あけちごろうくんを育てる来栖暁の話(ごろうくんシリーズ番外編)ピピピとスマホから流れる電子音に目が覚める。
朝はずっと苦手だった。親に起こされるか、モルガナに起こされるか、いつもその二つだった。
しかし、そんな親もモルガナも置いてきたこの世界では、この身を起こすのはこのスマホのアラームと起きなければいけないという意志のみ。そしてその意志は決して曲げてはならないと心に誓っている。
布団を剥いで、起き上がる。親が居なくても、モルガナが居なくても、俺は案外起きれるようだ。
時刻は朝の六時。部屋の向こうで予約設定した炊飯器が使命を完遂した音が聞こえた。
部屋を出て、顔を洗う。そして、音を立てないように自室の隣の部屋のドアノブを回して、扉を開けた。
カーテンが閉められた部屋の中で、ベッドの上には小さな膨らみがある。怪盗団時代に育てた忍足で近寄り、その膨らみの主の顔をそっと覗き込む。
……記憶にある姿よりずっと幼い姿の明智は、まだ起きていない。年相応のあどけない顔で、穏やかに寝息を立てている。
イゴールとラヴェンツァに協力してもらい、まだ小学生の明智の育ての親として成り代わり、復讐に囚われた運命を変えるために擬似的な親子生活を始めて既に三日目。
昨日は盛大に寝坊してしまい、小さな子供に自分で作らせたカップスープを朝ご飯にさせてしまうという失態を犯して、その上驚かせて泣かせてしまった。
その小さな体が抱えるには大きすぎる心の傷を刺激させてしまった。あれは完全に俺が悪い。
もう一生同じことはさせないと、あの瞬間に心に誓った。 その汚名返上をするためにも、これからは毎朝彼より早く起きて、朝食を作る。
二日間で分かったことはまず、明智は俺が一挙一動するたびに身体を強ばらせ、何かあるとすぐに自分が悪いと思い込んで謝る。大人に対して強く恐怖を抱いてるようで、話す時、食べる時、何か行動を起こす時、いつもこちらを恐る恐るという様子で伺っている。基本的に自分から話すことは無い。
詳しいことは分からないが、母親を亡くしてから親戚の家を転々としている間に随分と酷く親戚から虐げられ続けてきたのだろうというのはなんとなく察せた。
俺が知るあの明智もそういう幼少期を過していたかどうかは今となっては分からないが、少なくともこの世界の明智はそういう子供になってしまっている。
最終的な目的は獅童への復讐心を取り除き、明智がヤルダバオトの手中に収まらないようにすることだ。
だが、その前に大人への恐怖心から解放させること──は無理でも、せめて俺は安全だ、全ての大人がそういう人間では無い、という認識ができるようにすることが当面の目標。自分が朝起きたら食事を作ってくれる人が居る日々が当たり前の日常であることを教えてやるのだ。
昨日ハンバーグを一緒に作って食べた時に見せた年相応の晴れやかな笑顔を、当たり前にできるように。
「よし」
味噌汁を作り、だし巻き玉子を二人分焼く。
この世界に来る前はモルガナが居るとはいえ一人暮らしで自炊もしていた。EMMA騒動の件で日本一周した時に沢山料理も覚えた。一般的な家庭料理なら、人並みの腕があると思う。
焼いた卵焼きを皿に乗せて包丁で切り込みを入れると、ガチャリと控えめにドアノブが回って扉が開く音がした。ゆっくりと扉が動いて、その細い隙間から目覚めたらしい明智が恐る恐るといった様子で廊下を覗き込んでいる。
誰かを探すように辺りを見渡して、やがてリビング側であるこちらに目をやる。そしてリビング側に居る俺の視線と大きくて丸い赤茶色の目が、バッチリ合った。
「あっ……」
視線が合うなり驚いたような、慌てたような顔のまま目のやり場に困っている。
……まあ、昨日が昨日だったし、この反応は仕方ないと思う。彼にとって、朝起きて自分の部屋を出たら俺がもう起きているという状況は初めての出来事なのだから。
「おはよう、吾郎」
「…ぁ……えっと……その……。お、はよう……ござい……ます……」
ニコリと笑って声をかけると、戸惑いながらも返事を返してくれた。『ございます』の部分から声が小さくなって、正直『ます』の部分は聞こえなかったけれども。
「よく眠れたか?」
こくんと頷く。昨日から日中眠そうな様子はないし、眠れているのは本当のようだ。
昨日で敬語は取れたものだと思ったけど、まだ完全には抜けてない。まあこれも仕方ない。気長に、アイツとの信頼関係を築いていこう。
「今日はちゃんと朝ご飯作ったから安心しろ。顔洗っておいで」
「……は、………うん……」
自分が敬語で喋っていたのを思い出したのか言い直しながらぎこちなく頷いた。律儀だ。
「敬語で喋ってても怒らないから無理に変えなくてもいいよ」
「…無理は……してない、から」
「………そっか。まあでも、ゆっくりで良いからな」
「…うん」
どうやら明智も明智で、少しずつ俺に歩み寄る努力はしようとしてくれているようだ。
まだ完全に心を開いてないかもしれないけれど、それだけでも今は充分だと思う。
〇 〇
『そういえば、お前の誕生日ってもう過ぎてたんだな』
『え……?』
これは俺が怪盗団をしていた頃に、幼くない、高校生の探偵王子を振舞って、偽りの仮面を被っていた明智と会話した時の記憶だ。
前触れもなく話を振ったとはいえ珍しく目を丸くして固まっていたから、よく覚えている。
『あ、ああ…うん。もう十月で、誕生日は六月だったからね、とっくに過ぎてるよ。あんまり意識したことなかったから、いきなり言われて驚いたよ』
『自分の誕生日にあんまり興味無いのか?』
『……そうだね。誰かから何かを貰えるわけでもないし、ファンの人達からブログとかにお祝いのメッセージは沢山来てたけど…あんまり見てなかった』
『ふーん……じゃあ俺が何か買ってやる。何がいい?』
『ええ?君が僕に?いいよそんなの。特に欲しいものがあるわけでもないし、プレゼントってあんまり慣れてないんだ』
『慣れてないって、子供の頃とか何も買って貰えなかったのか?』
『母が生きてた頃におもちゃの光線銃を買ってもらったけど…それが最初で最後だったよ。母が亡くなって親戚の家に引き取られてからはプレゼントどころかお祝いすらしてもらえなかった。母と過した誕生日は楽しかったけど、それ以降に良い思い出はあんまりなかったかな』
『………だから、慣れてないのか』
『うん。まあ、そういう訳だからさ。無理に気を遣わなくていいよ。…その気持ちだけで、充分嬉しいから』
そう言いながら見せた笑顔は、果たして本当のものだったのか、本心を隠した分厚い仮面だったのか。
本人が居なくなった今となっては、分からない。
そして時が過ぎ、巡り巡って、俺は今幼い明智と共に近場の大型デパートを歩いている。
彼の誕生日である六月二日はすぐそこまで来ていると言うのに、未だに隣を歩くこの子供からは『何かを物欲しそうな目で見る』という子供特有の仕草が見られない。
自分が明智と同じくらいの年齢の時はワクワクが止まらなかったオモチャコーナーを一通り回ってみても明智は並べられたオモチャに目を向けることなく。
挙句の果てには
「暁さん、おもちゃ買うの?」
と、問いかけられる始末。『大人なのにおもちゃなんか欲しいんだこの人』という不思議そうな顔で見られた。ゲームコーナーに行っても同じ問いかけをされ、同じ顔をされた。あまりにも心外すぎて『お前に買うんだが?』という言葉が喉から出かかったがなんとか抑えて誤魔化した。どうやら自分に宛られたものを俺が探しているとは夢にも思ってないようだった。
「なあ、吾郎は今欲しいものとかないのか?」
「欲しいもの?」
「ああ。なんでもいいよ」
「…………消しゴム?」
「いや、そういうのじゃなくてだな…」
「じゃあどういうの?」
苦笑すると、不思議そうな顔で首を傾げられる。
かなり簡単な話をしているつもりだが、どうも見事に平行線を辿っているようだ。
「吾郎はフェザーマン好きだろ?毎週欠かさず見てるし」
「うん」
「あれのフィギュアとか色んなグッズがあっちのオモチャコーナーにいっぱい売ってるんだ。欲しいと思わないか?」
「……どうして?」
どうして、と来たか。これは思った以上に重症かもしれない。
明智の低い視線と目を合わせるために、膝を折る。
目の前に来るのは幼い明智の顔。きょとんとした顔に、笑いかけてやる。
「もうすぐお前の誕生日だろ。吾郎が欲しいものをプレゼントしたいんだ」
「……たん、じょうび……」
赤茶色の目が丸くなった。思い出した、という様子だ。しかし晴れると思っていたその表情は曇って、そのまま俯いた。
「……嬉しくないのか?」
「…誕生日は、ずっと叔父さん達に怒られてばっかりだったから…」
「……………………」
『産まれることを望まれなかった子供ってわけさ』
機関室で静かに語った、明智の声が頭の中に響いた。
暮らし始めてからしばらく経つ内に、明智の俺に対する敬語喋りは完全に消えて、少なくとも家で過ごす分には心身ともにリラックスしているように見える。俺が一挙一動するたびに身体を強ばらせることもなくなって、大人への恐怖心もほぼ無くなっているとは思う。
しかし、それでも心の傷はなかなか消えない。
母親を亡くしてから誕生日は祝われることがなかった、とあの日の明智は話していた。良い思い出はなかった、とも。
多分、この明智もそれは同じなんだ。『怒られてばかりだった』という言葉から察するに、ろくでもない言葉を浴び続けたのだろう。だからこそ二人とも自身の誕生日に対する意識がこんなにも薄れている。辛い記憶を封じるように。
本来ならこの年齢の子供が迎える誕生日というのは両親や友達に祝われ、好きな料理を食べれて、欲しいものをなんでも買ってもらえる、一年に一度のビックイベント。一番楽しい一日であるはずなのに。
『誕生日は生まれたことを責められる日』という認識が骨の髄まで染み込んでいるせいで、母親に祝われて嬉しかった気持ちが辛い記憶に埋もれて忘れてしまっているのだ。おかげで年相応の物欲まで無くなっている。
これは、高校二年生の一年間で腐るほど見てきた、人間の心の歪みだ。
かつての明智はこの歪みを抱えたままシャッターの向こうで命を散らした。ならば、目の前に居るこの明智だけでも長い時間をかけて、心の中に入れないなりに行動で改心させてやるしかない。
本人が忘れてしまっただけで、母親に光線銃のおもちゃを買ってもらえて喜んでいた明智吾郎は、確かに存在していたはずなんだ。それを思い出させてやろう。
「(……なら)」
何もプレゼントに拘る必要はない。とにかくこの子が喜べて、誕生日に対して前向きな気持ちを抱けることが大事だ。
すっかり下を向いてしまった頭に手をポンと乗せてやる。上目遣いの瞳がこっちを見た。
「吾郎が好きな食べ物はなんだ?」
「……食べ物…?」
「ああ。お前が今まで食べてきた料理で何が一番美味しかった?」
「…………。暁さんのカレーと、オムライス。卵がとろとろしたやつ」
なるほど。
持ち前の器用さを発揮させて半熟のオムレツを上に乗せてナイフで開くタイプのオムライスを作ってみたことはあったが、確かにあの時は珍しく分かりやすく目が輝いていた。
「よし、分かった。じゃあこうしよう。お前の誕生日は俺が吾郎が好きなメニューを作ってお祝いするよ」
「…え……。でも、プレゼント……僕、何が欲しいか分からない…」
「無理に今見つけなくたっていい。これからゆっくり吾郎が欲しいと思えるものを見つけていけばいいんだ。その時に言ってくれれば買ってやる」
「……いいの?」
「当たり前だろ。だからひとまず今度はとびきり美味いやつを作ってやる。楽しみにしてろ」
「…っ!うん!」
明智は嬉しそうに頬を紅潮させながら、大きく頷いた。
そういう嬉しい気持ちで記憶で上書きさせて、誕生日は辛いことが起こるなんて腐った記憶はさっさと忘れさせてやろう。
〇 〇
そうして迎えた六月二日。
朝から煮込んだカレーは既に完成しており、それと並行で作ったケーキも冷蔵庫の中に眠っている。あとは主役である本人の帰宅とオムレツを焼く時間を待つだけ。時計を見れば丁度小学校の授業が終わる時間帯だった。どうせなら迎えに行って一緒に帰ってこよう。軽く身支度を整えて、家を出た。
明智が通う小学校の校門の前に到着すると、下校時間を迎えた生徒達が元気に学校から出てくる所だった。
明智とは途中ですれ違うことはなかったから、まだ学校には居るはずだ。少し待った所で予想通り出入り口から出てくる明智の姿を見つけた。その隣には、先日仲良くなったと家に連れて来て紹介された鈴木君の姿もある。
先に俺に気づいたのは鈴木君だ。こちらを指差して、明智に話しかける。それで明智もこちらに気付いて、二人して駆け寄ってきた。
「暁兄ちゃんこんちわー!なんでここにいんの?」
「ああ、こんにちは。時間が空いたからさ。吾郎を迎えに来たんだ」
「へー! 良かったじゃん、なぁ明智!」
「……う、うん……」
明智は頬を赤らめて照れたように俯いた。
常々思うが、あの明智にもこういう素直で可愛い時代があったのだなと思うと感慨深いものだ。あの頃の本人に言ったら怒られそうだけれど。
「誕生日に兄ちゃんのカレー食べれるとかいいな~。俺も食べたい」
「ダメだよ。今日は早く帰んなきゃいけない日なんでしょ?」
「ちぇー。……あ、そうだ。なあなあ兄ちゃん」
「ん?」
鈴木君にくいくいと小さな手で招かれた。しゃがみ込んでやると耳元に顔を寄せて小声で囁かれる。
「誕生日ケーキってあるの?アイツ、兄ちゃんのカレーしか出ないと思ってるよ」
「ああ、手作りしたのをちゃんと作ったよ」
「ほんと?」
「うん」
「…………だってよ明智!やったなっ!!」
「な、何が……ちょ…痛……痛いって……!」
まるで自分の事のように嬉しそうに笑いながら鈴木君はバシバシと明智の肩を叩いた。
アレが彼なりの明智へのお祝いなのだろう。年相応の友達が居て、仲良く笑い合う。微笑ましい光景だ。
「じゃ、俺帰る!じゃーな明智、暁兄ちゃん!」
「ああ、気をつけて」
「また明日ね」
「おー!」
そうして鈴木君は元気に走り去って行った。
野球が好きで、身体を動かす方が得意なのだそうだ。あの表裏のない素直な性格は竜司を思い出す。きっと二人が出会えばさぞ意気投合するのだろう。
「良い子だな、あの子」
「うん。朝来たら真っ先におめでとうって言ってくれた」
「そうなのか」
「………おめでとうって言われたの、久しぶりだったから、何の話かと思っちゃったけど」
「これからは毎年色んな人に言ってもらえるよ」
手を差し伸べる。
「帰ろう、吾郎」
明智は差し出された手と俺の顔を交互に見上げると、微笑みながらこくりと頷いて、小さな手を出てくる。
それを握って、二人並んで足を踏み出した。
〇 〇
「いつもと盛り付け違うね」
「ああ、今日は特別メニューだからな」
皿の真ん中にご飯の島を作り、それを囲むようにカレーのルーを掛けたものを明智は興味深そうに見ている。いつもは皿の半分にご飯、もう半分にカレーというごく一般的な盛り付けだったので、珍しいのだろう。
かくいうこちらは中身が半熟のオムレツが出来上がった。フライパンごと座って待機している明智の前に置かれた皿のご飯の上にそれを乗せた。
「あっ…卵…!」
「見てろ。行くぞ」
フライパンを置いて、一緒に持ってきたナイフでオムレツに縦一本の切込みを入れる。
そしてその切込みからオムレツを左右に広げれば、半熟卵のとろとろオムカレーの出来上がりだ。
「わぁ……!」
明智はぱぁぁぁ!と目を輝かせてそれを見下ろしている。
ここまで嬉しそうな顔は初めて見る。大成功だ。
「カレーとオムライスが好きって言ってくれたからな。二つを合わせたオムカレーだ」
「凄い…美味しそう…」
「卵が固まらないうちに召し上がれ」
「うん、いただきますっ」
そうして明智はオムカレーをあっという間に完食した。『ごちそうさま』と言う顔は年相応の、誕生日に喜ぶ晴れた笑顔だ。
「じゃあ、夕飯も食べ終わった事だし…最後にケーキ食べようか」
「えっ……ケーキ?」
「ああ、だってまだ俺がお前におめでとうって言えてない」
「………!」
明智は目を丸くさせて黙り込んだ。
プレゼントが無い以上、明智は誕生日のお祝いはこれで終わりだと思っていたのだろう。
冷蔵庫から作ったホールケーキを取り出して、机の上に置く。
「わ……大きい……初めて見た……」
「全部俺が作ったんだ。上手く出来てるだろ」
「うん。お店にあるやつみたい」
「じゃあ火付けようか」
ケーキにロウソクを七本差してライターで火をつける。
リモコンで電気を消せば、暗い部屋の中で七つの火がゆらゆらと揺れた。
「────」
明智はそれをずっと見つめている。
そんな彼の隣に立って、肩に手を置いた。
「誕生日おめでとう、吾郎。ほら、フーって火消して」
「………………………」
「吾郎?」
今まで嬉しそうに笑っていたので今回も笑顔で火を吹き消すものかと思っていたが、明智は顔を曇らせたまま俯いてしまった。
「嫌だったか?」
「………そうじゃ、なくて」
曇った顔がこちらに向いた。
「……僕、生まれてよかったのかな」
「何言ってる。いいに決まってるだろ?」
「でも……お母さん……僕が居たから……」
「……………」
『母は、僕を産んだせいで不幸になって死んだ』
そう、かつての明智は言っていた。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
そこはもう、誰にも分からない。それこそ亡くなってしまった母親にしか。
だから『そんなことはない』とは口が裂けても言えない。言ったところで、賢いコイツは察してしまうだろうから。こんなに小さな頃からその思いを抱えながら、あの明智は十八年間を生きてきたんだ。
「……ねえ、暁さんはどうして僕にここまでしてくれるの?」
「…どうしてって?」
「暁さんは僕のこと前から知ってたみたいだけど…でも僕は暁さんのこと、何も知らない。親戚じゃないんでしょ?……なんでこんなに僕に優しくしてくれるの?」
炎の光が反射する大きな瞳は、不安げに揺れている。
子供が抱く疑問ではない。母親以外の大人が、しかも親戚でもなんでもない他人の大人が、自分のためにここまで尽くしてくれるのがずっと不思議に映っていたのかもしれない。
今までが今までだったから、幸せすぎて怖い。何を考えているのだろう。信じたいけど、分からない。そういう出会った当初の複雑な気持ちがぶり返したのかも。
……明智の心の歪みを正す道筋が見えたかもしれない。
「約束しただろ。吾郎のこと、お母さんにも負けないくらい大切にするって」
肩に置いた手で、小さな身体を引き寄せると少しだけ強ばった。
怖がっているわけじゃなくて、純粋に驚いただけだ。
「誕生日っていうのはさ、その人が生まれた日を祝う日なんだ。生まれておめでとう。生まれてくれてありがとうって。だから、俺は吾郎が生まれてきてくれた今日を、精一杯祝いたい」
「………… 」
「俺は嬉しいよ。吾郎が生まれてきてくれて」
「……っ!」
「だからこうやってお前が喜べるように頑張ったんだ。来年も再来年も、毎年祝うよ」
ずっと、とは言えない。この身体が消えるタイムリミットは必ずあるから。これは覆せない。
その日までは、必ず。
「生まれてくれてありがとう、吾郎。お前は、生まれてきて良かったんだよ」
「………っ…」
引き寄せた身体が小刻みに震えた。
俯いて髪で隠れてしまった目元からはポタポタと涙が落ちている。
「………」
何も言わずに頭をわしゃわしゃと撫でてやる。
こうやって少しずつ時間をかけて導いて行こう。
そうすればきっと、この明智は未来を歩けるだろうから。
「ほら、ロウソクが溶ける前に火消すぞ吾郎。一緒にやろう」
「…っ…、うん…」
「じゃあ行くぞ、せーのっ」
フーッと二人で同時に息を吹きかける。
ゆらゆらと揺れていたロウソクの火は、息で大きく揺れた後、煙を立てながら静かに消えた。
「じゃあ、食べようか」
そう声をかければ目尻に溜めた涙を腕で拭ってから、
「うんっ」
明智はまた笑って頷いた。