別の監視室で暴れ回っていたのはまた別のお話