後悔と喪失、未来への思い…なんだろう、今、すごく寂しい。
血管の中全てが喪失感で満たされている感じ。
それもこれも、おそらく昨日の出来事の所為。
ーー昨日、そう、昨日。
なんだか妙に胸騒ぎがして、家から飛び出して聖堂に行ったんだ。
3月20日。「彼ら」がちょうど5歳になって、太陽と月の祝福を受け取る儀式をする日。
本来厳かに、平和に、つつがなく執り行われるはずの儀式。太陽と月が生まれると言っても過言ではない儀式。先々代の月が帰ってきた時でもある。
なぜか、本来晴れやかなはずの儀式に、不純物が混じるような気配がした。
「…っ」
ああ、思い出したくもない。あの光景。
息が詰まるほど漂う鉄の匂い。目を背けたくなるほど穢い赤い色。
「…アステル?」
あの目は、一生忘れることはないだろう。
自分に向けられた、恐怖と困惑、驚愕が入り混じった目。殺した後も殺してやりたいあいつの目。
「お前が!…2人を…」
あの時は冷静さを欠いていた。呪いのせいでもあったが、目の前に起きていたことが、とても現実に起きていることだとは思えなかったから。
その後の奴の言葉に耳を疑った。
「ああ。そうさ。オレが、殺した。2人とも。研究のために。」
そんな、そんな。奴の知的好奇心のために、未来ある2人の人間の命が奪われていいはずがない。吐き気がする邪悪。
こんなやつをのさばらせてはいけない。そう、思った。
その後はあんまり記憶にない。あんなひどい思い出を自分の脳に留めておきたくなかった。みんなとの幸せだった思い出が、あんなやつの身勝手な行動で上書きされたくなかった。
ただ、覚えているのは。
あいつを殺したこと。
聖堂の中だと場所も狭いし、民間人に被害が出るかもしれなかったから場所を変えたんだ。
死闘の場所は、僕が初めて意識を持った場所。
僕が生まれた場所。
街の郊外の丘。木も何もない草原。いつしか、4人で天体観測をした場所。
星々がよく見える場所。
文字通りの死闘だった。勝てば信念を貫けることができ、負ければそこで人生が終わる。
あらゆる手を使った。自身の血、持ちうる限りの魔法、星の力。
時刻は逢魔時。視界が薄暗く、武器の視認が難しい時間帯だった。
相手は暗器使い。視覚の外から攻撃をしてきた。何回頬を刃物が掠めたかわからない。
腕、脚、腹を、何回貫かれたかわからない。
それくらい、お互いに限界の戦いだった。殺意を込めた攻撃だったから。
最後に僕はあいつの正面、懐に飛び込んで、
自分諸共レーザーで吹き飛ばした。
そのあとは、なんだっけ。ああ、そうだ。
気がついたらノクスに介抱されていて。聖堂の一室で目を覚ましたんだった。
どうやら僕はうまくやったらしくて、あいつの心臓を貫いたようだった。
右胸が今もジワリと痛む。人間ではない者だから、回復は早いはず。一週間もすれば痛みは消えていると信じたい。
ああ、もう、何もかもが自分の手から離れていった。
もし殺されたソルが、儀式で「ソル」の記憶を持ったら?もし殺されたゲアラハが、また「ゲアラハ」であったら?
そんなことは考えたくない。
大事な人も、これから大事な人になるかもしれなかった人も、知ってる人も、全てが掌からこぼれ落ちていった。
自分の不甲斐なさに涙が出る。あと数分、数秒つくのが速ければ。もしくは、出会った時にあいつと知り合いにならなければ。
「ゲアラハ」の言ったことは正しかった。見ず知らずの者は、簡単に信用しちゃいけない。あの時家にあげたのが間違いだったんだ。
次のソルとゲアラハは、果たして生まれてくるのだろうか。こんな出来事は初めてだと、ノクスは言った。
もし、次が生まれて来なかったら。その時は、どうしようか。
「ソル」はソルとして帰ってくるのだろうか。それとも、別の形で?
確証がないことを約束するんじゃなかった。「またね」と言って別れるんじゃなかった。
いつかわからない「また」を約束するには、まだ早かった。
また惰性で生きる日々が続くのだろうか。
左手薬指の冷たさが、骨まで伝わってくるようだ。
息を止めんとする呪いと共に、いつまで彼らを待つのだろうか。
終わりのない苦しみに僕を置いて行くことに、彼は気付いていただろうか。
僕は何が目的なんだろう。「ソル」と再会して、何がしたいんだろう。
再会することが目的なんだったら、僕は今すぐにでも毒を飲んで死ぬ。そして、空の元で再会を果たすだろう。
だって、その方がずっと楽だから。
僕は、彼と何がしたいんだろう。
55年前までの、4人での暮らしは戻ってこない。たとえ彼が、彼らが戻ってきたって、ナデシコは戻って来ない。
僕は、何をしたいんだろう。
楽になりたいのだろうか。それとも、苦しみたいのだろうか。
でも、約束したから。彼との最後の約束。
「ソル」は、僕に生きていてほしいのだろう。「ゲアラハ」もそうだった。彼らは、僕を大事に思っているから、生きていて欲しいんだ。
僕は、別に孤独に生きたいわけじゃない。みんなで一緒に生きていたかっただけなんだ。
僕1人じゃ、この家は広すぎるし寒すぎる。
至る所に痕跡は残してあるが、それでも時と共に薄まってしまう。
もう少しだけ、待ってみよう。
まだ決めるには早い。僕には時間がたくさんある。次の2人にかけてみよう。
もし、次がなかったら、その時はその時だ。
「よし。」
喝を入れるため、指輪をはめなおして立ち上がる。
「僕がこんなだと、みんなも心配しちゃうよね。」
卓上に飾ってある桔梗に話す。返事はもちろん帰って来ないが、寂しさを紛らわせるには十分だ。
いつも通りに、日常を過ごそう。
大丈夫、1人になるのは三度目だから。
「大丈夫。大丈夫だから。」
彼女がやってくれたように、自分を落ち着かせるために口に出す。
僕が耐えれば済む話ならば、喜んでそうしよう。
彼が帰ってくるまで。