蝉が忙しなく歌い続ける暑苦しい夏の真っ昼間に、迷いなく弾丸をぶっ放す1人の男。業界の大問題児として誰もが知るこの男は常々舐め腐った雰囲気を置き去りに、無防備にも目の前に晒し出された的を確実に捉え、一瞬たりとも離さない。
職業柄肩身離さず所持するソレは無事機能することなく、放たれた弾丸は獲物とは全く別の方向へ一発。この場での彼に絶対的な存在感を与える為だけに消費され、捉える隙も与えず一瞬として消えていく。
何年も銃を駆使して業界内を隅から隅まで掻き回し、乱暴に且つ確実に上り詰めてきた幹部の一人である彼が、この期に及んで的を狙い損ねるという失態を犯す筈があるか、と。消えた弾丸の行先を必死に眼球で追い回す品性のカケラも(権力も)ない下っ端共を皮切りに、その場の人間の視線が煙を蒸す銃の持ち主へと吸い寄せられる。が、その中心でたった一人、この状況を心底楽しみ、心待ちにしていた男がいた。
「ハハ、ヒーローは遅れてくるとでも?それにしては遅かったですね。」
この状況下で軽口を叩きながら口角を上げ続けられる程の大層な肝の座り具合を披露するその男。イ・ジュングは乾いた銃声と微かな余韻を確かに感じながらもそのプレッシャーに一切怯む様子も無く相変わらずの笑みを浮かべながら静かに佇んでいる。銃声を響かせながら現れたまるでスーツの似合わない男———チョン・チョンの存在を視界の端で捉えながらも、ジュングは引くことを知らず、ただ笑う。
ふざけた笑みを溢すのをやめないジュングに、いつもの様に上部だけの笑顔をお見舞いしてやる。瞬間、チョンの片目は僅かに細められその視線がジュングをすり抜けていく。この場に足を踏み入れたその瞬間から、チョンの意識はたった一人の男の物でしかない。その視線の先、ジュングとその舎弟共に囲まれて立っているその男は、チョン・チョンの舎弟であり弟分でもあるイ・ジャソンだった。
「俺の舎弟に何か用だったか?」
迷う事なく靴先を向け、とうとうジュングの目の前を陣取ったチョンが問う。会長が消えた今、どんな理由でわざわざ″チョンの舎弟″であるジャソンに近づいたのかは聞かずともあらかた想像は付くが、そんなクソ程どうでもいい事を敢えて口にしたのはこの場の主導権を握るためか、それとも決まりの悪そうなジャソンにこれ以上一切の話を振らせないためか。どうだっていい、今のチョン・チョンには心底どうでも良いことだ。
「あなたの舎弟としてでは無く、個人的な友人として彼と話していたんですが」
ふざけた態度を取りながらわざと挑発的な発言をするジュング。そうでしょ?と言う風に首を傾げたかと思うと眠たそうな目がぬるりと動き、その目がすぐ隣のジャソンを射抜く。ジュングの生ぬるい視線とチョンの見飽きた瞳の狭間で怪訝そうに眉を顰め何を話すつもりもなさそうなジャソンにチョンが鼻で笑う。
「お前とこいつはそんな仲だったか?相変わらずおもしろいヤツだな」
ジュングの巧みな舌に乗ってやらないと気が済まないチョンは、最低限の笑みを崩さずに滑らかにゆっくりとその場の緊張感を助長する。
目の前でいがみあう時期会長候補の2人に、あくまで舎弟に過ぎないジャソンには発言権など無い。この場をどう凌ぐか、ただそれだけだ。
「俺との飯には行ってくれないのに友人と慰め合う時間はあるんだな」
「あなたとは仲良く飯を食う仲ではない、と、前も言いましたよね?」
いつまでも冗談混じりの言葉しか返さないジュングに堪えられる筈もなく、苛立ちを笑みで分散させるのにも無事失敗したチョンに言葉を選ぶ余裕などさらさら無い。
「俺のテリトリーに踏み込んだら殺す」
直接的な単語に、その場の空気が一瞬にして凍りつき、ジュングの笑みもまっさらに消え失せる。ただ、互いのトップが視線を混じり合わせ、いつ銃を取り出すかの狭間で、ジャソン含むその場の全員が動けなくなる。
「ふ、ソーリー。要件は済んだのでそんな怖い顔をなさらないで、俺たちはこれで。」
やはり先に沈黙を破いたのはジュングで、全く反省の色も見せずに舎弟共に目配せをする。チョンに一瞬の視線をやったかと思うとジャソンに向き直り、襟元を正して肩を撫でながら 次は2人で飯でも と囁いてチョンの横を去っていく。
ジュングの舎弟共の足音で賑わったかと思われた倉庫には再び、可哀想なほどの静寂がお見舞いされる。
「クソ、あいつ本当に腐ったヤツだな。アーア、俺の方が面白い土産話が出来んのに」
去っていった方向を一瞥しながらいつもの調子で話し出すチョンと、ピンと張っていた緊張の糸が切れた様に長いため息を吐き捨てながらズルズルとその場に座り込むジャソン。そんなジャソンを見下ろしながらチョンはポケットからタバコを取り出す。
「クソブラザー、お前がため息つくなよ。おかげで面倒事が増えただろ。」
「すいません。」
こんな時すら堅苦しい敬語を崩さないジャソンに、タバコを咥える為に開いた口でクソと吐き捨て不満げに舌を鳴らし苛立ちを前面に出すチョン。ため息の後にやっとタバコに火をつけたかと思うとお前なァ、とジャソンの目の前に勢いよく腰を下ろす。突然近づいた気配に、ジャソンは驚いた様に目を見開く。数秒、視線が絡み合ったまま、チョンは目を逸らす事なく目の前の男にたった今吸ったばかりの煙を吹きかけた。
「あのクソともう2人で会うなよ。」
「会いませんよ。すいませんって言ったでしょう。」
面倒事が増えたら困るからなどと言い訳がましい小言を付け加えるチョン。呆れた様に目を逸らし少し疲れを含んだ声であしらうジャソンにチョンは、いつまでも冷たい野郎だなといつもの様に冗談を言って小突く気すら失せる。
「お前はこのクソ兄貴の話だけど聞いとけよ、な?」
「分かりましたから、それやめてください。」
煙を払いながら適当にあしらうジャソンをチョンは数秒、お喋りな口を結んだまま無言で眺める。不意に手を伸ばしたかと思うと、目の前の男の頬をがしりと片手で掴み、視線を合わせた。
乱暴にも見えるその手つきにジャソンの動きが一瞬止まり再び、視線が交わり合う。「なんですか、」とでも言いたげに開きかけたジャソンの薄い唇を黙らせる様に、蒸かしかけのタバコを無理やり押し込み名残惜しそうに立ち上がった。
お前のトップは誰だ?
結局言えずに喉の奥に閉じこめた言葉を、いつか口にできる日が来るのか。チョンはポケットに残った数本のタバコごと、箱を乱暴にも床に投げ捨てた。