************山姥切長義は落日前のスカイツリー展望台の上に居た。灰色の町並みが激しい色彩の日差しに黄金の蜃気楼のごとくに浮かびあがっている。
事後に残るいささかのトラブルの辻褄合わせや渋谷での目撃情報に対しての対処を行う為に未だに彼は2012年に滞在していた。
念いを取り戻した直後で人々の意識がはっきりと覚醒していないせいもあってなのか、想像より残された記録は少なかった。それらを排除し、取り戻した正史の時の流れが人々の記憶からあの日の出来事を消してゆけば全てが無かったことになるだろう。
何故、この時代では男士が顕現を保てないのか。
現代に置いて日本刀の価値は主に歴史の遺物であり美術品としての価値が主となっている。
かつてほど人々の生き様に添うものでは無くなっていた。
それでも人々は時代は”念い”の継承を刀と共に続け、刀剣男士が顕現される。それが正史だ。念いが無ければモノに心は宿らない。実に単純な事実。
この眼下に広がる人々の営みから、やがて自分たちは生れる。
任務は終わり後は帰還するのみ。この景色の記憶も消される事になるだろう。
感慨深く眺めていた景色を後にし長義はあの部屋、仮の主が待つ地下執務室へと向かった。
部屋に戻ると各務がソファーから立ち上がり、長義に一礼して執務机の前に立った。
当然のごとく長義はその椅子に腰かけた。
いつもなら茶を出す用意を始めていただろうが各務は長義の傍から動かない。
この男も任務が終わった事を長義が去る事を理解して言葉を待っているのだ。
各務との初対面。意気込んだ挨拶をなんの感慨も無く遮った。
現在の時間軸でただ一度の任務であったとしても他の時間軸でどのみちこうして出会っているはずなのだ。何度も何度も。この男が在籍している時間すべてに調査任務が発生する可能性がある。政府がそのために用意したセーブポイントの様なものだ。
自分にしても時の政府の命令があればどの時間にも赴きこうして指揮を執っているはず。
解りきった事に意気込む意味が解らなかった。
長義はゆっくりと椅子の背もたれに体を預けた。
任務中にこんな風にくつろぐ時間など無かったのだ。机の上に置かれた物の配置は実に使いよく履き心地の良い靴の様だったと振り返りそう思う。
あの襲撃の痕跡など全くない部屋を見回せば、豪華な調度品だけでなくここを整えただろう各務の気配の様なものを感じる。
これは、念いなのだろうと思う。人の想いが宿った部屋。
あの渋谷での大混戦での人々は思いを取り戻した後、どんな気持ちで男士達を見ていただろうか?
記憶も記録も消え去って、あの時の彼らの念いは無かった事になってしまうのだろうか?
この部屋のごとくに何らかの念いがあったとして、その心が物に込められる思いとなり男士が生まれたのではないのだろうか。
注がれる思いがあるからこそ、呼べるのなら。
任務が終わり記憶を消された自分が、また他の時間軸にこうしてこの部屋に再び顕現した時にも、この念いをきっと感じる。あの爽やかに香る茶を飲むたびに空白の記憶の中にきっと懐かしさを感じるだろう。今の様に。
最期に茶を所望するような感傷的な気分もあったのだが、任務は終わったのだ。
言葉をかけ、ずべてに幕を下ろせば一つの円環が完成するのだ。
だから、俺とお前の新しい円環の為に別れを告げよう。各務。
何度でも、何度でも。