宵闇前に尽きるブルーライトは目に悪い。
今まで知っていても痛感することのなかった事実に、最近は打ちのめされている。
五十鈴川亞子は眉間の間をギュッと抑えると、大きく手を広げて伸びをした。
画面から視線が離れればすっかりと日が落ちて部屋の電気がなければ真っ暗だろうと言う時間。
心のどこかがぽっかりと空いた感覚は、作品を作る人ならば一度が感じた事があるものだろう。なんと表現しても納得のいかない鬱憤はストレスになって蓄積する。
一度課題から離れようと、そう思って立ち上がればぐわんと頭から血液が足の末端に向かって落ちていく感覚がある。
これがあまり好きでは無い。いわゆる貧血というやつだが、これが好きな人間など存在はしないだろう。
亞子は体が立位に慣れるのをまってゆっくりと動いた。頬を撫でる髪は黒の部分が広くなってきて、そろそろ染めに行かないとと指でくるくると毛先を巻く。しかし、あぁ、暗さのせいかと思い立って電気をつけた。
眩しさの中で自然と瞼が閉じる。それ越しに感じる光量に文句を考えながら、長時間限られた光の空間にいた自分を恨めしく思う。
やっと瞼が開く頃にはやって来た眠気でまた閉じそうになった。まだ寝るわけにはいかないと首を何度も左右に倒して大きく伸びをする。
そうして依存気味とも言えるスマホを片手に取って移動する。画面にはよく知る友人達の連絡先が並んでいて、一歩二歩と移動する間に指は五回以上タップしていた。
「起きてる?」
『ぜんぜぇーん起きてるっ!』
『おはよう?』
『もしかして、皆起きてるの?』
コミュニケーションツールは大概決まっていて、たった数分で既読と返信がある。やはりと言うべきかまだ全員が課題をしているようで、亞子は少し安心して止まっていた足をまた降り出した。
向かった先はキッチンで、お茶をコップに注ぐとまた画面に視線を戻す。やんややんやと盛り上がる様子を見れば、そこそこな眠気と作品に向き合う真摯な気持ちで若干のハイになっていると分かる。
少し呆然としながら返事を返せれば、『亞子ちー眠そう』『少し寝たら?』『明日は一限ないから』と、三者三様に心配してくる。
良い友を持ったなぁと、また呆然な思考のまま思う。座っていた椅子に戻れば、イタリアの芸術的な外壁を思わせるメモだらけの壁がある。
一度貼った貼り紙を剥がさずに上から重ねていくのはよくある事で、(亞子は単純に剥がすのが面倒なだけなのだが)重ねた分だけそこにはたくさんの思考が溜まる面白さがある。
こくりこくりと喉を通る水分と、今にも閉じそうな瞼。体はまだやる気なのだが、眠気は今にも最後の一押しをしてきそうだった。
「頭を切り替えようかな。」
そうして、また二、三回スマホの画面をタップして椅子からベットへとまた移動する。
もう何をしてもデザイン案に新しさを得られないだろうと、まだ数日の期限があるからと、練りに練った思考回路はきっと睡眠中も動き続けるのだけど、それは夢の話で忘れてしまうのだろう。
亞子は画面の向こうで同じ課題に取り組み面々へ簡単に寝ることを伝えると、音を鳴らしてスマホを投げ、自分の体もベットへと落とした。
『充電器に付けて寝なよ?』と、返信があったその一文を見ていれば、次の日の朝に焦る事はなかったのだが、残念ながら亞子の眠りはもうひと頑張りはさせてくれなかった。
夢が一つ。ぼんやりと落ちていく。
心を満たすならば記憶として留めてくれれば良い物を、どういうわけかそれは瞼と思考の動きに合わせてポンっと消えてしまう。
たまに残っていても書き留めなければ霞の如くというわけだ。脳科学で解明されているのだろうか。と、そんなことを考えながら亞子は深い深い波の中にいた。
息苦しさはない。水面と降り込む光が自分を照らして、そんな筈はないのに海面に自分が映っている。
友と笑う自分はとても楽しそうで、くつくつと喉の奥が鳴った。
気づけば自分の体はイルカのそれによく似ていた。ふと浮かんだ光景は1匹のイルカが海中を泳ぐわけでもなく深く沈んでいく様子で、自分で動けと念じればいくらでもイルカは動いて泳いで見せた。
だから、あのイルカはきっと、自分だったのだ。
どんな意味があるだろう。
この大海原を泳ぐことに幾分の可能性があるのだろう。その可能性のこの口が噛み締めるのはどの位の量で、ヒレが掻き払ってしまう可能性にはどんな価値があるのか。
詰まるところ、一握りであるのは自分もそうなのだ。たくさんの可能性の中から常に選ぶのは自分だ。そして捨てるのも自分なのだ。
そう思うと、今度は海中をもっと上手に泳げた。体はいつの間にか人間の自分の体をしていて、結んでいない髪が潮風に吹かれたみたいに靡いている。ここは海中だと言うのに。
パッと、大きな波が立って目が覚める。
疲労ごと、夢の内容は綺麗さっぱり無くなっていて少し悲しく思うが、それよりも充電の切れたスマホの方が亞子にとっては一大事だった。