大暑も真っ最中の夕方。
独身専用上忍寮にて。
うちはオビト、と簡素なネームプレートの下がった扉を少し乱暴に開ける。任務終わりの汗だくの装備品を床に投げ捨てアンダー姿になると、扇風機から吹く生温い風だけを頼りに涼を取ろうとする。が、本日も木ノ葉隠れの里は熱帯夜の予報。涼もうと必死になっている俺を嘲笑うかのように、湿気を孕んだ風は体表温度を下げるどころか上げている気もする。クーラーを付ければ良いだけの話だが、あいにく昨晩なんの前触れも無く電源が落ちて以来うんともすんとも言わないのだ。
一応業者に電話をして修理を依頼しているものの、繁忙期のため早くても一週間後になると言われている。少しでも風を取り込みたくて全開にしている窓からは昼間は大人しくしている蝉時雨が今更になって大合唱を始めた。
「どーーーー」
この空間を支配する全てが煩わしくて意味もなく大きな声を出す。少しでも気を逸らさないとおかしくなりそうだった。任務だったらどんなに過酷な環境でも我慢できるが、プライベートスイッチがオンになった途端これだ。俺もまだまだ鍛錬が足りない証拠なのだろう。
「こんなんで寝れるかっての」
少々強引にでも友達の家に転がり込もうかとも考えたが、壁に貼られた今日のシフト一覧を見て大きなため息を吐く。めぼしい野郎どもは大体任務に駆り出され里内に居ない。かといって女性の家に入り込むなんて言語道断であるし今日は扇風機のみで耐え忍ぶか、と覚悟を決めようとした時。窓ガラスをコンコンと叩く音が聞こえた。
「よ、オビト」
開けた窓の外にいたのは親友で幼馴染で恋人のカカシだった。
髪やベストが所々泥や埃で汚れているのを見るに任務帰りなのだろうけど、こいつの帰還予定は明日だった筈だ。
「お前任務だったんじゃねぇのか」
「早めに終わって二日のお休み。てかこのクソ暑いのにクーラー付けてないの? 新しい修行?」
二本の指を立てチョキチョキと動かしながら俺の方を訝しげに見つめるカカシの右目。
こんな日に意味の分からない酷暑修行をするのはガイぐらいのものだ。
「クーラー故障中」
「わー。御愁傷様」
「マジでタイミング最悪すぎる。家泊めてくれよカカシぃ」
「ん、散らかってるけど良いよ」
ダメ元で頼んでみると案外あっさりと承諾され瞳を輝かせて起き上がる。涼しい場所に移動出来ると分かった瞬間、動く気力も回復してきた。近くに転がっていたカバンに着替えを適当に突っ込んで絞れそうなほど汗を吸ったアンダーを新しいのに替える。洗濯はとりあえず回しておく。この湿気の中で一晩放置したらカビが生えそうだ。
「そうだ、オレの家に寄る前に行きたいところあるんだよねー」
「何処だ? 全然着いて行くぞ」
「先月木ノ葉商店街に新しく出来たかき氷のお店」
「かき氷? お前甘いもの苦手だろ」
「いやね、そこはシロップが市販のじゃなくて果物から作ってるのよ。甘さも控えめでオレでも食べれるぐらいなんだけどね」
カカシの顔が、誘ったら迷惑だったかなと言いたげな型ちに変わるのを見てすかさず「今すぐ行こう!」と言った。あからさまに安心した顔になったカカシが口布の上からでも分かるぐらいに微笑んだ。
「良かった。断られると思ったから」
「カカシの誘いを断るわけないだろ」
カカシの額を軽い力でデコピンすると「うん、知ってるよ」と言う。まったく、自己肯定感が低いのか高いのか分からない。
全開にしていた窓を閉めて一応の戸締りをすると俺たちは宵闇迫る街に躍り出た。生暖かい風が全身を包み込む。さっきまであんなに不快だったそれは、カカシと一緒にいるからなのか心地良いものに変わっていた。
「お店すぐそこなんだよね」
カカシの言葉通り、件の店は俺の住んでいるアパートから徒歩数分の場所にあった。新しい食べ物屋が出来た、なんて情報に滅法疎い俺はこんな場所にかき氷屋があったことを今初めて知ったぐらいだ。
意外とカカシってまめだよな、と感心する。
「ラッキー。今日はあまり混んでない」
「いつもはそんなに多いのか」
「最近は熱帯夜続きだからね。平日でも大体並んでる」
その話を聞いてみんな凄いな、と素直に驚いた。
ご飯を食べる為に並ぶというのをあまりしない俺からしたら異世界の話を聞いているみたいだった。しかもだ。外に置かれたメニューを眺めていると、どれもこれも趣向を凝らしたものばかり。
真冬のベランダに積もった雪にカルピスの原液をしこたまかけて食っていた俺からすれば、こんな洒落たかき氷を食べるという感覚がイマイチ分からない。
「マジかよすげぇな」
「いやーオビトは運が良いね。流石うちは一族の新星」
「意味分からん褒め言葉を使うな」
店の入り口にかかる暖簾を潜ると気前の良さそうなおっちゃんが厨房に立っていた。店内は何処にでもある飲食店のようでカカシによれば「間借り店舗」という形態で運営しているという。因みに昼間は大衆食堂らしい。
「んー、オビトは何にする? オレはぶどうのやつ」
「そうだな、俺はメロンにしようかな。そろそろ旬も終わるだろ」
「桃も捨て難いんだけどね。それは前に食べたし今日は違うのにしようかなって」
「桃も美味いよな分かる」
店主らしきおっちゃんに注文を通して他愛のない話に花を咲かせる。大抵は新しい術の話だったり、あの後輩はセンスが良いというもの。その途中で素早く周囲に目線を配らせると、俺たち以外は女性客という比率で大変居心地が悪かったりする。
しかも大半の輩がカカシをチラチラと見ながら内緒話をし合っているのだから、独占欲がむくむくと湧き上がってきた。この口布の下が気になるという好奇心は理解出来なくもないし、こいつがどんなに隠していても素顔がとんでもない美形だというのは知れ渡っている。だがそれを好きに見て良いのは現状で俺だけなのだ。
カカシと話しながらも苛立ちからくる貧乏揺すりが止まらなくなってきた頃。おっちゃんが俺たちの注文した品を持ってきた。
「はいよ、ぶどうとメロンね」
カカシの目の前には鮮やかな赤紫色のシロップのかかった氷の山が運ばれてきた。側面には半分に切られたピオーネとかいう名前のぶどうが幾つも引っ付いている。そして俺の前には黄緑色のシロップを雪山に纏い赤と緑の丸い果肉が上に乗ったかき氷が置かれた。
市販のものとは明らかに違う色合いのシロップに少しだけテンションが上がる。
見たことが無いものは何歳になっても楽しいものだ。
「オビトのメロンも美味しそう」
「半分こするか?」
「良いの? オビト優しいー」
軽口を叩きながら手を合わせてスプーンで氷を掬う。屋台で食べるものとは違い柔らかい感触に一瞬戸惑うが、そのまま掬い取る。きめ細やかな氷の粒に絡まるジャムのようなとろりとしたシロップが美しい塩梅だった。
口に入れた途端、さっきまで塊だったはずの氷は一瞬で溶けて無くなる。後に残る優しい甘味に驚いていると、カカシは無防備に口布を下ろした素顔で舌鼓を打っていた。
「屋台で売ってるかき氷と全然違う」
「でしょ。ここの氷は天然氷って言って自然界でゆっくりと作られる氷だからこんなに口溶けが滑らかなんだって。この果物も新鮮なものを使ってて当たり外れが無いの」
カカシの言葉を横目にメロンを一口で頬張る。甘い果汁と丁度良い固さの果肉は完熟をしっかりと見極めている証拠だ。それに水臭さを一切感じさせず、メロン本来の甘みを引き出しているシロップも大変美味である。
「オビトも食べる?」
半分ほどになったかき氷をカカシが差し出してきたから俺も同じように透明な器を彼の前に移動させる。ぶどうのかき氷はメロンと違って芳醇な香りが強く、それだけで食欲をそそる。
さっきと同様にスプーンで掬い迷いなく口に運ぶ。するとぶどう特有の微かな酸味と遅れて強烈な甘さが口腔内を満たす。乱れた食生活で果物を口にする機会が滅多に減った俺からすると、新鮮味に溢れる体験だった。
忘れていた。果物ってちゃんとしたものを食べればこんなに美味しいんだったな。
「それ全部食べちゃって良いよ」
「じゃあカカシも俺のやつ食べろよ。それであいこだろ」
「ん、分かった」
どうやらカカシもメロンのかき氷はお気に召したようでスプーンを動かす手を止めることなく黙々と食べ進めている。本当は感想とかを言い合いながら食べたいところだが、あまりにも美味しすぎて手が止まらないのだ。
基本的に屋台で売っている、食べたら舌に色が付くかき氷しかお目にかかったことが無いから、より一層夢中になって食べ進める。
そうして二人同時に器を空にした頃。カカシが口布を戻しながらからりと笑った。
「オビトが気に入ってくれたみたいで良かった。お前って食にあんまり執着しないからさ」
「食べることは好きだ。でも何て言うんだろ。好きな飯っていうのがイマイチ分からんだけだ」
「ふーん」
気のない返事が正面から飛んでくる。
この歳にもなって好物が分からないなんて、と思われたのかもしれない。恋人の前ではかっこいい自分を貫きたい俺からしたら失態だった。嘘でも適当に答えておけば良かったか、と後悔が遅れてやってくる。
しかし。カカシが次に発した言葉に、俺の脳みそは動きを止めた。
「じゃあさこれから一緒にオビトの好きなご飯探していこうよ。好きな食事が増えるのって楽しいしさ。ま、兵糧丸で済ましちゃうこともあるオレが言っても説得力無いかもだけどね」
カカシはバツの悪そうな顔をして頬を指先でかく。
うちはの集落の中で鼻つまみ者な扱いを受けてきた俺に気を配ってくれる大人は、ばあちゃんしか居なかった。そんな彼女も数年前に他界してしまい天涯孤独の身。そんな俺の食事を親身になって気遣ってくれるのはカカシが初めてだった。
俺は嬉しくて少し泣きそうになった。涙の膜が張る瞳を誤魔化すように大袈裟に手を合わせると「ごちそうさま!」と言った。
「カカシがそう言うなら、まぁ付き合ってやらん事は無いって言うかだな。俺もそろそろ良い食事ってのを経験したかったしちょうど良いぜ」
「でしょ? いつまでも甘口カレー食べ続ける訳にはいかないもんね」
「余計なこと言うんじゃねぇバカカシ」
笑い合いながら席を立ち会計を済ませる。
伝票に書いてある値段が想像の三倍は高くて一瞬財布を出す手が止まったが、必死に誤魔化してカカシの分も払う。部屋に泊めて貰う謝礼だ。
「ごちそうさまオビト。なんかオレが誘ったのにごめんね?」
「良いって。クーラー完備の部屋で寝れるなら安いもんだって」
暖簾を潜り外に出るといつの間にか夜空に月が昇っていた。眩しいぐらいの満月は地上を照らし、夜を一層輝かせる。
ばあちゃん、俺は元気にやってるから心配しないでくれよ。
そう心の中で呟いてカカシの空いている左手を握りしめた。