5月9日23時のロビオリ「ねぇねぇねぇオリアス先生!」
バビルス教師寮の食堂。朝食を済ませて食器を片付けていると、ロビンに声をかけられる。それと同時に、緑の双葉がひょいと洗い物をするオリアスの顔を下から覗き込んできた。
「え、何……?」
オリアスはたじろぐが、手は止めない。食器とカトラリーを流して水切りに置き、手を拭いてようやくロビンの丸い瞳を見返す。
このグイグイ来る新米教師にも、1年で随分慣れたな、と頭の片隅で思った。
彼は人との距離が近いというか、遠慮がない。弓矢を扱う細やかさがあるのに、コミュニケーションにおいてはやや繊細さに欠けるのだ。正直最初はどう扱えばいいのか持て余していたが、今は適当に流したりいなしたり出来るようになった。
「晩ご飯のリクエストありませんか? 食べたいもの!」
「いや、特にないけど……。何でもいいよ」
オリアスは肩をすくめて答えた。それを聞いたロビンは頬を膨らませて迫ってくる。
「何でもいいじゃなくて〜! 何かないんですか? あっお菓子は駄目だからね」
「突然そう言われても……。俺が食事にこだわり無いの知ってるでしょ」
「それは知ってるけど」
ロビンは頬を膨らませたまま、仁王立ちで立ちはだかっていた。こうなると気が済むまで解放されないので、オリアスはシンクに寄りかかって体重を預ける。
「ていうかさ、突然どうしたわけ? いつもそんなこと聞かないじゃん」
「それはね!」
ロビンは勢い良く言いかけて、ギシリと軋んだ音がしそうなほど不自然に動きを止めた。
「えーと……」
視線がうろうろと彷徨う。若草色の瞳があからさまに泳いで、何か隠し事があることを告げていた。オリアスはその様子を見て小さく吹き出してしまう。
「えーと、気分です! そういう気分!」
「へー、そうなんだ?」
「そうです!」
焦った様子を隠せずに言い募る様子が可笑しくて、とりあえず言い分に乗ってみる。これで誤魔化せたと思ってるんだろうか。思ってるんだろうな。
「ふーん」
何を企んでいるのかは知らないが、ロビンはイタズラをするタイプでもないし――イタズラではなく、良かれと思ってろくでもないことをするタイプだ――少なくとも悪意がある訳ではないだろうから、放っといても問題ないだろう。
「まぁ、考えとくよ。行っていい?」
「仕方ないなー、良いですよ。あっ待って、甘いものって嫌いじゃないよね?」
「うん。食べるよ」
菓子類は全般好きだ。スナック菓子も、クッキーやチョコレートなんかも。洋菓子も食べるし、甘いものも好きな方だろう。
「わかりました!」
よく分からないが満足したらしい。ロビンが素直に道を開けたので、オリアスはひらりと手を振ってキッチンを後にした。
◆
そんなことがあったが、その後オリアスは驚くほどロビンに会わないまま1日以上経っていた。
もちろん学校では見かけたが、昨日の夕食は一緒にならず、今朝も急いで出勤する姿を見掛けただけだ。その割に教師寮の食事はしっかり用意されていて、本当にまめだなと思う。仕事ではないのだから、忙しいなら作らなくてもいいのに。
面と向かってそんなことを言ったら叱られるだろうけれど。
恐らく、ロビンの作る料理の恩恵を一番受けているのは自分だ。元から食べることにこだわりがなく、食も細い。空腹さえ紛れればいいと思っていたオリアスがまともに食事をしているのは、ロビンが食堂に引きずっていくからだし、自分や教師陣のことを考えて作られているのを残すのが忍びないからだ。
今日の夕飯の卵と野菜のスープも、ロビンらしく調味料が少なくて柔らかい味がする。ジャンクフードやスナック菓子に慣れた舌には少し物足りないのだが、最近では彼の料理を食べると心身が安心感を覚えるのがわかる。
――そんな餌付けをした彼は、どこで何をしているのやら。
「昨日からロビン先生見掛けないけど、どこ行ったの?」
「わかんない。授業は普通にしてたよ」
ちょうどエイトとツムルがそんな会話をしていた。ダリなら何か知っていそうなものだが、教師陣の視線を受けても黙っていつもの笑顔を浮かべているだけだ。
そもそも、献立のリクエストを教えろと向こうから声を掛けてきたのに、それ以来音沙汰ないのもおかしな話だ。本当の目的が何だったのかもまだわからない。大方、何かに集中して忘れてしまっているのだろうけれど。
静かな夕食を済ませたオリアスは、早々に自室に引っ込んだ。
◆
明日は休日なので、思う存分ゲームをしようと菓子や炭酸飲料をテーブルに並べたものの、何となく手がつかなかった。オリアスは座椅子にもたれ、最近買ったゲームを進めていく。イヤホンをすると、自分だけの世界に集中できていい。
ふいに時計を確認すると、時刻は23時を回っていた。まだまだ夜は長い。休憩がてら卓上の炭酸に手を伸ばしたときだった。
誰かに名前を呼ばれたような気がした。
こんな夜中に人が訪ねてくることはまずないのだが。週末は酒盛りをする教師陣もいるので、もしかしたら声が響いているだけかもしれない。オリアスが恐る恐るイヤホンを外してみると、確かに誰かが名前を呼んでいた。
「オリアス先生ー! 居ますかー?」
「ロビン先生……?」
声の正体にほっとする。そんな自分に、突然の来客に多少なりとも緊張していたのだと気付いた。同時に、ロビンに対してそこまで心を許していたのかとも思う。他は嫌でも、訪ねてくるのが彼なら構わないということだから。
「オリアス先生、開けて〜」
いつもなら騒々しくドアを叩き、そのまま入って来ることさえあるのに、部屋の前で大人しく待っているなんて珍しい。夜遅いからか声も控えめだ。
不審に思いつつ拒否する理由もないので、オリアスは仕方なく立ち上がってドアノブを回した。
「オリアス先生! ハウェーヤー!!」
扉を開けた瞬間に、明るい声と共にパンと破裂音が鳴って魔術の紙吹雪が舞う。視界で緑の双葉が揺れ、ロビンが満面の笑みで誕生祝いを告げていた。
「えっ?」
オリアスは目を瞬く。単純に驚き、呆気にとられていた。そして、そういえば今日は自分の誕生日だったかと、祝われて初めて思い出した。
にこやかなロビンの手にはトレーがあり、そこには可愛らしくデコレーションされたケーキが乗っている。部屋に突入して来ないなんて珍しいと思ったら、両手が塞がっていたらしい。
「すみません! ケーキ作ってたら集中し過ぎて、こんなギリギリの時間になっちゃって」
「……うん、とりあえず入って」
完全に頭は追いつかないが、部屋の前で騒ぐわけにはいかないのでひとまずロビンを部屋に迎え入れた。彼はお邪魔しますと元気に言って、慎重な手つきでローテーブルにケーキを置く。
「すごい……」
オリアスは思わず感嘆の声を上げた。
たっぷりの生クリームを塗ったホールケーキは、黄色を中心にカラフルな星型のアイシングクッキーで飾られていた。丁寧に、5月9日の日付もクッキーで作られている。
「これ、すごいね。ロビン先生が作ったんだよね?」
「そうですよ。ケーキは焼いたことあるんだけど、飾り付け考え始めたら凝っちゃって」
オリアス先生をイメージしてみました。そう言いながら、ロビンは照れるように頬を掻いた。
オリアスはフードを外して、まじまじと自分のために作られた捧げ物を眺めた。クリームの表面は滑らかで、大小の星も形が整っている。散りばめられた金色のアラザンは星の煌きのようだ。素人が作ったとは思えない出来である。
「……昨日、何食べたいか聞いてきたのも誕生日だから?」
「そうですよ。去年祝えなかったから! それなのに何でもいいとか言うんだもん。あ、明日で良ければ好きなもの作りますよ!」
「いや、いいよ。ありがとう」
バターや小麦粉、砂糖の甘い香りが肺を満たしていく。こんなに手間暇掛けたものを作ってもらっておいて、これ以上何か貰おうというほど図々しくはない。これで十分だ。
いや、こんなに嬉しいのだから、他にほしいものなんてあるわけない。
悪魔は長命で誕生日も何百回と迎えるため、大抵は幼い頃に降魔の儀を行うだけで、その後わざわざ祝うことは稀だ。オリアスもこんな風に祝われたのは久しぶりで、気分が高揚しないと言ったら嘘になる。どうにも頬が緩みそうで、誤魔化すように口を開いた。
「ロビン先生もマメだね、皆にこんなことしてるなんて」
そうだ、勘違いしちゃいけない。自分にとっては特別な出来事だが、ロビンにとっては普通のことなのだろう。習慣は家系や個々の悪魔で異なるのだ。冷静になった方がいい。
「え? まさか! そんなことするわけないじゃないですかぁ」
ロビンは可笑しそうに笑った。思ってもみない反応に、オリアスは面食らう。
「オリアス先生だけだよ? だからわざわざ学校の調理室まで借りたんじゃん。他の先生たちにバレないように」
隠すの大変だった、とロビンは苦労を語る。確かに、誰もロビンの動向を知らなかったようだし、皆に隠していたのは事実のようだ。
だとしても何故かわからない。オリアスとロビンは特別な関係ではない。よく同じ若手で一括りにされるため、一緒に仕事をする機会は多かった。仲も良い方だとは思うけれど、その程度なのに。
「オリアス先生だけ、特別」
そう言ってロビンはにんまりと笑う。その顔は、どこか彼が弓を射る瞬間を彷彿とさせた。
はっきりと告げられた言葉に、オリアスは視線を彷徨わせた。どういう意味かと、頭が急いで考えを巡らせる。それにつられるように鼓動までうるさくなってきた。頬が熱を持ち、そんな顔を見られたくなくて俯いてしまう。視線は丹精込めてつくられた“特別”なケーキで止まる。
どうして、とは聞けない。答えを聞いてしまえば、射止められてしまう気がして。