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    鵺卷恢

    @10kai_13

    Twitterにあげない落書きもある。🔞など濃厚な絡みはTwitterじゃなくてこっちにあげてます。

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    鵺卷恢

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    因果で衣都さんを囲う話。
    珍しく筆が乗ってだらだら書いてたら、いつの間にかスケベシーンもできてたので、スケベは分割してます。こっちも初夜はあるけど、あからさまなスケベではないです。

    ##ブレマイ

    沈黙の境界線きっと灯世は、弥代が好きなのだと思う。

    灯世はいつも通りだ。無表情で、無口で、何もかもを冷静にこなす。なのに、事務所に寄った時には、必ず真っ先に弥代を探す。周囲にはろくに目もくれず、まっすぐに。

    「弥代」

    その名前を呼ぶ時の声は、他の誰にも向けないほど柔らかい。誰よりも寡黙なはずの男が、その一言に込める感情の濃さが分かってしまう俺は、きっと知りすぎている。

    弥代に向ける灯世の瞳も、優しい。

    情があることを表に出すような男じゃないのに、弥代の前では、何故かそれが滲み出る。気づかないふりもできた。しようと思えば、俺はずっと、そのふりで過ごせた。

    けれど——ある時の灯世が、それを許さなかった。

    「味はわからなかったが、それでも、また食べたいと思った」

    その一言だ。

    成り行きで弥代の手料理を食べたらしい。いつもと違って、妙に機嫌が良かった。理由を聞けば、そう答えたあとに、小さく笑った。灯世が笑うことなんて、滅多にないのに。

    俺は、その笑みを見て「良かったな」と言った。

    本当に、そう思っていた。思っていたんだ。

    ——けれど。

    ある日のことだ。灯世とは別行動で動いた帰り、俺はAporiaに戻った。ドアを開け、灯世を探す。するとそこにいたのは、弥代の肩を借りて、瞼を閉じるあいつの姿だった。

    弥代は、無表情ながらも明らかに戸惑っていた。けれど、動かない。揺らさないように、音を立てないように、じっとしていた。まるで、壊れ物を抱くように。

    灯世は、俺がいない場所で——眠ろうとしていた。

    そんなことは、今までなかった。灯世にとって、眠るというのは防御を捨てること。警戒を解くということ。俺の隣でしか、それはあり得なかったはずなのに。
    そんな灯世を、あの弥代も受け入れている。

    ……その事実が、胸の奥に妙な鈍痛を走らせた。

    その日から、何かが引っかかり始めた。灯世を見つめる弥代の、感情のないはずの瞳に映る何かを。灯世が時折見せる、わずかな微笑みを。その先にいる弥代の存在を、俺は無意識に目で追っていた。

    「……ああ、そうか」

    そう口にした時、やっと気づいた。

    俺も——弥代が好きだったんだ、と。

    誰よりも近くにいた灯世に、弥代を取られると思ったのだ。俺は、自分の感情にすら気づいていなかった。灯世の恋を、心から応援したいと思っていた。そのためなら、どんな手助けもしてやれると思っていた。

    今更、この気持ちに気づいてどうする。
    弥代の隣に立つのは、灯世が相応しい。そのはずだ。

    感情は静かに、深く沈んでいく。自分の中に眠っていたものが、灯世を通して初めて浮かび上がっただけで。遅すぎた——ただ、それだけだ。

    灯世が弥代を見つめる時の眼差しは、本物だ。

    だから俺は、この想いを誰にも告げないまま、心の底に沈めると決めた。
    ——いつか、完全に見えなくなるその時まで。





    ⸻⸻⸻⸻



    二人でルームシェアしている部屋で、俺と灯世は静かな時間を共有していた。

    昼下がりの、柔らかくも冷えた空気が部屋を満たしている。タバコの煙がゆっくりと揺れ、灯世の無表情な横顔を包む。何気ない沈黙のはずだったが、あいつは突然、俺の方に視線を向けた。

    「……有は、弥代をどう思っている」

    まっすぐだった。容赦のない問いだった。

    俺は何も言い返せなかった。灯世には嘘が通じない。濁しても、隠しても、見透かされる。そうわかっているからこそ、余計な抵抗もしなかった。ただ目を伏せ、小さく息を吐いた。

    「……好きだ」

    自分の声がやけに小さく聞こえた。

    灯世は、わずかに瞬きをしただけだった。驚きも、怒りもなかった。ただ、煙の向こうでじっと俺を見ていた。しばらくして、目を細めるようにして、静かに言った。

    「気づいていた。だから、聞いた」
    「……なら、どうする」

    あいつが怒ることは想像できなかったが、拒絶されることは覚悟していた。
    「お前には譲れない」と言われたら、きっと俺も納得するしかない。

    けれど、灯世の返答は——あまりにも灯世らしくなかった。

    「囲おう。二人で」

    思考が止まった。

    「……は?」
    「そのままの意味だ。有も弥代が好きなら、奪い合う必要はない。俺たちで囲えばいい」

    信じられなかった。いや、言葉の意味は理解できている。ただ、そんなことを灯世の口から聞くなんて思ってもみなかった。

    「そんなに簡単に言えることじゃないだろう」
    「簡単だから言っているわけじゃない。選択肢を提示しただけだ。有も俺と同じで、弥代を一人にしておきたくないと思っている。違うか」

    ……それは、否定できなかった。

    弥代は無表情で、人との距離を一定に保つ。でも、それは本当の意味で「強い」からではない。俺たちはそれを知っている。孤独と向き合いながら、それでも日常を選んで生きている彼女を。

    「弥代は、俺たちを受け入れると思うか」
    「わからない」

    灯世は即答した。

    「ただ、俺たちがどうしたいかは、自分で決めていい」

    それがあいつの答えだった。

    感情を強く押し出すわけでもなく、理屈で納得させるでもない。だけど、言葉の奥には確かな執着があった。灯世は、弥代を誰にも渡すつもりはなかった。けれど同時に、俺の気持ちも否定しなかった。

    「——有も、弥代に触れたいと思っているんだろう」

    その言葉が、胸に突き刺さった。

    俺もまた、弥代の温度に、近づきたいと思ってしまっていた。

    灯世と、俺と、弥代。

    そんな関係が成り立つとは思えない。でも——

    「選択肢として、考えておく」

    それが、俺の精一杯だった。

    灯世はそれに何も言わなかった。ただ、ほんの一瞬だけ、視線を落とした。
    きっと、わかっているんだろう。考えておくなんて言いながら、囲うしかないと考えている俺を。

    ——その日から、俺たち二人は、弥代に少しずつ近づき方を変えていった。

    囲うために。
    守るために。
    奪わず、諦めず、ただ、手放さないために。




    ⸻⸻⸻⸻


    最近、恩田さんと新名さんの様子が少しだけ違う気がする。

    静かなやり取りは相変わらずで、特務部としての業務も滞りはない。ただ、私に向けられる視線や言葉の温度が、微かに変化しているのを感じる。

    それはまるで、深い水底からじわじわと浮かび上がってくる熱のようで。

    ——怖い、とは思わない。

    でも、それを「わかっていないふり」をすることが、今の私の精一杯だった。




    「弥代」

    本部事務所の扉が開くと、恩田さんが現れた。
    目を伏せていた私を見つけると、ほんの少しだけ、口元が緩む。

    その柔らかさは、他の誰にも見せないものだと知っていた。
    初めてそれに気づいた時、心臓の音が一瞬だけ大きくなったのを覚えている。

    けれど私は、黙ったまま、ただ「はい」とだけ応えた。

    すると、彼は言う。

    「有が、お前を心配していた。昨日の夕方、いつもより顔色が悪かったと」

    そう言いながら、こちらの感情を探ろうとする視線は、最近の彼によく見る仕草だ。

    「俺も気になっていた。何か、あるか」

    私は少しだけ考えて、それでもやっぱり首を横に振った。
    嘘ではない。ただ、何も言えないだけ。




    新名さんも、変わった。

    少し前まで、もっと距離があった気がするのに。
    最近はよく、視線が合う。私の反応を確かめるような眼差しで見てくる。何も言わないのに、何かを言おうとしている。

    ある時、ふと口にした。

    「……俺は、昔から灯世が何を考えてるか、わかるつもりだった」

    突然の話に戸惑いながらも、それがどうしたのか、聞く前に彼は続けた。

    「でも最近は、わかりすぎて苦しい。……弥代、灯世に、何か言われたことはあるか?」

    私は少し考えてから、「いえ」と答えた。
    けれど、新名さんはそれに納得したようでいて、どこか寂しそうでもあった。

    「そうだろうな。灯世は、何も言わないから」

    それでも。

    「それでも、弥代には全部、伝わってると思ってる」

    言葉に、迷いがなかった。

    伝わってるとは、何が?最近の距離感は、二人が向けてくるその感情は、もしかして。
    なんて頭に浮かんだが、私は返す言葉を持たず、ただ、手に持っていた書類を見下ろした。

    私は、とかげのしっぽ。それを、忘れないように。




    それから少しして、三人での行動が増えた。

    任務の後、自然と三人で食事を取ることもあった。
    何故か私の隣に恩田さんが座り、向かいに新名さんがいる。二人の会話は短く、けれど確実な意思がそこにある。

    時折、恩田さんの指先が私の手元の皿にそっと触れる。何も言わず、ただ魚の骨を除けるように。
    新名さんは、それを見ても何も言わない。

    ただ、彼の眼差しはどこか苦くて優しかった。

    そういう小さなやり取りが、増えていくたびに、私の中の「境界線」が静かに削られていった。




    ——私は、どうしたいんだろう。

    わからない。

    けれど、二人の間に立つことを、嫌ではないと思ってしまった。
    心が揺れることを、少しずつ、許せるようになってしまった。

    そのことに気づいた夜、自分から彼らを名前で呼んだ。

    「……恩田さん。新名さん」

    二人は、同時に私を見た。
    無表情のままの私を、少し驚いたように、少し嬉しそうに。

    「どうした?」

    恩田さんが問う。

    私はほんの少しだけ目を伏せて、小さく答えた。

    「なんでもありません。ただ、……呼びたくなっただけです」

    その返答に、恩田さんは短く笑い、新名さんは、わずかに目を細めた。

    ——今、私は二人に囲まれている。

    それが、心地よいと思ってしまう自分を、
    まだ誰にも知られたくはなかった。



    ⸻⸻⸻⸻


    「呼びたくなっただけ、か……弥代がそう言ったのは、初めてだったな」

    数日経っても、あの時の弥代の声が、耳に残っている。
    柔らかくはない。けれど、確かに“触れていい”と言われたような気がした。

    灯世も、あれを聞いたときに一瞬だけ目元を緩めた。気持ちを隠すのが上手いが、俺にはわかる。灯世は、弥代のその一言に確かに喜んでいた。

    そして俺も、同じように——いや、たぶんそれ以上に、安堵していた。

    「囲おう」なんて、正気とは思えない提案だったはずなのに。

    ……それなのに、俺はあの言葉に縋った。

    俺たちは、弥代の心の静けさにずっと惹かれていた。
    それは“守りたい”と同時に、“触れていたい”という欲だった。どちらか一方じゃ足りない。欲張りなのは、俺も灯世も同じだ。



    ⸻⸻⸻⸻



    恩田さんと、新名さん。
    どちらも、私の生活に深く入り込んでいる。けれど、私はそのことを、まだ“特別”だと断じることができないでいる。

    それは、わからないふりをしているからかもしれないし、
    わかったところでどうしていいのか、本当にわからないからかもしれない。

    それでも、確実にひとつ言えるのは——
    二人のそばは、あたたかい。




    「弥代、今日の分は終わったか」
    「……はい」

    事務所の隅、新名さんが低く問いかけると、私はゆっくりと頷いた。
    書類を閉じる音がやけに響く。

    いつの間にか、恩田さんもそこに来ていた。気配だけでわかる。
    彼の足音は、室内で最も静かで、最も重い。

    「なら、これを」

    恩田さんはそう言って、私の前に小さな箱を置く。
    見ると、紅茶と、何か焼き菓子のようなものだった。

    「出先で見つけた。弥代が好みそうだと思った」
    「……あの、ありがとうございます。何かお礼を、」
    「遠慮はいらない。したくてしているだけだ」

    その言い方は、やはり彼らしい。

    でも、私が戸惑っている間に、新名さんがふっと息を吐いた。

    「……いらなかったか」
    「いえ、すみません。ありがたく頂戴いたします」

    静かなやり取り。
    けれどその合間に、視線が私にだけ向けられていることに気づいてしまう。

    何を考えているのか、はっきりとはわからない。
    けれど、私を中心に、二人の空気が絡まっていく。

    それをほどこうともせず、私はただ黙って座っていた。




    「弥代、髪が乱れている」

    別の日。
    先方との打ち合わせの帰り道、風が強かった日の午後だった。

    Aporiaへ向かう道で恩田さん、新名さんと出会した。
    恩田さんは、目を伏せたまま私の前髪に手を伸ばし、指で軽く撫でるように整えた。

    心臓が跳ねる音が、鼓膜の内側で響く。

    「……終わりだ」

    それだけ言って、彼は何もなかったように背を向ける。
    そして、何も言わずに見ていた新名さんが話しかけてきた。

    「事務所に戻る途中か」
    「はい。今日はこれで、皇坂さんに報告して終わりです」
    「そうか。なら、寮まで送る」
    「え、いえ。お二人ともAporiaから帰っていたのでは?」
    「気にしなくて良い。俺も有も、ただそうしたいからしているだけだ」
    「……すみません。ありがとうございます」

    彼らの言葉の端々に、確かな熱がある。
    それが交錯するたびに、私はどこにも逃げられなくなる。

    でも、不快ではなかった。

    むしろ、なぜか——息がしやすいとさえ思ってしまった。





    寮まで送ってもらった後、部屋に戻ろうとした私を、恩田さんが静かに呼び止めた。

    「弥代」

    振り返ると、新名さんも背後にいた。
    その二人に囲まれるようにして、私は立ち尽くす。

    「今のままがいいと思っているか」

    問いかけたのは恩田さんだった。

    私は答えられなかった。
    けれど、何も言わない私に、新名さんが一歩だけ近づいて言った。

    「俺たちを受け入れるのは怖いか。あんたが嫌なら、それでいい。……ただ」

    言いかけて、言葉を飲んだ彼を、恩田さんが引き取るように続けた。

    「俺たちは、今のお前の沈黙に、希望を感じている。……拒絶のそれではないと、信じているからだ」

    その時、私は初めて、自分の胸の奥にある小さな“肯定”に気づいた。

    拒んでいない。
    でも、すぐには言葉にできない。

    だから、私は一歩、彼らのほうへ足を進めた。

    わかってほしいと思った。
    この一歩が、私の答えであることを。

    そして、二人は何も言わず、ただ静かに——目を細めた。





    「……鍵、開けます」

    私がそう告げると、恩田さんと新名さんは、何も言わず頷いた。
    寮のなかの、私だけの部屋。そこへふたりを通すのは、初めてのことだった。

    背中にふたつの気配を感じながら、ドアを開ける。

    ほんの少し湿った夜の空気が、私の背を押すようにして吹き抜けた。

    「邪魔をする」

    先に口を開いたのは新名さんだった。
    私の部屋は静かで、何もない。個人的なものをほとんど置いていないせいで、無機質な感じがする寂しい部屋。
    でも、今日は——

    「……落ち着くな」

    そう呟いた恩田さんの声が、なぜか少しだけ柔らかかった。
    明かりをつけたリビングで、三人、少し距離を保って腰を下ろす。
    何を話すでもなく、ただ静かに時間が流れていた。

    私の胸の奥は、少しだけ熱い。
    けれどそれを「不安」と呼ぶには、あまりに穏やかだった。

    「飲み物を用意します」

    そう言って席を立ち、三人分の飲み物を用意する。
    二人は静かにこちらを見ながら、座って待っていた。

    「弥代」

    ふたりの声が、同時に私の名前を呼ぶ。

    思わず顔を上げると、どちらも、こちらを真っ直ぐに見ていた。

    「どちらかを選べとは言わない。ただ、俺たちは——あんたのそばにいたい」
    「……安心してほしい。何があっても、お前を苦しませる選択はしない。だから、どうか……俺たちを許してくれ」

    その言葉に、私は何も言えなかった。
    希うような、懺悔するような。そんな眼差し。
    気づけばマグカップを置いて、ふたりの近くに腰を下ろしていた。

    そして、ただ小さく、静かに呟いた。

    「……ぬるくなってしまいました」

    それが、私の中にある“肯定”の形だった。

    その一言に、恩田さんは目を細めて「なら、もう一度温め直せばいい」と言った。
    新名さんは、少しだけ笑って、「ぬるくても構わない」と呟いた。

    夜はまだ静かだった。
    でも、そこにある温度は、確実に――微熱を孕んでいた。





    その日、私は珍しく遅くまで残業をしていた。

    報告書に不備が見つかり、再提出を言い渡されたのは夕方。
    静まり返った事務所でひとりパソコンに向かっていたところに、ふいに声がかかった。

    「弥代、終わったのか」

    顔を上げると、そこにいたのは恩田さん。
    少し後ろで、新名さんも腕を組んで立っていた。

    「……あと少しです。すみません、お気遣いをいただいて」
    「気遣いじゃない。お前が何も食べていないのが気になっただけだ」

    そう言って、恩田さんは私のデスクにコンビニの紙袋を置いた。
    中には温かいスープとサンドイッチ。

    「……ありがとうございます」

    少しだけ笑って、私は礼を言う。
    けれど、次の一言で、空気が一変した。

    「今日はうちに来い」
    「……え?」
    「いいから。今日はそういう日だ」

    “そういう日”が何を意味するのかはわからなかった。
    けれど、二人とも、絶対に撤回する気はなさそうだった。





    恩田さんと新名さんがルームシェアをしているという、池袋にあるとあるマンション。

    初めて足を踏み入れたその部屋は、静かで、無駄がなく整った空間。
    けれど無機質ではなく、どこか……あたたかい。

    「座れ。緊張する必要はない」

    そう言って新名さんが私の上着を預かり、ソファに導く。

    恩田さんはキッチンに回って、ガラスのカップに何かを注いでいた。
    琥珀色の液体から立ちのぼる香りに、少しだけ肩の力が抜ける。
    差し出されたそれを受け取り、少しだけ口をつける。
    甘く、少しスパイスの効いたハーブティーだった。

    「……美味しいです」

    そう呟いた瞬間、新名さんがふと笑った。それと同時に、自分の表情筋が固まるのがわかる。
    最近の二人は、私の前でよく笑うようになった。大きな口で笑うわけではないけれど、いつもは一本線のような唇が、小さく弧を描くのを知っている。

    「そう言うと思った。弥代は、こういうのが似合う」
    「似合う……ですか?」
    「あぁ。硬くて、真っ直ぐで、でも少しだけ、甘やかしたくなる味がする」
    「そ、れは……どういう……」

    言葉の意味をすぐには理解できず、私は思わず視線を伏せる。
    すると、恩田さんが隣に腰を下ろして、低く呟いた。

    「そうだな、概ね同意する」
    「……お二人とも、今日はいつもと違う気がします」
    「そうか?」
    「別に、何も変えていないが」

    口調はいつも通り。
    けれど、距離が近い。視線が長く絡む。
    そして何より、二人とも——触れようとする。

    新名さんは、私の髪を指先ですくい、梳くように撫でた。

    「仕事が終わった後くらい、甘やかしても罰は当たらないだろう」

    恩田さんは、私のカップをそっと受け取り、自分の指でその縁を拭った。

    「弥代、お前は疲れている。……誰かに寄りかかってもいい」
    「……そんな、こと」
    「何も求めてない。ただ、ここにいろ。それだけでいい」

    ふたりの言葉が、空気の温度を変えていく。

    不意に、新名さんが膝の上にブランケットをかけてきた。

    「少し寝るか?帰らなくてもいい」
    「……困ります」
    「本当にそうか?」

    二人の視線に見つめられて、私は言葉を失った。

    “境界”を越えてしまいそうだった。

    それでも、不思議と怖くはなかった。

    こうして寄り添われることに、私は——思っていた以上に、飢えていたのだと気づいたから。

    「……少しだけなら」
    「十分だ」

    恩田さんがそう呟いて、そっと私の髪に口づけた。
    新名さんは、静かに私の手を握った。

    それは、何も始まっていないようでいて、もう戻れない合図だった。

    そして私は、その静かな夜に、初めて——
    彼らの“内側”に入ったのだと思った。





    眠っていたわけじゃない。
    ただ、目を閉じていた。

    静かな空気の中、どちらが先に触れてくるかを、待っていたのかもしれない。
    隣にいる二人の体温が、そっと寄り添ってくる。

    ここは、彼らの部屋。
    あの夜から、何度か招かれるようになった——特別な場所。

    けれど、今夜は違っていた。
    空気が、ほんの少し、張り詰めている。

    「……弥代」

    呼ばれた声に、ゆっくりと目を開ける。

    新名さんが目の前にいた。
    視線が深くて、逃げ場がない。

    「今日、あんたに話したいことがある」

    そう言うと、恩田さんも静かに立ち上がり、私の前に来た。
    二人に囲まれる構図には慣れていた。
    けれど、今夜は……違っていた。

    「俺たちは、お前に近づきすぎている。それはわかっている」

    恩田さんの声は、いつものように低くて落ち着いている。
    だがその奥に、明確な“決意”があった。

    「だが、これ以上、曖昧にするつもりはない」

    私の手に触れた指先は、驚くほど丁寧だった。

    「……お前が、望むならでいい。俺たちは——衣都がほしい」

    その言葉に、喉が震える。

    「衣都。俺たちはもう、待てない。……ずっと、名前で呼んでいい距離にいたい」

    静かに、新名さんが言う。

    名前。
    それは、今まで一度も彼らが越えなかった、最も小さくて最も重い境界だった。

    私は何も言えなかった。
    けれど、彼らはそれも見越していたのか、追い詰めるようなことはしない。

    「怖いなら、逃げてもいい。ただ、忘れるな。俺たちは、何があってもお前を守る」

    ——それは、彼らにとっての誓いだった。

    どこまでも堅牢で、曖昧のない関係。
    口先だけではなく、行動で示す。
    そういう二人だった。

    「……私は、お二人のことをほとんど知りません」
    「教える。確かに言えないこともあるが、お前にはいつか、知ってほしいと思う」
    「きっと、私の存在はお二人の弱点になります。それが原因でいつか傷つけるのではないかと思うと、怖いです」
    「それくらいで倒れはしないし、例えそんな日が来ても、俺たちはあんたを離さない」

    二人の間にある絆に、私が入り込めるとは思っていなかった。入りたいだなんて気持ちも、持っていなかった。
    それに、私はとかげのしっぽだ。いつか、彼らの代わりに切り捨てられる存在。
    だから、Aporiaの人たちと必要以上に関わるべきではないと思っていた。踏み込みすぎないように、境界線を越えられないように。
    恩田さんたちも、それはわかっているはずなのに、それでも私を守ってくれると言う。

    私はゆっくりと息を吸って、答えを探す。

    ……探すまでもなかった。
    ずっと、胸の内にあったから。

    「お二人の側にいるのは怖い。でも、それ以上に……」

    目を見て、しっかりと言葉にする。

    「恩田さん、新名さんに、……心を寄せていると、思います」

    唇からこぼれた言葉に、二人が目を細める。

    その瞬間だった。
    恩田さんが私の手を取り、指先に口づけた。
    新名さんが、その手を自分の胸に導く。

    「なら、俺たちは約束する」
    「今後もずっと、“お前の居場所”になることを」

    確かに、それは変わった夜だった。

    甘くて、静かで、決して派手ではないけれど——
    二人と私の間に、確かな“関係”が結ばれた、決定的な一歩。

    そして、もう元には戻れなかった。
    戻る必要なんて、どこにもなかった。





    夜は、もうとっくに深いはずだった。
    窓の外、街灯の灯りが細く部屋の中を照らしている。

    部屋には三人。
    けれど、誰も言葉を発していなかった。

    緊張ではない。
    ただ、静かに、心の内を見つめていた。

    衣都はベッドの縁に座り、視線を伏せていた。
    新名が、ゆっくりとその隣に腰を下ろす。
    恩田も、反対側に。

    「……引き返すなら、今だ」

    恩田が、変わらぬ口調で言う。けれど、確かにどこか、震えていた。

    衣都は答えない。
    ただ、そっと、指を伸ばす。
    その手が、恩田の袖に触れる。

    新名も、それを見ていた。
    微かに息を吐いて、衣都の手に自分の手を重ねた。

    「なら、俺たちは遠慮しない」

    彼の言葉は、宣言だった。

    シャツのボタンが一つ、外されるたびに、空気がゆるやかに熱を帯びていく。
    誰も急がない。
    誰も焦らない。

    衣都が怯えないように。
    触れる手は、どこまでも優しく、丁寧で——祈るようだった。

    「……衣都」

    新名が、名を呼ぶ。

    「痛かったら、すぐに言え」

    恩田も、静かに言葉を重ねる。

    ——不安がないわけではない。
    だが、心がそれ以上に、求めていた。
    ふたりの熱を、自分の中に迎え入れることを。

    その夜、何度も名前を呼ばれた。
    初めての感覚に、体も心も震えた。

    けれど、二人が手を離すことはなかった。

    触れるたび、口づけるたびに
    “ひとりにしない”という想いが、まるで言葉のように降ってきた。

    深く、深く、愛された。
    夜が明けるまでに、
    衣都は“二人に抱かれている”という事実を、全身で理解した。

    早朝。まだ、夜の気配を残したままの薄暗い時間。
    衣都は静かに目を覚ました。
    体の節々が、昨夜の証を留めている。

    でも、それ以上に——
    両脇にある温かな重みに、心が満ちていた。

    恩田が肩を貸して眠っている。
    新名が腕を絡めるように、すぐそばにいた。

    もう、迷いはなかった。

    「……おはようございます」

    小さな声に、目を開けた新名が、衣都の髪を撫でる。

    「もう少し眠っていていい」

    恩田は、頷くように息を吐いた。

    「衣都。お前が選んだ夜を、……俺たちは、決して裏切らない」

    それは、ただの初夜じゃない。
    関係のはじまりであり、覚悟の証だった。

    誰にも触れさせない、誰にも見せない。
    三人だけの、ひとつの家族のような、名前のない繋がり。

    そして、きっとこの先も——
    夜は、三人で迎えるものになる。




    陽が、薄くカーテン越しに差し込む。
    まだ眩しくはない光が、室内の輪郭を柔らかく照らしていた。

    恩田の胸のあたりに、衣都の額がそっと寄せられている。
    その肩越しには、新名が衣都の背を軽く抱くようにして眠っていた。

    誰も言葉を発さず、ただ息づかいだけが重なっていた。

    「……起きたか」

    恩田が、目を伏せたまま静かに声をかける。

    「はい……」

    衣都の返事は、囁きに近かった。
    身体の芯にまだ熱が残っていて、どこか現実味がない。

    けれど、確かに温かい。
    二人の体温が、左右から包むように重なっている。

    「寒くないか」
    「いいえ……」
    「そうか」

    恩田の返事は短いが、指先はちゃんと、衣都の髪をゆっくり撫でている。
    無言の優しさが、肌よりも深い場所に染みていく。

    「……衣都」

    新名の低い声が、布団の中でぼそりと落ちた。

    「こうやって、目覚めるのが……当たり前になったら、いいと思うか」

    問いかけは、どこか夢の中のように柔らかかった。

    「……はい」

    衣都は、言葉に迷わなかった。

    それは“まだ関係を定義できない”と思っていた数日前の自分からは、想像もできない答えだった。

    けれど、今は——
    二人と過ごすこの空気が、どこまでも心地よくて。

    「怖くないのか」

    新名が続けて聞く。
    衣都は少しだけ黙って、それから正直に言った。

    「……怖かったです。でも、もう少しだけ、甘えてみたいと思いました」

    その言葉に、恩田が少しだけ、表情を緩める。
    ほんの一瞬、確かに笑った。

    「……よく言ったな。衣都」

    彼の声は、珍しく、微かに安堵が滲んでいた。
    新名も、腕を伸ばし、衣都の手を握る。

    「なら、全部やる。仕事の外でも、衣都を甘やかしていいってことだな」
    「……二人とも、加減というものを……」
    「無理だな」
    「しない」

    食い気味に返されて、衣都は思わず小さく笑ってしまう。


    そのあと、三人で起きて、朝の紅茶を淹れる。

    新名が湯を注ぎ、恩田がカップを並べる。
    衣都は何もしなくていいと言われてしまったので、そのまま座りながら待ち、静かな時間を分け合った。

    何も特別なことはしていない。
    それなのに、どこまでも満たされていた。

    誰にも見せなくていい。
    誰にもわかられなくていい。

    この部屋、この温度だけで、充分だった。

    そして、紅茶の湯気の向こうで。
    恩田が、ふと呟いた。

    「今度の休み、……泊まりの旅、行かないか。三人で」

    衣都は驚いて、恩田を見た。
    その横で、新名が当然のように言う。

    「いいと思う。衣都、お前の行きたい場所にしよう」
    「え……でも……」
    「遠慮はするな。休みとは、好きに過ごしていい日ってことだろう」

    どこまでも強引で、どこまでも優しい。
    二人の間で、衣都は静かに笑った。

    それは、初めての朝だった。
    けれど——確かに、続いていく関係の第一歩だった。
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