コンプレックス最終話パロ あれからどれくらいの月日が過ぎただろうか。暖かい木漏れ日を浴びながらはたけカカシは縁側に座って庭を眺めている。
友との約束を果たし六代目火影となって里のために尽力した日々も遠い昔になりつつある。七代目火影であったうずまきナルトも引退し、今はうちはの末裔であるうちはサラダが火影を務める時代になった。うちは一族から出た初の火影である。うちはマダラに始まり滅亡に至るまでうちは一族が木ノ葉隠れの里において火影を排出したことはない。それは所謂『大人の事情』というものも絡んでいる。しかしそんなものが作用しなくなった現在になって漸くではあるがなるべくしてなった(そう言いきってしまうと彼女の努力を否定しているように思えるが決してそういうわけではない)結果なのかもしれない。偏見や差別のなくなった現在、正当な評価を貰えるようになった証左であった。……いやあの時、木ノ葉隠れの里に帰ってきていたらきっと、うちはで一番最初に火影になっていたのはあいつだったはずだ。あいつには、本当は、そういう力があったはずだ。本当なら火影になるのは自分ではなく……親友である彼のはずだった。今でも夢に見る。火影の外套と笠を被って笑う親友の幻影を。
しかし、現実はそうじゃない。あの日を境に世界の敵になったあの親友は世間では最悪の犯罪者として名前が残っている。それはあの第四次忍界大戦から半世紀近くが過ぎた今でも変わらない。忍界大戦のその終焉の際に起こった真の敵との戦いにおいてその身命を賭し、そして死んだという事実があったとしてもそれは覆らない。最後の忍界大戦を起こした戦犯、うちはマダラを名乗って忍界に仇なした男ーーうちはオビトの名は今や歴史の教科書にさえ載るものとなった。
それでも、カカシはオビトを友だと思っている。幼い頃、斜に構えたクソガキであったカカシに大切な事を教えてくれた。父の死により頑なになってしまったカカシの心を解放してくれたのはオビトの言葉だ。掟やルールを破るヤツはクズ呼ばわりされる。けどな、仲間を大切にしないやつはそれ以上のクズだ。オビトの存在がなければ自分は今こうなってはいない。オビトの示してくれたものはカカシにとってかけがえのないものになった。神無毘橋の戦いの後、九死に一生を得たオビトの心は闇に染ってしまったが、それでも最期にはかつてのオビトを取り戻してくれた。友として別れを告げることが出来た。それで十分だ。
あれから世界は変わった。それこそこの五十年近く、忍五大国を始めとする諸国に大戦と言われるような戦争は起こっていない。『うちはマダラ』という強大な敵を前に、五つの隠れ里が協力してことに当たったことがきっかけになっているのだ。里の間の蟠りのようなものが解け平和な日々を甘受している。十代前半の子供達が前線に投入されるような悲惨なことは起こっていない。生まれてくる子供達は戦争を知らない世代になった。里のために死を選んだり、友を殺さなければならない世界ではない。彼が切望した平和な世界になりつつあった。彼が起こした戦争がそのきっかけとなったのはなんとも皮肉な話ではある。けれども、こんな世界を見ればオビトもきっと笑ってくれるに違いないと思った。
カカシは今年で七三になった。医学の発達により平均寿命がかなり伸びたとはいえ、立派な御年寄である。カカシが現役時代、あの三忍である自来也や綱手が五十代で爺婆呼ばわりされていたが、あの二人よりも遥かに長生きしている。あのナルトが今年還暦なのだ。時の流れとは恐ろしい。日向一族のヒナタと結婚して二児をもうけ、その子供達も親となっている。ナルトの子供達はカカシのことをカカシのおっちゃんと呼んで慕ってくれたが、その子供達にもカカシのじっちゃんと呼んでくれるのはなかなか面映ゆいものがあった。
縁とは面白いもので、ナルトの嫡子であるボルトとサスケの長女であるサラダが結ばれうちはの血は次の世代へと受け継がれた。ボルトとサラダの子はうちはの血が勝ったのか黒髪に黒い瞳の男の子が生まれた。その子も確か十三になるはずだ。ナルトとサスケ、それからサクラの孫である少年は誰の血筋の者だと言われても不思議のない(勿論、ヒナタも含める)子で皆に愛されて育っていっている。血継限界は写輪眼、白眼どちらを継いでいてもおかしくないが、写輪眼に関しては開眼せずに終わるかもしれない。愛の喪失を代償に開眼するその眼は平和な世界では無用の長物だ。これでいいのに違いない。
「先輩、そろそろボルト達が迎えに来ますよ」
声が聞こえて振り返ると自分同様年老いた後輩の姿がある。幼少の頃はまるで少女と見紛うかのような姿だった彼も今ではすっかりおじいちゃんなのは面白いなと思う。暗部の頃からそうだったがテンゾウはカカシを慕ってくれ、現役を引退した今でもこうして家に寄ってくれる。今日はナルトの還暦の祝いをするということでお呼ばれしているのだが、わざわざボルトが子供と一緒に迎えに来てくれるらしい。今度会う時、じっちゃん一緒にゲームしようよとか言ってたっけとぼんやりと思い出した。
最近の子供達は外で遊ぶことよりも家の中でコンピュータゲームで遊ぶ方が好きな子も多いようで。そういえばボルトの子供時代、既にゲームで遊ぶ子も多かったのを思い出す。『激・忍絵巻』(通称『ゲマキ』)というカードゲームが大流行して六代目火影であるカカシもカードになった。最高レアリティのカードだったが強さはどれだけなのかゲームをやらないカカシにはわからない。有名な忍者だけでなく過去に大罪を犯したとされる忍者などもこのカードになっていた。マダラはどうだっだろうか。あるとしたらおそらく最強にヤバいカードになりそうな気がする。初代火影の千住柱間もカードになったのだからあれば面白いと思うのだけど。親友はカードにならなかった。神威がカードになったらかなりチートな気がする。まあでもそれはそうだ。名前は残ったけれどその姿をちゃんと知っている者は少ない。何せ写真がないのだ。カカシだってオビトと撮った写真はあのミナト班全員で撮った一枚しか持っていない。神無毘橋で死んだことになっていたオビトは世界の裏で暗躍していたのだから写真なんて残すわけがなく、また、大人になったオビトとはグルグル渦を巻いたようなオレンジ色の仮面をつけてトビと名乗っていた時か、第四次忍界大戦の戦場での四十八時間にも満たない時間しかその顔を見ていない。今だって大人になったオビトの顔より思い出すのは十三歳の彼の顔だった。もしオビトがゲマキになっていたら絶対出るまで買うのにな。なんてことを思ってしまう。けれどそんなものはないのでオビトの顔は永久にカカシの心の中だ。
ボルトの子は外で遊ぶこともゲームで遊ぶことも好きなようだが年老いたカカシには結構荷が重い。鬼ごっこも缶蹴りもテレビゲームももう無理だ。特にゲームなんて何がなにやらまるでさっぱりだ。現代っ子のボルトの子はやはりあの子達の血を引いているだけあって身体能力は高いし、頭も悪くない。だがそれ以上に自分が劣化しているのを如実に感じる。昔みたいに早く走れないし、瞬発力もない。筋力もそうないのだ。いやはや歳はとりたくないものだね。そう思うけれどしばらくそっちにいろと言った親友の言葉は守らなくちゃと頑張った。
頑張ってきたけれど、そろそろもういいんじゃないのかとも思うわけで。長年戦い続けてきた身体はガタがきているし。もう四十年リンと二人っきりにしてやったんだから十分だろと思ってしまう。
まあ、人の生き死になんて。自分が一番どうにもならないことは理解しているけれど。
「ナルトの誕生日、か」
記念すべき六十年目のバースデーなのだから何か記念を送るべきだと考えてそれなりに用意はしている。あの家族のことだからそれはそれは盛大にお祝いするのだろう。楽しみなことだ。
「おーい!」
まだ声変わり前の高い声が聞こえて、ああ、あの子が来たのかと顔を上げる。黒い髪の少年がカカシに向かって手を振ってこちらへ走ってきた。
「仕方ないから迎えにきてやったぜ」
少年はカカシの前に立つとそう笑いながら言う。
「一人で来たの?」
カカシが問うと少年は「まあな」と少し不服そうに答える。ボルトはどうしているのだろう。この子が先走って来てしまったのだろうか。
「なあ、久し振りに組手しようぜ。今度は絶対俺が勝つからな!」
少年が言うのにカカシはうーんと唸って「もうじいちゃんには無理だよ、怪我しちゃう」と答えた。
「御年寄はのんびりしてる方がいいって」
というか、そもそも。この子と組手なんてしたことあったかしら。この子とはもっぱら本を読むとかそういったことをして遊んでいたような気がする。少年はハァーとため息を吐きながら
「何言ってんだよ。俺より年下のくせに」
なんて言い出した。何を言ってるのだろうか。そんなわけないというのに。
「まー、御年寄に親切にが俺のモットーだし? お前がジジイになっても分け隔てとかしねーけどよ」
そんなモットー持ってたっけ? 確かにナルトもお年寄りの荷物を持ってあげたりしていたがこの子もそうだったか覚えがない。
いや、待て。この子ってこういう顔だったか? そんな疑問が過ぎる。若い頃から目も使いすぎているわけだし、顔の認識がおかしくなってしまっているのだろうか。それとも加齢による認知の歪み? 目の前の少年がどんどん怪しくなっていく。
すると少年はフッと少し年相応でない笑みを浮かべてから言った。
「耄碌しちまったのか? バカカシ」
その一言に思わず立ち上がる。カカシのことをバカカシなんて呼ぶ人間はたった一人だ。会いたくて、会いたくて。でも、もう会えるわけなくて。
「頑張ったな! ずっと見てたんだぜ?」
うちはっていうエリート一族に名前を連ねるくせに落ちこぼれで、そのくせいっつもカカシにつっかかって。何度ボロボロにされたって絶対諦めない。相手するのも面倒臭い。泣き虫で、覚悟が足りてなくて、ものすごい遅刻魔で。優しすぎて。優しすぎるから悪いやつに利用されて、後戻りなんて出来ないとこまで来て、それでも皆が幸せになればいいって本気で考えていたバカ。最初にカカシの前から消えたのはカカシを庇ったからで、最期にカカシの前から消えたのもカカシを庇ったからだった。
「迎えに来てやったぜ、カカシ!」
「オビト!」
カカシは思わず走り出していた。身体が軽い。もうこんなに走れるはずなんてないのに。ああ、それはそうか。だって今、自分の身体は十二歳のあの頃のものになっていた。オビトやリン、ミナトと一緒に任務に明け暮れていたあの頃と同じ。全速力で走ってオビトに抱きついた。
「遅いよ! どこ寄り道してたのよ!」
ぎゅうぎゅうと抱きしめるカカシを受け止めながら
「はあ!? 寄り道なんてしてねーよ!」
オビトは答えると続けて言った。
「つか、来る日まで俺と一緒じゃなくていいんだよ!」
ミナト先生と俺とお前、三人とも命日が一緒なんてどういうことだよ。そう言うオビトにカカシは「お前が来ちゃったんでしょーが。あーあ、ナルト、せっかく誕生日なのに」
しかも還暦。そうなじるとオビトはうっと声を詰まらせた。オビトとしてはカカシが来そうだなと思ったから迎えに来てくれたのだろうが。
「ま、ナルトも赦してくれるでしょ」
カカシはオビトの身体を放して彼を見る。ああ、この顔だ。十三歳の、うちはオビトだ。
「行こうぜ。リンもミナト先生も待ってる」
カカシの手を引いてオビトが走り出す。カカシの手を引くのはいつもリンの仕事だったが、今日はオビトが手を引いてくれるらしい。「ああ」と答えてカカシはオビトに並んで走った。少しだけ、気にならなくもない。けれど、せっかくお迎えが来たのだから行くべきだ。一度だけそっと後ろを振り返って、カカシはオビトと同じ方を向いてもう振り返ることはなかった。
「ナルト! 主役が迎えにきたのかい?」
驚いた声をテンゾウが上げる。まさか本日の主役が迎えに来るなんて思いもしなかったのだ。
「おっす! ヤマト隊長! 久し振り! 先生は?」
ナルトは六〇歳だというのにまだまだ元気と言わんばかりだ。テンゾウやカカシの前では年齢相応というより昔から変わらない顔を見せてくれる。
「ああ、さっき縁側にいたから声をかけてくるよ」
「わりーな! ヤマト隊長」
テンゾウは縁側にいるカカシを呼ぶために玄関から少し急ぎ気味に廊下を進む。
「先輩、ナルトが来ましたよ」
そう声をかけるがカカシからの返事がない。
「先輩? 寝ちゃってるんですか?」
もー、しょうがないなー。悪態をつきながらテンゾウはカカシの顔を覗く。カカシは柱に身体を預けて両目を閉じていた。
何処か満ち足りたように、穏やかに。その手には一枚の写真立てが握られていたという。