つめたいあたたかい(沼男HO4×HO1) 左の頬が冷たい。
寝返りを打った拍子のひんやりとした感覚にゆっくりと目を開けた。マスカラを塗りっぱなしのまつげ越しに、コンクリートの床が目に入る。視線を動かすと、ほの暗い空間にはまるで何の家具もなかった。消えた蛍光灯と露出した天井の配管が寒々しい。小唄が目を覚ましたのは、色のないからっぽの部屋だった。
自分が寝ているのは窓際に配置された固いソファ……というよりも、待合室の長椅子とでも言ったほうが正確な代物だ。簡素なクッション素材は眠るのに適しているはずもなく、小唄は凝り固まった身体で軽く身じろぎをした。
目線を下ろすと、清楚なニットのワンピースは着の身着のまま、その上から自分の物であるオフホワイトのフレアコートがかけられていた。足下に揃えられたパンプスのそばには、着用していた飾りベルトとストッキングが落ちている。傍らのビニール袋には潰された酒の缶が数本。そういえば、昨晩は終電がなくなったあとも飲み歩いたのだった。いったい何時まで? 昨夜の言動を少しずつたぐろうとするが、すぐには全容を思い出せない。
部屋に時計はなく、薄闇で正確な時刻もわかりそうにない。腕時計を巻く習慣のない小唄は、長椅子に手をついてゆっくりと身を起こした。そういえば──バッグは? 携帯は、財布は、クレジットカードは? 鈍く痛む頭にもかまわず慌てて辺りを見回すと、デート用のハンドバッグは自分が座る長椅子の真下に置かれていた。それをひったくるようにして拾い上げた小唄は、中身が全て揃っていることを確認して、ひとまずほっと息をついた。
バッグからスマートフォンを取り出すと、薄闇に眩しく光る画面は夜明けが近づいていることを示していた。それと、パトロンからのメッセージが数件ずつ。内容はどれも同じく、「楽しいデートだったよ」「夜まで一緒にいられなくて残念だ」「プレゼントは喜んでもらえたかな」「年末年始の予定は」……。小唄はそれらを一瞥すると、通知を消去して画面をオフにした。早寝したことにでもして、夜が明けてから返信しよう。
灰色の静かな部屋に響くのは空調の静かなモーター音だけだ。ブラインドの隙間から覗ける窓の外には、隣のビルの壁に取り付けられているネオンの看板が見える。窓から手を伸ばせば届きそうな距離だ。自分がいるのはおそらく狭い路地の一角、雑居ビルのような建物だと思われた。
暗い部屋に眩しい画面に、消えたネオンサイン。視覚の明滅とともに、小唄は昨夜訪れた居酒屋の賑々しいオレンジの照明を思い出す。それから、正面の席で笑っていた男のことを。
小唄は昨夜のおおよその顛末を思い出し、それから表情筋に力を込めて、可能な限りの苦々しい表情をつくった。
「おっ、姐さんメリクリー。おはよ」
不意に入り口のドアを開けて顔を出したのは、脳裏に浮かんだのと同一人物。昨晩テーブルを囲んだ相手である二束だった。いつもの派手なシャツとは違った厚手のトレーナーに身を包んでおり、下ろされた赤い髪は薄闇のなかで彩度を落としている。それと一緒に冷気がひゅうと流れ込んできて、小唄はこの部屋が空調であたためられていることに気づいた。
「……」
「あ? なんすかその顔。吐くならトイレにしてよ」
小唄が顔をしかめた原因の張本人は、怪訝な顔で自らの背後を指し示した。──決して聴き心地は良くないがなぜか耳に残る、それでいて不思議と喧噪には紛れてしまう声。この声で相槌を返されながら一晩中飲んでいたんだった、と小唄は苦い顔のまま思い出した。
別に平気、と一言返して咳払いする小唄に、タイミングを計ったかのようにミネラルウォーターのペットボトルが放られた。冬の室温にさらされていたのかひんやりとしていて、先ほどまで眠気に揺らいでいた小唄の感覚を心地よく刺激する。エナドリもあるけどと続けられた軽口は手を振って追いやって、キャップをひねる小気味良い音にそれが未開封であることを抜け目なく確認してから、小唄は数口の水を胃に流し込んだ。
そういえば昨晩は何を飲んだんだったか。シャンパンでもおしゃれなカクテルでもなく、ビールにレモンサワーに、それから果実酒をソーダ割り……いや、ロックにしたっけ。水分を摂って多少すっきりしたのか、昨夜の言動ひとつひとつが徐々に思い出される。
「昨夜はお楽しみだったもんねー。自分と夜通し語り明かしてくれたの、ちゃんと覚えてる?」
「……覚えてるわよ全部。あんたに財布盗られかけて、私ぶん殴って引き留めたんだったわよね?」
表情を変えずに大嘘をさらりと述べてやれば、赤髪の男はけらけらと笑った。
■
クリスマスの大仕事を完璧にこなして、小唄は満足だった。恋人をよそおった人間関係を築いては金品を受領する行為を「副業」と称する彼女にとって、この季節は年に一度のかき入れ時だ。二十四日までの一週間ほどは事前の綿密な計画どおり数人の交際相手とのデートにいそしみ、「無理しないでくださいね」と口添えしつつも品番までしっかりリクエストしていた同一のアクセサリーを複数、無事にプレゼントされた。知名度のあるブランドの定番品を指定したし、「彼」たちにとってみれば重要なクリスマスの贈り物で悩まずに済んでほっとしたに違いない。要求に反して指輪を持ってこられるより前には、小唄は体よく姿をくらますことにしていた。
手に入れたアクセサリーはひとつを残してすべて売り飛ばす算段だ。もし次に会う機会があれば手元に置いたものをちゃんと着けていくし、惚れた女の身体が自分の選んだ装飾品らしきもので彩られていれば彼らも満足だろう。
──尽くしたい女に迷わず貢げるんだから安心でしょ。なにも身銭を切らせてるわけじゃないんだもの。楽しくお金が使えるなんて、私たちとってもいい関係ね。小唄は満足げにひとり笑った。
別にどれでもいいけど、手元に残すのは今日もらったものにしておこうか。今日の相手はコートもマフラーも上質そうなのを身に着けていたし、顔も悪くなかったし。さらに言うなら──天下のクリスマスイブに「夜は家族と過ごす」なんて綺麗ごとを真に受けてくれるくらいには誠実そうなひと。だからこそ、他ならぬイブ当日に会うのはこの男にしておいた。そのおかげでそろそろ向こうも本気になってしまうだろうから、ぼちぼちお開きの関係だけれど。
この冬が最後かなと頭では計算しながら、上目遣いで「本当は夜まで一緒にいたいんだけど」なんてささやきを寄せる。行儀の良い笑顔で手を振って、小唄はタクシーが割増料金を表示する時間には自由の身になったのだった。
そんな小唄のスマートな仕事ぶりを、彼女のビジネスパートナーを名乗るなんでも屋は見逃さなかった。二束は小唄の予定がすべて済むのを見計らったかのように、華やかな冬の空気の陰からふらりと姿を現した。
「姐さんおつかれー。景気どうよ? 飯奢ってくんない?」
──たぶん、機嫌が良かった、それだけだ。小唄は昨夜の自分を顧みる。普段であればにべもなく断っていただろうし、さっさと直帰して、繁忙期を終えた自分をねぎらいながら湯船にでも浸かっていたところだ。二束の誘いに応える気になったのは、単なる気まぐれとしか言いようがない。
一見して気づかれないよう、うなじを露出するためにまとめていた髪を解き、着脱可能なコートのファーを取り外してショッパーバッグにしまいこんだ。スマートな雲隠れのために流行りのヘアアレンジをリサーチするくらいには、曳田小唄は優秀な結婚詐欺師だった。とはいえ、「彼」に正面から出くわしでもすれば一発でアウトだ。小唄のリクエストで、都心の上品なイルミネーションの通りからぎらぎらとネオンが明滅する繁華街へ、二人は場所を移した。
人ごみに紛れられる賑やかな店選びは小唄よりもむしろ二束のほうが長けていた。猥雑なダイニングばかり二件はしごして、食事は済ませていたから注文するのはアルコールばかり。そのせいか、あるいは仕事の成功に浮かれていたせいか──迂闊にも終電を逃して、仕方ないから「もう一軒」と二束を付き合わせたところまでははっきり覚えている。
……その後は?
「ちゃんと思い出せた? 姐さんてば自分にべったりで全然離してくれないんすもん。おかげで寝不足」
「バカなの?」
意味ありげな笑みを浮かべる二束に対し、心の底からの呆れ顔で小唄は答えた。驚くでも焦るでもない小唄のその表情を見た二束は、被害者面で何かを騙し取るチャンスはなさそうだと察したらしい。視線を外し肩をすくめて、小唄のそばの床に腰を下ろした。フローリング、冷たくないんだろうか。小唄はずり落ちかけていた自分のコートを素足の膝にかけなおした。
「ていうか、ここ本当にあんたんち? 不法占拠とかじゃなくて?」
「信用ないなあ。ちゃんと怒られない手段で入居してるし。賃貸の契約書見る?」
「ならいいわ。いるだけでしょっぴかれる場所なら出てくってだけ。私はやましいところのないまっとうな人間だから」
「マットーってなんだっけ。つか、自分とこ泊めろっつってきたのは姐さんすよ」
「それは……そうだけど」
昨夜のアルコールがまだ記憶に靄をかけてはいたが、「追加料金取るけど?」の声に「いいからなんとかしてよ」と答えたことははっきり覚えている。口約束とはいえ契約は契約だ。やっぱりこいつの誘いになんて乗るんじゃなかった、と小唄はげんなりとした。
「めんどいから駅にでも捨てていこうか迷ったけどね」
「そうね。置いていかれなかったことのほうが驚き」
「だって宿代請求していいって言ったしィ。そんならいつでも大歓迎よ、お客サマ?」
わざとらしく揉み手をする二束から小唄は顔を背け、椅子に両手をついて体重を預けた。こいつ本当にやるんだよなそういうこと。かつて窮地に陥った自分を表情ひとつ変えずに置き去られかけた経験が思い出される。「金さえもらえれば何でもする」は彼にとって「金がもらえないなら何もしない」と同義だ。
床に座り込む二束はソファに腰掛ける小唄よりも目線が低く、小唄は自分より三十センチ近く背の高い彼を珍しく上から見下ろす形になっている。二束はにこやかな表情のままで、むっつりとする小唄の表情を上目遣いで覗き込んだ。薄闇のなかで赤い髪が揺れる。
「まあホラ、記念すべきクリスマスだし? 姐さんのデートの思い出に水差しちゃうのも悪いし? 自分もいいことしちゃおっかなーって。ついでに恩も売れるし」
「あんたが出てきた時点で水はもう差されてんのよ。なに、クリスマスキャロルでも観た? ばっかみたい」
「あっはは。どうだか? 冥途の渡し賃は姐さんが供えといてくれる?」
小唄は返事を返さず、二束をじろりと一瞥すると、水のペットボトルを傾けた。
それから少しのあいだ、静けさが部屋を支配した。
■
繁華街で働く人間にとって、年末年始は稼ぎ時だ。それは法の庇護下ぎりぎりに立つ人間にとっても変わらない。
「小唄の姐さん」がクリスマスに荒稼ぎするのも毎年の恒例になっている。この一週間は彼女が何をしていようが目の前に姿を現すなと事前にきつく言われていた。当の二束もここ最近は比較的忙しくしていたし、この時期の小唄が稼ぐ額を考えれば邪魔をするのは得策ではないだろう。おとなしく言うとおりにしておいてやった。
クリスマスイブ当日、小唄が安全のためにターゲットとの時間を早々に切り上げる手筈なのは知っていた。最も重要であろう日の「デート」の余韻をからかい半分、報酬を得た彼女への下心半分。接触を禁じられた期間も終わったと見なしてちょっかいをかけに行くと、意外にも食事の誘いを承諾されて少々驚いた。言ったからには向こうの奢りだ。二束は有り難く相伴にあずかった。
どうも今日の小唄はいつもより酒が進んでいるようだ。話を聞いてみれば、金品の受領はすべて滞りなく成功したらしい。テーブルでの話題は概ね今季の仕事の成果に終始した。ターゲットが身につけていた服飾品の価格帯、受け取った品々の自慢、今日会ってきた素敵な彼の振る舞い(「アンタと違って」と何回か言われた)、それから自分を想う男どもの愚かな愛のささやきまでも。「彼」たちにとっては二人きりの時間であったはずのそれらを惜しげもなく共有されて、二束はなんの罪悪感もなく笑った。笑い飛ばすことが、愛と貢ぎ物に浸かって溺れた小唄に呼吸をさせる方法にも思えた。
それでいて二束の内心は少しも動いていなかった。詐欺師の仕事の成功を喜ぶことも悔しがることもせず、重ねる罪に思いを馳せるわけでもなく、二束は目の前のひとりの女の振る舞いを眺めていた。それは、どこか空虚な喜びようだった。
「姐さんてさあ、人恋しいの? そんなに稼いどいて?」
「はあ? んなわけないし」
戯れに訊いてみると、酩酊にゆらりと揺らいだ瞳は軽蔑のまなざしでこちらを一瞥したのち、目を逸らして遠くを見つめた。目線の先はたぶん、壁にかかったメニュー表ではない。
「……お金じゃ満たされないことなんて、あんたに言ってもわかんないでしょ」
その潤んだ瞳が何を考えているのか二束には理解できなかったし、理解したいとも思わなかった。
時刻は終電の少し前。二束は何も言わずにグラスの氷を鳴らした。
曳田小唄が家族と呼べる存在を身近に持たないことを、二束は知っている。
初めて知ったときは小唄の弱みを握れたかと嬉々として揶揄の声をかけたが、変わらぬ表情で返ってきたのは「あんたの情報網ほんと意味わかんないわね」の一言きり。家族との関係は彼女にとってさほど重大な情報ではないようだった。二束も、小唄の人間関係など金にならないのならどうでもよかったし、何の感慨も興味もなかった。
ただ、今日に限ってふと、それを思い出した。
小唄が夜を断る決まり文句は「今夜は家族と過ごすんです」という嘘だった。
■
酒に強いわけではないけれど、記憶をなくすような酔い方はしない。
宿を用意してと言ったときの二束くんのサングラスの奥の目だって、ちゃんと覚えてる。コンビニに立ち寄って、飲料コーナーで缶チューハイを二本と、コーラとミネラルウォーターを買ったことも。レジでちゃっかり二人分の会計を押しつけられたことも。飲料の重みを感じながら寒々しい雑居ビルの狭い階段を上がって、立て付けの悪いスチールのドアをうやうやしく開けてもらって、座って荷物を置くなりパンプスを脱ぎ捨てたことも。
缶がすっかり空になって、酔いと眠気に身を任せて意識を手放したとき、最後に感じたのは触れあった肩の体温だったことも。こいつにも体温とかあるんだ、なんて思ったことも。
本当の記憶には知らんぷりをして、私たちは偽物の思い出を語ることができる。あからさまな嘘もちょっぴりの真実も全部好き勝手まぜこぜにして並べ立てて、ひとを欺いて毎日を生きている。
でも──いくら稼いだって、私たちのこの行為は何にもならない。どれだけ利益を得たって何かの目標が達成されるわけでもない。まるで積み木を高く高く積み上げるだけで何も形作ることのできない、ちいさな子供みたい。それが、私たちのつまらない日常の形なのかもしれない。
──寂しい?
小唄は長椅子に腰掛けたまま胸中の寒さをことばにたとえて、それから首を振った。きっと、ただ肌寒いだけだ。空調の調子が悪いのかもしれない。二束くんちのことだから、どうせろくな設備だって整ってないんでしょう。
ひとつあくびをした二束は、そんな小唄の胸中を知ってか知らずか、また笑う。
「なに? まだ酔ってる?」
「……かもね」
小唄はぐいとペットボトルを傾けて、水を飲み干した。
部屋には冬の朝日が差し込みはじめていた。夜闇の時間にはもう、終わりが近づいていた。
■
長椅子のそばに胡座をかいて、二束は赤い瞳で小唄のことをじっと見ている。見守っているのか観察しているのか、表情の読めない微笑からはわからない。
「……わかってるっつうの」
小唄はハンドバッグをたぐり寄せて、財布を取り出し開いた。いくらかの紙幣を指に挟んでついと差し出す。一晩の宿のあるじは間髪入れずぱっと立ち上がり、満面の笑みで受け取った。
「さっすが姐さん! 話が早いなァ。さすが以心伝心ってやつ?」
「やめてほんとそういうの」
こいつに借りなんて絶対作ってやるもんか。開けたついでに小唄は財布の中身を数え、記憶にある昨晩の所持金から変動がないことをもう一度確かめた。
「姐さんからは抜かないよォ。信頼して?」
「できるか。あんたが信用に足るのは前金しっかり払ったときの仕事ぶりだけよ」
「そお? いやあ、それはそれで嬉しいね。今後ともご贔屓に」
小唄は丁寧に紙幣を揃え、ゆっくりと財布を閉じた。金の扱い方は決して目の前の守銭奴と同じなんかじゃないということを噛み締めるように。
ストッキングを履くため二束に背を向けさせて、手早く身支度をする。少しの静寂ののち、小唄は吐き捨てるように言った。
「二度とこんなとこ来ないわ」
「そ。それがいいかもね」
二束の背はくつくつと愉快そうに揺れた。
都心の夜は遅く、朝は早い。冬の夜明けを待たず、交通機関はとうに動きはじめていることだろう。
「んじゃ、もらうもんもらったし早めに帰ってくれる?」
「最ッ悪」
小唄はスカートの皺を伸ばすようにひと撫ですると、空のペットボトルをくしゃりと潰して、とびきりの悪態をついた。
(おわり)
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あとがき
メリークリスマス! 7月に描いていた漫画のネームをこねまわして小説にしました。
ふたりの大好きなところをいろいろ描写できてうれしい。お楽しみいただけたでしょうか。
二束くんがどんなところに住んでどうやって生活しているのか全く想像できないし、そういう底の読めないところが二束くんの魅力のひとつだと思っています。住処かもしれないからっぽで寒々しい部屋に、彼の空虚さが投影されてたらいいな。二束くんの虚無が大好きシリーズ。
クリスマスイブから当日朝にかけてのロマンティック(で低俗)な時間を過ごす二束くんと小唄さんが書きたいなという気持ち。ひととのあたたかいつながりを思い起こす一晩を、それらを食い物にする悪い子たちが自堕落に過ごしていたらとても皮肉でいいなと思います。
クリスマスは小唄さんのビジネスにとっては非常に重要な日だと思うし、小唄さん自身の人生にとってはまったく大切な日ではないと思います。例年の彼女は一夜を誰と過ごすでもなく、家で祝杯を挙げたりして1日を終えるのだろうか。今年はたまたま悪友(※とても親しい)が現れてくれたので、少しだけはしゃいだ気分に……なりませんか。いかがですか?
二束くんも普段だったら、酔い潰れた小唄さんを道端に置いて帰っちゃったかもしれない。このお話はふたりがふたりとも気まぐれを起こしてくれたら……という、可能性への祈りがこめられています。
二束くんはご家族どんな感じなんだろう。たぶん人の子ではあるよね。想像するしかないし、語られないままがいいんだけれど、たとえば仮にめちゃくちゃ大家族でめちゃくちゃ仲が良かったりしてもウケますね。なんでも屋なんかになるな。
場面の切り替えをいろいろ試したら難しくてとっちらかってしまった。小唄さんと二束くんのそれぞれに寄り添った描写がしたかった。読みやすくわかりやすく、推しカプのいとしさとままならなさが伝わる文章を書きたいと願うばかりです。
二束くんと小唄さんはこんなことしません。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。楽しかった!
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蛇足エピローグ
入り口の鍵は開いていた。
不用心だなと思いながら建物に足を踏み入れる。人の気配はなく、改めて見ると雑居ビルというよりもむしろ廃ビルと称したほうが正確かもしれないと小唄は思った。テナント募集の張り紙はとうに破れて読めない。誰にも必要とされない路地の奥の建物は、まるで世界から置き去りにされたようだった。
誰もいない灰色の空間に、パンプスの踵が鳴る音だけが響く。季節が変わっても、コンクリートの寒々しさは変わらない。
たしか三階だったはず。おぼろげな記憶を頼りに薄暗い階段を上って、小唄は目的としていた部屋に入った。ここにも鍵はかかっていなかった。
初めて訪れたときと同じく、無彩色の部屋はがらんどうだった。かつて小唄が一夜を明かした長椅子も、部屋の隅でそのまま埃をかぶっている。家主がいてもいなくてもこの部屋は変わらないな、と小唄は独りごちた。
「なんだっけ? 三途の川の通行料?」
小さく呟いて財布を開き、百円玉を一枚床に放った。それから少し考えて、小銭入れを開けた財布をその場で逆さにして振る。十枚もないほどの貨幣がコンクリートの床にばらばらと転がり、やかましく音が響いた。
「……足りないからって追い返されてきたりしたら嫌だし」
財布を閉じながら、小唄は数ヶ月前を思い出す。
──あいつ結局、財布持たなかったな。
隣を歩いていて時折彼のポケットから聞こえる小銭の音が本当に鬱陶しかった。思い出すだけでもむかついてくる。小唄はかつて「親しい仲」だった男への疎ましさを懐かしく思い出した。
「じゃ、渡したから。拾うなら勝手にしてよ」
口に出してから、まるで負け惜しみみたいだと小唄は苦い顔になった。思えば今に至るまでたかられっぱなしだ。この部屋でさえ財布を開くのは自分の役目なのかと思うと腹立たしいが、同時にこれが最後だと思うと諦めの感情も湧く。
まあいいか。この金だってどうせ届きはしないけど──アイツのあぶく銭なんて誰かに掠め取られるくらいがちょうどいいんだわ。この小銭だって、いつか彼ではない誰かが拾うだろう。
だから、こんな行為に意味なんてない。
それでいい。
私の金の使い方は私が決めることだ。
日没が近づいて、窓越しに見える隣のビルの壁にはオレンジの夕日が差し込んでいた。すぐそばにはネオンの看板も以前と変わらずにある。もう少し日が落ちたら、また暗くて眩しい時間が始まるのだろう。
小唄は迷いなく踵を返して、部屋を後にした。
彼女はもう、夜を生きることはない。