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    離坤ワンドロワンライ
    お題:櫛/つくえ/鏡

    後鏡(きぬかがみ)……まだ、眠っておいでなさい。

     微睡の中に、愛おしい人の声を聞く。
     再び目を開いた時、その人は居ないのだろう。それが哀しくて手を伸ばすのに、優しい声と手のひらに甘やかされて、再び瞼を下ろしてしまう。甘い微睡に誘われて、再び深い眠りの中へと落ちていって――。
     独り、目覚める朝が来る。
     
     眠りの海から、掬い上げられるようにして浮かび上がる。覚めきらぬ身体で最初にしたことは、傍にあったはずの――、そこに居てくれたはずの、離の薬売りの温もりを探し求めることだった。
     自分は還り来た身で、かの人は翌朝には発つ身であった。久しぶりに顔を合わせたのに、語らう時間も取れないとは。そう嘆いたのを聞かれていたのか、離は夜半にも関わらず、坤を訪ねてきてくれたのだ。それが嬉しくて、短い逢瀬を惜しんで共寝をねだった頑是ない子供のような我儘を、かの人は拒まず、許してくれた。
     目覚めた時にそばに居てくれない、一抹の寂しさはある。寝具をかき合わせるように顔を埋め、微かに残る香りを胸いっぱいに吸い込んだ。愛しい香りで胸を満たし、自身の頬にそっと触れる。かの人が去り行く間際、まだ眠っておいで、と一言落として、撫でていってくれた頬。そこだけが、ほこほこと温かさを残しているように感じられた。
     浸る余韻は深けれど、滔々と登りゆく陽は明るさを増していく。久々に大きな案件を祓ったあとなので、本日は上役へ報告に赴かなければならないのだった。名残惜しくも身を起こし、坤は身支度を整えるべく自らの背負子に手を伸ばした。
     
     そういえば、昨晩は離の来訪に舞い上がって、背負子の整頓を放ったらかしにしたままであったはず。しかし、散らかしていたはずのそれらは綺麗に整えられて、文机の上に置かれていた。手を煩わせた申し訳なさと、気遣ってくれた嬉しさがない混ぜになって、どうにも口の端が緩んでしまう。その一番手前に、昨晩取り出した覚えのない、櫛が一つ置いてあった。それから、化粧道具一揃いも。
     思い返せば、櫛を借ります、という声を夢の中で聞いた気がした。おそらく離は、坤の道具を使って身支度を整えて行ったのだろう。身一つで訪ねてきたかの人を、帰らないでと引き留めたのは坤である。ということは――離は時間の許す限り、眠る坤の傍らに居てくれたということだろうか。枕を交わして朝を迎え、自分を寝かせたまま自室に帰ることも出来たはず。だというのに、去らねばならぬ時が来るまで、自分と共に居てくれたのだ。
     その痕跡に、胸が熱くなった。同じ櫛を手にとって、髪をとかした。同じ筆を紅に浸して唇を染める。かの人もこうして身支度を整えたのだろうと、動作一つをなぞるだけで嬉しくなる。
     着物を着付けて、帯を締めた。頭巾をきっちりと被って乱れがないことを確かめ、坤は文机に立てかけてあった鏡を手に取る。その瞬間、
     
     「あ」

     思わず声を、一つ、あげた。

     鏡を帯に留めようとした指先が、違う、と伝えてくる。なだらかな丸みは滑らかで、昨夜縋った人の頸のようだった。何が違うのか、頭では理解してしまったのに、心が追いついていかなかった。震える指で持ち上げた鏡面に、間の抜けた自分の顔が映っている。俄かに、顔が熱くなった。

    「ちょっと、どうするんです、これ」

     机の上に置かれていた――かの人の、鏡。
     薬売りが身に帯びる鏡は似通えど、僅かに装飾が違う。帯に留めている己と違い、かの人はいつも胸の真ん中に鏡を吊るしていた。一番目に入る場所にある、その装飾は。それはもう、一目で分かるようになるほどに、鮮明に記憶に刷り込まれている。
     この鏡がここにあるということは。かの人は今頃、自分の鏡を胸に吊るして――。
     
    「ッ…………」

     鏡を額に押し付けて、坤はへなへなと膝をついた。自分の鏡を身につけて、かの人は一体、どういう顔で出ていったのやら。それを想像してしまってますます頬を朱に染めた。これから報告に赴かなければならないと言うのに、どうしてくれると言うのだろう。あの人の鏡を身に帯びていると気づかれたら、これから顔を合わせる同胞に、一体どんな目で見られてしまうことだろう。
     くつくつと肩をらして、甘く掠れたため息をつく。なんと、なんて、困った真似をしてくれるのだろう。ずるいお人。そう憎まれ口を叩けど、不思議と悪い気は欠片もおこらなかった。鏡は大切な仕事道具だ。それも大切な人の鏡とあれば。置いて去るなど、できるはずもないのだから。
     自分の一部を、連れて行ったと言うならば。こちらとて。

    「……一緒に、参りましょうか」

     冷たく愛おしい、かの人のような鏡に――そっと、唇を寄せた。
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