来栖暁があけちごろうくんを育てる話②気がつくと、暁さんの顔が僕を見下ろしていた。
「……あ、起きたか。大丈夫か?吾郎」
暁さんは変わらず優しく笑いかけてくれる。
僕は暁さんが用意してくれたベッドの上で横になっていた。
大きな温かい手が、頬を撫でる。
「ベッド、寝心地良かったか?」
こくんと頷く。
「なら良かった」
「……僕」
「泣き疲れちゃったみたいでさ。あの後、寝ちゃったんだよ。しばらくヒクヒクしてたから心配だったけど、治まったし安心した」
「…………ごめんなさい」
迷惑をかけてしまったから謝らないと。
だからそう言ったら、暁さんは目を丸くして、でもすぐにハハッと笑う。
「なんで謝るんだよ。吾郎は何も悪いことしてないだろ?……起きれるか?」
こくんと頷いて、身体を起こした。
暁さんが用意してくれたベッドは初めて見る大きさで、僕くらいの子だったらあと三人か四人くらい寝てても狭くなさそうだった。
「……なあ。ところで、吾郎が持ってきたコレだけど……もしかして荷物これだけとかだったりはしないよな…?着替えとかが入ってるようには見えないんだけど」
暁さんは言いながら、床に置かれたリュックを指差した。
「……服は、全部叔父さんの家の子のを借りただけで……僕のは無いです。今着てるのも…いらないからってもらったやつだから、それだけです」
「うっわ……マジか……」
暁さんは大きく『ハァー……』と息を吐いて、顔を手に当てた。
今までの大人達は僕が何か彼らにとって嫌なことをしたら今みたいに息を吐いて、睨みつけてきた。暁さんにも同じことをしてしまったのかもしれない。
「………ごめんなさい」
「え?ああ、違う違う。吾郎は何も悪くない。いい歳した大人が子供相手に服も買わないなんてバカなことしてるのが同じ大人としてガッカリしただけだ。本当に、よくそんなところで頑張ってたよ。……強いな、吾郎は」
笑いながら頭を撫でられる。
「…………っ……」
これまでのことを思い出すと、また目が熱くなってきて暁さんの顔が歪んで見える。
暁さんは、落ち着くまで待ってるよ。と、言いながら抱き寄せて頭をぽんぽんと優しく叩いてくれた。
少しして、ようやく涙も落ち着いた。それを見届けた暁さんは立ち上がって手を差し出してくる。
その手と暁さんの顔を交互に見ていると、暁さんはフッと笑って僕の手を握る。
「それだけ目真っ赤だと痛いだろ、顔洗いに行こう。…こっちだ」
そして、そのまま僕の手を引いて洗面所に向かって行った。
洗面所の前に立ったはいいものの、身長が低い僕は洗面台の蛇口に手が届かない。
「やっぱり踏み台……必要だな…」
と呟きながら、 暁さんはそんな僕を見ながら手を顎にくっつけた。本で読んだ探偵さんのような仕草で何かを考えている。
すると、手を下に戻した暁さんは『ごめんな』と小さく謝ると、両脇に手を入れてそのまま僕を持ち上げた。
「わっ」
「この高さなら届くか?」
「えっ……あ、はい」
「……そうか」
レバーを上げ下げして水を出したり止めるタイプの蛇口から、水を出して顔を洗う。
鏡に映る、暁さんに抱えられたままの僕の顔は暁さんの言う通り目が真っ赤だった。
「…あの、洗えました」
「ん?ああ、分かった」
ずっと足元を見て何かを考えていた暁さんは、声をかけると顔を上げて、タオルがかかった壁に向きを変えた。
「タオルはそれ使っていいよ」
言われた通りにタオルを取って、顔を拭く。
あった通りの状態にタオルを戻すと、暁さんは洗面台から離れてすぐ近くのトイレの電気のスイッチの前に立った。
こちらも今の僕では手が届かないと暁さんも分かっていたものだ。
「今くらいの高さがあれば手届くか?」
頷く。
「……なるほど。三十センチくらいの高さがあれば大丈夫なんだな。……よし、降ろすぞ」
言いながら、ゆっくりと床に僕を下ろして脇に入れた手を離す。
「とりあえず踏み台の高さの目安は分かったよ。急に抱えてごめんな。…でも、助かったよ。ありがとう」
ニコッと笑う暁さんに顔をふるふると横に振る。
「じゃあ俺ちょっと出かけるから、吾郎は家でゆっくりしててくれ」
「えっ」
「買い物だよ。少なくとも踏み台は今日買わないと吾郎が困るからな。色々あって疲れてるだろ。家の中にいてくれるなら後は好きにしてていいよ。なるべく早く帰れるようにするから」
素早い動きでカバンを持って玄関に向かって歩き出す暁さん。このままでは本当に出て行ってしまう。靴を履くためようやく立ち止まった暁さんの服を掴んで引っ張ると、ビックリした顔をして振り向いた。
「吾郎?」
「僕も……行きたい、です」
「いいのか?電車に乗って行くから遠いぞ?それにかなり歩き回ると思うし…」
「…大丈夫です」
「別に無理しなくてもいいんだぞ。俺は怒らないから」
首を横に振る。
親戚の人達にこんなことを言おうものなら、怒られるかぶたれるかだったから、欲しいものがあっても行こうとも思わなかったけれど。
……なんとなく、今はこの人と一緒に居たかった。
「…………。分かった。じゃあ一緒に行こうか」
それが伝わったのか、暁さんはニコッと笑ってくれた。
僕もそれにこくんと頷いた。
〇 〇
一緒に外に出て、電車に乗って、少し歩くと大きなお店に辿り着いた。
マンションみたいに高い建物の中に服屋さんやおもちゃ屋さん、本屋さん、雑貨屋さんなどの色んなお店が入ったお店。
迷わないようにと暁さんはずっと僕の手を握りながらゆっくり歩いてくれる。中に入って、最初に入ったのは服屋さんだった。
ピカピカの色んな服がズラっと一列に並んでいて、服を着た顔がない人形が飾られている。こういうお店に来たのは初めてだったので、お母さんや親戚の人達はこうやって服を買って渡して来たんだろうと今分かった。
……親戚の人達が買ったのは自分の子供のためのものであって、僕の服ではないけれど。
「とりあえず普段の着替えとパジャマ……あとは下着と靴下……あー靴も必要だな」
ブツブツと呟きながら、暁さんは男の子用の服が沢山並んでいる場所まで歩いていく。
そして『お』と言いながら立ち止まって、服の一つを引っ張り出してそれを僕に向ける。
「これとか吾郎に合いそうなデザインしてるな。…あ、これも良い。これも似合う」
手に取って一度僕の方に当てて、その服を持っていたカゴにどんどん入れていく。僕はそれを見ていることしかできない。それが五枚目になったところで、ふと暁さんと目が合った。
『あっ』と言いながら暁さんの手が止まった。
「……ごめん、俺が選んでちゃ意味ないな。吾郎が好きなの選ばなきゃいけないのに」
はは……と笑う暁さんに、首をふるふると振った。
「暁さんが、選んでくれたので、いいです」
「いいのか?」
「…僕、よく分からないから。選んでもらった方が……いいです」
今まで渡されたものしか着てこなかったから、好きなものを選べと言われても分からない。
なら、この人に選んでもらった服を着てみたいと思った。
「………そっか、分かった。じゃあ俺が選ぶよ。でも気に入ったの見つけたらちゃんと我慢しないで言うんだぞ。あくまで吾郎のための服なんだから」
こくんと頷く。
……結局、服も靴も、暁さんが『これはどうだ?』と言いながら選んでくれたものを買ってもらった。