介抱しながら背中さすったりポンポンしてくれるギが見たいから書いたなんでも許せる人向け金女主そこは何も無い空間だった。
どこを見ても真っ暗で、月の裏側で閉じ込められた犬空間と呼ばれたあの空間も、思い返せば同じような暗さだった。
あの時と違う点があるとするならば手足を動かす自由はあって、しっかり自身の足で歩けるということだ。
またどこかに閉じ込められてしまったのならば歩いて出口を探そう。
そう思って足を踏み出すと、水を踏む音がした。
水溜まりの中に立っていたのかだろうか。そんな軽い気持ちで視線を下に向けて、すぐに後悔した。
──辺り一面が真っ赤だった。
ただ赤いだけではない。鼻を突き刺すような臭いを感じる。
この臭いは間違いなく血液──つまりこの一面の赤は全て何かの血液ということになる。
そして、その大量の血を流している持ち主と思われる『誰か達』が自分を囲うように倒れている。
「───────」
それを視界に捉えて、絶句する。
…その倒れ伏した『全員』が見知った存在──ギルガメッシュだった。
「え……」
黄金の鎧姿のまま、上半身を斜めに両断されたギルガメッシュ。
見覚えのない黒いジャケット姿で、右腕が切り落とされ、上半身を両断され、さらには額でも射られたのか顔の半分を血で染めたギルガメッシュ。
同じく見覚えのない格好で頭にヴェールのようなものを被せた姿で、脇腹に穴を開けているギルガメッシュ。
至る所にまるで毒でも塗られたかのような矢が刺さったまま、腹部に貫通するほどの大きな穴を開けたギルガメッシュ。
その全員が、各々が負った傷から流れた血溜まりの中で事切れた姿で倒れていた。
胃液がせり上がってくるのを。震える足が崩れ落ちるのを、なんとか我慢しながら、視線を前に向ける。
少し遠く離れた位置に、また違うギルガメッシュが居た。
右腕が無いまま死んでいるギルと格好自体は同じだ。遠くに居て、こちらに背を向けているため顔は見えない。
しかし、彼は立っている。まだ生きている。
「ギ────」
呼ぼうとして、彼の更に奥に居る黒い影の存在に気づく。
頭足類のような形をしているが決して生物ではない。月の裏側で遭遇したシェイプシフターに似た形の大きな影。
それは、ギルガメッシュを『食べよう』とゆっくりと近寄ってくる。
逃げて。逃げないと食べられる。足元に居る彼らと同じ事になる。
そう思って、彼の方に手を伸ばして気づく。
彼は逃げない。…逃げられない。
なぜなら──逃げるための脚が、片方既に食べられていたから。
そうして、立ち尽くすギルの身体は影に覆われていく。
肉が裂け、骨が砕ける音が響いたあと。食べ損なわれて残った彼のもう片方の脚が、支える力を失い血溜まりの中に倒れて───
「ぁああああああッ!!」
振り払うように、飛び起きた。
寝る前は電気がついていて明るかった寝室は、消灯されていて暗い。
その暗さに先程の光景が再び頭をよぎって、今度こそせり上がってきた胃液を我慢することができなかった。
「ぉえ………」
口から溢れ出た吐き出したものがシーツに染みていく。
嘔吐物が喉に張り付いた痛みと相まって、呼吸が苦しい。
溢れる涙は止まらず、頬を伝って落ちる。
「──種。──い──した」
「は…はっ…は…」
浅い呼吸しかできなくて、息ができない。
早鐘を鳴らす心臓が、余計に呼吸をさせてくれない。
「──野。…の!………くの!」
「は、はッ…ぁ……か…」
胸を押さえる。背中を丸くして蹲る。
心臓はどんどんと速度を上げていく。今にも身体から飛び出して爆発しそうだった。
胸が痛い。痛い。苦しい。苦しい。息ができない。呼吸ができない。
身体の震えも止まらない。このまま、私は、死んで、───、
「白野!!」
頬を両手で挟むように叩かれ、強い力で顔が上に向けられる。
部屋は明るくなっていて、潤んだ視界にギルガメッシュの顔が映る。赤い瞳が真っ直ぐ私を見ている。ちゃんと彼の顔が見える。
血も出ていない、両手両足がある。しっかり生きているギルが、目の前に居る。
「ぎ………る………?」
「落ち着け。どうした」
「ぎる………い、る………いき…て、る…………?」
「生きておるわ。…いや、厳密に言えばとうに死んでいるが…。とにかく、我はここだ。しっかりせよ」
「…………うッ…ぁ…は……はっ、は…」
「過呼吸なんぞ起こしおって。とにかく呼吸を整えろ」
整えろって言われてもできない。胸の痛みと苦しさのせいでやり方を忘れてしまった。
その言葉が出てこなくて、は、は、は、という浅い呼吸しかできない。
見兼ねたのか、察したのか、ギルガメッシュは僅かに眉間にシワを寄せると短く溜息をつく。
「………まったく、手の焼ける」
そう呟くと、腕を伸ばして私の背中に手を回し、そのまま私を自分の身体に引き寄せた。
「っ…!」
抱き寄せられて、彼の温かい体温が全身を包み込む。
背中に回ったギルの手は、優しい手つきでさすり始める。
「白野。落ち着いて、しっかり呼吸しろ。息を吸え」
「…………」
言われるままに、息を吸って吐く。
「まだ吐くな。吸って、一度息を止めろ」
再び息を吸って、一度息を止めてから、吐く。
「そうだ。それを繰り返せ。肺に酸素を届けるよう意識して、徐々に吸い込む量を増やして吐き出すのだ。それが呼吸だ」
「………………」
「焦らずともよい。ゆっくりな」
初めて聞くような穏やかな声だった。
言われた通りに、息を吸って、止めて、吐くを繰り返す。
しばらく繰り返して、ようやく自然な呼吸ができるようになり全身の力が抜ける
息苦しさと胸の痛さは和らいで、暴れるように鼓動していた心臓も徐々に落ち着いていく。
目を瞑って一際大きな息を吐く。ずっと背中わさすってくれていたギルの手は、いつの間にかぽんぽんと軽く叩く動作に切り替わっていた。
「…落ち着いたか」
「…うん……」
問いかけに頷いて、ギルガメッシュの背中に手を回して縋るように抱きしめる。
大きな身体は温かくて、とても落ち着く。
彼に抱き寄せられる事は初めてではなかったけれど、ここまで安心できる瞬間は初めてだった。
視線を横に向けると、先程吐き出した嘔吐物で汚れたシーツが目に入る。
洗って再利用する気にもなれない。あれはもう捨てるしかなくなってしまった。
ギルの宝物庫から出した特上の寝台なのに。
「シーツ…ごめん…汚した…」
「布切れなどいくらでも替えはあるが、お前に替えはない。シーツの一つや二つどうでもよいわ」
心配してくれてるのだろうか、今日のギルはとても優しく見える。
とは言っても、隣で寝ていた相手がいきなり飛び起きて吐いてる姿を見ては流石の彼も驚いたのだろう。まだ夜も明けない深夜だというのに悪いことをしてしまった。
「そこまで取り乱すからには余程ろくでもないものだったのだろう。何を視た?」
「……………」
思い出すのは怖いけど、怖いから何も言わないは通じない。
…私のギルはちゃんと居る。この温かさは本物だ。だから、大丈夫。怖いことなんて何も無い。
ゆっくりと目を閉じて、夢で見たあの地獄のような絵を思い浮かべながら、深呼吸を一つ。
「…ギルが…たくさん…死んでた…」
「…なに?」
「色んな格好をした…色んなギルが…色んな方法で…食べられたりして…殺されてて…とにかく…怖かった…」
「………………………………」
背中の服を掴む力を強めながら、ギルの身体に頭を埋める。
普通なら意味の分からない話だと一蹴されるような内容。しかしギルガメッシュは黙って何か考え込んでいる。
…が、すぐにやれやれと言わんばかりにハァと息を吐いた。
「…ふん、文字通りろくでもないものを見おって。そんなものは夢に過ぎぬ。この我が何処の馬の骨とも知らぬ雑種共にやられるわけがなかろう」
「……そう、だよね…。ギルは…ここに、ちゃんと…居るもんね…」
「居る。…心を強く持て、白野」
彼の心強い言葉に心底安堵する。嫌な夢だったけれど、それだけならば良い。
気が抜けると、一気に眠気がやってきた。
それを察知したらしいギルは、赤子をあやすようにそっと頭を撫でてくれる。
「よい。今は寝ておけ。我に身を預けることを特別に許してやる」
「…ありがと…ぎる……」
ゆっくりと瞼を閉じる。
彼の温もりに包まれる心地よさに、意識はすぐに落ちていった。
〇 〇
それきり白野は静かになった。
耳元では穏やかな呼吸が聞こえる。どうやら寝入ったらしい。
「やれやれ、やっと寝たか。まこと、手間のかかる女よ」
ギルガメッシュは小さく呟いて、疲れたように再び溜息を一つついた。
寝台──は彼女が嘔吐した跡があるので使えない。リビングのソファーにでも寝かせるべきなのだろうが、どうもしっかり抱きついて眠っている彼女は起きない限りはギルガメッシュを放しそうにない。
随分魘されている様子であるのは彼女が飛び起きる前から察知して様子を伺っていたものの、まさか嘔吐して過呼吸を起こすほど深刻な問題とは思わなかった。
しかし、これで事態が解決したとは言えない。
英霊の座に登録されている以上、聖杯戦争を前にして『ギルガメッシュ』というサーヴァントが魔術師に召喚されるという枝分かれした世界線は数多くある。
彼女が見た光景は、その世界線で召喚された『ギルガメッシュ』の終末の姿。あるいは別の終末に繋がる姿、という事だというのはすぐに察せた。
かつて、ギルガメッシュは『自身は本来倒される側の存在』だと彼女に語った。
その意味を物語ることこそ、まさしく彼女が先程視たもの、ということだ。
「(よりにもよって『そこ』を視るとは…間の悪い)」
ギルガメッシュはこの話を白野に隠そうとは思っていない。
視てしまった以上いつかは話すべき事柄だが、困憊しきった彼女に話すのは追い討ちをかけることになる。
身も心も回復するまでは夢だったと思わせておけば、少しは彼女の負担も減るだろう。
「───────」
…と、考えたところで、ギルガメッシュは目を見張って我に返った。
寄り添って介抱など柄にも無いことをしたおかげか、過保護になってしまっていたらしい。
「随分とまぁ…英雄王たる我が小娘一人にここまで甘くなったものよな」
こんな姿は友や祭祀長ならともかく、あの駄女神にだけは死んでも晒したくないものだ、と自分で自分に対して鼻で笑う。
自分の身体に寄りかかってすうすうと寝息を立てる契約者に顔を向ける。
…完全に安心しきっている。許すと言ったとはいえ、ここまで素直に身体を預けるとは思わなかった。
その気になればこの手は彼女の細い首を絞めて殺すことも安易なことだが、それをギルガメッシュがするとは岸波白野は夢にも思っていないだろう。
事実として、現状そんなことをする理由はギルガメッシュにはないのだが、それはそれとしてこの状況に思うことがないと言えば嘘になる。
嘘にはなるのだが、
「まあ、今回は特例だ。感謝しろよマスター」
笑みを含んだその声は眠る少女の耳には届かない。
その代わりに、少女の閉じた瞳の目尻に溜まった最後の涙が、頬を伝って静かに落ちた。