花による月の観察日記(1)18年9月10日 晴れ 新月
ゲアラハがうちに来た。ソルもアステルもすごくびっくりしてた。私もそう。何故か茶菓子を持ってきてた。
「お茶をしに来ました。」
なんて呑気なことを言っていた。お前はその立場じゃないだろって言ってやったが
「私は敵では無いですし、いいじゃないですか。」
って抜かしてた。アステルがその場にあった気付け薬を口に突っ込んで追い返してた。悶え苦しんでる姿が滑稽で面白かった。ざまあみろ。
ちなみにちゃっかり茶菓子だけいただいた。悪くない味だった。
18年9月17日 曇りのち晴れ 上弦の月
あいつが私たちの邪魔をしてきた。またソルたちを自分の計画に参加しないか、なんて誘ってた。懲りないやつだ。ちょっとだけ腕に凍傷を負ったけど、酷い怪我じゃない。
……ちょっとだけ2人を見て嬉しそうにしてた気がするのは気のせいかな。
18年9月20日 曇りのち雨 月見えず
街へ買い物に行ったらあいつに出くわした。互いに気まずかった。
「2人は元気ですか。」
とあいつが言ってきたので
「元気じゃないって言ったらどうする?」
と、半ば一昨昨日の仕返しのように言ってやった。そしたらあいつ、すごい焦りだして
「それはどういう意味ですか。」
とか
「冗談ですよね。」
とか言い出して。私もそんな反応するとは思わなくて
「なにそんな焦ってんの。元気に決まってんじゃん。」
って言ったら、あいつあからさまにほっとしてさ。ちょっと気になって、
「ちょっとお前と話をしたい。」
なんて言い出してしまって。結局明明後日にあいつと会う約束をしてしまった。
ソルとアステルにどう言い訳しようか……
18年9月23日 曇り 十三夜月
結局二人には理由を言わずに出てしまった。2人も別に追求もしてこなかったので、聞かれるまでは答えないようにしよう。
あいつにあの引っ掛かりを聞いた。そしたらいつもの食えない笑みが崩れた。あいつのそんな顔を見るのは初めてだ。
「別に、あなたには関係ありませんよ。」
それだけなら私は帰ります、と逃げようとしてたので袖を掴んで無理やり座らせた。
「私が気になってるからわざわざお前に約束を取り付けたんだよ。答えるまで帰さないからね。」
私の心のモヤモヤをこいつには晴らしてもらわなければならない。なんのために2人に内緒で出てきたと思ってるんだ。
「……。」
明らかに面倒臭そうな不機嫌な顔をしていた。
「私の問題なので。わざわざあなたに話すメリットがないでしょう。」
「お前が話さないなら私はお前の家まで着いていくつもりだけど。」
なんとしてでも聞き出してやる。
「私、二人になんで出てったか言ってないんだ。お前が話さないと困るのはお前だと思うんだけど。」
「……ここに来た時点で私の道はひとつしかないんですね……。」
「当たり前じゃない。」
はぁ、とため息をついてゲアラハが言った。どうやら折れたようだ。ここに2人が来たらゲアラハが困る。まぁ私も事情聴取という名の尋問をされるとは思うが。
それからぽつぽつと奴は語った。
思ってたより、重い。ふたりへの想いが。
簡単に言うと、愛より重くて歪んだもの。奴は執着だと言った。実に的を得ていると思う。
胃もたれを超えて穴があくくらいの激重感情。私にもどうしようもない。ただ、
「…事情はよくわかったから、良ければたまに相談くらいは乗ってやるよ。」
って言ってやった。そしたら
「嫌味ですか?」
なんて返された。そんなこと言うなら乗ってやんないからな。案外奴は悪いやつでもないかもしれない、なんて思った。
18年9月25日 快晴 満月 中秋の名月
あいつと何の関係もないけど、今日は月見をした。2人は月見の文化を知らないようだったので、南の方の地方では秋の満月を見ながら団子を食べるんだよって教えてやった。
まだ暑いけど、時折吹く風に秋の匂いが混じってる気がする。2人は全然そんなことないって言ってるけど。
一昨日話されたことをぼんやり考えながら団子を貪った。これから満月を見る度に思い出しそうでちょっとゲンナリした。
18年10月9日 晴れ 新月
またあいつが来た。アステルがまた気付け薬を詰め込んで追い返してた。吐き出せばいいのに。わざわざ飲み込むなんて律儀だなぁ。
「次は菓子持って出直してきなー」
と冗談を言った。
そういえば前来たのはひと月ほど前か。なんでまた来たんだろ。まあいいや。
いつも笑ってない目がちょっと笑ってた気がした。
18年10月26日 雨 十六夜月のはず
傘もささないで、雨に濡れながらフラフラ歩いてる姿を見た。こっそりつけていったが、建物に入っただけだった。街の外れにある普通より少しいい家。もしかしてあそこがあいつの家?
家あったんだ。
18年11月8日 曇り 新月
またあいつが来た。菓子持って。先月冗談で言ったことを本気にしてきやがった。アステルが自室からなんか薬を持ってきて、ゲアラハの口に詰め込んだ。そういえば昨日何やら部屋で作ってたな……ため息つきながら。
ゲアラハが前より顔を顰めてた。もしかしたら気付け薬より苦いやつかもしれない。なんか可哀想になってきた。
そういえばこれで3ヶ月連続か。ちょっと日記を見返してみよう。
……なんか新月の日にしか来てない。
18年11月22日 晴れ 小望月
珍しく今日はゲアラハも一緒に行動する日だった。アステルが最高に嫌そうな顔をしてたけど、ゲアラハは楽しそうだった。まあ、良かったのか悪かったのかよくわかんない。ソルは……なんかよくわからん。気にしてないようで、気にしてるようで……?
やっぱりあいつは強い。今度戦う時は気をつけないといけないな……
あいつにこっそり明日の夜空いてるか聞かれた。空いてるって答えたら
「丘の上に来てください。」
って言われた。どこの丘だよ。思い当たる丘はいくつかあるけど、ここから1番近いところはあそこだ。もはや丘よりも崖の方が合ってるあそこ。妙に景色がいいんだよなあ。
18年11月23日 晴れ 満月
思い当たる丘に行ったら木の下に奴がいた。他の丘に行ったらどうするつもりだったんだ、って聞いたけど
「ここが1番近いですからね。あんまり遠いところは良くないでしょう。」
だってさ。それからちょっと歩いて、ぽつんと置かれてるベンチに2人で腰掛けた。
「ここはお気に入りの場所なんです。」
って。よくここに来るんだと。なんで私を呼んだのか聞いたら
「だいぶ前に話は聞いてやる、みたいなことを仰ったでしょう。」
話を聞いて欲しかったらしい。そんなことも言った気がするなぁ、ってその時は考えてた。
結構とんでも情報を聞いた気がした。
書いていいのか。これ。まあいいや。
まず、ゲアラハとソルの命が繋がってること。正確には一方的に繋がれてるってこと。ソルが死ねば、ゲアラハも死ぬ。逆は起こりえない。衝撃だった。
「だから私はソルを死なせないように気を配ってるんですよ。」
ま、理由はそれだけでは無いですけどね、ってあいつが言った。
だいぶ前にこいつが「2人は元気か」って聞いたのはそういう事かと今更腑に落ちた。
ちなみにこれはやつに散々口止めされた。アステルには言ってはダメだと。ソルは知っているが、アステルだけはダメだと。とんでもなく真剣に、必死に言われたので何回も頷いて約束した。
なんか今日は満月がいたく黄色に見えた。
18年12月7日 曇り 新月
例のごとく今月も来た。3日前くらいに作ってた激苦薬をアステルがゲアラハの口にねじ込むのもこれで4回目か。ソルが大爆笑してた。
菓子のお礼だけ言っておいた。今回は菓子なしだった。いや別に持って来いって言ってないからないのは当然だけど。
18年12月28日 雪 月どころじゃない
とんでもない大雪が降ってる。結構積もってるなぁ、もう年末だなぁ、なんて思ってたら外に出てたソルがゲアラハを抱えて倒れるようになだれ込んできた。どうしたんだと聞くと
「外で倒れてた。冷たいし怪我もしてる。」
触れてみたら氷のようで、急いで湯を沸かして湯たんぽを作った。
アステルが
「なんで僕がこいつの手当なんか……」
とかぶつくさ言いながらも手当をしてた。
今日はゲアラハは目覚めなかった。仕方なく、本当に仕方なく私のベッドに寝かせてある。今も横で生きているのか分からないくらい小さな寝息を立てている。たまに死んでるんじゃないかとか思ってしまうくらい。
元々人形みたいに白いから、死んでるんじゃないかって勘違いしてしまうのは当然ではなかろうか。
今日は椅子で寝よう。
18年12月29日 雪 月はうちにいる
珍しく早朝に目が覚めた。ゲアラハはまだ目を覚ましてない。なんならみんなまだ寝ている。二度寝しようとしたけど寝れないからしゃーなしで日記をつけている。
外は身長くらいの高さにまで雪が積もっている。これじゃあ外に出れない。つまりこいつは今日もここにお泊まりだ。彼にとっちゃ嬉しいだろう。何せふたりと一緒にいられるんだから。
外はまだしんしんと静かに、でも大量の雪が降っている。まだ積もるのか……こんなんじゃ年末も
書いてるうちにゲアラハが目覚めてしまったから一時中断していた。あいつはソファで寝るんだと。椅子の寝心地は結構悪くなかったから私のベッド使ってもらってもいいんだけどな……
いつも結んでるからわかんなかったけど、あいつってサラサラロングヘアーなんだ……なんか羨ましい。
明後日くらいには出ていくつもりらしい。さすがに雪も止むだろう。
18年12月30日 曇り 月はまだ家にいる
そういえば明日って大晦日じゃん。せっかくなんだからうちで年越しすれば?ってあいつに言ったら
「……嫌がる人がいるでしょう。」
なーんて。アステルはお前が思ってるよりお前のこと嫌ってないよ。そんなこと言っても聞かないんだろうけど。
ソルがいいよって言ったからアステルも黙った。ゲアラハは最後まで帰ろうとしていたけど、私が頑張って説得した。……あれ、なんで私が引き留めてんの?
蕎麦はないよって言った方が良かったかな。あーでもここは年越し蕎麦食べる文化ないんだっけ。じゃあいいや。
18年12月31日 曇り 月は家にいる
なんか起きたらゲアラハが朝ごはん作っててくれた。みんなびっくりしてた。だって、あいつが料理してるイメージがわかなかったからさ。
「あなたたちは私をなんだと思ってるんですか……」
半ば呆れられた。いや、だってさ。お前がキッチンに立ってるって想像できないって。なんなら食べもん食べてる姿だってわかんない。戦ってるとこしか見たこと無かったからかな……。朝ごはんはめちゃくちゃおいしかった。
大晦日だからって、特にやることはなんも無い。私はひたすら家に貯めてた小説を一気読みしてた。私はミステリーとか恋愛ものが好き。ソルはそもそも本読むのが得意じゃないし、アステルは図鑑とか魔術書とかにしか興味が無い。つまり本の話題で話が合う人がいない。奇遇にもゲアラハはミステリーが好きなようで、少し話をした。おすすめの本も教えてもらった。……あれ、なんか仲間みたい。
年越しは起きてたい、って私が言ったからかわかんないけど、みんないつもより夜更かしさんだった。ゲアラハは全然けろっとしてるけど、ソルは結構限界そうだったので早々に部屋に帰した。ま、太陽の子だし。アステルとゲアラハは超絶気まずそうだったので、私が間に入る羽目になった。
……まあ、戦いの話ばっかだったけど。あの時の技が面倒くさかったとか、あの時足滑らせて運良く避けられたとか。
そのうちアステルも眠そうにしてきたから、部屋に帰した。私はまだ眠くなかったから、しばらく話をすることにした。
「そういえば、来年も毎月来るつもり?」
「来ない理由なんてないでしょう?」
さも当たり前かのように言いやがる。
「なんで毎回新月の日に来るのさ。」
「バレてましたか。」
日記をつけてるからなんて流石にいえなかったので
「まあね」
とだけ答えておいた。
「寝る前は……好きな人の顔を見てからの方がいいでしょう?」
それとこれとなんの関係があるんだって聞いたら
「ほら、新月って月が完全に見えなくなるでしょう?普段月から力を貰っている私は完全に無力になる日なんですよ。特に夜は。」
どうやら新月の日は本当に死んだみたいに眠るらしい。夜明けまで絶対に目覚めることは無いという。だから、自分が寝てる間に二人に何かないように。昼間のうちに安全を確認するんだって。私もいるのになぁ……
「あの二人になんかあったら私が守るから。」
「……あなたは」
そこまで言って口を噤んでしまった。そこまで言ったんなら最後まで言えよって。そう思ったけど、私には何となくわかった。
ーーあなたは、ただの人間でしょう
多分そう言いたかったんだと思う。
知ってるよ。私が一番、痛いほど知ってる。どう足掻いたって、お前やソルみたいな祝福もないし、アステルみたいな特殊な体質だってない。私は本当にただの人間なんだよ。
「でも、お前が心配する必要は無いね。」
兄同然の2人を、私が簡単に死なせると思うか?
死なせない。絶対に。だからお前は笑っていつもみたいにちょっかいかけてりゃいい。それが今は1番いいんだ。
でも、ひとつ疑問なんだ。なんでお前はそこまで私に話すんだ?
それはあなたが羨ましいからですよ
あなたみたいにずっとそばにいられたら良かったのに
というかせっかく運んでやったのになんでベッドで寝ないんですか
風邪ひいても知りませんからね
良い夢を
19年1月1日 曇り 月は出てった
起きたらもうゲアラハはいなかった。
昨日、あいつと話してて、いつまでたっても眠れないのであいつに無理やり寝かされる羽目になった。リビングのソファで毛布をかけられて、幼子にするように子守唄を歌われた。なんだ、私はもう子供じゃないぞ。って言っても、あいつの子守唄の技術が凄まじく良かったからいつの間にか寝てたみたいだ。部屋に運ばれてからこっそり起きて日記をつけてたら寝てたみたい。そしたら青ペンでメッセージが残されてた。見られた。見られてしまった。これは昨日開きっぱで寝た私が悪い。本当にあいつが書いたのかってくらいの気遣いの塊みたいな文だけど、きちんと回答が返ってきているあたりあいつが書いたもので間違いない。
羨ましい……じゃあ、あいつは私を消したいのか?でも、あいつは二人に悲しまないで欲しい……もうよく分からん!片想いこじらせるのもいい加減にしやがれ!
19年1月6日 曇り 多分新月
有言実行。あいつが来た。もう激苦薬を詰め込まれるのも恒例になってきた。もはや微笑ましい。なんだか最近ソルの当たりが柔らかくなった気がする。気のせいかな。アステルは相変わらずだけど。
今回は菓子があった。前よりちょっと豪華だ。
「泊めて下さったお礼です。」
だってさ。
なんて律儀な野郎だ。頭が下がる。
今回はちょっとしたケーキだった。
そういえば、あいつは料理が上手いから菓子も自分で作れても不思議じゃない。
……もしかして今までのも全部手作りだったりする?
……相当だな。
19年1月23日 晴れ 立待月
正月に降ってた雪ももうすっかり跡形もなく解けてる。また降るかなーとか考えて街をぶらぶらしてたら、行きつけの花屋であいつを見た。珍しいなって思ってしばらく見てたら、ヒヤシンスを2輪買ってた。この時期にヒヤシンスとは、少々早い。普通3月くらいから咲くのに。どこかで栽培とかしてたんだろうか。
青と黄色のヒヤシンス。きっと花言葉だ。あげる相手はだいたい想像がつく。きっと早ければ今日の夕方、遅ければ明日の昼頃には窓際に飾られているだろう。
青のヒヤシンスは「不変」「変わらぬ愛」
黄色のヒヤシンスは「あなたとなら幸せ」
案の定夜には飾られてた。きっと2人は花言葉なんて知らないだろうけど、教えるなんて野暮なもんだ。あいつは気持ちを届けるつもりなんてないだろうからね。
意外と粋なこともするもんだね。
19年1月28日 晴れ 下つ弓張
本屋で買ってきた小説を読んでたら、窓をノックされた気がしてカーテンを開けた。そしたらなんか居た。氷の蝶……だったはず。一瞬で誰かわかったけど、何がしたいのかわかんなかったのでとりあえず窓を開けて中に入れた。
そしたら、部屋に入ってきてすぐUターンして窓から出てった。何かと思って下を見ると、あいつがいた。ニコニコして手を振ってた。しゃーなしで窓から飛び降りる。2階なんて何度も飛び降りたことある。
「あの花、どうでした?」
花、花。ああ、あのヒヤシンスか、と納得しかけるが、それだけのために呼ぶか……
まさかそれだけのために私を呼んだのか、と一応聞くと
「おや、ダメでしたか?」
なんて言うもんで、クソデカため息をついてやった。
「花言葉、あの二人が知ってると思うか?」
「いいえ?もとよりそのつもりですけど。」
やっぱり。じゃあ私呼ばれなくても良かったんじゃないの……
「あの二人が何か反応を示してたかが知りたいんですよ。何せ初めての試みでしたからね。」
そういう事か、と納得する。
「ソルはなんかわかってそうだったよ。私になんか聞こうとしてやめてた。アステルは知らん。どうせ私がやったとでも思ってるんじゃない?」
あの日私も外出てたし、と付け加えたら
「……そうですか。」
予想通り、と言わんばかりの表情をした。
「じゃ、そんだけなら戻るよ。」
そうやって帰ろうとしたら
「今度あなたに赤のヒヤシンスでも贈りましょうか?」
なんてムカつくことを言われたから振り向いてしまった。
「嫌がらせ?」
「……ああ、赤のシクラメンの方が良かったでしょうか?」
「同じじゃないか。」
赤のヒヤシンス、赤のシクラメン、どちらの花言葉も「嫉妬」
「本心出まくりで引くわ」
半分冗談で言ったら苦笑が返ってきた
「じゃあ、私からあんたにイチイの花でも贈ってやろうか」
イチイの花言葉は「慰め」「残念」「悲哀」「高尚」
「人のこと言えないじゃないですか。」
後で本当にイチイを贈ってやろう。どんな顔をするのか想像しただけで面白い。
「じゃ、私はもう戻るから。お前も二人に見つからないようにな。」
「ええ。また。」
19年2月5日 晴れ 新月
今月も来た。アステルが毎月来るからって激苦薬をグレードアップしたみたいだ。私もソルも苦笑するしか無かった。あいつが不憫でならない。
「なんか前より苦くなってません!?」
って言ってももう遅い。せいぜい悶え苦しむといい。面白。
今回は菓子なし。もしかして2ヶ月に一回しか持ってこないんじゃないか。絶対そうだ。
19年3月7日 雨 新月
珍しい。1ヶ月全くあいつと会わなかった。
春雨にしては粒が大きい。そんな雨の中でもあいつは律儀に来た。濡れるとまずいから菓子は今回はナシだと。全く律儀にそんなことを伝えるなんて。気にしてないのに。今日はアステルが怪我で寝込んでたから、いつもの激苦薬をねじ込まれる心配もない。という訳で勝手に
「上がりますね。」
って宣言しながら上がってきた。アステルじゃなければ止めないので、暫しの雨宿りをしていた。
……まぁ、どっちにしろ見舞いと言ってアステルの部屋に入ってたから、多分激苦薬をねじ込まれたんだと思うけど。あの顔を見ればわかる。
リビングで3人で他愛もない世間話をした。なんだか敵対してたのが嘘みたいだ。友人みたい。というか友人なんじゃないか?
ここまで仲良くて、家にも上がってきて、命の危険があれば守ってくれたりして、一緒に年越しもして、たまに喧嘩(という名の戦闘)をして……
少なくともソルとの関係は悪くなさそうだし、もう友達でもいいんじゃないかなぁ……
19年3月20日 晴れ 小望月
今日はソルとゲアラハの誕生日。ソルがゲアラハを家に招いた。それでいつもより少し食事を豪華にしたんだ。ゲアラハは戸惑いまくってたけどね。アステルはずっと仏頂面だったけど、おめでとうは言ってた。ゲアラハがひどく嬉しそうだったな。良かったね。
昼と夜が等しくなる日だから、毎回太陽と月の子は春分か秋分に産まれるんだって。
19年3月24日 曇り 居待月
しくじった。魔物との戦闘で脚をやられてしまった。医者は暫く戦えないって言ってた。ついでに左腕もなんか痛い気がする。こっちは多分ただの打撲だろう。なんかじんじんする。篭手をしていて良かった。なかったら多分折れてたと思う。
……なんか今日はみんなボロボロだったなぁ。
アステルが珍しく一番に吹っ飛ばされたから。あいつが最初にやられることはまず無いはずなのになぁ……
ゲアラハが来てくれなかったら本当にまずかった。きっと誰かは死んでただろうから。
朦朧とする意識の中でゲアラハが
「何かあったら呼べとあれだけ何度も言ったでしょう!」
ってソルに怒ってた気がする。やっぱ大事なんだなぁ……
19年3月28日 晴れ 下つ弓張
まだ全く脚が治らないから、松葉杖を貰った。ここから1ヶ月半位はこのままらしい。そんなでは体が鈍ってしまう。それに、全治は3から6ヶ月だってさ。暫くは退屈な毎日になりそうだなぁ……
今ゲアラハに呼ばれても話は聞いてやれないなぁ……ああ、向こうから来てもらえばいいのか。
とりあえず安静にしておけだとよ。……退屈。
19年4月5日 晴れ 新月
今月も来た。何やらニコニコしながら嬉しそうに来たのでびっくりした。
「花見をしましょう。」
だって。桜が咲いてたのか。家から全く出てなかったから知らなかった。ソルが
「でもナデシコが……」
って言ってたが
「じゃあ抱えればいいんですよ。」
って。無事(?)ゲアラハに抱えられて桜並木まで連れてってもらった。
もう既に満開だった桜はとても美しかった。でも、それと同時に舞い散る花弁を見て、私の命もこの花みたいに短いのだと思い知らされた気がした。あと何年みんなで居られるのか、私はみんなと違ってただの人間だから。
「この景色が見られるのはあと何回でしょうね。」
ゲアラハがそう呟いたのが聞こえた。きっと気のせいじゃない。
「みんなで見られるのは、あと何回だろうね。」
私がそう言った時、アステルがピクっと動いた気がした。アステルは生粋の寂しがり屋だからなぁ……多分、ここの4人の誰よりも長生きすると思う。その時に耐えられるか。
「私も長生きしなきゃなぁ……」
桜の前で呟くのは間違いだったかもしれない。
桜は、美しく儚い神様が宿っているからね。
19年4月6日 晴れ 二日月
そういえば、今年は梅を見てないなぁ。梅だけじゃない。春の色んな花を見てない。見たかったなぁ……だけど動けないからどうしようもない。ただここで本を読んで、日記を書いて、友人と話すだけ。結構退屈。もう寝るのは飽きたし、何より眠くない。窓から見える景色だって限りがあるし。まあ、昨日会ったばっかのやつと今日会うとは思わなかったけど。
月を眺めてたらゲアラハが来た。ここは2階だぞ、なんで来たんだ、って言ったら
「だって。あなたが退屈だと思って。」
わざわざ来てあげたんですよ、だってさ。どうせあの二人のついでだろうと聞いたら
「友人に会いに来たって言ってるんですよ。今日はあの二人に関してはついでです。」
びっくりした。あの、片想い拗らせ男のゲアラハが。あの二人をついでだと……信じられん。
「少ない友人は大事にしなければなりませんからね。」
窓から入ってきた。不法侵入だぞ。
友人。友人か……お前の口から友人って言葉が聞けるなんて。ソルとアステルは友人より家族に近いかもだから、私の友人第1号がお前になるね。
「残りの短い生で何人友人ができるかなんてわかんないしね。」
「……そうですね。」
ゲアラハが寂しげに笑った。きっとまだ明るい太陽のせいだ。
「ああ、そうだ。これを。」
「あっ……」
渡されたのは梅の枝だった。まだ残ってたのか。もうとっくに散ったと思ってたのに。
「ありがとう。今年は見れてなくてさ。」
「だと思いました。……どうせあとは数える程しかないんですから、今のうちに見ておかないと勿体ないでしょう?」
いつもとはちょっと違う笑顔だ。つられて私も口角が上がった。
結局、ふたりとは顔を合わせずに帰っちゃった。ほんとに私に会いに来ただけかぁ……明日は季節外れの雪でも降るんじゃなかろうか。
19年4月7日 晴れ 三日月
窓際に貰った梅の枝を生けた。家から出られなくても春を感じられてとてもいい。アステルに「どうしたのそれ」って聞かれたけど、
「貰ったの。友達から。」
って答えた。アステルに「なんだか嬉しそうだね」って言われちゃった。
珍しく新月以外の日でゲアラハが訪問してきた。
びっくりした。3日連続でうちに来るなんて。しかも玄関から。昨日は窓から来たからさ。なんで、って聞いたら
「……理由もなく来ては行けませんか?」
だって。なんだ。お前はここを第2の家とでも思ってるのか。別にいいけど。
結局お茶した。アステルが最高に不服そうだったけど、ソルは終始上機嫌だった。
なんか、ソルも優しくなったよな。ゲアラハに。
19年4月9日 曇り 月が見えない
また窓から入ってきた。もしかしてこのペースでずっとうちに来るつもりなのか?そう思って聞いた。
「ここ数日来るペースが半端ないけど、どうした?」
ってね。そしたら
「だって、退屈なんでしょう?話し相手がいた方がいいかと思いまして。邪魔でした?」
こいつ、人の気持ちとか考えられたんだ。……失礼か。でも、こいつがあの二人以外で誰かのために行動するなんてびっくり。てっきり興味無いと思ってた。
「いや……そういう訳じゃないけど。ただ疑問に思っただけ。」
そう答えたら、そうですか、とだけ返されて氷で蝶とか花とか鳥を作りだした。器用なもんだ。
そうやってぼんやり氷の花を見ていたら、ソルが部屋に入ってきた。ゲアラハがいた事に相当びっくりしたようで、小さく悲鳴を上げてた。おかげで2人して腹抱えて笑った。怒られたけど後悔はしてない。
「アステルには内緒な。」
って言ってホットミルク持ってきてくれた。背徳感。ゲアラハは遠慮してたけど、ソルが勧めるから折れてた。ほんと二人には弱いよな、お前。
しばらく3人で談笑してた。それから、
……それから
「そういえば。なんでお前ここにいんだよ。」
すごく今更。
「友人に会いに来ただけですよ。」
ゲアラハがさも当たり前かのように言ってホットミルクを啜った。ソルが目を丸くして、フッと笑った。
「……そっか。」
「それよりも」
ゲアラハがソルを半目で睨む。
「あなた方は自身の『家族』ともっと会話してみては?これじゃあ私の方が余程喋ってますよ。」
ソルが痛いところを突かれたように目をそっとそらす。
それより。今、私をソルの『家族』って言ったね。それがちょっと嬉しくて、ちょっぴり目を細める。
「…怪我人はそっとしといた方がいいと思ったんだよ。」
「それはよっぽどの重病人くらいですねぇ。それか怪我した直後くらいの人か。いずれにせよ、今のナデシコはどちらでもないんですから。もう少し話してみては?」
そういうと、ホットミルクご馳走様でした、と言い残して窓から去っていった。
「……ソル。」
「なあ、ナデシコ。」
どこかぼんやりしたソルがナデシコの名を呼ぶ。
「なあに。」
幼子に話しかけるように、ゆっくりと返事をした。普段は私は妹的立場だけど、今だけはお姉ちゃんだ。
「家族だって。俺ら、家族なんだって。」
じゃあ、俺らにとってあいつってなんだろう。そう呟いていた。
19年5月5日 雨 新月
今月も来た。というか、先月夜に窓から入ってきて3人で話した時以来だ。あれからゲアラハはずっと来てなかった。だから実質ひと月ぶりだ。五月雨が降る中傘を差してやってくるのが見えた。今日もいつも通り激苦薬をねじ込まれるのだろう。アステルがまた改良していた。どっちかって言うと改悪か。
1階から悶え苦しむ声が聞こえてきた。ああ、そういえば久しぶりにねじ込まれるんだなぁ、って気付いた。先月は花見をしたし、先々月はアステルがいなかった。ふた月ぶりの激苦薬はさぞ苦いだろう。笑える。
……そういえば。桃国のものに千振茶っていうとんでもなく苦い茶があったはず。今度買って飲んでみよう。あいつの気持ちが少しでもわかるはずだ。
珍しく今日は滞在時間が長い。いつもは薬をねじ込まれて悶えている間にアステルが締め出すんだけどな。
「脚の具合はどうです?」
ノックぐらいしろ!!!
19年5月20日 晴れ 十六夜月
だいぶ脚は大丈夫になってきた……はず。医者が「このまま順調に行けばあとふた月ほどで治る」ってさ。喜ばしいね。
いつの間にか窓際に白い撫子が置かれてた。ここに置くのはきっとあいつしか居ない。
出たばっかの月をぼんやり眺めて、今日は顔を合わせには来ない日なんだなって思った。自分が思ったよりあいつと会うことを楽しみにしてるので1人で吹いた。
そっか。楽しみなんだね。あいつと話すのが。これが友達ができるってことなんだ。いいものだね。
19年5月31日 曇り 月は見えず
撫子を窓際に生けた。私の名前と同じ花。可愛らしい白い花。なんで今置いたんだろ。不思議でならない。今日は2人は出かけてる。だからうちには私一人だ。1人は慣れている。ここに来る前も1人だったから。
窓をノックされた。窓から入ってくる奴なんて一人しかいない。開いてるよ、と声をかけると
「窓の鍵くらいちゃんと閉めてください。不用心ですよ。」
やっぱりゲアラハ。今日はなんの用だろう。
「今日はいないんですね。2人とも。」
「出かけてるからね。今日は私はお留守番って訳。」
じゃあ堂々と玄関から入ってこれば良かったですかね、と呟くゲアラハをよそに、水出し茶を淹れる。茶請けは何も無いけど別にいいでしょ。
「……帰ってきたらどうするんですか。」
「昼まで帰ってこないよ。」
まだ時間があったので、そうですか、とゲアラハは椅子に座る。
暫し雑談をした。そうしてゲアラハが家を出た。茶器はあえて片付けなかった。
19年6月3日 雨 新月
……梅雨だ。こんなでは花も見れない。まあ元々家から出るつもりもないので、変わりはしないんだけど。
今月もやってきた。最近二人に内緒で来てることが多いから、久しぶり感は薄い。今日も激苦薬を突っ込まれて笑顔で去っていく。
あれ。アステル、笑った?
あいつの前じゃ絶対に笑わないのに。
19年6月29日 雨 月が見えない
今日はアステルの誕生日らしい。あいにくの雨だけどみんなで祝った。カタっと音がして窓を見たら、雨に濡れた花が数輪置いてあった。ジャーマンアイリスだ。
「あいつ、意外とっていうか、ロマンチストだよな。」
ジャーマンアイリスの花言葉は「燃える思い」「情熱」
卓上にでも飾ってやろう。