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    付き合ってないセベジャミ。
    深夜の共犯者。

    ##セベジャミ

     カカカカカ、とリズミカルで小気味の良い音が響く。向きを変えてもう一度。まな板の上の赤タマネギがまるで機械でカットされたかのように正確に切り刻まれていく。ラディッシュ、パセリ、パプリカ、レタス、キュウリにトマト……寸分の狂いもなく均一に刻まれた野菜たちが、まな板の横に置かれたボウルにこんもりと山を築いていた。
     無心になって手首を動かし続ける。刻み終えたら次の野菜へ。切り刻む食材ならいくらでもあった。カリムが口にする食事のすべてを用意しているジャミルには、アジーム家の名義で自由に食材を購入する権限が与えられていた。もちろんあまりにもひと月の請求額が大きければ問題になるだろうが、カリムは毎週のように宴をひらいているのだ。少しぐらい余分に食材を使っても怪しまれはしない。
     調理台の上に山と積まれた種々様々な野菜たちが、皮を剥かれ、解体され、同じ形へと姿を変えていく。いまこの調理台の上に秩序を生み出しているのは自分なのだ。そんなふうに考えると頭の中の雑念までがきれいに整理されていくような心地がした。

     最後の野菜を切り終えて、ジャミルはふうと息を吐いて包丁を置いた。いまやボウルの中の野菜は塔のように高く盛り上がっている。瑞々しく、鮮やかな色の野菜たちで築かれたカラフルなタワー。チン、と背後から音がしてうしろを振り返る。オーブンの予熱が終わったのだ。あらかじめスパイスと調味料で味付けしておいたラム肉をバットから取り出して天板に並べる。麺棒で思い切り叩いたラム肉は少々平たくなりすぎていた。まあ味に支障はないだろう。
     オーブンをセットして、ジャミルはふたたび立ち上がった。頭の中では次にやるべきことたちがきちんと順番待ちをしていて、そこに余計な思考が混ざる余地はない。調理台の前に戻り、新しいボウルを目の前に置く。粉類をふるいにかけると、ジャミルはそれを指先でさらりと一度かき混ぜた。そこに数回に分けてぬるま湯とオリーブオイルを加え、さらに手のひらで混ぜ合わせる。粉状だった生地がだんだん粘り気を帯びてくる。
     打ち粉をした板の上に生地を移して、粉っぽさがなくなるまでひたすら捏ねる。根気のいる作業だ。ネバネバと指にまとわりついていた生地がだんだん触り心地の良い大きなひとつのかたまりになっていく。その過程が気持ち良い。
     ジャミルは耳たぶほどのやわらかさになったそれを指で押して固さを確かめた。もうこれぐらいでいいだろう。丸めた生地をふたたびボウルに移し、布巾を被せてしばらく寝かせる。
     もう一種類ぐらい作ろうか。流しで手を洗いながらジャミルはちらと考えた。先ほど捏ねた生地で十分な量のピタパンが作れるが、それだけでは少し寂しい気もする。今回用意した食材を頭に思い浮かべる。そうだ、ピタパンよりも厚みのあるフォカッチャ風のパンも焼こう。『彼』はそれにナッツとスパイスを混ぜ合わせたものをつけて食べるのが気に入っていたはずだ。ジャミルは計画を変更し、新しいボウルを取りに食器戸棚へと向かった。オーブンからは甘辛いたれと肉の焼ける美味しそうな匂いが漂い始めていた。

     がらんとした厨房にフードプロセッサーの立てる大きな音が響く。中に入れられたひよこ豆が回転する鋭い刃に刻まれて粉々になっていく。ジャミルは調理台の前に立ち尽くし、その様子を無感動な瞳でじっと眺めていた。

     『ジャミル、』そんなふうに書き始められたメッセージが脳裏に浮かび上がってくる。
     『ジャミル、この前のテストの成績表が届いた。お前が真面目に勉学に励んでいるのは父さんも嬉しい。だがどの教科も少し評価が高すぎるんじゃないか? これではカリム様よりも──』

     ガガガガガ、と鈍い音を立ててカッターが回る。丸々としたひよこ豆が、粉々に砕かれ、調味料と混じり合い、ペースト状になっていく。この中に入っているのはあのメッセージなのだとジャミルは想像してみた。回転する鋭い刃に刻まれて、文字はバラバラになり、やがて形を失って意味を成さなくなる。
     食材が十分に潰されたあとも、ジャミルはガラスの中で回転するベージュ色の渦をしばらく見つめ続けていた。




    「……で、今回もまたやった、と。僕はかまわないが、本当に大丈夫なのか? 食材の代金はすべてカリム先輩の実家に請求されるのだろう」

     調理台の上に所狭しと並べられた料理の数々を眺め、こちらを振り返りながらそう訊ねる彼にジャミルは肩をすくめてみせた。

    「別に平気さ。この程度の出費、アジーム家にとってははした金とも呼べない額だ。今月は宴も多かったし、誰も怪しんだりはしないだろう。それにもしバレたとしても、君に被害が及ぶようなことはないから安心してくれ」

     そんなジャミルの言葉に彼の特徴的な眉毛がぎゅっと寄せられる。

    「そんなことを気にしてるんじゃない。僕はジャミル先輩のことを心配してるんだ」

     真面目くさった顔で言われ思わず胸がむずがゆくなる。まったく、こんなセリフを恥ずかしげもなく言ってのけるのだからたまらない。

    「……とにかく、いまはこの料理の山をどうにかすることに集中してくれ。片づけの時間もあるし、あまり遅くなりたくないんだ」

     胸のうちに生まれた感情を誤魔化すようにそう言うと、彼は「そうだな。冷めてはもったいないからな」と心なしかうきうきとした声で答えた。薄緑色の視線がふたたび調理台の上へと向けられる。

     この奇妙な深夜の密会が始まったのは、もう数ヶ月も前のことだった。ある晩、今日と同じように誰もいない厨房で料理をしていたジャミルは、小腹を空かせ食料を求めて食堂へとやってきた彼と偶然鉢合わせたのだった。

    「もし寮のキッチンを漁っているところなどを若様やリリア様に見られでもしたら末代までの恥だからな」この時間まで課題をしていたのだという彼は真面目な顔でそう言った。あれだけマレウスたちの前で自由に振る舞っておきながらいまさら恥もなにもないだろうとそれを聞いてジャミルは思ったが、口には出さないでおいた。そして「しかしすごい量だな。また宴でもひらくのか?」と調理台に並べられた料理の皿を眺めながら訊ねる彼になんと答えたものかと思案した。

     ジャミルにこの『癖』ができたのは、彼がNRCに入学したあとのことだった。正確には、ジャミルより二ヶ月遅れてカリムがこの学園に編入してきたあとのことだった。
     建物の内外に常に見張りが置かれていたアジーム家の屋敷とは違い、学園の警備はいっそ心配になるほどゆるい。消灯時間が過ぎたあとでも、学園内の大抵の場所にはたやすく忍び込むことができた。アジーム家の厨房に出入りしていた頃はまさか厨房の食材を勝手に使うなどということができるはずもなかったが、ここはアジーム家やジャミルの両親の監視の目から遠く離れている。寮や学園の厨房に忍び込み、食材をちょろまかして好き勝手料理を作ることなど造作もないことだった。
     ジャミルは別に料理が好きなわけではない。食べることにもそれほど関心がなかった。だが無心になって手を動かし、次々と食事を完成させていくのは良いストレス発散になった。
     手持ちの食材を無駄なく活用できるレシピを検討し、効率の良い作業手順を頭に思い浮かべ、あとは頭の中の計画どおりに手を動かしていく。怒り、失望、苛立ち、不満……料理をしているあいだは胸の中に渦巻く様々な感情を忘れ去ることができた。それにすべての料理が完成し、それらがそれぞれの器にきっちりと盛り付けられているのを見ると快い達成感が得られた。
     はじめは寮のキッチンを使っていたのだが、そのうちもし夜中に目を覚ましたカリムに見つかっては面倒だと思い直した──『宴をひらくのか!?』と目を輝かせて問われるのが容易に想像できたし、それに否と答えればではこの食事の山はなんだという話になってしまう。結局、ジャミルは場所を移すことにした。

     深夜、人目を盗んで鏡舎へと繋がる鏡を通り抜け、学園の厨房へ向かう。食材はあらかじめ厨房の戸棚に隠してあった。その食材と調理用具、食器類などを調理台の上にすべて並べ、あとは黙々と手を動かす。出来上がった大量の料理は冷凍保存できるものは冷凍し、それ以外のものは翌日のカリムの朝食や昼食に──量によっては夕食にも──なった。「なんか今日の朝飯は豪華だな!」そう言って無邪気に笑うカリムに、ジャミルはいつも曖昧な笑みを返すことしかできなかった。

     彼とはじめて厨房で鉢合わせたあの日、ジャミルは調理台の上に並んだ大量の料理を前に途方に暮れていた。しまった。どう考えても作りすぎた。何日かに分ければなんとか消化できるだろうが、これだけの料理が詰まった保存容器を寮まで持って帰るのは手間だ。それにカリムによって気まぐれにひらかれる宴にいつでも対応できるよう、ジャミルは普段から宴に出すための料理を寮の冷蔵庫に作りおいている。冷蔵庫はともかく、冷凍室にこれだけの容器を入れるスペースが今あっただろうか。ジャミルは前回宴の準備をしたときの記憶を手繰りながら考えた。いっそのことカリムをそそのかして宴でもひらかせようか──

    「誰かいるのか?」

     ふいに厨房の外から聞こえた声にジャミルははっと我に返った。ぼんやりしていたとはいえ、この自分が人の気配に気づかないとは。信じられない思いで厨房の入口に目を向ける。そうしてジャミルは、自分がぼんやりしていたのではなく相手が気配を消していたのだと気がついた。
     ドア枠の向こうから姿を現したのはディアソムニア寮の一年生、セベク・ジグボルトだった。

     結局セベクの問いかけに、ジャミルは本当のことを話すことにした。宴の準備をしていたと嘘をついたとしても、なぜ寮のキッチンではなく学園の厨房で、しかもこんな夜中に準備をしているのかと訊かれたら答えようがない。それに目の前の少年はこの学園の生徒にしてはめずらしく公正な心を持った人物だ──マレウスに関すること以外では。自分の秘密を知ったからといって、それをネタに自分に脅しをかけるような真似はしまい。
     そうしてあれこれとふたりで話をしているうちに、グウウゥー……、と絶妙のタイミングでセベクの腹が鳴ったのだ。あとは完全にその場の流れで、気づいたらジャミルは調理台の前に置いた簡素な椅子に座り、目の前に座る男の大きな口の中に自分の作った料理が次々と吸い込まれていくのを眺めていたのだった。


    「──うむ。うまい! あいかわらずジャミル先輩の作る料理は絶品だな。毎日食べたいぐらいだ」

    「毎日俺にストレスを感じろって?」

    「あ、いや、そんなつもりで言ったのでは」

    「……わかってるさ。でもさすがの君も毎日食べていれば飽きがくるだろう」

     そうだろうか、そんなことはないと思うが、と目の前の皿を見下ろしながら首を傾げる姿に思わず口元が緩む。

     あの日とまったく同じように、ふたりは調理台を挟んで向かい合って座っていた。わざわざ食堂のテーブルまで料理を運ぶのは面倒だし、この密会の目的は『証拠隠滅』だ。食堂のテーブルで食べようが厨房の簡素な椅子に腰かけて食べようが、ふたりにはどうでもよかった。
     あの日、どう考えても三食分以上はあると思っていた料理の数々はすべてセベクの胃袋の中へと消えていった。その食いっぷりは思わずジャミルが「夕食を食べ損ねたのか?」と訊ねてしまったほどだった(答えは「否」だった)。本当は翌日のカリムの朝食分ぐらいは残しておきたかったのだが、セベクがあまりにも美味しそうに食べるので結局ジャミルはすべての料理を彼に与えてしまった。

    「うまい! こんなにうまい料理はいままで食べたことがない!」

     瞳を輝かせて言う彼に大げさすぎると呆れながらも、悪い気はしなかった。彼は他人にお世辞を言うようなタイプではない。その彼がこれほど言うのだから、本当に自分の手料理が気に入ったのだろう。台の上いっぱいに並べられた大量の料理を次々と平らげていく彼に、ジャミルはある種尊敬にも近い気持ちを抱いた。本当によく食べる男だ。
     だからジャミルはつい、食事を終えてひと息ついている彼にこう言ってしまっていたのだった。「よかったら、また俺が作った料理の処理に付き合ってくれないか?」と──

     皿が空になっていく。山と盛られたピラフも、ボウルいっぱいの白チーズと野菜のサラダも、叩きすぎていつもより平たくなったラム肉も──深夜ジャミルに突然呼び出されても、セベクは一体なにがあったのかなどというつまらないことは一度も訊かなかった。ジャミルは胸に渦巻く様々な想いを忘れるために料理を作り、彼はそれを消費する。いたってシンプルな関係だ。
     でも……一体いつからだろう。なにも考えずただひたすら自分の作り慣れた料理を作っていただけだったのが、いつしか彼の好みに合った料理を考えて作るようになったのは。ただの体のいい処理係だと思っていた彼が自分の手料理を食べているときに見せる、あの幸せそうな笑顔を見ていると、胸があたたかくなるような気持ちを覚えるようになったのは。

    「やはりこのナッツの調味料はうまいな。ナッツの甘さとスパイスの複雑な深みが塩味の効いたパンによく合っている」

    「君はホントにそれが好きだな」

     そんなに気に入ったならレシピを教えてやろうか、とは言わない。なんとなくもったいない気がして。ジャミルの言葉に、セベクは「ああ。だがジャミル先輩の作る料理ならなんでも好きだ」と大真面目な顔で言った。それを聞いて胸のうちにふたたびあの感情が湧き上がってくる。胸がむずむずするような、声をあげて笑い出したくなるような、あの感情が。

     大きな口に飲み込まれていく。苛立ちを込めて叩き、刻み、捏ね、伸ばし、炒めた食材たちが。すべてが鋭い歯に噛み砕かれ、飲み下され、消化されていく。そうしてどこまでもまっすぐで折れることを知らない男の血肉になっていく。なんだかそれはとてもすごいことのようにジャミルには思えた。

    「……あまり急いで詰め込むとまた喉に詰まらせるぞ。ほら、水分もちゃんととれ」

     そう言って淹れたての紅茶が入ったティーカップを差し出すと、彼は口いっぱいに物を詰め込んだままむ、と声をあげてそれを見た。まるで幼子の世話をしているような気分になって思わず笑いが漏れる。

    「……ああ、砂糖壺がないな。ちょっと待ってろ」そう言ってジャミルは立ち上がった。
     
     戸棚へと向かう足取りは軽い。いつものように、その胸からは煩わしい感情がきれいさっぱり消え去っていた。
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