黄泉帰り 今までの人生の中でやたらと密度の濃い、4日間の冬季休暇がおわった。
目を醒ませば当たり前のように日は昇っていたし、いつか涼さんと撮った写真を見ると、並んで笑う自分達の後ろに、よく晴れた青空が広がっていた。
世界は、何も変わらない。
失ったものが戻ってくることも、誰かが誰かの代わりになることもない。
拍子抜けするほどいつも通りの日常が、淡々とそこに続いていた。
「十倉、少しは休めたか?」
職場に出勤してみれば、入れ替わりで明日から休暇に入る予定の久慈がそう尋ねてくる。
休めたかどうかと問われれば、正直微妙なところだと思う。休めたのは実質最初の1日……いや、それだって彼女と再会してからはずっと気が気じゃなかった。おまけに繰り返し見る同僚の死の光景には、幾度も心をかき乱された。
一方の身体の方はと言えば、こちらも結局丸4日間、調べ物であちこち出掛けてばかりだった。
結果としては、休み中も普段仕事をしている時とそう変わらなかったと言っていい。
改めて確認した事実に思わず苦笑すると、部屋の奥、先に出勤していた五百住が、気まずそうに視線を逸らした気配がした。
「そうだな……嫌に充実した4日間だったよ」
「……?」
怪訝そうな久慈の肩を叩いて「なんでもない」と笑う。普段から他人を慮ってばかりの彼にこれ以上心配の種を増やすことはないだろう。あれはもう終わった話なのだ。
「ともかく、この通り元気に出勤するくらいには休めたさ。こっちの方はこの4日間、何か変わりはなかったか」
「あぁ、特には。書類が少し増えたくらいだ」
「……少し……? 冗談にしては笑えないな」
ちらりと机に視線をやれば、休暇前に片付けたはずの机には新しい山が隆起し始めている。
思わず口を曲げて大げさに肩を竦めると、それを見た久慈が僅かに口元を緩めた。
「そのくらいの元気があるなら大丈夫そうだな」
頑張れよ、と肩を叩き返される。
休暇に憂いを残すまいと必死に片付けた書類は、少し目を離した隙に仲間を連れて帰ってきていた。その事実に少しだけ頭が痛くなる。
だが所詮、公僕なんてこんなものだ。
増えた書類をせっせと片付けているうちに、いつの間にか昼間になっていた。
そう言えば、この4日間何を食べたのかイマイチ覚えていない。
食欲が無かったわけではないし、それなりに食事はしていたはずだが、如何せん味を楽しむような精神的余裕がなかったのだ。
それに気が付いてしまうと、不意に食欲が湧き起こってくる。
しっかり味がついたものが食べたい。香ばしくて炭火で焼かれた、白身の魚がいい。それを甘辛いタレに絡めて……などと考えているうちに、ふと悪い考えが首をもたげた。
脅すような真似をするのは良くない、と理性は止めるが、たまにはいいだろう、と悪戯心が胸をせっつく。
「五百住」
椅子の背凭れに身体を預けながら小声で隣の席の彼を呼ぶと、少し間があって返事が返ってくる。
「……どうした」
「昼時だな」
「そうだな」
「知ってるか、ウナギの本当の旬は冬らしいぞ」
「そうか」
チラリと横目で彼を見ると、視線は前に向けたまだが、しかしくっきりと眉間にシワが寄っている。こちらの意図はなんとなく伝わっているようだ。
「……」
「……」
「五百住」
短い沈黙の後、もう一度彼の名を呼ぶと、返事の代わりに長く重たいため息が帰ってくる。そのまま書類を机に置いて、彼はこちらをジトリと睨んだ。
「十倉……言いたいことははっきり言え」
地を這うような低い声でそう言われ、おまけにグイッと肩を掴まれる。それが妙に可笑しくて……同時に、彼がちゃんとここにいるのが嬉しくて、自然と少し笑ってしまった。
椅子を回転させて、身体ごと彼に向き直る。神経質そうな、いつもの彼の姿が目の前にある事に、深く安堵した。
「昼メシにうな重が食べたい」
「奢れと?」
「あぁ。俺と、あと久慈の分」
「久慈も!? なんで二人前──」
驚く五百住に、精々意地悪く笑ってみせる。弱みにつけこむようなやり方は好ましくはないが、今回ばかりは話が別だ。
「丁度だろう?」
──俺と、彼女と。詫びるならば二人分だ。
言外にそう示せば、何か言いかけた口をぐっと閉じて、五百住は目を伏せた。
「……分かった。好きにしろ」
「よっし、決まりだな。そうと決まれば、久慈が戻ったら出掛けるぞ」
降参、と肩を竦めた彼の膝をペシリと軽く叩いて立ち上がる。
「悪いな……だがこういう意地の悪いことは性にも合わないし、これきりだ。これで全部手打ちにしよう」
そう言って彼を見下ろすと、五百住はこちらを見上げて少し驚いたように目を開く。
その顔はすぐに、あの水槽の前で見せたような、少し寂しそうな笑みへと変わった。
世界は、何も変わらない。
失ったものが戻ってくることも、誰かが誰かの代わりになることもない。
だからこそ、持っているものをこれ以上失うことはしたくない。
記憶を、友を、これ以上取りこぼす事などあってなるものか。
そうして、拍子抜けするほどいつも通りの日常を続けて行ければいい。今はただ、そう願っている。