手段にこだわってる場合じゃない 赤の隊編纂者カーニャ曰く、釣りとは自然との対話であり、己との対話であるという。
結果に囚われてはいけない。釣り糸を垂らし、ただひたすらに無心で水面を見つめる。張り詰めた糸のように緊張感と集中力を高める。
そう、これはある種の精神統一なのである。
──とはいえ、やっぱり釣れなさすぎじゃないのか、これ。
ぼんやりと考えながら、ロイドは少し遠い目を浮かべて己の持つ釣り竿、その先に垂らされた糸を見る。釣り場にぷかり、と浮かんだルアーは微動だにせず、さらにいえばその周囲に魚影などひとつも見つからない。
さっきまでそこに何匹かいただろう、と内心でぼやくものの、それに応えてくれる魚がいるわけもない。思わずため息も漏れるというものだ。
少し目線を上げると、ルチア……ロイドのオトモと共に釣りにいそしむナタの姿が見える。じっとルアーを見つめる目は真剣で、しかしほんのわずかに好奇の色も窺えた。
彼の持つ釣り竿が大きくしなったかと思えばしぶきを上げて魚が釣りあげられる。ルチアと共に釣果を喜ぶ姿はまだ年相応の子どもらしい可愛げがあり、ロイドの口元が思わず綻ぶ。うん、よく釣れているようだ。
そうして、視線を己の釣り竿に戻す。よそ見をしている間に魚影が帰ってくる……なんてことがないだろうかと期待を持ってみるものの、そんな都合のいいことが起こるはずもない。相変わらず、ルアーがぽつんと浮かんだ水面が見えるだけである。
なぜこんなにも釣れないのだろう。釣れないのは今に始まったことではないのだが、自分もナタもカーニャから直々に渡されたルアーを用いているはずなのにこの差は一体……。
いや、別に釣果が欲しいわけではない。釣りとは自然との対話なのだから。ただ、目に見える成果が必要な時はどうしても存在するのだ。
「先生!」
釣りを終えたらしいナタがこちらに駆け寄ってくる。その腕には釣果が入っているだろうバケツが抱えられていた。
「見てください! そんなにたくさんは釣れなかったんですけど……ほら!」
ナタは嬉しそうにバケツの中を見せてくる。どれ、と覗き込んでみればサシミウオを始めとした魚が5~6匹ほど入れられているのが目に映った。
わあ、いっぱいいる……。
「……す、ごいじゃないか、大漁だな」
「ルチアが手伝ってくれたおかげです!」
「そうか」
動揺を悟られてはいけない。何事もなかったかのように笑ってナタを褒めてやれば、彼もまた嬉しそうに微笑む。彼の後ろではルチアが誇らしそうに胸を張っているのも見えた。
それからナタはロイドの傍らに置かれたバケツに視線をやってから、期待に満ちた目を己の師に向ける。
「先生は、今どれくらいですか?」
ぎく。
「……まあ、それなり、だな」
嘘である。
今この時までルアーに食いついた魚はいないのだから、バケツの中は空に決まっている。
だが、期待に満ちた目を向ける弟子の気持ちをどうして裏切ることができようか。「それなり」と曖昧な返事をされたにも関わらず、ナタはまるで自分の事であるかのように嬉しそうな顔をしているのだ。
それに、ナタがこれだけ釣りあげている状況で自分が「一匹も釣れていない」と伝えれば……ナタがどれだけ気まずい思いをするかなど目に見えている。それはあまりにも可哀そうだ。
ロイドはそっと、ナタの後ろに控えているルチアへと目をやった。ルチアはロイドの助けを求めるような視線に気づくと、やれやれといったように首を振ってナタに近付く。
「ねえねえナタ!ボクね~焚火用の薪を集めたいから……手伝ってくれる?」
「うん、いいよ。じゃあ先生、僕たち、ちょっと行ってきます」
「あぁ。気を付けて」
すぐ戻ります!と言いながらぱたぱたと走り去っていく二人の背中を見送り、ひとまずこの場は凌いだか…とロイドは安堵の息を漏らす。それからさて、と再び釣り場へと向き直った。
二人がここに戻るまでに、ナタが期待する通りの結果を出さなければならない。しかし、釣り竿を垂らしているだけでは得られるものなど何もないことは分かりきっていた。で、あれば。自分に出来ることはひとつだ。
これからやる事をカーニャが知れば、きっと「ツリトモ……」と言葉も少なく冷めた目で見られてしまうだろう。だが許してほしい。人間というのは、どうにもならないことが存在してしまうものなのだから。
誰に聞かせるでもない主張にひとり頷きながら、ロイドはそっとスリンガーに捕獲用のネットを取り付けたのだった。