聖龍の目にも涙 なんの時だったか、正確には覚えちゃいないが急にキィニチが言い出したことがある。
「お前に約束して欲しい事がある」
「あー? 約束ぅ? 何の話だよ」
キィニチの話の切り出し方があんまりにも急でなんの脈絡もなかったもんだから、オレが前の言葉を適当に聞き流したのかと思ったがそういうわけでもないらしい。
「俺が死んでお前に身体を渡したあと、たまにでいいからムアラニとカチーナの様子を見て欲しい」
「はあ?」
キィニチにとってアイツらが大切な「オトモダチ」であることは知っている。現にアイツらとつるむようになって、キィニチは契約したばっかの頃よりも笑うようになったし、人間的には馴れ合いってもんは必要なんだろう。
キィニチが勝手に馴れ合う分には好きにすればいい。が、オレにその面倒を見させようってのはおかしいだろ。
「なんで我輩がそんなめんどーなことしなきゃいけねーんだよ! そもそもそんなこと契約には含まれてねえだろ!」
浮かんだ言葉通りに言い返すと、キィニチはふっ、と小さく息を零して笑った。まるで、オレがそう返すことが分かっていたかのように。
「ああ、その通りだ。だから、この約束をどうするかはお前が好きにしていい。強制はしない」
「はあ……?」
ますます意味が分からない。疑問は無限に湧いてくる。
守らせるつもりがない約束になんの意味があるんだ、とか。約束して欲しいと言いつつ、強制はしないなんてそれはそれでアイツらに対して薄情じゃないか、とか。
というか。
「それって約束って呼べるのかよ」
「まあ、厳密には違うかもしれないが、他に適切な言葉も浮かばないからな。それに、俺がいなくなったくらいでどうこうなるほどムアラニもカチーナも弱くない」
キィニチは言葉を切って、オレの方を見た。ひとよりも表情が読み取りにくいキィニチだが、うっすらと口角が上がっているのが見て取れた。
「だから、強制はしないと言ったんだ。これはただの俺の自己満足で、お前がこの約束に付き合う義理はないのはその通りだからな。この約束自体、別に忘れたって構わない」
「ふぅん」
言いたいことは分かったが、理解できねえなと思った。キィニチは時々オレにとって理解不能なことを言うが、その中でもトップクラスだった。
けど、本当に守って欲しいなら、キィニチは約束ではなく、相応の代償を以て〝契約〟を持ち出すだろう。
だから、本当に守っても守らなくてもいいと思ってるってことだ。
「言いたいことは分かった。けど、」
「あぁ、返事は要らない。俺が言いたいことが伝わったならそれで充分だ」
キィニチは問答無用でオレの言葉を遮り、安心したように頷いて、また笑った。
*
……なんてこんな昔話を急に思い出したのは、キィニチが死んだからだ。
契約に基づいてキィニチの身体を頂戴したあと、最期の礼儀を以てマーヴィカにキィニチの死を伝えた。
何か喧しく言われるかと思っていたが、抜け目ないキィニチが事前になにか伝えていたのか、短い弔い文句を貰っただけだった。
キィニチが死んだ後、色々やりたいことがあったが、人間の器に適応出来ないのか本調子が出ない。
キィニチが頑丈だったお陰で身体を壊すなんてことにはなっていないが、気を抜いたら鼻の奥がツンとして喉がきゅうと締まることが時々ある。
早く治らねえかなぁ。そう思って休養していたある日のこと。
ドンドンドン! と喧しく家の扉を叩く音がして目を覚ました。
「アハウー! いるんでしょー!」
「ムアラニちゃん……! アハウ、寝てるかもしれないよ? 邪魔しない方が……」
「けど、ずっと前から今日一緒にピクニック予定立ててたじゃん!」
……ああ、そういえばそんな話をしていた気がする。だが、その約束を交わしたのはキィニチであってオレじゃない。キィニチが死んだ以上オレには関係ない話だ。
と思って、無視しようとしたがアイツら――主にムアラニの声が煩くてかなわんから追い払うために起き上がって家の扉を開けた。
「うるせえんだよお前ら……」
「あ、アハウ! 今起きたの? ピクニック行くから早く準備して!」
「オレは関係ねえだろ……。ふたりで勝手に行ってろよ」
払い除けるように手を振ると、ムアラニにはむっとした顔をしてぐいっと顔を覗き込んできた。赤と青の瞳が何かを見定めるようにこっちを射抜く。
「関係なくないよ。元々アハウも頭数に入ってたんだから! それに、カチーナちゃんがアハウの分までちび竜ビスケット焼いたんだよ。いつもバクバク食べてたでしょ!」
「いや、だからオレは、」
断りかけて二の句が継げなくなったのは、再びキィニチとの約束が脳裏を過ぎったからだ。……。別に約束を守ってやる義理はない。
キィニチが言っていた通り、キィニチが死してなおふたりに弱った様子は見受けられなかった。――まあ、事実を知った日から数日はわんわん泣いていたのを知っているし、今も内心どう思っているかはオレには分からないが。
オレが急に黙ったのをムアラニは肯定と受け取ったのか、オレの肩をぽんぽんと軽く叩いて笑う。
「じゃあ向こうで待ってるからね! 早く準備してよー? キィニチほどきっちり身だしなみ整えてとは言わないけど、寝癖くらいちゃんと直して来てね! さ、カチーナちゃん行こ!」
「ま、待ってよムアラニちゃん……! あの、体調とか悪かったら無理しなくていいからね。ちび竜ビスケットなら後で届けるから」
嵐のように去って行ったムアラニのあとを、慌てて追いかけていくカチーナの姿を見届けてから溜め息を吐いて扉を閉める。
ここで予定をブッチしたところで、体調が悪かったとか適当に言っておけばふたりは怒ったりしないだろう。
だが。でも。……はあ…………。
「……1回くらい守ってやるか……」
まあ、ピクニックは元々キィニチが死ぬ前から予定していたものだし。気晴らしついでに参加してやるだけだ。今回だけ。誰に向けるでもない言い訳を組み立てる。
こうなることをキィニチが予見していたかは知らないが、もし予見していたのなら随分厄介な約束を押し付けてくれたもんだと思った。
*
ピクニックの場所は、流泉の衆にほど近い浜辺だった。どこに行っても暑いナタの中で、少しだけ涼しい海風が頬を撫でる。
きゃいきゃいと騒いで話しているムアラニとカチーナに適当に相槌を打ちながらぼんやりと海の方を眺める。すると、また鼻の奥がツンとして喉がぎゅうっと締まった。
ああ、またこれか……。めんどくせえなあ、そう思いながら眉根を寄せると、さっきまできゃあきゃあはしゃいでいたムアラニが不意に黙る。
そして、ムアラニは微笑みながら言った。
「アハウ、別に我慢しなくていいんだよ。みんな寂しいのは同じなんだから」
「はあ? 何の話してんだよ」
ムアラニが言っている意味が分からなくて首を傾げると、オレに向かってハンカチを差し出し、オレの手に握らせた。
「人間はもちろん、竜だって寂しかったら泣くんだよ。龍もきっと同じでしょ?」
「だから何の話だよ? オレは別に泣いてねえよ」
ハンカチを突き返そうとするが、ムアラニは受け取りを拒否して立ち上がった。
「あはは! そうだね〜泣いてないかもしれないけど、ほっぺたが濡れてるからそれは拭いた方がいいよ。ハンカチなら今度返してくれればいいから」
「ムアラニちゃん、立ち上がってどうしたの? どこか行くの?」
「うん! 魚を釣りに行こうと思って! いい釣り場所を知ってるんだ〜! カチーナちゃんも行かない?」
カチーナはオレの方をちらりと見たあと、困ったように笑って頷いた。
「う、うん、行こうかな。……アハウはどうする?」
「……オレはいい」
「そっか、じゃあアハウの分も釣ってくるね。……えと、ムアラニちゃんが釣ってくれるって!」
「あっはは! カチーナちゃん言うね〜! もちろんあたしに任せて! じゃあ、しゅっぱーつ!」
釣竿とカゴを持って駆けていくふたりの後ろ姿を呆然と眺める。自分の頬に触れると、ムアラニの指摘通り確かに濡れていた。
『寂しい』『泣く』『龍も同じ』
ムアラニの言葉が頭ん中を渦巻く。オレは誇り高き知恵の聖龍だ。頭が勝手にひとつの結論を導いてしまう。
だが、その結論は到底認められるものじゃなかった。だって、このオレがそんなこと。
キィニチがいなくなって寂しくて泣くなんてそんなこと。そんなこと、あるはずがないのだ。なにかの間違いだ。言い訳も出来ないほど頬が濡れるのもそのままにムアラニのハンカチをぎゅうと握りしめた。
*
夜のピクニック中に、キィニチに言われたことがある。
カチーナちゃんは遊び疲れて寝ちゃってて、アハウはキィニチを怒らせて閉じ込められてて、ふたりで話している時だった。
「ムアラニに話があって」
話を切り出してきたキィニチに向き直って首を傾げる。
「なあに? 君の表情的に大事な話?」
「そんなに畏まらなくていい。ちょっとした頼み事だ」
「あはは、キィニチがあたしに頼み事なんて珍しいねぇ。いいよ、あたしに出来ることなら任せて」
胸を張ってどん、と胸を叩いてみせると、キィニチはふっと頬を緩めて笑った。
「ありがとう。……俺が死んだあと、」
「!? ちょ、ちょっと待って! んむ!」
切り出された話が予想以上で、びっくりしておっきい声を出しちゃって、カチーナちゃんが寝てることを思い出して慌てて自分の口を塞ぐ。
声を潜めてキィニチの顔を覗き込む。顔色が悪いとか、体調が悪いとかそういう風には見えないけど……。
「えっと、キィニチ病気とかなの? 大丈夫?」
「ああいや、元気だし死ぬつもりはない。病気もない。だが、俺の古名は廻焔だからな」
廻焔。短命の運命。廻焔の持ち主は不慮の死を遂げる。ナタは平和になったけど、古名の言い伝えが変わらないのは分かる。でも。
……いや、大事な話なんだよね。悲しくなる前に話はちゃんと聞いておかないと。
「話の腰を折ってごめんね。頼み事ってなぁに?」
「いや。こっちこそ急に驚かせたな」
キィニチはひとくちジュースを飲むと再び話を続けた。
「俺が死んだ後も、アハウと仲良くしてやって欲しいんだ」
「アハウ?」
予想外の内容に目を瞬かせる。
「もちろんあいつが迷惑を掛けたら容赦なく叩きのめしてくれて構わない」
「えーと、あたしは別にいいけど……。アハウは求めてないんじゃない?」
「見た目だけならそうかもな。けど、俺が思うにあいつは意外と喜ぶはずだ」
「えー? そうなのー? アハウって意外と寂しがり屋?」
「フッ、アハウが聞いたら怒りそうだな。でも、そうだ」
「ふーん?」
意外だけど、アハウと付き合いが長いキィニチがそう言うならそうなのかも。
まっ、どっちにしても友達の頼み事なら叶えてあげないとねー! グッと親指を立ててウィンクしてみせた。
「いいよ、あたしに任せて! 友達の友達はあたしの友達だからね」
「ああ、ありがとう」
「えへへ、どういたしまして」
あたしとキィニチは小さく笑いあった。
*
……あの日のキィニチからの頼み事を叶える時が思ったより早く来ちゃったことだけは予想外だったけど。
「キィニチの言う通りだったねー」
「え? ムアラニちゃん何か言った?」
「ううん! なんでもないよ!」
釣竿に視線を戻しながら、さっきのアハウの表情を思い出して小さく笑う。キィニチがあたしに頼んだ理由は、アハウがきっとこうなる事が分かってたからだよね。
「また3人で遊ぼーね!」
あたしは友達が大好きなんだから!