まーたこの光景だよ、と里は冷めた目をして見ていた。仕事の帰り道、出勤順でバディを組んでいた芽白───自分をこの世界に連れ込んだ張本人が、女性に声をかけられていた。どう見ても女性より歳上なのだが、歳上の色気というのか、よく声をかけられていたのは知っていた。以前、断る理由で自分を使われたため、助け舟を出す気はさらさらなくそのまま素通りしようとした矢先、おもむろに肩を掴まれた。
「はぇ」
なんとも情けない声が漏れたが、抵抗する間もなくバランスを崩しかける。なにするんだ、と文句を言おうと顔を上げると、目の前には芽白の顔が近くにあった。
「えっなに」
里が混乱しているのを横目に、芽白の顔はまた近づき、そして耳に入る音が聞こえた。その音に里は固まる。チュッ、と聞こえたのだ。その音というか、行為をドラマなどで見たことがある、いわゆるキスだ。
「………………」
脳が処理しきれていないのか、里は固まっていた。芽白はすぐに顔を離すと、声をかけていた女性に口を開く。女性もまた、その光景を見て固まっていた。
「俺、この子がいるから」
にっこり、と笑って言った芽白に、逃げるように立ち去る女性。やれやれ、と芽白は一息ついていた。実は、本当にキスをしたわけではなく、いわゆるフリをした。音を出せば本当にしたと思うだろうと考えていたが、作戦が上手くいった事に笑いつつ、里の方を見る。
「里〜? 早く戻って報告書書きに行こっか」
「…………」
「……ん? どしたの?」
さっきから里が固まっているため、芽白は顔をまた近づける。その瞬間、ビクッと反応したかと思うとおもむろに目に涙が溜まっていく。ぎょっ、とした芽白を他所に、里はその場から走り出した。
「え、ちょっ」
芽白は追いかけるが、あっという間に駆けていく里。スピードを鍛えすぎたな、と若干ズレた思考をしつつ、里の後を追いかけていく。
一方、まだ混乱している里は走り続けていた。すると、目の前によく知っている人物がいた。それは昔馴染みの燕志だ。
「あれさっちゃ……うわ!」
燕志の姿を見かけた瞬間、里は勢いよく燕志に抱きついた。燕志はなんとか受け止め、どうしたのかと里を見た。少し泣いている声が聞こえたため、燕志は顔色を変え慌てて声をかけた。
「さっちゃん!? どうした!?」
「ひぐっ……うぅ……てら、てらかっ、どさんがぁ……」
また兄が何かしでかしたのか、と燕志はもう一人の兄である鷹晴を電話で来れないかと言いつつ、里を必死に宥めた。鷹晴が来る頃には、なんとか先程より里は落ち着いていたが、まだ少し泣いていた。
「どうした里くん……?」
「さっちゃん、芽白兄さんがまた何かした……?」
二人が心配そうに声をかけたあと、里は少し深呼吸をした。鷹晴まで来てしまったことに申し訳なさを感じ、謝りつつも話した。
「て、寺門さんからっ、孕まされる……!」
「はら……え?」
「き、キスされた……!」
「……」
里から出た言葉に絶句する燕志と、頭を押さえながらも芽白に連絡を取ろうとした鷹晴。本当はキスなどしていないのだが、混乱してしまっているため里はキスされたものだと思い込んでいた。また泣き出しそうになっていたため、燕志が落ち着かせ宥めている頃に、芽白が追いついたのかやって来た。
「え、なにこの状況」
「芽白、ちょっとこっちこい」
芽白と鷹晴は少し離れた所に行く、それを見つつ燕志は里を見た。里は少し耳を触っており、そわそわとしていた。
「まだ耳に残ってる……」
「……さっちゃん、これ聴きます?」
燕志はイヤホンを取り出すと、片方のイヤホンを里の耳に優しく入れた。燕志自身も、片方の耳にイヤホンを入れる。そしてスマホを操作して音楽を流すと、里の顔色が変わった。
「え、好きかもこの曲……」
「この曲いいですよね、この人達の作る曲好きなんです。もっとありますよ」
「……もっと聴きたい」
少し笑顔を見せた里に、燕志はホッとしつつ優しい顔をして里を見ていた。一方、芽白は鷹晴に怒られていた。
「お前、限度がすぎるぞ」
「してない」
芽白が嘘をついているようには見えず、鷹晴は疑問に思ったことを言う。
「じゃぁ、なんであんな混乱してたんだ……?」
「フリはした。こんなに泣かれると思ってなかった」
「芽白」
「ごめんって」
本当にそう思っているのだろうか、と見ていると里が鷹晴に近づいた。里は深々と何度もお辞儀をする。
「すみません、ご迷惑をおかけしました……」
「別にいいよ、芽白が全部悪い」
「芽白兄さん……」
「ごめんって」