『別れ話にオススメの場所はファミレス』
インターネットでその記事を読んだとき、素直になるほどと思った。何度かそんな現場らしきものを見たことがあったがその時は「なんでこんな人目に付く場所でそんな話を?」と首をかしげたものだ。しかし人目のある場所ならお互い冷静に話ができるし暴力的な事象にも発展しづらい、万が一そんなことになっても誰かが止めたり行き過ぎれば警察を呼んでくれるかもしれない。相手によっては身を守る術なのだ、特に女の子たちにとっては。まぁ僕たちの場合は「冷静に」話し合うためにそれは良い考えだと思った。
パタン、とパソコンを閉じて啓護くんにメッセージを送信する。
『週末のご飯外で良いかな?できればファミレスみたいなところが良いんだけど。』
いろいろあって僕と啓護くんがお付き合いと同棲を始めて一年くらい、一緒に住んでいるのだからいつかこういうことが起きても不思議ではなかったのだろう。手元にある週刊誌、主にゴシップ記事でもっているそれの見出しには『天才ピアニスト、まさかの同性の恋人!?知られざる夜の顔』などという啓護くんには大層似合わないタイトルが印字されている。もちろんこれだけでは『天才ピアニスト』が啓護くんかどうかなんてわからない。だが中には心もとない黒線で目元が隠された啓護くんと僕が連れ立って歩いている写真が掲載されている。啓護くんの手に持っている長ネギの飛び出しているエコバックがこれまた記事をリアルに見せていた。
ちなみに本文を読んだところで啓護くんの夜の顔とやらはさっぱりわからなかった。とんだタイトル詐欺だ、期待を返してほしい。
これに関して啓護くん自身は堂々としたもので一切隠し立てせず「同性の恋人がいるのは本当なんですか?」とマイクを向けられた時も「そうですがなにか?」と当然の様に答えた。一時は取材の記者さんたちが家や啓護くんの職場にまで来たり、SNSで変な人に絡まれたり、仕事にならくて大変だったけそれもすぐに落ち着いてきたのは啓護くんが下手に誤魔化したりしなかったせいだろう。一方でお相手である僕の情報も一切表に出なかった。僕は啓護くんに守られてばかりだった。
そして僕は啓護くんの生活を妨げてしまったこの記事を何度も何度も読んで決意した。
啓護くんとはもう別れよう。
「ごめん、僕から言い出したのに遅れちゃって。」
「構わん。座れ、ほらメニュー。」
早めについてもう一度覚悟を決めようと思っていたのに出版社からの連絡で、今度の絵本にとんでもない間違いを発見してしまったので修正に行っていたら約束の時間のぎりぎりになってしまった。差し出されたメニューを受け取ると啓護くんの方はもう決めているのかスマホを見ながらのんびりと待ってくれている。
こういうときって食べた後が良いのかな、待っている時に初めていいのかな。でもそんな話しながらご飯なんて食べる気にならないし食べてからかな。って言うか食欲全然ないし…でもあんまりあからさまなのもなぁ、適当にパスタでも食べておこうかな。
「それだけか?」
「え?あ、うん。さっき出版社いったときにお菓子もらっちゃって、待たせてたのにごめんね。」
「いい、仕事だろう。」
店内は良い感じにがやがやと騒がしい。席はほぼほぼ埋まっていて店員さんも忙しそうで、でも待ちのお客さんもいなくて、よし。
「けーごく、」
「お待たせしました~。」
意を決して口を開いたタイミングで料理が来た、早いね。そうだった、食べてからにするんだった。冷静にならないと。もそもそとテーブルに置かれた料理を食べながらチラリと啓護くんを見る。相変わらず食べ方がきれいだなぁ。ファミレスだって初めて入ったのは僕とだったのに案外こういうのが嫌いじゃないのか最近では時々啓護くんの方から行こうと誘ってくれることもあった。このお店は少し若向けのがっつりしたメニューが多い所だから久しぶりかな。啓護くんの楽団の練習場に近いからかもしれないけど今日はここがいいって選んだのも啓護くん。
「何か話があると言っていなかったか?」
ぎくり、と肩が跳ねた。え、そっちから、待って、啓護くんはそんなつもりじゃないから、落ち着いて、でもいざ言われるとちょっと待ってほしい。心の準備が。まだ。どうしようどうしよう。
「別れよ。」
大層混乱して口をついた言葉はなんだかんだ用意していたお綺麗な言い訳じみたものじゃなくて完全な結論だった。
「はぁ?」
そしてそれを聞いた啓護くんはここ数年で一番機嫌の悪そうな顔をしてこちらを見た。
「どういう意味だ。」
どういうも何もない。こうなってしまったらこれがすべてだ。
「だから、別れよ、って。」
「理由は?」
「だって、この前みたいなことあったら、また困るでしょ。」
啓護くんは芸能人とかじゃないのに追いかけまわされて、僕の事庇って全部引き受けて、仕事にも支障が出たりして。
「だから、僕、すぐに家探すし。何なら明日にだって出ていけるし。その方がぜったい良いでしょ。君だって困ってたでしょ。」
カン!と音を立てて水の入ったプラスチックのグラスがテーブルに叩きつけるように置かれる。
「困っていない。」
「嘘じゃん。」
「嘘じゃない!!!」
声を荒げた啓護くんに隣の席の女の人が吃驚したのかこちらを見た。啓護くんもそれに気づいて浮きかけた腰を下げ座り直した。なるほど、これがファミレス効果。
「…俺の事がもう好きでないのなら仕方がない。だがそんな理由は」
「けーごくんはさ、」
言いかけたことを遮って啓護くんの目は見れないまま水の入ったグラスを何となく両手で包んでその水面に向かって話す。
「これからもっと活躍できるよ、今も海外にまで行くこと多いし、賞とかもたくさんとるでしょ?僕と付き合っててもたぶん、仕事にはさ、やっぱりマイナスになるよ。気持ちは嬉しいんだよ、僕の事好きでしょう?僕も好き。でも、僕は啓護くんにピアノ、音楽を優先してほしい。邪魔したくないよ。だってその方がつらいもの。ずっと応援してる。だからさ、啓護くんは、これからもさ、たくさんの音楽をいろんな人に、」
あ、やばい、泣きそう。でも人目もあるし何とかなりそう。ファミレス効果すごい。
「あー!!!!もう!いい加減にしろ!!!」
ダァン!と両手を机に叩きつけて啓護くんが立ち上がった。ちょっと、うるさいよ。
「お前は人の目を気にしすぎなんだよ!別にいいだろうが同性愛が何だっていうんだ、くだらない。音楽家だって人間なんだから恋愛位する、相手なんか自分で選んだんだからとやかく言われるいわれはないんだよ、顔を上げろ!堂々としていろ!」
「けーごくん、声大きい、」
「そんなに隠したいのか。」
啓護くんの指先が僕を指す。
「こいつはよくわからん理由で俺に別れ話を持ち掛けている!手酷く俺の事を捨てるつもりだ!!!」
「ちょ、けーごくん!!!」
何をしだすんだこの男。他の客に向かって男同士の痴情の縺れを晒すもんじゃないよ。
「俺は別れない!!!」
ほんとやめなさいよ、また週刊誌に載るよ!?
「どうしても別れるって言うなら俺はここで恥も外聞もなくお前に縋って、泣く!」
両手で顔を覆った啓護くんは噓泣きというのも烏滸がましいふりをした。
「弄ばれた…!」
「弄んではないよ!」
人聞きが悪すぎる。
「初めてだったのに…!」
「ちょ、ほんとに!ねぇ!やめなよ!」
しばらくそんなことを繰り返した後、気が済んだのかそのお粗末な演技をやめて僕の斜め後ろくらいの席に向かって歩き出した。
「え、なに、かえんの?」
「どうだ古村、上手く撮れたか?」
「まぁまぁっすかねー。」
なんで古村君がいるの!全然気づかなかったんだけど!
「お前が撤回しないならこれを動画サイトに流す。」
「リンディに話付けてあるんでたぶんめっちゃバズりますよ。野薔薇さんまだ間に合うと思います、思い直して。うちのコンマスが別の意味で有名人になっちゃうwww」
古村君のテーブルにはここの一番高いメニューであるステーキセットが空になっている。人の人生賭けるにしてはなんて安い買収額だ。
「それでも足りないなら…、おい!佐藤!!!」
「はい!」
「佐藤君…またたくさん食べて…明日ノ宮くんに叱られるよ。」
大量の皿の乗ったテーブルから佐藤君が手を上げる。
「お前の所の週刊誌に書いていいぞ『天才ピアニスト鍋島啓護、深夜のファミレスで愛憎劇』」
深夜というには早いんじゃないの、まだ19:30だよ。
「わかりました!」
「えー、やめなよ!佐藤君そんな記事かけるの!?」
「あ、僕そういうのあんまり…まとめにしてそっちの担当に渡します。」
啓護くんほんとにやめなよ。あと自分で天才って言うのもやめなよ。
「やーい、野薔薇くんが啓護くん泣ーかせた。」
少し向こうの席からはやし立てるのは学生時代の先輩だ。この店知り合い何人いるの。
「平尾先輩…、先輩は何なんですか。」
「私はただの賑やかしです。」
暇なの?周りのテーブルからぞろぞろと人がきて僕と啓護くんを囲む。なに?なんなのこの最悪なフラッシュモブ。
「俺は、お前のためなら何でもやる。こんな馬鹿馬鹿しい茶番でもだ。だが本当にお前が本当に、心から別れたいと言うなら俺に引き留めることなどできまい。」
急にしおらしい声出さないでよ混乱するじゃん。
「俺はお前と一緒に居たい。まだ俺を愛しているなら、あんなもののために捨てないでくれ、これは俺の本心だ。」
愛しているんだ、なんてそんな必死な顔しないでよ。
「僕、だって、」
もう駄目だ、ボロボロと涙がこぼれ始めてしまった。大の大人がこんなところで大泣きなんて勘弁してほしい。
「君の、ためなら、なんでも、、だから、別れようって、その方が、君の、、、ために。」
「ああ、わかってる。」
啓護くんが僕を抱きしめてぽんぽんと背中をさする。優しくて暖かい掌を感じるたびに涙腺が馬鹿になっていく。
「でもそれでは意味がない、お前がいなくなったら俺の音楽からは色が抜けてしまう俺はお前が思っているよりお前がいないとだめなんだ、七朗。俺をつまらない男にしないでくれ。外が多少騒がしいくらいが何だ、そんなものはまとめてお前の絵本の題材にでもしてやれ。そんなことで俺から七朗を取り上げないでくれ。なぁ、頼むよ。」
「けーごくん、啓護くん、ごめん、僕。」
「別れるなど、撤回してくれ、七朗。」
きっと僕は啓護くんをすごく傷つけた、なのにどうしてこんなに優しいんだろう。
「うん、ごめんなさい。もう、そんなこと言わない。啓護くん、ごめん、、。」
「そうか、よし、古村、上手く撮れたか?」
「まぁまぁっすかねー。」
良い話の途中に証拠映像残すのやめなよ。
「急だったけど貸し切りにできてよかったですね。」
「ああ、なんとなく今日あたりだと思って押さえてたからな。」
あ、そうなの。なんでバレたんだろう。って言うか普通ファミレスって貸し切りできなくない?
「七朗、パソコンの検索には履歴というのが残っている。」
「陰湿ですねぇ…。」
平尾先輩の呟きに全員が同意しただろう。エキストラは楽団の皆さんと…バビル出版からもいる、もーやだな、よく見ると知った顔が結構いる、壇編集長までいるじゃん…暇なの?
「もう二度と君にファミレスで別れ話はしない。」
ネットの記事が万人に当てはまるわけがないのだ、ひどい目にあった。
「馬鹿を言うな。」
ちゅ、と軽い音を立てて啓護くんが僕の唇にキスをした。ひゅー!と周りが騒ぎ立てる。
「もう二度と俺に別れ話なんてしないでくれ。」