奪われるくらいなら(いっそ、)俺は、アイツのことを知らない。
もちろん名前は知っている。
フライ。『揚げ物』の通り名を持つシャケ。
姿形も、知っている。
平均的な体格と、力強く伸びた背筋。
顔半分の火傷痕。
…あと、ズボンに隠れた部分も。
精神性も輪郭程度は知っている。
狂気に浸された、その中身を伺い知る事は出来ないが。
他者を傷つける悦びと他者を傷つけることへの怯えを器用に両立させて。
ふらふらと、苦しみながら生きている。
知っているのは、それだけだ。
たったそれだけ。
こうして体を重ねる様になった後も、特に知り得たことがあるわけじゃない。
この顔の火傷痕の理由も。
爆弾隊になった理由も。
狂気の理由も。
何も。
きっと聞けば、何も隠す事なく答えるだろうけれど。
知り得たところで、何も変わりはしない。
「俺の知っているフライ」は俺が知り合ってからのフライだけだ。
だから、何も知らない。知る意味が無い。
今目の前で、まるで眠っているかの様に目を閉じているコイツ。
「俺は眠れないから、目を閉じているだけだ。」
と自分で言っていたから、たぶん今も起きているんだろう。
俺が早く起きすぎた事も、きっと気づいている。
こうしてじぃっと顔を見つめても寝たふりを決め込んでおく理由なんて知らない。
別に知りたくもない。
ただ、そうある、というだけだ。
お前はフライ。俺はシルバー。
同じ爆弾隊の隊長。
今は同じ寝床に寝ている。
誰かに事情を釈明する事もない。
ただ、そうあるから、そうなっている。
簡潔で明瞭だ。
「今」の話は、シンプルでいい。
「理由」は「過去」の話だ。ややこしくなる。
そして、「希望」は「未来」の話だ。
更に、ややこしくなる。考えたくもない。
…ないのに。
このまま、この関係が。
還るまでずっと続けばいいと。
何度思ったか分からない。
明確な目標じゃない。
ただの、無責任な、「こうなったらいいな」だ。
だいたい「この関係」自体がこんなぼんやりとしているのだ、明確にしようがない。
番でもないのに、こうしてスリットまで重ねて。
俺たちの間に何かあるかと言われても、「何もない」のだ。
無いものはないのだから仕方がない。
でも「こうなったらいいな」がある以上。
「こうなってほしく無いな」は明確に存在している。
お前が狂気に攫われて、戻らなくなったのなら。
きっと「この関係」はおしまいだ。
こうなって欲しく無い。嫌だなと思う。
…思うだけだ。
なにせ対策のしようもない。
コイツの狂気はコイツでさえ、理解出来ていないのだから。
そうなったら、諦める他ない。何もかもを。
でも、でももし。
何か出来るとするならば。
お前を、狂気に奪われるくらいなら(いっそ、一思いに)。
お前の前で無為にくたばって見せたなら。
…その狂気の中に、俺も、宿るだろうか。
お前の狂気と、俺の妄想が溶けて、混ざって。
まるで、一つの命が、実を結ぶ様に。
「…どうした?」
「ん、いや、少し早く起きすぎただけだ。」
「そうか。何もないならいいんだが。」
「少し、考えごとをしていた。殺気立っていたならすまないな。」
「殺気…?いや、何か随分と、」
楽しそうな顔をしていたようだから。