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    chabo_sen

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    chabo_sen

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    マフシンのオメガバ途中。誘拐も襲撃もなくJCCで学園生活してて呼び方とか捏造いっぱい。

     サボればその分ツケはくる。そんな当たり前を噛みしめて真冬はシャーペンを走らせた。
     シンの気まぐれに付き合って座学をすっぽかすのはよくあることだが、今回はサボり先にチョイスした武道場裏で運悪く佐藤田先生に見つかり二人仲良くお縄となってしまった。そのまま強制送還のち補習。
     課題を渡されげんなりする真冬と対照的に「これが居残りってやつか~!」とシンがハイテンションだったのは最初だけ。
     先生お手製の課題に頭を抱える年上の同級生を横目にシャーペンを置く。座学の進行範囲で作成されている内容であれば佐藤田先生力作の代物であろうとさして問題はない。

     真冬はアルファだ。優れた遺伝子は主に身体能力やセンスに現れているが知性も平均より遥かに高い。
     ちなみに兄の夏生も同じくアルファだがあちらは頭脳に振られており二人のバース性を知ったシンはその違いを面白がっていた。
     シンはベータだというがそれ以前にまともな学歴がないという。だが殺し屋という特殊職に携わるJCCでは珍しいケースでもなく、必要とする生徒には学力補完用のカリキュラムが組まれておりシンも世話になっていた。
     とはいえひと月やそこらで補いきれるわけもなく、盗み見た進捗は思わしくない。シンに与えられている課題は真冬のものより難易度が低いようで、もしや全生徒分個別に用意している可能性が頭を過り老兵を自称する女傑教師の恐ろしさに身を震わせた。
     その教師は終わり次第職員室へ提出に来るよう言い残して出ていった。この期に及んで彼女相手にバックレる度胸のある生徒はいないだろう。

     補講用の空き教室に二人きり。手持ち無沙汰となった真冬は頬杖をついて隣のクラスメイトを眺めている。
     夕陽を吸った淡い髪色や頬がほんのり朱色を帯びる様は丸いリンゴを思わせた。くっきりとまとまった目鼻立ちはただでさえ幼い印象を与えるのに、開けっぴろげに表す喜怒哀楽がそれに拍車をかける。これで成人しているのだから反則だ。
     課題とにらめっこするようにむぅと尖らせた唇から目を離せずにいると、ふいにシンの視線が真冬に刺さる。無意識に見つめていただけだから変なことは考えていない、だから大丈夫。
    「……ここの代入」
    「え?お~なるほど。サンキュー!」
     なんとなく誤魔化し気分でシンのペン先を迷わせていた数式の一部を指差せばすぐピンときた様子で読み解く。育ての親の影響で理数には少しだけ強いらしい。
     小さい頃研究所に預けられて、ちょっとした事故でエスパーになって、家出して、殺し屋になった。
     そんなツッコミどころ満載のざっくり経歴以上のことをシンは教えてくれない。それとなく知りたがる真冬に「どうでもいいだろ」と笑って濁すだけ。確かにどうでもいいかもしれない。こうして一緒に過ごせているうちは。

     JCCは四年制。卒業時にライセンスを取得した後どうなるかは個人の意思と力量に委ねられる。(ちなみにシンはすでにライセンスを持っているため何でここに居るのか本気でわからないしもちろんそれも教えてくれない)
     ORDERを志す真冬としてはシンにも同じ道を目指して欲しいのだが、彼にその意思がないことは察している。
     殺し屋の中でも別格として扱われるORDERとなれば今の友人関係を続けるのはきっと難しい。少なくとも真冬が望んでいるだけでは叶わないだろう。
     実力主義の殺し屋社会で生きる以上JCCでの友達付き合いなど期間限定。真冬だって最初はそのつもりだったのに編入試験で出会ったシンだけは例外に括ってしまった。
     エスパーという反則技があったとはいえアルファの自分を一蹴し、不器用ながら慰めてくれた。幼少期から訓練を受けすでに年に見合わぬ技量を自負する真冬にとっては本来屈辱もいいところなのだが、シンのかける言葉はそんな真冬の気性をあっさり宥めてしまう。
     呆れ混じりの慰めは優しく、語彙の乏しい褒め言葉がひどく嬉しい。
     惹かれるままに背中を追って、入学後は試験で行動を共にした縁を頼りにまんまとニコイチポジションまで持ちこんだ。
     卒業までの四年間。そのあいだ何か一つでも多くシンと繋がれる糸口を探しているのに、当のシンはそんな真冬の躍起さなど露知らず持ち前の気風のよさに加え学生生活を楽しむことに前向きすぎて他科の生徒とも平気で距離を詰めようとする始末。
     アルファであることを隠さない真冬が隣を陣取っていれば割りこんでくる不届き者はまずいないのだが不快さは殺しきれない。
    (でもしょうがねーか。シンくんベータだし)
     ベータはアルファやオメガと違ってバース性に縛られることはなく、男性は女性の、女性は男性の伴侶を見つければいい。
     その点アルファとオメガは希少種として扱われ、特に優位種でもあるアルファは優秀な遺伝子を残すためにアルファ、もしくはアルファを産みやすいオメガとの婚姻が推奨される。

     真冬はオメガが嫌いだ。
     生来の潔癖ゆえ産みの種というカテゴリに対して忌避感を覚えてしまうし、彼らと居るだけでアルファの自分が捕食者扱いされるのは理不尽としか思えない。
     訓練の一環としてフェロモンを嗅がされたこともあるが不快な甘ったるさが鼻腔から肺にべっとりと張り付く感触に、興奮どころか怖気に襲われ吐いてしまったのを覚えている。
     もちろんオメガ蔑視が時代錯誤も甚だしいのは承知の上。単純に気持ち悪くて面倒くさくて臭いから嫌だという、潔癖の真冬にとっては至極まっとうな理由からだ。
     本物のフェロモンにあてられれば話は変わると言われても本能に感けて理性を失わされるなんてそれこそお断りである。縁がないならそれに越したことはないためJCCにも少数存在しているオメガとは極力関りを持たずにいた。

     シンに対して真冬のアルファ性は強制力を持たない。
     極論を言ってしまうとアルファの男性は同じアルファの男性もしくはベータの男性以外であれば子を成すことができ、結婚も法律で認められている。
     よりにもよってその対象外に入れ込んでしまった現実に内心頭を抱えるが、真冬の意志で手放せるものでもない。そもそも付き合いたいとか結婚したいとかそういう次元の話ではなく、ずっとこうして一緒に居たいだけなのだ。その手段として虫のいい考えがたまに過るだけのこと。

    「マフユ。これ合ってるか?」
    「んー、大丈夫」
     最後の解答欄を一瞥して頷いた。先生の目がないからといって真冬が解いてやると何故か佐藤田先生にはバレてしまうため助言や答え合わせに留めるのが吉である。
    「ありがとな」
     真冬の返事にシンは陽が差すみたいに頬を綻ばせ、シャーペンを持たない左手で真冬の肩をぽんと叩く。
     シンは年下の真冬に対しても気どらず礼を口にしたり叱ったりしてくれる。何かと年上風を吹かせたがるきらいはあるがけして真冬を下に見ているわけではなく、単純に年の差を楽しんでいるだけで嫌味がない。
     少しばかり特殊な家庭環境で育ち、親元を離れてなお生業に関わるための教育に身を置くする真冬にとってシンとの関係はひどく居心地がよかった。
     かけてくれる言葉も見せる仕草もまとう空気も、何より気兼ねなく触れてくれる手が好きで、真冬から手を伸ばすことに抵抗もない。
     触れられたい。触れていたい。潔癖症の真冬にとってその感覚はひどく希少で、ゆえに手放しがたいものだった。
    (離れたくねーなー)
     そう考えてしまうのも無理はないのに、そのたった一人を繋ぎとめる見通しはいまだ立たない。
     何がアルファだと生まれ持った優性を腹の中で罵った。そんな息苦しさなど知らない顔で、真冬すらどこかに置き捨てた無邪気さを湛えてシンは笑う。
     彼からの親愛が特別なものでないことは知っている。シンが好ましいとする、あらゆるものに向けられるそれになおさら息が詰まった。ずっと一緒にいれればいいと出会った頃に覚えた願望は、時おり幼稚な独占欲へとすり替わる。
     課題を見直すために外される視線すら寂しくて、つい手を伸ばした。
    「シンくん」
     こっちを見て。そうイタズラ混じりに頬をつくだけのつもりだったのに、真冬の動作を察したシンが急にこちらを向いたせいで着地点が狂う。
    「ぅん?」
     伸ばした人差し指がシンの唇にふにと触れ、淡い粘膜の狭間に沈む。あたたかい、皮膚とは違う柔らかな感触と湿り気に指先からぞっと得体のしれない震えが走る。
     潔癖ゆえの嫌悪感とはまったく違うそれは、真冬の細胞一つ一つに火を灯すかのごとく伝播し、一呼吸のうちに頬まで焼いた。
    「どうしたマフユ?…マフユ?」
     かっとこみあげる熱に息があがる。
     抑え込むための箍が緩み、蛮性を帯びた本能がじわりと内側から滲むのを感じた。
    (あ、ヤバい)
     ことの大きさを自覚した時にはもう遅い。本来無意識下で抑えられているはずのフェロモンが真冬の制止を待たず漏れ出していた。
     それを真正面から浴びせられたシンは大きく目を瞠ると真冬の手から逃れるよう身を翻す。拍子に椅子から転げ落ちてガタンとけたたましい音ががらんとした教室に響いた。

     オメガのフェロモンが誘惑ならアルファのフェロモンは服従であり、その効果はオメガ以外にも作用する。アルファ同士であれば縄張り争いの牽制となるが、相殺するすべを持たないオメガやベータは一方的に組み伏せられてしまう。
     真冬より年上で体格のいいシンもベータである以上例外ではなく、真冬をはねのけてでも逃れようとするのは殺し屋として当然の反応だ。
    「シンくん、ごめん俺」
     まずフェロモンを抑えるべきと頭ではわかっていたがシンへの心配が先立ち後を追うように立ち上がる。
     転げ落ちたシンは窓際の壁に背を預ける体勢で蹲り、何やら苦しそうに身を震わせていた。
    「っ、は……マジかよ、クソッ……」
     苦々しげに毒ずくクラスメイトを見下ろして真冬は立ち竦んだ。自分のせいでシンが苦しんでいる光景にショックは受けている。だが今真冬の動きを止めているのはそのせいではない。
     濃密な甘さが鼻腔をくすぐった瞬間、パンッと弾けるみたいにそれまでの思考や動揺の一切が消え失せ、獲物を嗅ぎつけた本能が脳漿を奥から染め上げた。
     オメガの匂い。臭いもの汚いものと記憶しているはずの香りがひどく甘美に感じられる驚きと、それを漂わせているのが目の前で倒れ伏すクラスメイトその人であるという衝撃に視界が揺らぐ。だがその中心に見据えるシンの姿だけはブレない。
     誘発はオメガの発情(ヒート)にアルファが引きずられるケースとアルファのフェロモンに触発されたオメガがヒートに陥る二つのパターンがある。この状態は紛うことなき後者であり、その意味を導きだす思考そのものがぐらぐらと揺さぶられた。
    「……シンくん、オメガだったの?」
    「っ、マフユ離れろ……だれか先生を」
     呆然とした真冬の問いにシンはぐっと歯を食いしばって、肯定はしないまま懇願した。
     シンの指示は正しい。突然のヒートに出くわした時の対処法として真っ先に教わるレベルのものだとわかっていて、真冬は動かない。
    「うそつき」
     絞りだした言葉にシンの瞳がぎくりと固まり、何かを堪えるように自身の胸元を握りしめる。
     真冬がオメガ嫌いであることはシンの前でもたびたび口にしていた。生来の口汚さを隠せない真冬の言いざまをやんわり窘めては「アルファも大変なんだな」「まあ嫌なもんはしょうがねーよ」と笑うだけで、一度も否定はされなかった。
     俺はそんな連中よりずっとシンくんが好きなんだって、言葉の裏に張り付けた本音をこの鈍感エスパーが察していたかはわからない。今の真冬にわかるのは、シンがオメガで、アルファの自分には彼を得る権利があるということだけ。
     甘い香りを吸いこめば吸いこむほど思考がふつふつと煮えたち理性を溶かす。傲慢な本能が鎌首をもたげ眼下の獲物に舌なめずりした。
    「シンくん」
     落ち着けるよう、なるだけ優しく呼びたかったのに口内で溢れる唾液が邪魔して少し濁った。かっこわるい、恥ずかしい。でも頬を真っ赤に染め上げて、ふうふうと泣いてるような呼吸で床に這いつくばるシンの方がずっとみっともない。
     さきほど真冬の言動に固まったシンの瞳には薄く涙が張り、ゆらゆらと水面みたいに揺らいでいる。試験や実技でどれだけ痛い目にあっても涙なんてそうみせないのに、それほどヒートの苦しみは辛いのだ。
     真冬のせいで苦しんでいるのなら真冬が助けてあげないと。彼を苛む情欲が、大きな瞳から雫の形で溢れる様に口角があがるのを我慢できない。
    「大丈夫だよシンくん」
     うそつきでもいい。許してあげる。俺はシンくんのことが大好きだから。だから、その代わりに全部をちょうだい。
     無意識に荒くなる息を静めようと大きく息を吸ったが漂うフェロモンがより強く頭を浸し逆効果でしかなかった。甘美な心地よさが目の奥を痺れさせ、これから強いる行為を夢想させる。
     この馨しい香りを存分に愉しんで、真冬を求めてやまない肢体に触れる。そう触れていいのだ。手や髪だけじゃなく唇にも脚にも腹にもその内側にだって。シンと出会ってから幾度も押し殺し続けた願望をこめて手を伸ばす。
     真冬に性交の経験はないがアルファ性が発現してすぐバース性の講習を受けている。だが今の真冬に渦巻く欲望はそんな知識に基づくものではない。アルファに根付く原始的な本能が、目の前のオメガを求めて身を急かす。
    「はぁ…はっ、待て、マフユ…頼むから…!」
     シンもまたこれからの狼藉を想像したのだろう。怯えた声で身を竦ませるが後退ろうにも背中は壁だ。
    逃げ場はないと改めて思い知った彼はいやいやと頭を振り、陽の光みたいな金色がぐしゃぐしゃに乱れる。年上の彼が見せる幼稚な仕草は真冬に芽生えた嗜虐心をいたく刺激した。
     抵抗にもならない意思表示とは裏腹に、ぎゅっと縮こめた下肢からも甘い蜜みたいな匂いをさせて、懸命に真冬というアルファを誘っている。そのちぐはぐな姿が喉をカラカラにさせた。
     シンだって本能のまま真冬を求めたくて仕方がないはずなのに、いまだ往生際悪く理性を保とうとする強情さを弄りたい。捕まえて、触れて、理性だとか矜持だとかそんな余計なものを剥ぎ取って、自分が何者なのかを知らしめてやりたい。
     いやその前に噛まないと。誰にもとられないうちに、真冬の番にしなくては。そうすれば何をしても許される。シンがずっと壁に背を預けたままでいるのはうなじを隠そうとしているのだろう。その健気な貞淑さが痛ましくてそそられた。
     まばゆい金髪から真冬が目にしたことのない足の爪先までぜんぶ呑みこんでしまいたい。獰猛な衝動を宿した指がシンに触れる間際、教室にカツンと響いた音。それを認識した瞬間に視界がぐるりと一転した。重く鈍い衝撃が背中に走って息が止まる。
    「まったく。猫の盛りじゃあるまいし」
     非常時にあっても穏やかな女性の呆れ声を聞き終える前に真冬の意識は途切れた。






     頭が痛い。体が怠い。気持ちが悪い。最悪な目覚めを味わいながら上半身を起こした途端、視界がぐるりと回るような眩暈に襲われノロノロ頭を押さえる。
    「あ~、なんだよこれ……」
     不愉快を吐き捨てて視線を巡らす、までもない。ようやく馴染みだした寮の自室。そのベッド上で目覚めた真冬はすぐ室内の異物、一つしかない椅子でスマホを片手に寛ぐ夏生の姿に眉を顰めた。
     二人は兄弟だがここJCCではわざわざ接点を持ったり顔を合わせたりしない。とはいえ隠しているわけでもないためそれなりに有名人である夏生を知る人間には周知の事実。
     とりわけ夏生の在籍する武器製造科の連中は真冬のことを『ナツキの弟』『セバ弟』呼ばわりするので彼らの棟には極力近づかないようにしている。なのにシンはブキ科の工房をやたら気に入っており、真冬を置いてフラフラ遊びに行ってしまうことが多くもどかしい思いをしていた。
    (そうだ、シンくんは)
     鈍痛の響く頭の中から眩い金髪を頼りに記憶を手繰り寄せ、後悔した。
     人気のない教室で起こした顛末がフラッシュバックのごとくよみがえり、そのおぞましさにぞっと血の気が引く。
     放課後の教室と寮の自室という繋がらない景色を並べ、ただの悪夢と片付けてしまいたかったがそんな逃避を夏生は許してくれなかった。
    「抑制剤はじめてだろ?副反応きついからまだ寝とけ」
    「抑制剤……」
     オウム返しに呟き、腕に貼られた白いテープに気付く。注射痕を保護するためのそれに合点がいった。
    「思い出せない?」
     夏生の問いかけを理解する前に真冬の体が反応する。
     教室でのやり取りがまざまざと脳裏に浮かび臓腑が竦むような感覚。肩を並べていられることが嬉しくて、対等に扱われることを喜んで、ずっと一緒にいたいだけだったのに、オメガだと知った途端に見下して、貶めて、甘い匂いだけで愛されてると錯覚した挙句、あんなことを。
     自身への嫌悪感に全身が戦慄き、からっぽの胃が痙攣して聞き苦しい嗚咽が室内に響いた。俯いたまま毛布を握りしめ、ただ打ちひしがれる弟の姿から夏生は椅子を回して背を向ける。
    「まーお前も災難だったな」
    「……は?」
    「あの年にもなって薬飲み忘れてたとかうかつにもほどがあるだろ」
     オメガは生理現象として周期的に発情してしまうため、集団生活に身を置く条件として専用の抑制剤を服用する義務がある。シンがそれを怠ったことで真冬を巻き込んでしまったとシン自身が証言した。
     そう佐藤田先生に説明されたという夏生の言葉に絶句する。
     真冬がしくじるまでシンからフェロモンを感じたことはなかった。真冬のフェロモンに誘発されたヒートであることは明白だというのになぜそんな嘘を吐いたのか。戸惑ったのは一瞬だけで利口な真冬はすぐ理解する。
     オメガのヒートは生理的な事象であり彼らの種の弱さから大事になることは少ない。だがアルファによる誘発は意図的なパータンがほとんどで、種の優位性に守られていても醜聞として扱われる。それを憂いての嘘なのだと、シンの人となりを考えれば合点がいく。
    「兄貴はそれ信じてんの?」
    「……あいつバカだからな」
     真冬の弱々しい問いかけに夏生は背を向けたまま返した。夏生も真冬とは違う形でシンと親交があり、お互い憎まれ口を叩きながらも奇妙な友人関係を築いていることは知っている。
     その兄からの肯定とも否定ともとれる答えに奥歯を噛みしめた。夏生はそれに納得してやったのだと言外に突きつけられる。
    「お前もバカなこと考えるなよ」
     釘を刺すようピシャリと言い切られ言葉を飲んだ。その選択がシンのためとは思わない。だがそれを口にすれば、これまでのようにシンと関わることは許されなくなる。
     秀でた知能や身体能力を生まれ持つアルファを優れた種と貴び、フェロモンを発し男女問わず子を成せるオメガを劣った種と蔑視するかつての傾向は廃れた。だがバース性の性質上どうしても理不尽に甘んじざるをえない状況に陥ってしまうオメガを保護する法律はいくつもある。
     今回のようにアルファがフェロモンを使ってヒートを誘発し、合意のない行為に及ぼうとすれば未遂であっても危険と判じられ接触を禁止されてしまう。意図していないとはいえ何もかも真冬のせいなのはわかっているのに、この期に及んで浅ましい執着が誠実と欲求を天秤にかけた。








     そして真冬は翌日から、シンもその次の日には通常通り授業を受けられるようになった。そのシンの首は噛み防止の首輪に覆われている。
     強化革製の首輪は並の刃物はもちろん大型犬でも嚙み切れない頑丈さを誇り、複製不可の鍵がなければ取り外せない。絶対に失くさず、かつ『身につけない』ようにと強く言われた。
     オメガ性が発露してからずっと薬でうまく隠せていたシンは生まれて初めて身につける首回りの違和感に内心うんざりしていたが、失態を犯した以上守るための枷に甘んじる他ない。
     企業や機関がオメガ性の秘匿を認めてくれるにはいろいろと条件があり、その一つとして周囲にバレることがあれば被保護義務として首輪を着用するというものがある。
     一目でオメガだとわかる首輪を身につけているJCC生は研究職に近い毒殺科や技術職と呼べる武器製造科・諜報活動科にはチラホラ見られるが、身体能力にモノを言わせる暗殺科にはめったに居ない。現に暗Ⅰで首輪をつけているのは今のところシンだけで、先日の件を知らない生徒にも顔を合わせればバレてしまう。
     といっても抑制剤の改良が進んだ現代においてオメガ差別云々はもはや時代遅れのナンセンスだし、シンの実技成績は上の方だったため引き合いに出して貶めるような輩はいなかった。
     カラリとした人好きする気性も幸いしクラスメイト達との関係に大きな変化は見られない。真冬をひとりを除いて。

    「シンさん!お昼一緒に行きませんか?」
    「お、いいぞー」
     午前の選択授業を終えたところで同じ内容を選んでいた晶が声をかけてくる。
     晶はアルファだがバース性の発現が遅く、JCCでは珍しいほど控えめで大人しい少女だ。彼女も真冬同様に編入試験の縁で親しくしていたがあちらから昼食に誘われたのは初めてだった。いつもシンの後をついてくる真冬の姿がないせいだろう。
     先ほど終えた選択授業にも真冬は参加していなかった。いつもなら当たり前な顔をして隣にいるのだが、今日は朝から一度も顔を合わせていない。
     悪気はないとはいえオメガであることを隠し彼を騙してたのは紛れもない事実である。始業前の教室に遅刻ギリギリで滑り込んだシンに、声をかけるどころか一瞥もしない真冬の態度に何も言えなかった。

    「晶は何食いたい?取ってやるよ」
    「いいんですか!えっと、じゃあハンバーグ定食」
    「オーケー。俺もそれにするかなー」
     晶は近距離格闘に関してズバ抜けた技量を持っているのだが射撃はイマイチらしく食券場で顔を合わせれば代打してやることもある。そのたび真冬は「甘やかすなよ~」と嫌そうな顔をしながら「じゃあ俺の分も」と相乗りのていで甘えたり、あわよくば奢らせようとしてくるのだ。
     同じボタンに立て続けで命中させ、無事ゲットした食券を嬉しそうに両手で握る少女の素直さを微笑ましく眺めながら訪れた食堂はほぼ満員。目のいい晶がすぐ空席を見つけてくれたので席の確保を頼み、二人分のハンバーグ定食を受け取りに行く。
     込み合う時間帯のため受け取り口には長い列ができており、鉄板系の列にひとり並ぶと急に周囲の視線が気になった。
     元々金髪で整った容姿をしているシンはまあまあ目を引く部類で、遠巻きに認識していた生徒は多い。そんな生徒が突然オメガ用の首輪をつけているのだから注目されるのは当然だ。
     好奇の目で見られるのは重々承知の上だが向けられる思考はきっとろくなものじゃない。ちりちりと肌に感じる意識にチャンネルが合いそうになるのを無心で堪え、そうしているうちにシンの番が回ってきた。
     威勢のいいおばちゃんがアツアツのハンバーグプレートを小鉢の乗ったトレーに並べてくれると、じゅうじゅうに煮えたぎるソースの匂いに空腹が刺激され曇りかけた心地も吹き飛んだ。
     二つのトレーを両手に抱え晶が確保している席へ足を向けると大柄な青年が突っ立っている。テーブルとテーブルの間を陣取る男はシンより年嵩のようだが雰囲気からして教員ではない。常識ねえなあと内心舌打ちしつつテーブルごと迂回しようとしたところで軽薄な声がかかる。
    「なあ、お前ってフリー?」
    「は?」
     にやにやと愉し気に見下ろす男の言葉は明らかにシンの性に向けられたものだ。
     恐らくアルファなのだろう。オメガは絶対数が少ないうえバース性はセンシティブな項目でもあり公にするかは個人の自由。無論アルファ性の詐称は禁じられているが医師の指導や規律を守れるのであればベータ性として振る舞える。
     そうやって身を隠す者も多いため番のいないオメガにツバをつけたがるアルファが一定数いると聞くが、公衆の面前でそれをやる無神経さに腹が立った。
     すぐにでも投げ飛ばして道を開けさせたいところだがいかんせん両手は大事な昼飯で塞がっている。とはいえ穏便にお断りするのも面倒だし適当なテーブルに預けて実力行使を考えていると、背後から「なあ」とかけられた声に振り返る。
     まだあどけなさの残る少年が親子丼を乗せたトレイを片手に立っていた。
    「シン。早く行こう」
    「周」
     JCCトップの成績保持者である周もまた自他共に認めるアルファであり実力も折り紙つきだ。そっけなく言い捨てて歩き出す背中につられ足が動く。横目でちらりと窺った男は露骨に嫌そうな顔で押し黙っていた。
     

    「あいつ三年だけど多分シンより弱いから」
     だから大丈夫だと、晶の待つテーブルに到着して周がこぼす。晶も遠巻きに身構えていたらしくほっとした顔で椅子に腰をおろした。
    「なんか悪いな二人とも。気使ってもらって」
    「いえ全然!私こそシンさんにはいつも助けてもらってますしこんな時くらいお役に立ちます」
    「面倒ごと止めるのはじいちゃんの手伝いみたいなものだし」
     何やら意気込んでいる晶となんてことない口ぶりで気遣う周、殺し屋養成所らしからぬ善性を引っさげた年下二人という珍しいメンツで昼食を囲む。
     せっかくだし暗Ⅱの話を聞かせてもらおうかと考えたが、口にしたハンバーグが少しぬるくなっていたことに先ほど足止めを食らった不愉快がぶり返す。
    「は~…わかっちゃいたけどああいうのに絡まれるのは面倒だな~」
    「シンさん目立ちますからね」
     シンのぼやきに晶が困り眉で頷いた。といってもシンにそんなつもりはない。
     非一般人が多く集うJCCには奇抜な外見の生徒も多く金髪程度なら珍しくもなんともないのだが、シンは難関扱いの編入試験をトップでパスしたという実績から箔がついており暗科外や別学年からも認識されるだけのポジションにいた。
     それがオメガだと判明すれば注目されるのも自明の理。実力に関しては坂本太郎の教えの賜物なので誇らしさしかないのだが、重苦しい首輪に指をかけて額を押さえる。
    「やらかした以上コレ外すわけにもいかねーし」
     どうしたものかと渋面を浮かべながら塩ゆでブロッコリーに齧りつく。うーんと一緒に考えてくれる晶とは対照的に無表情のまま箸を進めていた周だが、ふと思いついた様子で顔をあげた。
    「マーキングは?」
    「「まーきんぐ?」」
     聞きなれない単語にシンと晶の声が仲良くハモる。
    「アルファがオメガにフェロモンつけて自分のものって主張する、動物のナワバリみたいなやつ」
    「ほー」
    「そんなのもあるんですね」
    「なんで知らないんだ」
    「バース性の勉強とかしたことねーし」
    「私も、アルファになったのがつい最近なので…」
     開き直るシンと申し訳なさそうに俯く晶の姿に呆れつつ周は続けた。
     なんでも番契約を結ばなくても効果があり、例えばアルファの親がオメガの子を守る手段としてそれなりにポピュラーな手法だという。聞く限りなんの制約もなさそうだし試してみる価値はあるだろう。
    「で、それどーやるんだよ?」
    「……知らない」
    「はぁ?」
    「そういうのは実地でわかるもんだってじいちゃんが」
     まだ丸みを帯びる顔をわずかに染めた周の反応に言及しそうになるのをぐっと堪えた。
     相手は純朴な晶と世俗に疎い周。どちらもアルファとはいえ未成熟な学生でありセンシティブな話題を掘り下げるにはいささか相手が悪く、下手に突いて周の爺さんから佐藤田先生に苦情がいくのも後が怖い。
    「でもそういうのって強いアルファじゃないとダメなんですよね。私じゃ力不足です……」
     知識が浅く自己評価の低い晶は方法云々より不相応であることに肩を落としている。あくまで協力的な姿勢でいてくれるのをありがたく思いつつ頭を捻っていると、周が不思議そうに首を傾げた。
    「適任ならいるだろ。いつもくっついてるアイツは?」
    「あー、マフユはダメだ。多分」
     周が口にするアイツが誰を指しているかすぐ思い当たり、首を振る。
     真冬が強いアルファであることはシンも編入試験の時点で嗅ぎとっていた。本来ならその時点で深い関りは避けるべきだったのだが、一戦交えてすぐ自己紹介する間もなく懐かれ、三次試験が同チームであったのも手伝いJCCでもつるむ仲に落ち着いてしまった。
     だがそれは真冬がシンをベータと認識していたからであり、JCCで再会して間もなく真冬のアルファ性について触れた時。
    「俺オメガ嫌いなんだよなー」
     さらりと口にされた言葉に息を飲む。
     真冬の口からオメガ差別めいた発言が出たことにショックを受けたのかもしれないが、理由を聞いてみれば潔癖症な真冬らしい内容でアルファなりの悩みもあるのだと納得できた。
     ここで「じゃー俺オメガだから」と伝えて離れるべきだったのはわかってる。もちろんシンがオメガであることを真冬が知ったところで無暗に言いふらすとも思ってない。なのにそうしなかったのは、シンが真冬を遠ざけたくなかったからだ。
     佐藤田先生に事情を聞かれて庇ったのも同じこと。結局その場しのぎの保身に感けて真冬を欺き続けた罪悪感が自業自得としてのしかかる。少なくとも今更世話をかけようなんて恥知らずなマネはできない。
     半分残っていた味噌汁を一気飲みし、空になったトレーを手に立ち上がる。
    「ん~ちょっと他当たってみるわ。二人ともありがとな」






    「殺気えぐっ!そんな心配なら助けに行けばよかったのに。せっかくの王子様チャンス取られちゃったよー」
    「うるせーなー。ムダ話すんなら他の席行けよ」
     食堂の一角、シン達から対角線に位置するテーブルでは真冬と虎丸がきつねうどん二つを挟んで向かい合っている。
     別に誘ったわけでも誘われたわけでもなく、単純にメニュー被りから受け取り口で偶然前後に並んでしまい、一人でいる真冬を珍しがった虎丸が強引についてきたのだ。テーブルはお世辞にも和やかとはいえない空気だが虎丸のマイペースさは真冬のさらに上をいく。
     入学当初からずっとシンにべったりだった真冬の異変に「シンくん大変だよねー」と面白がるように探りを入れ、不機嫌も顕わな真冬の眼光を受け流しながら「あー!」と指差した先ではアルファらしき上級生に絡まれるシンの姿。
     反射的に立ち上がったものの後ろめたさから二の足を踏んでしまい、その隙に顔見知りが助け船を出していた。あいつも確かアルファだったと思い当たりぐっと胃のあたりが重くなる。
     不快をやり過ごしながらすごすご腰を下ろす真冬の姿に虎丸は呆れ顔でおあげを頬張った。
     真冬のオメガ嫌いは聞いているがそれを理由にシンと距離を置いているわけではないのは一目瞭然。シンのヒートに巻き込まれたアルファの名前は伏せられているものの二人を知る人間なら嫌でもわかる。不愛想な年下のクラスメイトの恋バナを虎丸が放っておけるわけがない。
    「あれ、事故だったんでしょ?シンくん首輪つけてるならフツーに一緒にいてよくない?晶ちゃんや周くんだってアルファだし」
    「……」
     口を噤む真冬の視線の先には年下二人と楽しそうに昼食を囲むシンの姿。いつもと何ら変わりない様子を見つめる真冬から、先ほど収まったはずの殺気がまた漏れ出していた。
     真冬だって晶の人畜無害さは把握しているし周にまったくその気がないのも理解している。だが妬心というものはそんな理屈だけで片付くものではないし、それを真冬が抱くこと自体お門違いであるとわかっているのも不愉快に拍車をかける。
     機嫌のドン底を絶賛邁進中な真冬を心配したいようないじりたいような心地で虎丸は続けた。
    「シンくんけっこう人気あるもんね~。諜報活動科の友達、アルファの女子なんだけどーシンくんよくない?って前にいってたしオメガってわかったらガチになるかも」
    「は?なにそいつ殺していい?」
    「うわ~こわ~物騒~」
     さっきまでだんまりだったくせに殺る気満々な即レスはさすがの虎丸も若干引いた。
     真冬がシンに懐いているのは周知の事実だが、それが健全な友情とは一線を画しているのも虎丸は察している。件のあれで二人に何があったのかは知らないがこのザマで距離をあけようなど不可能だろう。
     真冬を躊躇わせる理由なんて、その時その時夢中なものに全力投球な虎丸には皆目見当もつかない。好きなものは好き。欲しいものは欲しい。それ以上も以下もない。
    「シンくんのこと好きなんでしょ。よかったじゃんオメガで~プラス思考プラス思考!」
     持ち前の明るさでズバリと言い切った声の大きさに真冬はぎょっと目を瞠ったが、幸いシンらのテーブルとは距離があるため拾われていない。
     とはいえ周囲の視線を浴びる羽目になり、青筋を浮かべながらうどんごしに顔を寄せた。内緒話のていに虎丸は目をキラキラさせて応じる。
    「……だから別にシンくんがオメガだから好きなわけじゃねーし、番とかそこまで考えてねーっていうか、ずっと毎日顔合わせて一緒に居られれば俺的には満足だし」
    「それさー……番どころかプロポーズまでいかないとムリなヤツじゃん?」
     JCCでの共同生活が板についてしまったことで感覚がマヒしているらしい真冬の言動を虎丸はわりと本気で心配した。
     マジレス気味の指摘に真冬も顔を顰める。このまま一緒にいられればという言葉に嘘はない。だってシンはベータだから。それがアルファの真冬を唯一納得させられる形で、どうすれば叶うのか編入試験からずっと考えていたのに、一昨日の出来事が真冬の思考に嫌な影を落とす。
     いずれ彼が誰かを選ぶ日が来てもそれはシンがベータなら仕方ないと割り切れたゆえの選択だ。真冬が見知らぬ誰かと結ばれる未来は百歩譲って享受できたとしても、他のアルファがシンの番になることを看過できるか。それを考えるだけで胃の奥からどろどろと暗くて苦いものがせり上がる。
     虎丸がアルファの友人の話をした時も、シンの肌に他人の手が触れる様が脳裏に浮かんだ瞬間にかっと血が上った。無理だ。きっと相手を殺してしまう。
     なら虎丸の言葉通りシンをオメガとして求めればいいものを生来の潔癖がそれを躊躇わせた。
     二人きりの教室でシンのヒートを目の当たりにした瞬間、真冬は己の獣性を自覚した。アルファの本能が傲慢な欲望を肯定し理不尽な所業を是と説いた。その獲物が真冬にとってどれほど特別かなんて眼中にない。ただ奪ってしまえばいいという稚拙と獰猛が入り交じった願望はただただ醜悪で、未遂の嵐が過ぎたあとの凪には苦々しい悔恨が残った。
     理性が利かない現象というのはアルファ以前にまだ14歳の真冬にとってひどく恐ろしい感覚だった。また同じ事態に陥れば今度こそ何をするかわからない。それどころかシンがオメガと知っている自分は今度こそ己の意志で彼のヒートを引き出しかねない。
     番になりたいかそうでないかといえば、正直なりたい。だが無理やり番ったところでシンに認められなければ意味がないし、もし嫌われたらなんて考えるだけで血の気が引いた。
     いや実際もう嫌われているかもしれない。ヒートに浮かされ舌なめずりする真冬を見上げたシンの目は、情欲のこもる熱を湛えながら、それでも確かに怯えていたのを覚えている。あんな顔をされるくらいならいっそ、と思いきりたいのにあの光景を思い出すだけでぐっと熱がこみあげる本能に嫌気が差す。
     やるせない自己矛盾を噛みしめる真冬の眼からじわじわと涙が溢れだし、顔を突き合わせていた虎丸は「ごめん、ごめんて~!」と慌ててポケットティッシュを押しつけた。
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