キャラ考察的ななにか20211118ということで。
平ゼロを視聴してから2ヶ月。
未読(厳密に言うと過去に読んでいたんですが10年ほど前に引越しのため処分しており詳細な内容を覚えてると言うほど覚えてないためまた集めている途中)の原作が残すところ10冊になったんですが、その間に、Re:CYBORG(以下Re)を見直しCall of Justice(以下コゼロ)を見て、vsデビルマン(以下サイデビ)、新ゼロTV(以下新)、超銀河伝説(以下超銀)、旧TVの一部と怪獣戦争(以下まとめて旧とする)まで見ました。旧TV全部見なきゃな。
並行して、原作(講談社赤本)の1~10あたりと21~27あたりを再購読。初期リヒの湿り気のなさ可愛いが過ぎる。ピチッ(指ダーツを元の手に嵌める音
過去、新ゼロ超銀と原作で萌えていた人間なのですが、先に書いたようにハマっていた割に、平ゼロを見た時は「凄いな、原作どおりじゃん」と感じ、ただ「いや、でももう少し004は怒りっぽくて口数も多かった気がする」くらいは思っていました。1番好きな話が「誰がために闘う!」だから仕方ないよな、あの話だけは原作を手放してもほぼ覚えていた。だって推しカプが鼻をくっつけよる…。
その後、原作を読み直したら「平ゼロのスタッフなにを思ってあんなに2と4の性格改変した?」と思うようになったのです。
不満ではなくて。
単純に「なんでやろ?」です。
しかし、平ゼロのあの「勝気で無鉄砲、聞かん気が強くてややお調子者だが正義感は強くて真っ直ぐな002」と「物静かで思慮深く、根暗で湿っぽい、戦闘指揮官的な004」のイメージって、単純に002と004の“イメージ”としてはとてもよく「理解」出来てしまう。そういうイメージあるよ。わかる。
原作を読むと決してそんなことはないのに、何故かわかってしまうそのイメージってなんなんだろな?とずっと不思議に思っています。なおこれ、私だけではなく、ほかの「24いいよね」って言ってくれる友人たちにも割と根付いているイメージぽい。(ただ、その人々の根っこにあるのがどの時点のサイゼロなのかによるところは大きいと思われるので、平ゼロの民であれば当然だとも思う)
私は平ゼロの民ではなかったんだけど、自分が昔から持ってた「24観」みたいなものの中には確実にその要素、ある。
これは原作のキャラたちには、仲間と共にいる時とそうではない時の立ち居振る舞いが変わる、という現実の人らしい面があるからという部分も影響しているように思う(長期間に渡って描かれた作品であるため、先生の心境の変化が反映されていることも大きいけども)
それでも、原作を読んでいると全体としては「無茶をする時もあるけれど物腰は比較的柔らかで若々しく、時には驚くほど冷静でいて、仲間には少し甘えた話し方になる002」と「口が悪くて持論を曲げない偏屈で努力主義の喧嘩っ早い004」って印象を持ちます。ここで、タイトルの「持っていた男と持たされなかった男」の話になるわけです。
平ゼロと原作の違いが顕著なのは「コスモチャイルド編(平ゼロでは「第27話 小さな来訪者」)」
ここでは原作での004の役割をほぼ002が担い、異世界から来た宇宙人の子どもたちに「戦え」と促しますが、原作の004の方が平ゼロの002より余程言葉がキツい。
平ゼロ摂取後に原作を読み直してしみじみと感じるのは「あー…004って持っていた男なんだな」ということ。
石ノ森先生がどんなつもりで描かれてたのかはわかりませんが、コスモチャイルドに限らず004は割と他人に説教をしますよね、奈々ちゃんとかさ。
努力をしろと、自分の手で勝ち取れと、自分の中の正しさに従えということを割と他人に自信を持って説くんですけども(それでなくともうんちく垂れるの割と好きだよな…)あの人のお育ちの恵まれた環境をそこに感じます。
そもそも1964年に30歳だと仮定して(ここは28歳でもいいんだけど…というか個人的には石ノ森先生存命時に設定された新ゼロの28歳設定の方が信頼性は高いのかと思う。しかし三十路というのは萌的に美味しい)1934年生まれの004。
少年の頃にオーストリア在住(多分)のストリンドナー先生にピアノを習っていたということで、戦前戦中はオーストリアはドイツ領でもあり、出身は南ドイツかドイツ領オーストリアになるのかな?(先生がドイツに招聘されてる可能性はあるが、004、平ゼロだと国籍はドイツなのに出身地不明扱いなのがこのあたりを平ゼロでも検討されたのではないだろうか?)終戦時に10~11歳。戦後すぐは敗戦国だし、そこまで自由に芸術を習えるのかなあ?と思いますが可能とすると、まあ「実家が太い」という想像が出来ます。
それに加えて前述の「努力をして勝ち取れ」という主張ですよ。これは、己がそれまでそうしてきて、なおかつ成功した経験があるから言えるような言葉です。
青年期にヒルダと恋に落ち結婚を約束し「西側へ逃げる」という選択をしたのも「やれば出来る」精神と、ある程度の学歴や知識環境が窺えます。
ピアノの話なんかは原作後期作品なので、パラドックス的にこの理屈に当てはめていることになりますが、割とすんなり入ってしまうのが石ノ森先生のこわいところ。
ま、その「持っていた男」が全てを失って得たものが全身に搭載された銃火器と原爆と就職差別と孤独なんだよな、酷い話だよ。萌えますね。
原作でも、序盤は割とカラッと明るいのに、ヨミ編の開幕あたりで「母国に戻ったはいいが、身体をきみわるがられて就職出来ない」と理解するに至り、その後、個別話を重ねる毎にそういう被差別体験や自虐意識を重ねて湿っぽくなっていきますね、004。
ニヒリズムは比較的後天性なのかもなあ。
元々はいわば(ある程度)勝ち組の男というか、上流とまでは行かないまでも、普通に生活していれば中流の上の方の生活を維持できる程度の感覚の人だった印象で、時代に照らし合わせると、恵まれた環境の男だったんだと思います。
母国での思い出は嫌なものばかり、とか言ってるけどヒルダのことしか出てこないじゃん…それだけが嫌なことなんよあなた…ほかはそうでも無いけど、まあその唯一が最高に嫌な思い出な訳だから仕方ないけどね。
先生天才か、やっぱ。
それと引き換えの002。
ここを書く前に「イシュタルの竜」「愛の氷河」がまだ再購読出来ていないのが心もとない…ごめんねジェット…おじさんの短編のとこは既に買い直したのにね…
平ゼロでの「第一世代最初の男」としての設定は妄想の余地ありありなのでかなり大好きなんだけども、その忍耐力や不屈さや前向きな部分に対して、あまりにも「言動のガキっぽさ」を全面に出されているのは未だに謎。あれはなんなんでしょうね。森久保さんの声のイメージがかなり強いとはいえ、やはり脚本であえてステレオタイプな子どもっぽさを付け加えられている気がする002。
逆に新ゼロ・超銀の野田002の言動は、原作と比較するとかなり硬派で大人びた男前要素を突出させているので、もしかしたら「ジェット・リンク」自体が少し先生以外に表現しにくいバランスの男なのかも知れません。
自分で描いていてもそれは思う…原作が持つ要素のどこかを強めにしてしまう。それはたまの子どもっぽさだったり、男前なとこだったり、熱いところだったり…偏ってしまう。本来は行動に対して言葉づかいが柔らかくて優しくて可愛いのに、口調だけ準じるならともかくも、難しいんだよなジェット描くの。
イタリア移民・シチリア系アメリカ人(この設定原作のどこに表記されとんかまだ記憶にない)ということは、19世紀末のイタリア南部移民の末ということで(このあたりはどうもウエスト・サイド・ストーリーの影響があるらしいので、今度公開される映画観るね…)移民三世くらいかな?004と同様に考えると、生年は1942年or1946年(22歳or18歳なので)…なんで新ゼロから4歳も若くしたんだろな平ゼロ…こうなるとハタチのジェット君が欲しくなる。
育ちの悪さに対して地頭は良く、サイボーグになってからは年上の仲間に囲まれたこと、同年代の008が黒人特有の問題に対して高い意識を持つこともあるのか、本来はきちんと世界情勢や事件に対するデータを取り込んで彼なりに分析するタイプであって、決してノーデータでも無謀に挑むタイプではない。
なので、問題にしている「コスモチャイルド編」で本人は割と黙っているんだけども、002の背景を思うと、しつこく他人に「やれ」と促すことがないのが彼の元「持たざる者」らしさだったのでは?と「小さな来訪者」が作品として存在している今となっては考えることが出来る。(個人的には「小さな来訪者」の改変は少し可哀想な程なので、平ゼロの中では好きな話とは言えないんだけど、この話があるから原作の「コスモチャイルド」と比較することが出来るので、なければ良かったとは思えない…という複雑な気持ち)
スラム街生まれで幼い頃にはもう両親ともに不在、子どもたち同士でなんとか肩を寄せ合い悪事にも手を染めつつも育ち、白人系のチームのリーダーまでは任されていた002なので人を率いる素質はある。一度懐に入れたら出来る限り面倒をみてやるんだろうなという優しさを感じさせつつも、懐の「外なのか中なのか」という判定にシビアさを持っている節も少し感じます。結局「甘さを出してやたらと手を出したら自滅する」のを身をもって知っているんで、基本的には自分の力量や報酬を天秤にかけて、出来るだけのことを余力を残しつつやる男、というイメージ。ここが004とも009とも違う部分。
ゲストキャラに対してもいつでも全力でやってしまう009や、気付いたら他人に入れこみすぎる004に引きずられないようにしたいのに、気づけば「懐に入れた人には全力」が前に出てしまい、最終的に仲間の為に熱い男にならざるを得ない、という…本人の要領はいいのに、周りのフォローをしてたら一番苦労することになった、みたいな部分があると思う。さらに、ちょっとカッコつけたい下心、002なりの美学みたいなものがあって苦労はしてないよって態度はとっておきたいので、周囲から見ると巻き込まれ型の苦労には見えないという…。
もっと抜きん出た力と冷徹さがあればイワン系統の思考もする男だと思うんだけども、でも彼は同時にヒーローにもなりたいんだよなあ…スーパーマンになりたい。そんな理詰めの回路と理想が噛み合わない男、ジェット君。
なのでですよ。
「力を出したら死んじゃう」と言う異星人に対して最初は「戦えよ」と言うけども、その後は黙って様子を見てる…ていうか、その後は自分が発声するより先に004がキレてるから口を挟む隙がないとも言い換えられるな?うーん、ここまで長々と自論を展開してきたのに、読み直すとやっぱ4おじさんが厳しすぎるわ!
パル達に激を飛ばす004…少し…その…怖いんだよな。作中では「あえてやってる」としてはいるけど、4おじさん…戦いに対して熱くなっちゃうとこあるよな…という言葉で濁しておくことにします。軍人のそれなんよ、お父さん…。
えっと…なんのためにこんな長文書いてたんだろね。
多分推しカプ美味しい、という話なんだと思いますよ。
しかし…年齢算出の部分、私はいつも1964年を起点にしてしまうけども、平ゼロ歴だと冷凍期間が40年ということで、2001年の40年前って1961年なんだよね。ベルリンの壁についてはギリギリ適用…(ちょっと実運用の点で1961年だと心許ないが)。
この頃には既に捕らえられている002は1943年生まれになる(004は1931年生まれになる)