火影if 男は昂っていた。それはそうだろう。ようやく誘い出すことに成功したのだ。それを悦ばずして何になる。
忍五大国と名高い火の国。男はその大名家に連なる者であった。もっとも分家の分家、ほぼほぼお飾りのような立ち位置にある男ではあるが困ったことにそれなりの権力はある。であるのでこれまで男は己の欲望が叶わぬことなどなかった。富、金、女──何一つ不自由などしたことがない。そんな男が目をつけたのは火の国の抱える忍里の里長だ。木ノ葉隠れの里、その長である火影が引退し代替わりしたのだという。
高名な忍の一族の出であるという。他国にも轟く戦忍の一族うちは。炎の業である火遁、人心を惑わす幻術そのどちらにも優れ里の警務を一手に引き受けるその一族から初めて排出された火影なのだという。加えてうちはと言えば男も女も見目麗しいと専らの噂だ。男の同僚も以前に木ノ葉に依頼した際にうちはの忍を目にしたという。あれはよい。同性になどとんと興味のなかったその同僚もほうと息を吐いたほどだそうだ。あれは傾城だ。手に入れることが出来たらならよもや破滅すら容易に受け入れるだろう。そんなうちはの男を、しかも里の最高権力者である火影をその手で屈服させることが出来たらならばという欲望が男の中に渦巻いていた。
誘い出した店は男が贔屓にしている火の国随一の店だ。いつものように個室を取り、そこに通してあると店の者が言っていた。個室の戸の前に立ち、開ける。そこには傘を脱ぎ頭を垂れる男の姿があった。ゆったりとした装束に包まれてはいるが背の高さは男よりもあるだろう。体格は良い方かもしれない。仮にも忍なのだから貧相であることはないだろう。艶やかな野干玉の頭髪にうちはらしさを感じた。しかし、ここまでザックリ切られた短髪は伝え聞くうちはにしては珍しい。
初めまして、木ノ葉隠れの里当代火影うちはオビトでございます。そう名乗った声は低く確かに男性のそれなのにいやに色気を感じる。頭を上げるように言うとその顔が見えた。
顔面の右半分が傷で歪んでいる。まるで渦を巻くような傷痕だ。しかしそれを差し引いても元々あるだろう傷の向こう側が整った顔立ちをしているであろうことは見て取れる。瞳は黒い。瞳孔も虹彩も一緒くたに黒かった。まるで黒曜石(オブシディアン)のような、黒瑪瑙(オニキス)のような、兎角例えようもない漆黒であった。
左半分は……布で覆われていてわからない。傷痕のある方ではなく、何ゆえ左半分を覆い隠すのか理解に苦しむ。しかし、うちはの瞳を隠すためなのかもしれないと思い直した。うちはの瞳、写輪眼というらしいそれはうちは一族がうちは一族であるがゆえの代物らしい。見せぬために隠しているのだろうと男は推察した。
里長というのだからそれなりの年齢であるだろうがこのうちはオビトという忍にそこまでの年齢を感じなかった。下手すれば先日成人した男の息子と年齢は変わらぬのではないかとも感じる。傷痕に寄った皮膚のせいで正確な年齢は測れないが……。
なるほど。まあ、悪くはあるまい。胸中の醜悪な欲望を隠しつつ、男はオビトに酒を進め酒宴が始まろうとしていた。
幾許か時が過ぎた。料理も酒も相変わらずの素晴らしさだ。芸妓(おんな)を呼び、舞わせ酌をさせる。オビトを見れば淡々と酒を口に運んでいるようだ。はべらせている芸妓達に靡く気配もない。逆に妓どもの方が悦んでいるようなのが少し癪に障る。呼んだ芸妓達は粒揃いである。しかしオビトはそんな芸妓達に心惑わす気配はない。
これはあれなのだろうか。心に決めた女がいるのか。それとも女に興味がないのか。どちらにせよ愉悦が増すというものである。
男は芸妓達を下がらせ再び室内には二人きりとなった。
「オビト殿、食事はお気に召していただけたかな」
そう問うとオビトは我が身には過分なものでございますとそう返事を返した。男は「それはそれは」と言いながら本題を話す。
「オビト殿とこの私、この二人の間で契約を交わすというのはいかがだろうか」
現在木ノ葉隠れの里は火の国、ひいては火の国の大名を主として存在している。それはそれとして継続しつつ、オビトに男の配下として働かないかと言ったのだ。男には権力がある。しかしこれでは足りない。男の上には大名や他の分家達がいる。家臣団もいる。全ての頂点に立ちたかった。火の国の軍事力の一角を担う隠れ里、そのトップと手を結んだなら隠れ里は手中に押さえたも同然だ。忍術という人知を超えた力は大名麾下の侍衆をも超えるだろう。そうすれば男が火の国を手にするのも時間の問題となる。
「オビト殿の望むものを用意しよう。我が力でなんなりと用意しよう」
甘い言葉で誘う。しかしオビトは表情を変えずに「身に余る光栄でありましょうが、この身は既に里のものでありますれば」と断ってきた。この身は里のもの、か。なるほど。見上げた高潔さと言える。忍には忍の矜持があるということか。
「里。その里のためになると私は思うのだが。何れ全てを我が手に収める私と手を組めばオビト殿もオビト殿の治める里の者達もより良く生きていけるのではないかね?」
男はオビトがこの話をすんなりと飲むことはおそらくないだろうと気づいていた。ついでに言えばこの提案も別に目的ではない。大名が認めるという忍、火影、それを己に屈伏させることが目的なのだ。そのための時間を稼いでいる。そろそろ効き始めるはずだ。
「う……ッ」
オビトがよろめくように額を押える。これだ。これを待っていた。
「オビト殿、何処か具合でも」
男が問えばオビトは「少し飲みすぎたようで」と答えた。
「おお、それはいけない」
そう言い男はオビトに近寄る。
男はこれを待っていた。オビトがこのような状況にあるのは酒のせいではない。男が盛った薬によるものだ。オビトの酌をしていた芸妓の一人に催淫薬が混入した酒を注がせた。オビトは断ることなくそれなりの量を飲んでいたから今は相当辛いはずだ。
「私が介抱しよう」
男は欲望を隠そうとせずオビトに触れようとする。
「何処を触れれば楽になるかな。いや、それよりも」
男はオビトの左顔面を覆う布に手をかけようとしてオビトはそれを止めた。
「何をなさいます」
しかしオビトの力は既に弱くニヤリと下卑た表情を浮かべてしまう。
「その布、頭を締め付けているのではないかな。取れば楽になるでしょう」
そう言い訳しながら男はオビトの承諾も取らず布を取り去った。ほうと息を吐く。そこには傷一つない非常に整った顔面があった。女顔などではなくしっかりと男のそれである。いわゆるハンサムというやつだろう。右顔面も傷痕さえなければこうだったのだろうと惜しくなる。だが十分だ。
「目も開けられないほどにお辛いのかな?」
男の目は息が上がっていく様子のオビトに自身の砲身が熱を持つのがわかった。早く、早くこの目の前の男を蹂躙したい。あの同僚の言っていたことがわかった。これは確かに傾城だ。国家ほどの価値がある。
「オビト殿を鎮て差し上げよう」
男はオビトの身体を押し、腰を床に落とさせた。オビトはここへきて男の目論見に気づいたのだろう。困惑を含んだ声音で男に問いかけた。
「私の身体を所望するということですか」
オビトの震える声に男は笑う。
「生憎と、私のお気に召す身体はしておりません」
そう言って男を拒もうとするオビトに男は言った。
「こうなってはオビト殿も私には抗えまい。貴方を楽にして差し上げると言っているのだ」
オビトに逃げる術はない。じっくりと楽しむとしよう。
「ああ、どうせなら貴方の一族の証という写輪眼が見たいな。閉じたその目をどうか開いて見せてはくれないか」
男はオビトの左目を見る。閉じられたあの奥に天眼があるのだろう。
クツクツと嗤う声がした。しかしそれは男が放ったものではない。嗤う声の出処はすぐにわかった。震えていたはずの目の前の男が放ったものだった。
「写輪眼が見たい、か」
先程とは百八十度違うオビトの様子に男は戸惑った。オビトは男の望む通りに左目の瞼を開けた。だが
「ヒッ」
男は開かれたそれに恐怖を覚えた。そこは洞(うろ)だった。眼窩には何もない。虚だ。
「残念だがこっちはもう何もなくてね」
なんなのだ。男はオビトから距離を取ろうと後ろに下がる。だがそうして気づいた。床から木が生えてきている。そんなことはありえない。だが床から尖った木の枝や伸びかけた幹が確かに生えているのだ。鋭いその切っ先は男の喉を確実に狙っているのが嫌でもわかってしまった。
「忍にはよくあることなんですよ。傷のある者、異形の者」
オビトは言いながら装束の首元を自身の手でぐっと開く。オビトの首から下、右半分が異様に白かった。明らかに人間のものではない。
「触れるだけで相手を死に追いやる者」
アレは毒なのか。触れれば死に至るとオビトは言っているのだろうか。
「ほうら、触れたいんでしょ? 俺に。そのためにだいぶキツイ薬まで盛ったんだから」
オビトは気づいていたのだ。それがわかったところで男にはどうしようもない。男は普通の人間だ。目の前の異形に対抗する手建てはない。
手を出そうだなんてとんでもない。触れてはならない猛毒に男は既に侵食されようとしている。
「触らないの? その覚悟あったんでしょ?」
雰囲気すらオビトは変わっていた。猫を被っていたのか。その空気も何もかもが変貌してしまっている。
クスクスと笑い、オビトはああと思い出したように
「写輪眼見たいんでしたっけ?」
いいですよ。見せてあげますよ。そう言った。ああでも──
「アンタにこれ、耐えられます?」
ニタァという音が似合う笑みだった。オビトの黒曜が一瞬で赫く染まる。そこにあったのは赫々と光る中に三つの巴。
恐怖で焼き切れ男の意識はそこで途絶えた。しかしそれでも焼き付いた瞳を男はそれでも美しいと思ってしまった。
「……コレ、やり過ぎじゃないですか?」
「あー、やっぱそう?」
呆れる護衛にオビトは困ったように笑った。目の前には失禁し意識が混濁した男が木遁の枝にもたれかかっている。何か譫言を呟いているようだが言葉になっていない。
「この状態から復帰させるの多分無理ですよ。どうするんです? これじゃ事情聴取も難しいですよ?」
「……山中一族の誰かに潜ってもらうとか」
「そんなの一般人相手には無理ですって」
「あはは、あは、はァ」
笑いがため息に変わる。どうやら本当にやり過ぎてしまったらしい。
「恐怖による制圧も嫌いじゃないですけどオビトさ、火影様のこれはやっぱりやりすぎですよ」
「俺に精密なのは無理だってテンゾウだってわかってただろ? ……まあ、証拠もバッチシ取ってるしなんとかなるって」
「ほんとにそうかなァ。ううっ、それより先輩にどう報告しよう……」
涙目の護衛にオビトは悪かったよと言うが内心どうしようとも思った。確かにやりすぎたかもしれない。多分男は廃人一歩手前だ。しかし正当防衛といえばそうじゃないだろうか。事実何もしなければオビトは男に手篭めにされていたに違いない。オビトにはわからない世界の話だが、多分この男に関してはオビトを姦通することで征服欲を満たそうとしたと推測は出来る。物好きだなあ。俺なんか抱きたいとか。さっぱり理解出来ない。
「まあ、とりあえず大名側に引き渡して任務完了ってことで、ねッ、テーンゾッ」
努めて明るくかつ親友の真似をして言えば護衛暗部ことヤマトは深く深くため息を吐いて頭を抱えたのだった。
「もー、そんな怒んなって」
火影の執務室でオビトは毛を逆立てて怒っている補佐官をなだめようとしていた。
「はぁ!? 怒るに決まってるでしょ! ほんと何考えてんの!?」
怒髪天を衝くとはことことか。いやこいつのは元々だったと思い直しオビトは補佐であり親友のカカシの説教を聞いていた。先日の任務の件をヤマトから聞いたのだろう。カカシの怒りは相当なものだ。そもその任務というのは大名に使える火の国の高官からのものだった。大名家の末端にある男の叛意を暴きたいとのことだったがわりと簡単だったと思う。ポイポイと情報を撒いておけばあっさりと食いついてきた。これまで権力を笠に好き放題やってきたのだろう。だがオツムが残念だったなあというのがオビトの感想だ。しかし癌であったあの男を排除することに成功したのは大名家にはとても大きな利益になったらしく恩も売れてウィンウィンというやつだろう。
「だいたい計画が雑なんだよ。しかも火影自ら行ってどうすんのよ」
「向こうのご指名が俺だったんだよ。だったら俺が行きゃすぐ終わるし、実際一発だっただろ?」
雑とカカシは言うがオビトなりにちゃんと根回しなどはやっていた。大量の仕事の合間に木分身や神威も駆使してちゃんと調査も行ったのだ。その結果こうして良い方に終わったのだからそれで良いはずなのに。カカシはなんでこんなに怒るのだろう。
「それでもお前はこの里の長でしょ!? テンゾウがついて行ってたみたいだけど、本当はお前がホイホイ里から出たりするのは控えなきゃいけないの! そういう身分なの、お前は!!」
バンバンとデスクを叩いてカカシが怒る。この親友、怒る時は本当に容赦ない。普段は何があってもスルーしたり出来るくせにオビトにはいつもこうだ。
(ああ、でも)
カカシがこうガミガミ言うのは子供の頃からだったなァと懐かしくなる。あの頃カカシの説教が嫌いで嫌いで仕方なかった。(半年だけとはいえ)歳下のくせに上から目線で説教をかますカカシはオビトにとって嫌なヤツだった。しかもオビトの初恋かつ殿堂入りの彼女がカカシを好きだったことも加えて本当に忌々しいやつだと思っていた。カカシの言うことは何もかもが正論で。すぐにオビトを否定して馬鹿にしてくるカカシが本当に本当に嫌だった。けれど不思議なもので。カカシ本人が嫌いというよりは目の敵にするように否定して説教をしてくるその行為が嫌いなのだと気づいた時はなんだかスッキリしたのを覚えている。まあ、神無毘橋の戦いからこちらカカシは正論オンリーでオビトを責めることはしなくなったし、互いに蟠りがなくなったことで隣立つ者同士としての意識からかいいコンビになったんじゃないだろうか。
「ちょっと、聞いてンの!?」
瞼が重いはずの目を釣りあげて怒る相棒に「聞いてる聞いてる」と返す。すると毒気を抜かれたのかハアとカカシはため息を吐いた。
「でも結果として何もなかっただろ? 相手に関しては……そのちょーっとやりすぎちゃったんだけどなんか問題ないみてぇだし」
オビトがそう言うとカカシは
「結果として何もなかっただけでしょ。お前に盛られたって言う催淫剤(くすり)、あれ相当ヤバい代物だったよ。シズネが引いてたよ」
どうやら証拠としてあの薬は押収されていたらしい。裏で出回っている非合法薬物で火の国では昔からご禁制の代物であったそうだ。
「あー、それでシズネ来てたのか」
任務から帰還してすぐにシズネがすっ飛んで来て診察してくれたのはそういうことだったのかと納得する。なんだか非常に慌てながら「オビトさん身体本当に大丈夫です? 綱手様呼びましょうか?」と火影様呼びも忘れて診察してくれた。
「まったく……本当に自覚して欲しいよ」
まだまだ不機嫌のカカシにオビトは「まあ、あの薬俺耐性出来てるし。そう考えたらあのジジイも役に立ったよなあ」と言うと「お前、マダラ様から何仕込まれてるのよ」と呆れている。
先祖(多分曾祖父)にあたるマダラはオビトの命を救っただけでなく木ノ葉に戻るまでにオビトに色々と仕込んでくれたが薬物への耐性作りもその一つだった。初めてあの薬を食らった時は本当に本当に辛かった。ここでは割愛する。あのマダラの扱きがあったから俺も火影になれたのかな、なんて思うこともあるが今はもうあの爺も記憶の中だ。ある意味会えただけ奇跡でもあるが。
「マダラ様と何かあったわけではないよね?」
そうカカシが問うのにプッと笑って「あるわけねーだろ。ジジイもそこまで変態じゃねーわ」と答えた。マダラの扱きは実に変態的に厳しかった。実際色事に準ずる手解きみたいなものも受けたが本当に手を出されたりはしていない。
「そもそも俺だぞ。俺。顔も身体もこんなだし」
うちははうちはでもガッカリうちはだよ。俺は。約束された遺伝子はオビトには発露しなかったらしい。まあよく考えればオビトに流れるうちはの血はそう濃くはない。それでもこの黒髪と黒瞳なのだからうちはの遺伝子というものは強いのだろう。それに潰れた半身の代わりに継ぎ当てられた細胞は本当に適当に継ぎ当てられたものだったらしく見事なまでに異形じみた見た目になってしまっている。まあ生きて帰れただけ良かったしその恩恵は受けている。何も問題はない。
「お前……はァ、そういうとこだよ。ほんとにもう」
カカシはもう怒っていないらしい。多分だが。一安心かなと内心で汗を拭いた。
「でも」
カカシがオビトを真っ直ぐ見て
「無茶はしないで」
そう言って笑った。
「…………」
カカシの笑顔にオビトはふうと息を吐いて応えた。
「お前以外に触れられたくねえし、触らせねえから心配すんな」
存外自分は愛されているらしい。リンへの感情と同種のものを向けることは出来ないが、カカシが向けてくれるものに準ずるそれをオビトだって持っているつもりだ。
言葉にしてみると顔が熱くなるな。そんなことを考えていると
「今触っていい?」
なんて。確かめるようにカカシが言うものだから「好きなだけ触れよ」と返せばカカシが口布を落として唇でオビトに触れた。