【連載】名探偵助手宇緑四季の憂鬱(1)「次の依頼は犬探しだよ四季くん!」
舎利弗玖苑は、意気揚々と指の間に挟んだ一葉の写真を揺らす。「さあ、さっそく探しに行こうじゃないか!」
華やかな顔立ちに煌めく笑顔。爽やかな香水を纏った長い髪を振り、玖苑は四季の前で両腕を広げてみせる。しかし当の四季――宇緑四季はさほど乗り気ではなさそうだ。写真の下部に書かれた情報を読み上げる声は低くややくぐもっている。
「白ポメラニアンのポメちゃん、オス……」
四季が写真を裏返すと、煉瓦街の外れにあるらしい「後藤」という家の住所が書かれている。補足するように玖苑が言う。
「依頼主の後藤さんは酷くやつれ果てていたよ。早く僕たちの手でポメちゃんを見つけてあげないとね」
きらきらした笑顔を振りまく玖苑に対して、四季はやはりどこか腰の重い様子で、座ったままのソファから立ち上がることをしない。しばらく玖苑の持ち込んだ写真をじっとながめたかと思うと、これまた麗しい流し目を玖苑になげかけた。
「仕事があるのは結構ですけど。また犬探しですか」
「また、というけどね四季くん。犬も猫も大事な依頼人の家族だ。家族を探すのは立派な仕事じゃないか」
四季の肩に手を置いて微笑む玖苑だが、その美貌でもって全く心靡かない四季はチッと舌打ちした。
「……よろず屋なんて名前にするから全員から便利屋だと思われてんだよ」
「便利屋だよ?」
「あんた最初『探偵事務所』っていったろうが」
玖苑の「よろず屋とどろき」は燈京の駅裏に居を構える小さな探偵事務所である。探偵事務所というと聞こえは良いが、実際は四季がぼやくところの便利屋で、届く依頼は犬探し猫探しが良いところだ。ときおり不倫調査やだれそれの素性を調べてほしいという調査依頼も入ってくるものの、それも決して多くはない。玖苑は高い頻度で路地裏の地面に這いつくばって犬猫を探しており、とても「探偵」に見えないのが正直なところである。事務所を構えて半年。そうした玖苑の様子を、四季は苦々しく見守っていた。
「……難事件を解決するんじゃなかったんですか」
「事件なんて起こらないに越したことはないんだよ。本当はね」
玖苑はそう言って眉を下げた。四季はなんとも言い返せなかったのか、口をつぐみ、じっと玖苑を見上げると、犬の写真を玖苑に突き返してそのまま立ち上がった。
「ポメちゃんの写真、なくていいのかい」
「犬の人相も依頼人の住所も覚えたんで大丈夫です、先行きますよ」
「ふふ、犬の顔まで覚えられるなんて、さすが僕の四季くんだ」
そうして玖苑は、ポメちゃんの写真を片手に町へと繰り出した。
「……」
煉瓦街にある後藤の屋敷へさしかかった四季は、早速あたりを観察しはじめる。ここら一帯は一代で財を築いた成金や、長く続いてきた富豪が居を構える一角で、四季にはなじみのない空気が漂っている。どことなくハイソでこぎれいで、どうにも落ち着かない。
「……はぁ」
深々としたため息が、四季の透明感のあるくちびるから吐き出される。頭にあるのは玖苑のことだ。
(あんたのそんな姿を見るために志献官をやめた訳じゃない)
犬探し猫探しの是非なんかは差し置き、四季は玖苑が地べたに這いずって泥だらけになって帰ってくるのをあまり快く思っていない。本人が楽しんでいるようだからまだいいものの、四季の知る舎利弗玖苑はそんなものではないのだ。
(だいたい、汚れた服を洗うの、誰だと思って――)
……という感想を抱くこと自体、宇緑四季にとっては極めて珍しいことだったのだが、四季は捜査と思索に夢中で気づかなかった。
犬の手がかりらしいものは殆ど無いように思われた。煉瓦街という名のとおり道は煉瓦で舗装されているから、けものの足跡なんか残らないし、そもそもこぎれいに掃除されているからフンなどの手がかりも見込めない。
ここははずれだ。そう結論づけた四季は何気なく後藤家の門扉に付けられた錠を見た。古い型で、ピッキングで簡単に開きそうだ。だが、錠は鍵付きの門扉の上にかけられており、ぱっと見で鍵が二重になっているのがわかる。二重の鍵とはまた、かなり防犯に力を入れているとみた。
(一体何が……)
と、不意に首の後ろに皮膚がささくれ立つような視線を感じた。誰かがこちらを見ている。 犬探しという名分があっても、この場にそぐわない四季は不審者に間違われるかもしれない。実際、探偵助手という名の不審者だしな、と内心で考える四季をよそに、視線は苛烈になる一方だ。
「……何ですか?」
四季は後方へ向かって声を張り上げた。頭を後ろに傾けると、肩口で髪の毛がさらりと揺れる。
「僕に何の用です。そんな剣呑な顔して」
視線の主はゴルフクラブを握りしめた壮年の男だった。敵意のみなぎる眼差しが四季の身体を灼く。
「よそ者だろう、あんた」
「まあ、はい」
さらりと答える四季は、さっと懐に手を差し入れると、名刺ケースから一枚名刺を取り出した。
「駅裏にあるよろず屋の助手です。名刺を」
四季に言わせればバカみたいな話だが――この名刺があるのとないのとで仕事のしやすさが違う。たとえ、名前の上に(やはり四季に言わせれば)バカみたいな肩書きが付されていても――。
この名刺を勝手に作って勝手に寄越してきた時の、玖苑の顔といったらなかった。まるで宝物を手に入れた子どもみたいで。
『これが君の名刺だよ!』
整った顔立ちに視線を奪われることはないけれど、あの表情にはさすがの四季も負けてしまう。裏も表もない期待と喜びに満ちた表情。それは、子どもたちの顔の中に見つけることの出来る無邪気な笑顔によく似ている。
「よろず屋とどろき、名探偵・舎利弗玖苑 第一助手……?」
「まあ、はい、そうですね」
「宇緑四季」
「そうですね」
四季は愛想を振りまくのが苦手だが、いっぽうで万事に興味がないので適当にしていても適切な距離感を築けるらしい。四季は「はい」と「そうですね」を適切に連打したあと、「不審者」から「不審な探偵助手」へと四季を格上げしたらしい彼の視線を真っ向から見返した。
「後藤さんの依頼で犬を探しています。首輪にピンクの石を付けた白いポメラニアンを見ませんでしたか」
「見てないね」
「……そうですか」
四季はそのまま、男の腕時計を見た。高価そうだ。
「あんた、このあたりの人ですね。……最近このあたり、物騒なんでしょう」
「な、な、なんで分かるんだ?」
「あんたが見ず知らずの僕に殴りかかりそうだったのがまず一つ」
四季は甘い顔で小さく笑ってみせる。
「後藤さんの家の門も二重に鍵を掛けてる。これがもう一つ」
男は口をあけた。四季は続けた。
「あんたが常日頃から見ず知らずの人間を殴るような人にも思えませんしね。最近このあたりで何かがあって、あんたも後藤さんもそれを用心しているし、……あんたは多分その当事者なんだ」
「…………その通りだ」
男はうなだれ、そして話し始めた。
「最近、この煉瓦街に手当たり次第に強盗が入ってて――俺も、宝石を盗まれてる」
「宝石?」
「青い宝石ばかりだ。サファイアとか」
「サファイア」
四季は手を顎に当てて考えた。青い宝石ばかり盗んでいく強盗。
「他の家もやられた。みんな盗られたのは青い宝石ばっかりだ。だから同一犯だろうと……」
「なるほど」
四季は納得した。先ほどはその強盗と間違われたのだ。
「なあお兄さん、あんた名探偵さんの助手なんだろう。なんとか犯人を見つけて捕まえてくれないか」
「……というわけで、連続強盗事件の犯人捜しの依頼が入りましたけど」
「さっすが四季くん、仕事が出来る助手を持つと僕も鼻が高いよ! じゃあ、ぎゅーだね!」
なんでだよ、と突っ込む間もなく玖苑が突進してきて、四季の身体を思うさま抱きしめる。成人男性だけあって力が強く、そして重たい。
「重い、体重をかけるな」
「あはは、僕の愛だよ、甘んじて受け止めてくれたまえ」
「……それで? 受けるんですか」
四季は玖苑の手に自分のそれを絡め、そっと「ぎゅー」から逃れようとする。しかし、玖苑はそれをものともせず、頬ずりせんばかりの勢いで四季に覆い被さった。
「依頼かい? 受けるに決まってるじゃないか! 名探偵舎利弗玖苑の出番だね!」
水を求める木々の根がそうするように、玖苑と四季の指は絡まったまま。四季は湧き上がってきた頭痛の中でひっそりため息をついた。
「はいはい、そうですね」
玖苑がにっこり笑う。笑うから、四季はこみ上げてきたお小言を飲み下すことにする。
つくづく、この笑顔に弱い。
名探偵助手宇緑四季の憂鬱(1)了