ちゃうちゃう、こんなんちゃうねん「桐島ぁ」
突然巻田が部屋にやって来た。しかも珍しく元気がなく深刻な顔をしている。気安い栗田ではなく、わざわざ上級生の、しかもどちらかと言うと毛嫌いしているはずの桐島の部屋に来たのだから、何か深い理由がありそうだ。
桐島は座っていた椅子を回転させて向き直り、机に肘を付いた。
「どうしたん?バナナ欲しくなったん?」
巻田が来る理由が皆目見当がつかないため、とりあえずいつもの軽口で返すが、巻田は乗ってこない。目を逸らし、ドアの前でモジモジしている。
「…き、聞きてぇことがあんだよ」
「1月24日生まれのAB型」
聞かれてもいないのに自分のプロフィールを話したのは、「ちっげーよ!」のツッコミ待ちだったのに、巻田には無視される。巻田は顎に手を置き、チラチラと桐島を見てくる。
「ど、童貞って…やっぱ男としてダセェのか?」
ゴリラが変なことを言い出した。桐島はポカンと口を開け、今の言葉の意味を咀嚼しようとする。しかしやはりしっくり来ない。そもそも巻田らしくない。
「ダサいんやない?」
急にどうしたんや、と聞くつもりが、いつものクセでイジワルな言葉が先に出る。巻田はハァ〜と溜息を付き、両手を腰に当てガックリと首を落とす。あからさまにしょげた。
「やっぱそうなのかぁ…そっかぁ…」
「いや、なんでそないなこと…」
「実はさぁ」
桐島が質問をし終える前に巻田の方から話し始める。
「俺、最近気になってるヤツがいてよぉ」
桐島の心臓がギュッと締め付けられた。
ずっと隠して来たが、桐島は巻田が大好きだ。真っすぐで明るく、何事にも全力投球でキラキラ輝いて見えた。底抜け単純さと究極のノンデリは欠点だが、桐島にしてみればアバタもエクボ、しかもこの欠点のお陰でモテるはずもなく。巻田が誰かを好きになって猛アタックされたら、相手が落ちる危険性はあるものの、巻田は野球馬鹿だしそんな感性はまだ育ってないと信じ切っていた。
つまり、巻田は誰のものにもならないはずだった。
穴の空きかけた靴下の先に視線を落として、ブツブツ話す巻田の目は、恋をしている男の目だ。熱っぽくその愛しい人のことを考えているのが分かる目だ。
桐島はそっぽを向いた。前髪のかかる右側で、巻田が顔を上げても表情を見えないように。しかし巻田は桐島を見る気配もなく、話しを続ける。
「…だから俺、そのことアケミにコクったんだけど。超笑われて」
『アケミ』ブッ殺す。桐島は瞬時にそう思った。そもそも巻田が下の名前で馴れ馴れしく呼んでることも気に入らないし、巻田を笑いものにして良いのは自分だけなのにに、調子に乗ってるその女が気に入らない。その湧き起こる殺意をグッと堪え、桐島は薄く笑って相槌を入れた。
「へぇ〜」
「アケミが言うにはよぉ…年下で、しかも童貞の男に言い寄られるとかあり得ねぇって」
「なかなかなキッツいこと言う子やなぁ」
年上なんかい。しかも童貞嫌とかって、どんだけ遊び人なんや『アケミ』は。桐島は無意識に机を指先でトントンと叩く。
「なんか、付き合うってもの、エロいこと目的にしか思えねぇだろって」
「まぁ、ゴリラはすぐにサカりそうやからな(笑)」
桐島はイライラした気分のまま毒づいた。ここで巻田はようやく顔を上げる。八の字の眉で桐島に窺うような目をしている。
「でもよぉ、好きでもねぇヤツとそんなことする気もねぇし。付き合わねぇとそんなことできねぇし。好きなヤツと付き合うには童貞じゃダメとか、詰んでねぇ?」
そんなん、ビッチを好きになったんが詰みの原因やろ。
そう言ってやりたいが、この禍々しい嫉妬がバレる可能性がある。危険なのでこの言葉はゴックンと飲み込んだ。ハァと軽く溜息を付き、ぶっきらぼうに質問を返す。
「それを俺に言って、どないしよう思っとったん?」
「いや、だから…童貞に言い寄られるのはあり得ねぇのかなって…知りたくて」
「そないなこと気にすんなら、さくっと捨てりゃええやん」
「どうやってだよ。そんなん、栗田にも頼めねぇし」
そこでなんで栗田クン登場すんねん。それとんでもない被害やわとツッコミたかったのに、先に本音が飛び出してしまった。
「ハァ?俺より先になんで栗田クンやねん」
鳩に豆鉄砲とはこのこと。巻田の目が真ん丸で、あんぐりと口を開けている。桐島自身も、同じように目を丸くして口を開けている。何に驚いたって、そりゃ自分自身の口から飛び出した言葉。なんてことを言ってしまったのか。巻田は口をパクパクさせ、突然ドアから大股に近づき、桐島の肩をガッと掴んだ。
「え?桐島、お前…経験者なのか?」
「ん?え?」
桐島は慌てたが、そうか、そうなるのかと妙に納得した。童貞卒業を、栗田ではなく自分に頼めと言ったようなもんで、つまり慣れてますと宣言したように思われたのだと理解した。もちろん、桐島は男も女も未経験だが、巻田に肩を捕まれ、深刻な顔で見つめられると、違いますとは言いづらい。目を泳がせながら、桐島はウソを付く。
「ま、まぁな」
「男にケツ掘られたことあんのか?」
「い、言い方…」
ギラギラした視線を向けられどうにも恥ずかしくなる。何となく軽蔑されそうな気もして違いますと言いたいが、なんだまだ俺と同じダセェヤツなんだと言われるのも嫌だ。桐島は引くに引けなくなっている。
「あー…そうなのか。へぇ〜…」
巻田の声が低い。ヤバい、やっぱり軽蔑された。このままではマズい。『アケミ』ショックに続けて巻田にまで冷ややかな目で見られるようになったらそれは泣く。しかもこの低い声がヤケに男の色気を感じさせ、顔が赤くなりそうになる。桐島は混乱した脳みそを振り絞って、策を巡らせた。
バチッと巻田の両頬を掴み、思い切り潰しながら引きつり笑いで提案をする。
「実際、女の子がゴリラの相手すんの可哀想やろ?…先輩として、俺が手ほどきしたるよ?」
何を言ってるんだ俺は。桐島は心の中でそう叫びながらも、経験豊富な先輩風を吹かせ、巻田を誘ってしまった。