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    siegXmari

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    siegXmari

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    ##ジクマリ

    彼が彼女を選んだ理由。 例えば彼女は花屋の店先に立ち並ぶ、鮮やかで艶やかな花ではない。通り掛かる者すべての目を奪う美しさや、心を魅了する華やかさを持っているわけではない。
     例えるなら、目を見張る美しい緑に包まれた丘の、その美しさの一端を担う小さな野花のように、慎ましく咲いている。
     マリカのそんな控えめさを、ジークフリートは好いていた。見る者すべてを虜にするわけではない、控えめな笑顔が。
     鈴のように軽やかに高く転がるわけではない、耳に心地好い声音が。
     目眩がするほど遠く澄み渡る青空を悠々と流れる雲のように、穏やかな話し方が、仕草が。
     しかし、それがこの世界の特別かと問われれば、そうではないのだろう。彼女はやはり野に咲く一輪の花でしかなく、目にしなければ気が付くこともない。
     この世界の、或いは多くの人々にとっての特別ではない。彼女はただ、穏やかに生きる人々の内のひとりでしかないのだ。
     例えばそんな、美しい丘の光景に埋もれてしまう野花のような存在である彼女を、ジークフリートがなぜ見つけたのかといえば、それは偏に彼女が異質な存在であり、この世界においての特異的な存在であったからに他ならない。
     彼女自身が特別なのではない。彼女を取り巻く環境が、彼女を巻き込んだ環境が、特別だった。
     それがたまたまマリカだっただけで、マリカである必要はどこにもなかった。
     ただ、たまたまマリカがこの世界に呼ばれ、星晶獣の気まぐれに巻き込まれ、彼らの元へ落ちてきた。そうして、そこにたまたまジークフリートが居合わせた。
     彼女がこの世界に迷い込んだ原因の一つにジークフリートの存在が関与しているかもしれないと推測し、彼女の護衛も兼ねて傍にいてあげて欲しいと団長に頼まれた。
     ジークフリートにはそれを断る理由がなかった。
     ──ただ、それだけのこと。
     そうであるのなら、マリカである必要はなかったのではないか。ジークフリートがマリカに惹かれたのは、そういった偶然の中たまたま出会ったのがマリカだったからであって、もしもあの時降ってきたのが他の誰かであったとしても、ジークフリートはその相手を好きになっていたのではないか。マリカである必要などは、どこにもなかったのではないか、と。
     ぽつ、ぽつ、と、落とす涙と同じ速度で口にしたマリカの言葉を反芻し、ジークフリートは初めて彼女と出会った甲板に赴いていた。
     あの日のことが、ずいぶん昔のように感じる。遠い遠い昔の出来事のように感じられるが、実際彼女と出会ってから流れた月日はそれほど多くはなかった。
     もしもあの時出会っていたのが、マリカでなかったら。どうであるかなど想像もつかない。考えたこともなかった。
     ジークフリートはマリカと出会い、マリカに惹かれた。それはまぎれもない事実で、変えようのない真実で、それ以外の可能性など考えたこともなかった。
     そもそもジークフリートにとって、誰かを好きになるというその感情そのものが今だに理解し得ないものだ。誰か一人に固執するということ、執着するということ。失いたくない、と、心の底から思える存在ができたこと、そのものが。
     これまで幾度となく女性を見てきた。ヨゼフ王に誘われフェードラッヘの騎士となってから、マリカと出会うまでの間。
     それは例えばあの国の貴族であり、街の人であり、依頼人であり──女性、という性を持つ存在の多くを見てきた。中にはジークフリートに色仕掛けというものを仕掛け迫ってきた存在もいた(らしい。ジークフリートにその自覚はなく、友人やヨゼフ王に指摘されたことがあるだけだ)が、特別心を惹かれたことも、動かされたこともない。
     ──それではなぜ、マリカは。
     彼女を見ると、例えばこの胸は何者かに掴まれるような苦しみを得たり、かと思えば途方も無い多幸感に包まれる。
     鼓動が感じたこともないほど高鳴るかと思えば、眠りに就く前のように穏やかにもなる。
     振り回されて、それでも妙に心地好い。どうにも得難い、不可思議な感覚に惑わされるのだ。
     なぜ、なのだろう。他の人間とマリカは、どう違うのだろう。何が違い、ジークフリートは彼女に惹かれたのだろうか。
     ……例えば。彼女はどこか、一歩引いた場所から団員たちのことを見守っているきらいがある。その時の、穏やかな、楽しげな、それでいてどこか寂しそうな瞳が気になっていた。何に憂いているのか知りたかった。
     例えば。何かを思い出しながら話すときの、少し目を細め、遠くを見るような瞳で、そっと綻ぶ優しい目元が気になった。その瞳にはこの世界がどう映っているのか、これまで見ていた世界はどう映っていたのか、知りたかった。
     ──例えば。
    「……あぁ」
     なんとなく、納得したような。呆れのような笑みを零し、ジークフリートは呟いた。
     どこが好きなのか。考え出せば、泉の水のように溢れ出す。一晩中でも語れそうだ、と考えたジークフリートは、そうであることに安堵した。マリカを想う気持ちに偽りはないのだと知れたことが、あまりにも幸福で。
     後から後から溢れて止まないこの気持ちを口にすれば、きっとマリカは戸惑い恥ずかしそうに顔を真っ赤に染めて、もうやめてください、と涙を浮かべてしまうかもしれない。その様子を容易に想像できることがまた、幸福で。
     ふと、誰かの足音が聞こえ、ジークフリートは耳を済ませた。こつ、こつ、と聞こえる、控えめな足音。女性のものだろう。それも、鎧の類をつけていない誰かの──
    「ジークフリート……さん……?」
    「マリカか」
     聞こえた声が今まさに渦中の存在であったことに、ジークフリートはうれしさを隠さず笑んだ。マリカは面食らったような顔をして、「えっと、」と視線を彷徨わせる。
    「どうした?」
    「あ……その、昼間のこと、で」
     気まずそうに視線を逸らしたままのマリカは、言い澱みながらもおずおずと言った。
    「変なこと、言ってしまったから……。すみません、わたし」
    「そのことか」
     ちょうどジークフリートも、そのことで思慮に耽っていたところだ。マリカは随分気にした様子で俯いてしまったが、ジークフリートは静かに笑ってマリカの元へ近付いた。
    「考えても仕方のないことなのに、私……ごめんなさい。余計なことを気にしてしまうの、私の悪い癖で……。あまり、気にしないでいただきたくて」
     しゅん、と体を縮みこませるマリカに、彼女が気負わないよう、ジークフリートは声音が柔らかくなるよう努めた。
    「ちょうど、そのことを考えていたところだったんだ。聞いてくれるか?」
    「え、」
     あまり聞きたくなさそうな反応だった。ふっと、思わず笑ってしまう。
    「俺はどうしてお前を好きになったのか。そのきっかけを、思い出しているところだった」
    「え、……あ。それは」
     今度は興味深そうな、聞きたそうな顔をする。素直でわかりやすい反応だった。それをかわいいと感じるのは、惚れた弱味、というものなのだろうか。
    「どうして……ですか?」
    「あぁ」
     そういえば伝えたことはなかったかもしれない。ジークフリートが初めてマリカに想いを告げた時、想いを伝えるだけではなく、お互いの気持ちを確認し合い、通じ合っていれば恋仲へと発展させるものだ、ということを、ジークフリートは知らなかったのだ。
     あの時は、ジークフリートが一方的にマリカに想いを告げただけだった。マリカがジークフリートをどう想っているかなど考えもしなかったし、気になりもしなかった。
     ただ、自分が生まれて初めて他人に対して恋情を抱いたのだということ、そしてそれを本人に知ってもらいたかっただけだったのだ。
     ジークフリートとマリカが恋仲になったのは、ジークフリートが仲間たちに「彼女と付き合わないのか」ということを問いかけられたからであり、そうしてマリカがジークフリートに想いを寄せていることを告白してくれたからである。
     そのときのことを思い出すと、くすぐったいような、不可思議な感覚になる。
    「俺がマリカを意識するようになったのは、お前が俺の鎧姿を好きだと言ってくれてからだ」
    「鎧姿を……?」
     きょとん、と目を丸くし、返す言葉に迷っているような姿に自然と笑みが浮かぶのがわかった。
     きっとマリカにとっては些細なことだったのだろう。不思議そうに首を傾げるマリカに、ジークフリートは言葉を続けた。
    「話してくれたことがあるだろう。お前がフェードラッヘで起きた事件のことをどこまで知っているのか、語ってくれた時に」
    「言ったような……? 今でも、ジークフリートさんは鎧姿が一番素敵だと思っているから、それは間違いないと、思うんですけど……」
     当時の記憶までは引っ張り出せないのか、マリカはうーんと首を捻ったままだ。
    「えっ。そ、それが理由、なんですか?」
    「それだけではないがな。そのあとにお前がかけてくれた言葉も含めて、だ」
    「えぇと……」
     マリカは難しい顔をして、その記憶を思い出そうとしているのか、うぅん、と小さく唸った。しかし結局思い出せないようで、「私、なんて言ったんですか?」と不安そうに見つめてくる。
    「……大したことじゃない。だが、その言葉に俺は救われたんだ」
    「えっ! お、教えてくれないんですか?」
    「少し気恥ずかしいからな。今は内緒にしておこう」
    「えぇ〜……!」
     不満そうな声を上げられ、こんな反応をされるのはもしかすると初めてかもしれないとジークフリートとは思った。彼女の様々な反応を見ることができるのは、恋人の特権、というものだろうか。
    「結局、どうしてなのかわかりません……」
    「俺がマリカを好きだという事実は変わらない、ということだ。もしもこの世界にやってきたのがマリカでなければ、俺は恋を知らないままだったかもしれない、ということも含めて、な」
     ジークフリートの言葉にマリカは瞠目し、それからそっと瞳を伏せる。それは、と呟かれた言葉は小さく、風に飛ばされて行った。
    「できれば、もう気にしないでいただけると……」
    「そうは言われてもな。考えもしなかったことだ、言われてしまうと気になるだろう? 何せ、お前が悩んでいることだ」
    「う……。す、すみません」
     余計なことを、とマリカは申し訳なさそうに体を縮み込ませる。
    「いや。……お前以外の誰かを好きになるかもしれない、なんて、考えすら浮かんだこともなかった。あの時この艇に落ちてきたのがマリカではなく、他の誰かだったなら──お前に問われて初めて、その可能性があったのか、と気が付いたくらいだ」
     自分が誰かに恋をするなど、想像したこともなかった。自分には縁遠い、一生芽生えることのない感情だと思っていたのだ。だからこそ、それ以上のことも、それ以外のことも、考えすら及ばなかった。
    「マリカではない他の誰かが落ちてきていたとして、その人間がお前と全く同じことを口にするかはわからない。同じことを口にしたとして、俺の心に響いたかはわからない。今俺の目の前にいるのはマリカで、俺が出会ったのはマリカだ。その『他の誰か』に出会ったことがない俺にはわからない」
    「ジークフリートさん……」
    「今、お前の目の前にいる、俺は。──俺は、マリカが好きだ」
     ジークフリートの言葉に、マリカは何か言いたげに口を開く。けれどすぐに口を噤み、きゅっと唇を結んだ。
    「これでは、駄目か?」
    「そんな、こと……は、」
     マリカは気まずげに視線を逸らしたまま、胸元できゅっと両の手を握り締める。
     それはマリカが迷っている時、困惑している時に見せる癖だった。片方の手をもう片手の手のひらで包み込み、まるで身を守るような姿は、己を傷付けまいとしている気持ちの現れなのだろう。
     これを伝えると、ジークフリートは困るかもしれない。嫌われてしまうかもしれない。呆れてしまうかもしれない──そう思う何かを考える時、マリカはいつもそうしていた。
    「マリカ」
     声音が優しくあるよう努め、そっとその肩に触れる。マリカはビクッと一瞬体を強張らせ、それから恐る恐る顔を上げた。
     くしゃ、と、泣き出しそうな顔をして、マリカはすぐに俯いてしまう。そうするとジークフリートはマリカの表情を読み取ることができず、それ以外の所作で彼女の心の機微を汲み取らなければならなかった。
     例えば、合わせていた両の手をぎゅっと胸元に押し付ける仕草。それは何かに耐えようとする時に見せる癖だ。
     苦しいこと、痛いと感じること、悲しさが溢れそうなとき。
     胸の痛みを抑えるように、マリカはそうする。
     例えば、合わせていた両の手の指先を、ぎゅっと握り締める仕草。それは覚悟を決めたいとき、何か決意しようとしているとき、そして何か口にしようとするとき──しかし言葉は口を出ず、もどかしさを噛み締めるように、マリカは指先に力を込める。
    「何を考えているか、教えてくれないか?」
    「わた、し……」
     ふたりの間を夜風が通り抜けていく。長居をするつもりはなかったため上着を持ってきておらず、マリカも薄着のため体が少し冷え始めていた。
     せめて上着を羽織っていれば彼女に着せてやれたのだが、と思いつつ、ジークフリートは根気よくマリカの言葉を待つ。
    「私は、欲張りな性格なんです。だから……」
     マリカの指先に、さらに力が込められる。ジークフリートはマリカの様子をじっと観察しながら、言葉の続きを待った。
    「……例えば、その。こことよく似た、別の世界があったとして。その別の世界のジークフリートさんは、私のことを知らなくて、私と出会わなくて、私以外の誰かを好きになるんじゃないか、って。ジークフリートさんにとって、恋をする相手は私じゃなくてもよくて、他の誰かに恋をする可能性だって、きっとあるんだって……」
    「……別の世界?」
     あまりに突飛な言葉だったもので、ジークフリートは思わず鸚鵡返しに聞き返してしまう。
     別の世界に生きている、別の世界にいるジークフリート。その話は昔、何処かで聞いたことがある。そう、確かヨゼフ王から──なぁ、ジークフリート。そなたは『並行世界』という可能性を考えたことはあるか?
     とある島の学者の文献を読み、誘発されたのだと言っていたのだったか。
     当時のジークフリートにとっては、興味のない話だった。そんな空想に考えを膨らませたところで、所詮はただの机上の空論だ。知り得ることもなければ、当時力を求めるだけだったジークフリートにとっては、何の益にもならない話。
     王立騎士団だった時代、ジークフリートがヨゼフ王を心から敬愛し、敬愛するからこそ相応しい言葉を使いたいと思うよりも前の話だったように思う。
     今のジークフリートからすれば、多少興味のそそられる話ではある。しかしなぜマリカは、そのような突飛もないことを考えたのだろう。
     前に比べればマリカはこの世界の文字を随分と覚えてはいるものの、そのような小難しい文献を読め解けるほど文字に慣れたわけではないだろうに。
     不思議に思っていると、マリカは震える声音で続けた。
    「私は、別の世界から来た人間だから……。考えて、しまうんです。例えば私が落ちた世界で、ジークフリートさんにはもう他に好きな人がいたら、って。恋人がいるジークフリートさんの元に、もしも行ってしまっていたら……って」
    「……マリカ」
    「私にとっては、どうしても。どうしてもこの世界も、この世界にいることも、ジークフリートさんと一緒にいることだって、全部夢みたいなことだから。この夢が突然終わらない確証なんてどこにもなくて、ある日突然目が覚めてしまうかもしれなくて、だから」
     ──だから。ありえたかもしれないもしかしての世界を考えて、苦しくなるのだと、マリカは絞り出すように言った。
     それは、世界を越えた経験のないジークフリートにはわからない感覚なのだろう。世界を越えて来たからこそ、ありえたかもしれない可能性を考えてしまう。
     わからなくはない、と、ジークフリートは思った。彼女がそう考えてしまうこと、その不安を溜め込んでしまうこと。わからなくはない、と。
     しかし。少しの間、思慮を巡らせたジークフリートは、ぽつりと呟いた。
    「……それは少し、妬けてしまうな」
    「やけ……?」
     伝わらなかったらしい。不思議そうにジークフリートを見つめるマリカに笑いかけ、ジークフリートは言った。
    「つまり、例えば今ここに別の世界から来た俺がいたとして、その俺が他の人間に恋をしていたら、マリカは傷付く、ということだろう?」
    「え? えっと……そう……そうです、ね。そういう、ことです」
    「つまりマリカは、俺以外の人間の恋愛事情に心を奪われる、ということだ」
    「えっ……! で、でも、ジークフリートさんはジークフリートさんで」
    「だが、俺以外の俺は、俺にとって俺ではない」
    「うっ……うぅ。ややこしいです、けど……えっと……」
     確かに……? と、マリカは首を捻りながら呟く。
    「まさか、俺の最大の恋敵が俺自身とは、思いもよらなかったな」
    「えぇっ!? だ、だって……私……」
     しゅん、と体を縮みこませてしまうマリカを見て、流石に意地悪がすぎただろうか、とジークフリートは思ったが、事実あまり面白い光景ではない。
     どこの世界に、自分の恋人が他の人間に現を抜かす姿を見て気分が良いなどと思うだろうか。その相手が例え自分自身であったとしても、別の世界を生きている、今のジークフリート以外の誰かであるのなら、誰であろうと同じだ。
     自分以外の存在をマリカが気にする。それはあまり、面白いものではない。
     その光景を思い浮かべたジークフリートは、知らずのうちに眉間に皺を寄せた。そんなジークフリートに、マリカはおずおずと問いかけてくる。
    「ジークフリートさん……? あの、もしかして、ヤキモチ……妬いて……?」
    「そう言っているだろう」
     間入れずにそう答えれば、マリカは驚いた顔をして、それから頰を朱に染めて俯いてしまう。もごもごと口の中で何か呟いたようだったが、あいにくジークフリートの耳には届かなかった。
    「俺を妬かせることについて、マリカの右に出る者はいないだろうな」
    「なっ……!」
     ぱくぱくと口の開閉を繰り返したマリカは、ぐっと俯いて黙り込んでしまう。耳まで朱が走っており、照れている様子は聞かずともわかったが。
    「だが、マリカが不安に思う理由はよくわかった。そればかりは、この世界の俺だけが何を言ったところで、解決してやれることではないな」
     ジークフリートの言葉に、マリカはこくんと小さく頷いた。
    「考えても仕方のないことって、わかってはいるんです」
     小さな声を聞き逃さないよう、ジークフリートは体を屈め、マリカの口元へ顔を近づける。
    「私の目の前にいるジークフリートさんは、ここにいるジークフリートさんだけで、それ以外の何者でもないって」
     わかっているんです。小さな声で、マリカはそう繰り返した。
    「私は今、ここにいて、ジークフリート さんもここにいて、……それが全てだって、わかって」
     それでも。それでも自分にとって辛い未来を浮かべてしまうこと、自分にとって最悪の出来事を考えてしまうことを、マリカは責めているようだった。
     彼女は柔和に見えて、穏やかに見えて、その実頑固なところがある。自分の中で納得いくまで、他人に何を言われようと考えを変えられない。それは逆に考えれば、一度自分の中で納得いく答えが見つかれば、その瞬間、絡まった糸が綻ぶようにするすると解けていくのだが。
     これ以上は、ジークフリートが言葉を尽くしても変わらないだろう。そう思い、言葉をかける代わりに、少し強引にマリカを抱き締めた。
     腕の中で小さく悲鳴を上げ、しかし抵抗も拒絶もなくジークフリートの抱擁を受け入れる。それだけで、ジークフリートの胸の内は笑ってしまうほどの幸福に包まれるのだ。
    「マリカ」
    「は、はい」
    「好きだ」
    「……は、い」
     戸惑うように体が強張っている。今、彼女はどんな顔をしているのだろう。思い浮かべることは容易いが、できれば直接見せて欲しいものだな、と小さく笑った。
     柔らかな髪に指を通す。風に吹かれる度に甘い香りが鼻腔を擽り、それがジークフリートの胸を焦がす。
     ジークフリートのクセのある髪とは違い、さらりと背中を流れる髪は指通りがよく、いつの間にかそうしてマリカの髪を撫でるのはジークフリートにとって特別な行動の一つになっていた。マリカの存在をグッと近くに感じられる、幸せな時間。
    「体が冷えてしまったな。すまない、こんなに話し込むつもりはなかったんだが」
    「いえ。ありがとう、ございます」
     ジークフリートの腕の中で、少しは心が安らいだのだろうか。マリカの声音に、少し覇気が戻っている。
     ジークフリートはそっと安堵し、艇内へ戻るように促した。
     今晩は同じベッドで眠ろうか。ジークフリートもマリカも一人部屋なので、差し支えないはずだ。明日もまだ騎空艇は空を飛んでおり、特別誰かが訪問する予定もない。
     きっと、ジークフリートの考えを話せばマリカは少し戸惑って、それからはにかんで首を縦に振ってくれるだろう。それだけで、この胸は十分なほどに満たされる。

     願わくば、マリカにとってもそうあって欲しい。
     いつでも隣にいて、幸せそうにしていてくれたなら。

     ──俺はいつでも、幸せな気持ちでいられるのだから。
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